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3-259 ヨタカ

 投げるように床に下ろされたウミネコは、しばらく起き上がれなかった。


 頭の上で男たちの話し声が聞こえる。だが内容までは頭に入って来ない。背中も腰も腹も腕も頬も、全身が痛かった。特に重たく疼く脇腹を押さえて蹲っていると、首が屈曲させられて顎が跳ね上がった。頭皮も痛い。髪の毛を掴み上げられている。


「やっぱりお前らと関わると碌な事ねえわ」


 不機嫌極まりない声なのに何故か半笑いのチュウヒが言う。途切れそうな息使いの中で、ウミネコは睨み返すことしか出来ない。


「お前の目的はサギじゃなかったのかよ」


 サギ? ……ナナのことか。


「あいつから聞いたか」


 チュウヒの顔から笑みが消えた。


「お前ら今度は何する…!」


「ちぅヒ、」


 ウミネコに迫る脅威を止めたのは別の男の声だった。どこか舌足らずな、少し幼い感じの。先の部屋にはいなかったと思う。なぜならあまりに、


「んまづ、はらし聞くんだら?」


 あまりに特徴的な話し方だった。


 チュウヒはウミネコから顔を背け、声の方に向き直る。


「お前が聞くか?」


 チュウヒが男に尋ねる。ウミネコへの尋問を誰がするかを相談している。


「チュウヒ!」


 ウミネコたちに遅れて、さらに足音がなだれ込んできた。ウミネコは頭髪を掴まれて身動きが取れぬまま、黒目だけで窺う。先の部屋にいた背の低い男と、年長の男。


「あいづは?」


「チョウが付いてる。心配すんな」


 滑舌の悪い声に背の低い男が答え、


「勝手をするな。部外者を連れて来るなど…」


 年長の男はチュウヒを嗜めようとしたが、


「駅の話っつったんだよ、この女」


 チュウヒはそれを遮ってウミネコを揺さぶった。頭皮の痛みにウミネコは目を閉じ歯を食いしばる。


「駅が血の海になるとか何とか。なあ?」


 尋ねられたが答えられない。


「血の海?」


 背の低い男が呟いてウミネコを睨みつける。


「そんな大事な話、こいつ(・・・)をさし置いてできねえだろ」


 言ってチュウヒは顎をしゃくった。


「どうする、ヨタカ」


 年長の男が言った。ヨタカ? ウミネコは薄目を開ける。この部屋にヨタカがいるのかと左右を見遣る。探していた交渉相手、ツミとの思いを伝えるべき相手を探すウミネコの目はやがて、チュウヒの向こうに止まった。


 チュウヒが半身を捻る。ウミネコの視界が広がりその向こうが見渡せる。頭皮の痛みの中でもウミネコは目を見開き、そして目を疑った。


 思い出した、ナナが寄り添っていた男。あの時、私たちの脱出を先導してくれた男。右半面が包帯で覆われていて、それだけで印象深かったのに。


「ぼちろん、聞くぁ」


 見えていた側の口元は引き攣り、車椅子の上で姿勢悪くふんぞり返る男には、両脚がなかった。


「……ヨタカ?」


 当時と違い過ぎる姿に驚き過ぎて、上手いこと歯が噛みあわないウミネコは、あわあわと尋ねる。


「んぁ」


 唇がきちんと閉まらないのだろう。潰れた『つ』の字のような半端な開き具合の口でヨタカは答える。


「ワシの? クマタカ…の、弟の?」


「おぅ…」


「そうだっつってんだろ」


 ヨタカを待たずにチュウヒが肯定し、汚い物でも放るようにウミネコから手を放した。床に手を付いたウミネコはすぐに顔を上げて、ヨタカを見つめる。


 ネコの代表として交渉に来たはずなのに、それを隠れ蓑に本当は自分たちの作戦への協力を要請しようと思っていたのに、はずなのにべきなのに言わねばなさねばならないのに、


「ナナは? 彼女はどうしてああ(・・)なってしまったの?」


 想像さえしていなかった事態への疑問が先行した。


「彼女、私のこと知らないみたいだった。私のことだけじゃなくて彼女自身なにか……。『ナナ』って呼んでも『ナナって何?』って…」


「サしぶぁ」


 うわ言のようなウミネコの話を遮って、ヨタカが誰かを呼ぶ。サシバと呼ばれたのは年長の男で静かにウミネコの横に来ると、ナナに関するあの後からこれまでについてを淡々とウミネコに話して聞かせた。



