15-271 ひきこもり
自分を導く灯りに従って、ハツカネズミはそこにたどり着いた。
だだっ広い空間だった。通路も無いし何も無い。贅沢な使い方だな、と言うのがハツカネズミの最初の感想だったが、前を見ないで歩いていたからだろう。壁にぶつかった。
ハツカネズミは壁から数歩後退して辺りを見回す。開けっぱなしにしてきた扉から射しこむ非常階段の非常灯のおかげで徐々に目がなれてきたが、その壁に扉と呼べるものはなかった。
ハツカネズミは右側の数本の腕を振りかぶった。複数の拳がその壁を破ろうとした時、
「ひさしぶり、ハツ」
懐かしいあの声が聞こえた。
ハツカネズミは拳を下ろす。正面の黒い壁を見つめて、その向こうにいるであろう男を思う。
「ひさしぶり、アカ」
壁越しに嬉しそうな笑い声が響いて来た。
「やっぱりアカだったんだ」
同室の同輩が道順を教えてくれていたことが嬉しくて、ハツカネズミも微笑む。
「ハツならわかってくれると思ったよ」
義脳による誘導の可能性も考えていたことを誤魔化すように、ハツカネズミははにかみながら後頭部を掻く。
「すごいね、アカ。何でも出来るね」
アカネズミは鼻先で小さく笑っただけだった。
「元気だった?」
「ハツは?」
「俺はいつだって元気だよ」
「ヤマネたちは?」
「ヤマネもカワもセージも、みんな相変わらずだよ。ワタセ……は覚えてないかな、セージたちのいっこ下の。確かトガちゃんが部屋出る直前に入ってきた」
「あんまり印象ないけど」
「だよね」
言ってハツカネズミは肩をゆすり、
「俺も同じ部隊になった時に『おひさしぶりです』とか言われたけど『誰?』って思ったもん」
後輩を揶揄しながら一緒に笑った。
「そっか」と満足そうに言ったきり、アカネズミは黙りこんだ。ハツカネズミは真顔に戻って息を吐く。
「ヤチも元気だよ」
そしてアカネズミが一番気がかりだっただろう同輩の近況を知らせた。
「まだ生きてるんだ、あいつ」
アカネズミが憎まれ口を叩く。「アカぁ!」と嫌がったハツカネズミに、
「冗談だって」
アカネズミは無感情にそう呟いた。到底冗談には聞こえなかった。
「……怒ってる?」
ハツカネズミはアカネズミに尋ねる。何を、と言わなくても彼らの間ではそれで通じる。
「怒ってないよ」
不貞腐れた声でアカネズミが答える。
「でも…」
「怒るってさ、期待してたことの裏返しの感情じゃん」
ハツカネズミの反論を遮って、アカネズミが語り始めた。
「俺はあいつに期待したことなんてないから。だから怒りなんて沸かない」
そしてそれは、完全に同室の同輩を切り捨てたことを暗喩していた。
嘘ではないだろう。きっとアカネズミはヤチネズミに期待などしていない。だが、それがまるまる本音ともハツカネズミには思えなかった。
ハツカネズミは後頭部を掻く。下を向いて掻き毟って鼻の奥で長く唸って、
「じゃあ、」
仕切り直して顔を上げると、
「行こうか」
来訪の目的を告げた。
「どこに?」
アカネズミは怪訝そうな声を返す。
「どこって外だよ、地上。決まってるじゃん」
そのために迎えに来たのだから。
「アカ、昔から地上に行ってみたいってずっと言ってたじゃん。それとも今はもう出たくない?」
「そりゃぁまあ…」
「だったら行こうよ!」
「無理だよ」
「なんで? ヤチのことなら俺が何とかするから早くここ開けて…」
「ハツ、」
高揚するハツカネズミとは反対にアカネズミは沈んだ声で、
「ハツの気持ちは嬉しいよ。来てくれてありがとう」
しみじみと感謝を述べてから、
