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3-266 毒

 爆風と共に砕けた欠片が降り注ぐ中でウミネコは硬直した。自身はどこも負傷していないのに体が震える、息が詰まる、動けない。


「……だいじょぅ…か?」


 自分に覆いかぶさってそう言ったヤチネズミの方が大丈夫ではなかった。頭から滴る血液がウミネコの頬に落ちる。ヤチネズミが顔を歪めて腕立て伏せの要領で腰を持ち上げると、その背中からごろんと瓦礫が落ちた。


「ヤチネズミ!!」


 ヤチネズミが肘から折れる。ウミネコは這い出て飛び起きヤチネズミを揺さぶる。ヤチネズミは両膝と両腕をついて突っ伏したまま動かない。


「ヤチネズミ、ヤチネズミッ!!」


 爆発で生じた炎が通路の片隅で燃えていた。焦げた臭い、白煙、明らかに自分たちを狙ったものだった。チュウヒたちではない。彼らもまた 同じ爆発音で足止めを食らわされていたのだから。だからこれはまた別の。


 靴音が近づいてきた。ウミネコは顔を上げる。白煙の向こうから忍び寄る影が徐々に輪郭を濃くして、やがてウミネコの前で立ち止まる。


 誰?


 女だった。先の部屋にはいなかった、ナナがいた部屋にも。見知らぬ女は無表情で右腕を振り、袖から細長い金属の棒を覗かせた。女の二(あた)くらいだろうか。どこにあんなものを隠し持っていたのか……!


 咄嗟に半棒を抜く。寸でのところで女の金属を防ぐ。はじき返して立ち上がり、半棒を組み立てようとするも時間ももらえず二撃、三撃。女は無表情でウミネコを追い詰めていく。


「ヤチネズミ起きて!」


 女に応戦しながら押されつつもウミネコは搾りだすように言う。


「お願い、ヤチネズミ…っ」


 逃げて。


 半棒が弾かれた。手が空き上体が開き急所ががら空き。針のような切っ先が眉間に迫る、刺さる、死…


 炎を反射させて切っ先が弧を描いた。女が体勢を崩したのだ。そのまま床に手を付き、大針が金切り声を響かせる。見るとヤチネズミが後ろ蹴りで女の足を払っていた。


「ヤチネズミ!」


 ゆっくりと起き上がるヤチネズミにウミネコは駆け寄った。半身を支えるように寄り添い、ヤチネズミもウミネコによりかかる。だが見つめる先は互いの瞳などではない。針のような武器を手にした爆弾女だ。


「知り合いか?」


 ヤチネズミが女を睨みつけながら尋ねてきた。ウミネコは首を横に振る。


「お前、方々で恨み買い過ぎだろ」


 そんな風に怒られてもウミネコにはまるで身に覚えが無い。


「あなたを狙っているのではないの?」


 ヤチネズミはネズミなのだから、地下に住む全ての女から恨まれていても不思議では無い。それなのに、


「いや、お前だ」


 ヤチネズミは断言するとウミネコを突き飛ばした。


 不意をつかれたウミネコは後ろ向きにたたらを踏む。次の瞬間には迫りくる女の攻撃をヤチネズミが防いでいた。女は無言、無表情。その顔とは裏腹な殺気と動き。女の大針は刺撃だけでなく斬撃にも使えるらしい。突くだけでなく腕を振って斬りかかる。対するヤチネズミは完全な丸腰。大針の先端を見切って避けるのがやっとだ。


 ヤチネズミたちの攻防を掻い潜ってウミネコは半棒を拾い上げた。何とか援護をと機会を探すが自分が手を出せる隙が無い。女は速い、ヤチネズミも速い。動きを目で追うのがやっとだ。それにしても、


「ヤチネズミ?」


 何故攻撃しない、し返さない。ヤチネズミは先から女の攻撃を防いでばかりだ。女が疲弊するのを待っているのだろうか。だとしても先に卒倒するのはヤチネズミの方である可能性が高い。


 女がちらりとウミネコを見た。ウミネコは息を呑む。そしてヤチネズミの勘が正しかったことを知る。女の体はヤチネズミを排除するべく動いていたが、その目の奥から向けられた殺意は、真っ直ぐにウミネコを射抜いていた。


「えせ夜汽車ぁッ!!」


 ヤチネズミの声に我に返る。いつの間にか女は殺意だけでなくその本体もウミネコに向かってきていた。頭上に迫った女の大振りを半棒で食い止める。針の先端を歯を食いしばって見つめる。


 ウミネコがそうすることを女は知っていたのだろう。ウミネコの半棒と大針で力比べをしながら、女はもう片方の腕を振った。女の左袖から覗いたのは別の針。今度は細くて短い。あれでは斬ることは出来ないだろうし刺されても多少ちくりとするだけだろう。では何故そんな物を今だした? まるで切り札のように頃合いを見計らって……、


 毒。


 心臓が大きく脈打ち全身が揺れた。時間にして一秒にも満たないその間にウミネコが出した結論は、女が取り出したのは毒針だという仮説だった。

 そうかもしれない、そうに違いない、いやわからない。次々に肯定と別の可能性が沸いては消える。いずれにしろとにかく早く、何でもいいから避けなければ。最終的な結論は女から距離を取るべしということだった。


 しかし両手は半棒で塞がっている。力を抜けば大針の方が落ちて来る。半棒を保ったまま女から距離を取るには? 毒針が迫る。体は動かない。脇を締める? だめ、刺さる!