「……した時にはあいつは全てを失っていた。サギとしてこの駅で目を覚まし、この駅の一員として今日まで生きてきた時間だけが、あいつの持つ全てだ」


 ナナはワシの駅で『サギ』となり、それ以前のことは覚えていない。


「うそ……」


 無自覚に口を突いてしまったウミネコの感想に、


「事実だ」


 サシバは抑揚無く告げる。


 ウミネコはヨタカを見た。ヨタカはつまらなそうにそっぽを向いている。おそらく彼にとって今の話は既知の事実で、目新しい点のない、面白みに欠ける小話なのだろう。


「あなたは…」


「サギはここにいてもらうぞ」


 ウミネコは口を開きかけたが、チュウヒが割り入った。


「あいつも『連れてく』みたいなこと言ってたけど最終的には諦めた。だからお前も諦めろ」


 「あいつって?」とウミネコが尋ねると、「義眼のあいつ」とチュウヒは顔を逸らす。


 そうだ、鈍くなっていたサンの思考がようやく動き始める。ジュウゴもここに来たのだ、そう言っていた。ジュウゴは単身、ワシの駅に戻ってきて、ナナを探して、見つけて、そして連れ帰ろうとしたのだろう。同じ夜汽車として。

しかしあの状態のナナを見て非現実的な希望だと受け入れて諦めて、そしてチュウヒにナナを託したのだろう。


 ウミネコはチュウヒを見上げた。おそらくジュウゴも不本意だったはずだと思った。ジュウゴはこの男を信頼してナナを託したわけではなく、それ以外の方法が見つからなくて否応なしにこの男を頼らざるを得なかったのではなかろうか。何かが歯に挟まったような曖昧な言い回しでまんまとウミネコをはぐらかした、あの時のジュウゴを思い出す。何一つジュウゴの痛みに気付けなった自分に腹が立つ。


「質問終わったか?」


 チュウヒが言う。ウミネコは疲れ果てて、幾分かやつれたような顔を上げた。


「んじゃ、つぃはこっつぃのぶあんだ」


 ヨタカが言って、その横の机にチュウヒが軽く腰かけた。



 *



「おわぇのうぉくてきは? んなんまぁ、しよぞく、なんでおれうぉさあした」


 ヨタカの尋問を受ける。だが、


「ごめんなさい。もう一度ちゃんと、ゆっくり話してもらえない?」


 ウミネコにはその言葉を聞き取ることは困難だった。


「だぁあ…!」


「『お前の目的は? 名前、どこの駅から来たか、なんでヨタカを探してた?』」


 口を開いたヨタカより先にチュウヒが通訳した。ウミネコは驚いてチュウヒを見つめる。本当に先のヨタカの言葉を聞き取れたのかと訝る。全く違うことを適当に言っているのではないかという懸念も生まれて、顔を動かさずにヨタカを盗み見た。


 ヨタカは先よりも口元を歪めていた。不機嫌? 不服、なのかもしれない。だがチュウヒを止めないところを見るに、チュウヒは正確な通訳をしたと考えられる。


「……名前と駅は言えない」


 ヨタカを横目で見ながらウミネコは答えた。それから姿勢を正してヨタカに向く。


「元夜汽車とだけ言っておくわ。ナナ……サギと同じ夜汽車に乗っていた、あなたたちにここから逃がしてもらった」


 嘘は言っていない。


「その件については改めてお礼を言う。ありがとう」


 ヨタカが斜めに顎を引いた。チュウヒもサシバも、黙ってウミネコの話を聞く。


「だからと言う訳ではないけれども、あなたたちには借りがある。だから返したいと思ってここに来たの」


 しかし自分の背後に陣取っていた背の低い男だけは違う目をしていたことに、ウミネコは気付かない。

 気付かないままヨタカに向かって身を乗り出した。


「もうすぐこの駅は総攻撃を受けることになる」


 「総攻撃ぃ?」と声を裏返したチュウヒを視界で捉えつつ、ウミネコはヨタカを見据えて続ける。


「この駅が他駅から恨みを買っていることはあなたも知っているでしょう? 彼らはあなたたちを討つためにこの十年間、力を蓄えて来た。そして時を得て攻め込もうとしている」


 サシバが静かに動揺する。


「けれども私はあなたたちには借りがある。そこで提案なのだけれども、」


 ウミネコはそこで一息ついた。


 チュウヒとサシバは明らかに動揺している。顔は見えないけれども、恐らく背後にいる背の低い男も。ヨタカの表情は読み取れないが、驚いていることは確かだろう。初めて聞かされる捨て置けない情報にどう対処するべきか、彼らは最善の手を探して考えを巡らせている最中だ。


 しかし考える時間は与えない。有利そうに見える選択肢に飛びついてもらう。


 自分は与える側、男たちは選ばざるを得ない側、その関係性を握りしめてウミネコは言葉を続けた。


「ヨタカ、あなたがワシの駅の頭首になったらどうかしら」


 元より(いびつ)なヨタカの左目が、さらに細く(ゆが)んだ。

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