「でも俺は行けない」
決別を告げた。
「なんで?」
真顔でハツカネズミは尋ねる。
「なんで? 行こうよ」
「無理だよ」
「なんで? 俺が犯罪者だから? 俺らが義脳に逆らったから?」
「義脳って……」
その呼び方はどうなのだろう、という呆れを滲ませてアカネズミは息を吐く。それさえも遮ってハツカネズミはまくしたてる。
「だってあのままあいつに従ってたらセージが死ななきゃいけなかったんだよ!? カヤだって死刑とか言われたのにそれでも黙って見てれば良かった!?」
「それはだって…」
刑罰を与えられねばならないほどの罪を犯したのだから当然だろう、とアカネズミの声は言いたげだが、
「そんな理不尽に従うほうが理不尽じゃん!!」
ハツカネズミは持論を叫んだ。
「だっておかしいじゃん! セージが死ぬ必要がどこにあるの? ムクゲは死んで当然の奴だったんだよ? 地下と同じ腐ったごみだった。あんな奴のためになんでセージが…!」
「死んで当然ってどんな奴のことだよ」
ハツカネズミの激情にアカネズミは静かに尋ねる。一瞬面食らったハツカネズミは「だからムクゲみたいなごみ!」と言いかけたが、
「俺には優しかったよ、ムクゲさん」
アカネズミから返された言葉に三つの目を瞬かせた。
「ムクゲさんは優しかったよ。評判も良かったし塔から出たことない俺には地上の話をいっぱいしてくれた」
「嘘だ!」とハツカネズミは否定したが「ほんとだよ」とすぐさま返される。
「ムクゲさんから話聞くのが楽しみだった」
そしてしみじみとムクゲネズミを懐かしむアカネズミの声に絶句する。
「最近じゃコージさんが話しに来てくれてるけど」
「コジネズミが!?」
そしてさらに意外過ぎる名前を出されて驚愕する。
「ハツって結構、上官と折り合い悪いよね」
アカネズミは衝撃を受けているであろう壁越しの同輩に、
「でもそれってハツのせいでもあるんじゃないの? 自分が嫌いだからそいつは死んでいいって基準でいたら、ハツから好かれないと誰も生きてられないじゃん。誰かの生き死に決めれるくらいハツってそんなに偉かったの?」
恐らく気付いていないだろう傲慢さを指摘した。
「でもムクゲは…!」
それでも尚、持論を捨て無いハツカネズミに、
「そんなこと話すために来たの」
白けた声は話題を変えようとする。
しかしハツカネズミはまだ憤慨していた。
「だってアカじゃん! アカがムクゲを…!」
と、今は亡き上官の批難を続ける。
「ムクゲさんの件は関係無いよ」
アカネズミは呆れた声で切り捨てた。
「関係無くない…! ……ないの?」
虚を突かれたハツカネズミは、三つの目を瞬かせて壁を見つめる。散々ムクゲネズミを擁護していた癖に、それが理由で自分の誘いを断っているのだと思っていたのに、今度はそうではないと言い始める。
「ハツたちが犯罪者だとかセージたちの判決が行き過ぎだったかどうかとか関係無くて、」
「だったら!」
自分たちの前科を気にしないと言ってくれるなら、義脳よりも上官よりも同室の仲間たちを選んでくれるのならばとハツカネズミの胸は期待に膨らんだが、
「正直、全部どうでもいい」
それがアカネズミの器の大きさゆえではなく、無関心から発せられたものだと知って、ハツカネズミは吸った息をそのまま止めた。やがて裏切られた期待は憤りとなって吐き出される。
「なに? どうでもいいって……。どうでもいいことないじゃんっ!!」
穴があくほど壁を睨みつけて、壁の向こうのアカネズミを叱りつけた。
