10+303 わからない
シュウダが目を覚まさない。
意識が戻らない。縫合も輸液も呼吸管理も、出来ることはやり尽くしてしまったヤマカガシは、それ以上出来ることもなく叔従父を見下ろしていた。
ネズミによる駅の被害は甚大だった。幸い連れ去られた女はいなかったが、多くの男が死傷した。シュウダ始め、当分の間は動けない者や、未来永劫自由を奪われた者も少なくない。辛うじて動けても狩り合いの戦力と数えられる者は激減し、そして合同葬儀も行われた。
イエヘビ、シロマダラ、トゲアゴヘビ、ラフアオヘビ、ミケヘビ、ジムグリ。
特に長年、相談役として駅の頭首を支えてきたジムグリの不在は、他のヘビたちにも多大な動揺を与えた。駅の頭首が昏睡状態の今なら尚更だ。ヘビたちは埋葬一つとっても各々の役割を担うことさえままならず、普段ならば数時間で終わる作業も、夜明けをまたいで翌日に持ち越さざるを得ないほど、要領の悪さを晒す体たらくだった。
比べてカメは被害が少なかった。キボシイシガメだけだ……、
-『だけ』って何だよ。キボちゃんが死んでんだぞ? 『だけ』じゃねえべや!!-
タカチホヘビを怒鳴りつけていたイシガメを思い出し、ヤマカガシは頭の中で自分の言い方を訂正する。そうだ、ホウシャガメだってまだ起き上がれない。そしておそらく、彼はこの先どんなに足掻いてもかつてのようには走り回ることは出来ないだろうことをヤマカガシは知っていた。負傷者で言えばカメの方が甚大と言えよう。そうだ、『だけ』ではない。数の問題ではない。
―今回は七け。次はもう少し狩ってこられ―
こいつにとっては数の問題かもしれないが。
ヤマカガシは命を数字でしか計らない男を見下ろした。
ヤマカガシ自身の希望で言えば、シュウダなど死んでくれても構わない。ワシと同等と言っても過言ではないほど、殺したいくらい怨み続けてきた憎しみの対象だ。
だが死なせるわけにはいかない。血も涙もないくずの鏡のような男だが、曲がりなりにも駅の頭首だ。カメの頭首があんな状態なのにこの男までもが使い物にならなくなったら、この駅はワシやカエルに関係なく、内側から瓦解する。
死んでもらっては困る、だから生かす、それだけだ。それがヘビとしての責務だから。自分はその義務を課せられた立場にいるから。
―甘ったれんな―
甘ったれた覚えなど無い。一度も無い、絶対に。だけれども。
―てめぇよりは動けるわ!―
そう思っていたのに、あの時、自分の体は一切まともに動けなかった。そして、
動けなかったヤマカガシを、シュウダは身を呈して庇った。
この男はわかっているのだろうか、どれほど疎まれているかを。ヤマカガシは隠すことなく嫌悪感をぶつけてきた。伝わらないはずがない。面と向かってだって言って来たのだから。それなのに。
ヤマカガシは顎を引く。拳を握りしめて奥歯を噛みしめる。
腹が立って仕方がない。どうしようもなく無性に。怒鳴りつけて殴り倒してやりたい。
だから生きてもらわねば困るのだ。あの時、なぜ自分を庇ったのかその理由を言わせるために。余計なことをするな、構うな俺に、二度と保護者面するなと言うために。
「どう?」
声かけも一切なく、扉を開くなり開口一番ヒメウミガメが言った。いつもは誰かしら子どもの手を引き赤子を負ぶっているのが定番の女は、今日も子どもたちを妹に預けてきたらしい。その妹も、幼子と祖父の介護でてんてこ舞いなのに。
「寝とります」
ヤマカガシは見ればわかることを報告した。それ以外に伝えられることがない。
「そう」と言ってヒメウミガメはシュウダの枕元に腰を下ろした。点滴や呼吸器の管と導線に配慮しながら、夫の手を取り両手で包み込む。
ヤマカガシは夫婦に背を向け、点滴の速度調整を改めたり機械の設定を見直したりし始めた。
間が持たないのだ。世間話でうすら寒い笑いを交わすのも場に合わないし、かと言って世間話以外の話題がない。本題を持ち出されても重すぎる。
ヤマカガシの心情を慮ったのか、叔従父の妻は動き回るヤマカガシの背中に声をかけてきた。
「少し休んだら? 私が見とくからさ」
「なー……、何かあってもあれやし…」
「したら呼びに行くから」
「まぁ、そながですけど……」
医療に暗い女に任せておくには、シュウダは重篤過ぎる。
気まずそうにシュウダを見下ろすヤマカガシを見つめていたヒメウミガメは、「真面目だね」と失笑した。何と言ったか聞こえなかったヤマカガシは聞き返したが、
