00-232 動けない理由
『ヤチはワシの駅にいろ、俺はここを出る』
カヤネズミの通信文の意図が明らかとなった。
「だから『ヤッさんと引き換え』……」
カワネズミが先のセスジネズミの言葉を口中で繰り返す。
「で、でもなんで『引き換え』…?」
カワネズミの深刻な顔に動揺しながらワタセジネズミが尋ねると、
「ヤチさんだけを呼び寄せる理由なんてなくね?」
腕組みをして顎を擦っていたタネジネズミも言った。
「ヤチさんが出来ることって簡単な応急処置くらいだろ? そんなん義脳で事足りるし、だったらヤチさんに出来ることなんて身代りくらいじゃん」
「応急処置以上も出来るけどな」と、同室の先輩の沽券を守ろうとしたカワネズミの一言は誰にも拾われず、
「ヤチならいなくても問題無いしな。やっちまえよ」
コジネズミがまるで我関せずという風に軽い調子で言い、
「カヤさんのためなら止むを得ません」
ドブネズミが至極真面目に同意する。
「だがこれらはあくまで……」
そこでセスジネズミが、初めて自信なさげに目を伏せた。「何?」と覗きこむジネズミから逃げるように顔を背けたセスジネズミに、
「不安か?」
いつの間にかドブネズミから取り上げた端末を眺めながら、コジネズミが言った。
「セージさんが不安?」
ワタセジネズミがぎょっとして副部隊長を見る。
「不安って何が」
ジネズミにも驚かれる。
コジネズミの視線に促されてセスジネズミはようやく話し出した。
「だがこれは俺の願望が多いに含まれている。もっと冷静に考察すればそれは偽情報と判断したかもしれない。でも今の俺には俺の願望を除いて考えることが出来ない」
「つまり?」とさらに結論を求めるワタセジネズミをセスジネズミはちらりと見て、
「俺の考えは間違っているかもしれない。でも俺自身はこれが本当にカヤさんからの通信でカヤさんは生きていると信じたい気持ちが抑えられない。
俺のこの間違っているかもしれない判断で部隊を動かしていいものか否か。無策で踊らされれば今より最悪な事態を招きかねない」
部隊長とも参謀ともはぐれ、部隊員を失って戦闘不能者を抱える現状以下に陥るかもしれない。
「カヤさんが待ってるんだ! 俺だけでも俺は行く!!」
威勢よく立ち上がって駆け出そうとしたドブネズミは、
「ややこしくなるからお前は寝てろ」
コジネズミによって顔面から地面に沈められた。
「でもこれに関しては俺もブッさんに賛成だな」
タネジネズミが言った。
「セージの話聞いてると、この通信は偽情報ってことで無視してこのまま予定通りワシの駅に仕掛けるのが一番安全で賢い選択ってことだろ?