 女の針が手の平を貫通した。ウミネコではなくヤチネズミの手の平に。


「いっっでぇええええええッ!!」


 女の毒針を自らの手の平で止めたヤチネズミは、即座に手を引き絶叫した。穴の開いた右手の平を左手で握りしめて、抱きかかえるようにして背を丸める。


「ヤチネズミッ!」


 ウミネコも軽くなった大針を弾いて即座に駆け寄り患部を覗きこもうとした。


「ヤチネズミ!」


「痛いぃだいっ! ちょこれ穴あいてね??」


「ヤチネズミ、はやく…」


「まじでか、おい! 先端こっち来てたぞ? どんだけバカ力だよ、ほんとに女か!?」


「早くその傷…!」


「ぃやだってこれほら穴! 穴って痛ってえ!!」


「毒ッ!!」


 興奮して痛みを強調するヤチネズミの耳元でウミネコは叫んだ。ヤチネズミの大騒ぎがぴたりと止む。驚いた顔を向けてきたヤチネズミを、ウミネコは息を切らせながら見つめた。


「おま…、何て…?」


「毒だと思う」


 太くて短い呼吸に肩を上下させながらウミネコは言う。


「は、早く出さないと……」


 言いながらこみ上げて来た。


 ウミネコは女に振り返る。女は既に左の袖から覗かせていた細い方の針をしまい、代わりに左手の指先で時を刻んでいた。数えているのだ、時間を。攻撃してこないのはそれだけ余裕があるという自信だ。


「おい、」


 ヤチネズミに呼ばれてウミネコは顔を戻した。その目は涙に濡れている。ぎょっとしたヤチネズミは挙動不審に慌て出す。


「ど、どしたお前…」


 ウミネコはヤチネズミの穴のあいた右手を掴んだ。動揺する男をよそにその手を目の前まで引き寄せ、手首の血管を圧迫する。


「どしたお前? 何??」


 まだ事情を把握していないヤチネズミが悲しくて、ウミネコは俯いた。


「……あなたきっと、毒、刺されたの」


 ようやく自分の身に起こっていることを把握し始めたヤチネズミは女に振り返り、ウミネコの横顔を窺い、自分の手の平を見つめる。


「たぶん…致死性……」


 女の殺意が本物ならば。


 ウミネコは手の付け根で目元を拭った。自分を庇ったばっかりに、自分を助けてくれたばっかりに。

 あの時もそうだった。ヤチネズミはいつも怪我をする、自分のせいで。そして今回は怪我では済まないかもしれない。


 ウミネコは下を向いて息を吐いた。体内に毒が回る前に吸いだしきれば助けられるかもしれないはずだ。ヤチネズミの手の平を見つめて唾を飲み込み開いた唇を近付けたが、


「待て待て待て待て!」


 ヤチネズミに額を押された。ウミネコに掴まれた手とは反対の手の平で、ヤチネズミはウミネコを引きはがそうと押し出してくる。


「離して! 早く出さないと!」


 ヤチネズミに額を抑えられて、片足の靴裏で蹴りつけられながらも、ウミネコはヤチネズミの穴のあいた右手になおも噛みつこうと抗ったが、


「いんだよ」


 ヤチネズミはそんなことを言う。何がいいのか、何故そんな冷静でいられるのか笑っていられるのかふざけているのか? ヤチネズミのしたり顔が信じられなくてウミネコは涙目でヤチネズミを見た。ヤチネズミはウミネコから右手を引き抜くと、穴のあいた手の平を裏表から観察した。


「『毒』ねえ~」


 ヤチネズミは片頬を持ち上げながら女を見遣り、それからウミネコを見て鼻で笑った。


「おい!」


 ヤチネズミが声を張り上げる。自分ではなく通路の先に立ちはだかっている女に向けられたものだと、ウミネコにもわかる。


「さっきの針、毒だって?」


 言いながら立ち上がり、ぼろぼろの体でよろけながら二、三歩女に歩み寄った。女は相変わらず無表情、指先はまだ時を刻んでいる。


「どんぐらいで効くやつ?」


 その女にヤチネズミはにやにやしながら問いかけた。ウミネコは唖然としてヤチネズミを見つめる。死を目前にして開き直っているようにしか見えない。


 女の指先が止まった。顔を上げてヤチネズミを静かに見つめる。にやけ面の男が息を止めて崩れ落ちるのを待っているように。しかし、


「その毒って、これ(・・)?」


 ヤチネズミは穴のあいた手の平を女に向かってかざした。


 女の表情が揺れる。無表情から不機嫌に、侮蔑の感情が目元に射す。 


 その女の顔がさらに動いた。目を見開き口を半開き、「え?」という声まで引き出すことにヤチネズミは成功した。


 ウミネコも女と同じ気持ちだった。我が目を疑い、目を瞬かせて身を乗り出す。


 にやけるヤチネズミの手の平の、針で穿たれた穴からは、血液と共に無色の液体が意思を持ったかのようににょろりと這い出て床に落ちた。滴るまでは確かに動いていた液体は、床の上ではやはり無機質に静止している。


「悪いな」


 穴のあいた手の平を擦りながらヤチネズミが言った。


「毒とか薬とか、一切受け付けない(たいしつ)なんだよ」

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