「やー、似てるなと思ってさ」
寂しそうに笑ってヒメウミガメは夫を見下ろすだけだった。
無言の時間が流れる。誰か呼んで来ようかとヤマカガシは考え始める。だがヘビで手の空いている者などいないから自分がここにいる訳だし、カメはカメ同士で看病し合っていたし、
―カッちゃんは数に入らん―
シマヘビは今もイシガメにかかりっきりだろう。
「ねえ、」
ヒメウミガメに呼ばれた。「はい」とヤマカガシは顔を上げる。
「シュウダさん、………死ぬの?」
「そうならんようにしとりますけど」
半ば食い気味になってヤマカガシは答えた。
「んだね。ごめんね」
ヒメウミガメは苦笑して息を吐いた。
どういうつもりで謝られたのだろうか。看護している者の前でということか、それとも親族の前でということか。
「結婚する時にさ、」
ヒメウミガメが語りだした。ヤマカガシは点滴の管に手をかけたまま女を見下ろす。
「約束したんだわ」
夫の手の甲を親指で撫でながらヒメウミガメは呟くように言う。
「守ってもらわないと困るのさ」
消え入りそうな鼻声で、口元だけは笑みを浮かべてヒメウミガメは目元を歪ませた。
その横顔にヤマカガシは母を思い出す。両親がまだ仲が良かった頃、父の帰りを待っていた時の母も、こんな顔で父のことを語っていたと思う。
―お父ちゃん、早く帰って来んかねえ―
あんなに仲が良かったのに、最後は醜く罵り合いながらの離縁だった。
―カメと結婚する。駅の存続に必要なことや―
あんなに義務感にまみれた始まりだったのに、いつの間にか叔従父はこの女と深い絆を結んでいたらしい。
「お言葉に甘えて休ませてもらいます。何かあったら呼んでください」
ヤマカガシは叔従父夫婦に背を向けた。「ありがと」と聞こえたのは、ヒメウミガメが自分の退室を願っていたことの証拠だろう。
後ろ手に扉を閉めると、途端にくぐもった声が聞こえてきた。合間に鼻を啜りあげる音も聞こえる。それ以上聞いてはいけないような気がして、ヤマカガシはその場を離れた。
まっすぐ自室に戻る前に、忘れられている部屋に向かった。どのような処置を施してやればいいかヘビの誰も知らなくて、病の進攻するままに見守ることしかしてやれていない、哀れな患者の一室だ。
扉を薄く開ける。眠っているかと思ったがワンは両耳を動かした。
「すまんの。起こしたけ?」
鼻をひくひくと動かして、辛そうに肩をいからせ立ち上がると、ワンはヤマカガシを探すように首を左右に動かした。
「なーん、いいが。無理されんな」
ワンが壁に激突する前に、ヤマカガシは歩み寄ってその首元を撫でてやる。ワンは安心したように目を細めて、その場でまた腰を下ろした。
「自分、これからどうするが?」
首筋を撫でながらワンに尋ねる。ワンは撫でられる振動に委ねて体を揺らすばかりだ。
―足りないなら僕の左目を置いていく!―
手術できればそれも一つの有効手段だったかもしれない。だがワンは『けもの』だ。『けもの』の内部など誰も知らないし、開いたところで閉じるだけならワンに負担がかかるだけだ。それに、
「自分、いくつなが? 随分白髪まみれやのう」
以前会った時には真っ黒だったワンの体毛は、遠目に見れば全身が灰色にくすんでしまうほど色を失っていた。骨ばった背中は、高齢者特有のやつれ方にも見える。ヤマカガシの感覚が正しければ、ワンはかなりの高齢だろう。だとしたら体力も心配だ。何度も何か手はないかと模索したが、その度に何もないと思い知らされるばかりだった。
「置いてかれてしまったのう」
ワンの正面に腰を下ろし、両手で首元を掻き毟るように撫でてやる。
「最悪やちゃ、のう?」
同意を求めて顔をしかめて、ヤマカガシは胸に溜まっていた空気を吐き出した。ワンが哀れで堪らなかった。しかし、
―いいからやめろよおッ!!―
ジュウゴがネズミを止めなければ、多分自分は死んでいた。自分だけではない。シュウダはもちろんあの場にいた全員、いや最悪の場合、この地下は全滅していたかもしれない。それに、
―ワンを、お願いします―
あんな必死に切実に。
「自分、なんか聞いとらんがけ。あいつ結局何なが?」
ワンはヤマカガシの問いかけにも、白く濁った目でどこかを見つめるだけだった。
* *
後日、ヘビとカメでトカゲの処分についての話し合いが持たれた。