でも計画はカヤさんは死んでるって前提だったじゃん。万が一にでもカヤさんが生きてる可能性があるなら、俺はこの通信に乗ってみるべきだと思う」
「と言うと?」と横から口を挟んだワタセジネズミに、
「ワシの駅を攻めるっつうのは一旦中止して、ワシの駅にカヤさんを迎えに行く」
部隊長のハツカネズミよりもカヤネズミを慕っていたタネジネズミは、ドブネズミ同様、カヤネズミの命を優先すると言い切った。
「ハツさんはどうするんですか?」
しかしワタセジネズミは怯えたように戸惑って尋ねる。
「ワシの駅を攻撃するのって、迷子のハツさんを誘い出すための作戦ですよね? ワシと何ですか? その……なはなはの関係? みたいになっちゃったら、ハツさんはどこ行くんですか?」
「『なあなあの関係』な。逆立ちしてもならないけどな」というカワネズミの訂正は全く拾われず、
「どこって……。いつかはここに来るって」
ワタセジネズミの顔から逃げるようにのけ反ってタネジネズミはお茶を濁そうとした。しかし、
「ほっといたってハツさんは帰って来ませんよ? こっちから死ぬ気で探さないと!」
同室の先輩に懐いているワタセジネズミは、ハツカネズミを見つけ出すことも続行してほしいと言う。
「ハツさんは後回しでも大丈夫だって」
ハツカネズミの丈夫さと強さを信頼してジネズミも言ったが、
「後回しって何ですか!!」
言葉足らずでワタセジネズミを本気で怒らせることになる。
「ワタセ、」と後輩をなだめるカワネズミも、
「今のは笑えない」
ジネズミの失言に珍しく険しい顔を見せた。
カヤネズミを語る通信を受けてからわずか数分、一喜し一憂し、そして部隊は分裂した。安全を憂慮し通信を偽情報として、部隊長を探しだすためにワシの駅を攻撃するか。それともカヤネズミの生存に賭けて、通信の指示に従うか。
「……やめとけよ」
それまで無言を貫いていたヤマネがぼそりと呟いたから、その場にいた全員が目を見張った。コジネズミの足の下で、もがき騒いでいたドブネズミさえ息を飲む。
「偽情報だよ、きっと。カヤさんのわけないじゃん」
「ヤマネお前ッ!」
火がついたのはドブネズミだ。コジネズミを跳ねのけて大股でヤマネに駆け寄り、胸座を掴んで引き上げた。
「ブッさ…!」
「お前、言っていいことと悪いことがあるだろ!!」
「コージさん止めてください!!」
カワネズミたちは体格差のあり過ぎる暴力を止めようとドブネズミに群がるが、まるで太刀打ち出来ていない。怒り狂ったドブネズミを止められるのは、この場においてコジネズミしかいない。それなのに、
「いんじゃね? そいつやっと目ぇ覚ましたじゃん」
コジネズミは久しぶりに言葉を発したヤマネを顎で指すだけだ。
「よくないですって!」
カワネズミが必死に叫び、
「ブッさん、落ち着いて!」
ジネズミもワタセジネズミに手を貸す。
「ヤマネさんだってあれです! あのあれ、あれですって!」
ワタセジネズミが必死に取り繕ったが、
「カヤさんは死んでると思います」
今度こそヤマネが、そうとしか取れない言葉で言い切った。
ドブネズミが拳を振り上げる。ワタセジネズミがその腕にしがみ付く。カワネズミがヤマネを逃がそうとドブネズミに背を向け、ジネズミが頭を覆って蹲った時、ドブネズミがワタセジネズミの妨害を物ともせずに腕を振り切った。
ヤマネの頭が首を支点に弾かれる。体は洞窟の壁にぶつかり、しなだれかかるようにしながら地面に落ちる。ヤマネを庇いきれなかったカワネズミは両手と腰をすこぶる打ち付け、ワタセジネズミは背中から吹っ飛んだ。
ドブネズミが鼻息荒くヤマネを睨み下ろしている。痛みを口にするカワネズミを避難していたジネズミが心配し、タネジネズミは一歩引いて観察していた。
「ブッさんの気持ちはわかります」
唇の端を赤くしながら虚ろな目でヤマネが言う。
「でも無理なものは無理なんです。カヤさんの訳ありません、諦めましょう」
「お前ッ…!!」
暴力で黙らせたつもりでいたドブネズミは、怒り狂って全身を震わせる。
「ヤマネ!」
もうやめろ、とカワネズミが起き上がりながら小声で忠告した。しかし、
「セージだって言ってるでしょう。カヤさんはもう死んでるんです、諦めてください」