「セージのことだよ? 俺らの後輩の生死だよ!? それをどうでもいいって…!!」
「どうでもいいよ、俺には関係無い。地上でのびのび生きてるんならそれでいいじゃん」
しかし壁の向こうの引きこもりは、沈んだ声のまま拗ね続ける。反対にハツカネズミの怒りは高ぶっていく。
「のびのびなんてしてないよ! わりとみんなびっちびちだよ? ムクゲのせいでセージだってヤマネだってカワもワタセもみんなどんだけ苦しめられてたかも知らないで…!」
「みっちみちでもびったびたでも地上は地上じゃん。そこでどんなことがあったとしたって出れた奴の贅沢な感想に過ぎないじゃん」
「贅沢なんてしてないよ!! 電気も最低限だし俺とヤチ以外は腹鳴らしてる時間も長いしみんな臭くてねばねばしてるし俺らは贅沢なんて…」
「それが贅沢だって言ってるんだよ。出られたハツにはわかんないかな」
「だからアカも一緒に出ようって…!」
「だから無理だって」
感情のままに怒鳴り散らしていたハツカネズミだったが、感情を押し殺したアカネズミの一言で口を噤んだ。それからまた、疑問が怒りへと変化していく。
「……なんで? 何が無理なの、わかんない。ヤチのこと? 確かにあれはヤチのやり過ぎだったけど、ヤチだって反省してるし最近は…」
「ヤッちゃんじゃないって」
「まぁ一発くらい殴ってやりたいけど」
「だったら殴れよ! 殴るために…!」
「物理的に無理なんだよッ!!」」」
ひと際大きな声が響きわたると共に、ハツカネズミの視界が震えた。余韻を伴うアカネズミの怒号による振動だった。ハツカネズミは顔をしかめる。
「もう行って」
そして一方的に告げられた面会の終了に唇を尖らせる。
「俺を呼んだのはアカじゃん」
「少し話したかっただけだよ。でも話せたからもういい、ありがと。ヤッちゃんのこと頼んだよ」
「勝手なこと言うなよ。俺はまだ話し足りてない」
ハツカネズミはしつこく粘るが、
「行ってよハツ」
アカネズミの中では既に会話は終了してしまったようだ。
「来た道戻れば地上だから。さすがにこんな最短距離じゃ迷いようがないだろ?」
「アカ!」
「元気でね。セージたちによろしく。あとその下の後輩の奴にも」
「自分で言えよ!」
「俺はもう会うこともないだろうし」
「何言ってんだよ……」
「行けって」
当初から不穏さを滲ませていたアカネズミだから、きっと何かあったのだろうとハツカネズミも思ってはいた。だからアカネズミの不機嫌なわがままにも付き合ってやるつもりで来た。
しかしこれは度が過ぎる。まるで昔のヤチネズミだ。ヤチネズミでさえ最近は物わかりがよくなってきたというのに、アカネズミはまるで逆行している。
「いい加減にしろよ」
だからハツカネズミの短い堪忍袋の緒など、既に限界だった。
「地上が羨ましいとか出たいとか出たくないとか。面倒くさいよ、アカ。そういう時は出ればいんだよ、出ようって言ってんじゃん! 出るよ、ほら!」
声を荒らげながらハツカネズミは右側の全ての拳を振りかぶり、全体重を乗せて壁を殴りつけた。
「ハツ?」
壁に亀裂が走る。もう一発。
「やめてハツ、駄目だ…」
破片が飛び散る。穴が開く。光が指す。
「は…!」
最後は二本の足で蹴り込んだ。
「行くよ!!」
足を踏みならして眉を吊り上げて、穿たれた穴の縁に左側の手をかけて中を覗きこんだハツカネズミはしかし、眉を吊り上げたまま瞬きだけを繰り返し、身体の他の部位の動き一切を止めて立ち尽くした。
「やめてって言ったじゃん」
そう言ってアカネズミはもぞもぞと動いた。