ヤマネは意見を変えなかった。
再びヤマネに迫ろうとしたドブネズミを止めたのはコジネズミだった。片手でドブネズミを制し、冷めた目でヤマネを見下ろす。
「どうしてそう思う」
その問いかけがあまりにも静かで、理知的にさえ思えてくるものだったから、カワネズミやジネズミはぎょっとしてコジネズミに振り返った。
「思うんじゃなくて事実です」
俯いたままのヤマネは、素直にコジネズミの質問に答える。
「実証出来てねえことを事実とは言わねえぞ」
「『じっしょう…』」と、コジネズミの口から出てきたとは思えない言葉遣いに、ワタセジネズミが目を白黒させている。
それを視界の端で捕らえていたコジネズミは、無表情はヤマネに向けたまま、無言でワタセジネズミを後ろ蹴りした。
「実証なんて、……もうしたじゃないですか」
ヤマネが微かに笑ったから、一同は揃ってヤマネを見る。
「あの時は確かハツさんだった。『やってみなきゃわかんないじゃん』って言って、ヤッさんが乗ってカヤさんも同意して。でもセージはあの時も反対したよな、『義脳に見つかる可能性が高い、夜汽車がこっちの電波を受信できるとは限らない』って」
ヤマネは夜汽車を奪還しようとした時のことを語り始めた。
「コジネズミさんだって言ってたじゃないですか。『お前らバカか、まだそんなこと言ってんのか』って」
―夜汽車を襲うだあ!? おいバカ、バカも休み休み言え―
「『セージが危険だって言うなら危険だ』って。やめておけって」
―お前ら副部隊長の意見を尊重しろよ。そこの部隊長に作戦なんて立てさせんな!―
「でも結局セージも最後はハツさんに押し切られて、」
―……そうですね。これ以上、手をこまねいていても状況は打開できないかもしれませんね―
「『夜汽車奪還だ』って、『義脳と地下を出し抜くぞ』って言ってやってみたけど、」
そこでヤマネは両手で顔を覆い、
「その結果がこれでしょう」
掠れた声で憤った。
「お前だって乗り気だったじゃん!」
まるで自分に責任は無いかのような口ぶりで自分以外の部隊員を責めるヤマネに、ジネズミが腹を立てた。
「なに被害者面してんだよ! いつまで慰めてもらえば気が済むんだよ!!」
ジネズミの見幕をタネジネズミが横目で見つめる。
「俺だって加害者だよ、わかってるよ。だからやめようって言ってんじゃん」
卑屈に言い訳をして、ヤマネは続ける。
「きっとあの時もコジネズミさんが正しかったんだ。やめておくべきだったんです。最初から無理だったんだ、夜汽車を止めるなんて、アイを止めるなんて、」
『義脳』と呼ばなかったヤマネを、ワタセジネズミが慌てた様子で止めようとしたが、
「やめておけば、バカな夢見なければ、ジャコウは死ななかった………ッ」
言いながらヤマネが泣き出したから、ワタセジネズミの手は行き場を失った。
「だからってカヤさんを見殺しにすることが許されるのか!!」
ドブネズミが容赦なくヤマネを叱りつける。彼の中では先の通信は本物でカヤネズミは確実に生きていることになっている。
「カヤさんがどんな思いで俺たちの助けを待っていると…!」
「ブッさんにはわかりませんよ! 子どもを亡くした保護者の気持ちなんて!!」
水浸しの顔を上げてヤマネが叫んだ。あまりの気迫にドブネズミも口籠る。
「ジャコウの保護者はヤチさんだったじゃないですか」
ワタセジネズミがぼそりと口を挟んだが、
「ヤッさんなんて口だけじゃん! それにジャコウとスミを保護したのは俺だ! ジャコウは俺の……」
物凄い剣幕で怒鳴りつけると、ヤマネは下唇を噛みしめた。
「……もうわかったでしょう。無謀な挑戦なんてする側の自己満足なんですよ。それで犠牲出してちゃ意味無いでしょう」
「自己満足じゃなくてカヤさんの…!」
ヤマネの言い分をドブネズミは遮ろうとしたが、
「これでカヤさんが死んでて、俺らの中からまた誰かが死んだら、ブッさんはどう責任取るんですか」
『責任』などという誰にも取りようの無い、実態を持たない物を翳されて言葉に詰まる。
ドブネズミを黙らせたヤマネはずぶ濡れの顔を震わせながらしゃくりあげ、
「無理です……もう、無理なんです……」
言うだけ言って突っ伏した。