3-254 消えた
「お疲れですか?」
アイに労われる。
「子育て中はみんなそうでしょ?」
アイには決して知り得ない情報で黙らせようとしたが、
「そうですね。育児はとても大変です」
思いがけずアイがそんな返答をして来たから私は驚いた。しばし無言でアイを見つめ、「そうなのよ」と苦笑する。
「そうなのよね、やることが多くて」
ひとりごちて息を吐き、通路の先の扉の一つを見つめた。
クマタカがネズミと手を組んだかもしれない今、事は一刻を争う。未知数のネズミに対応するのは困難を極めるが、ワシのことはあらかた掴んだ。
孤児の寄せ集めだというヨタカ一派だが、旗頭を失った残党はその後何の動きも見せていない。一度失敗を経験し痛みを知った彼らにとって、再び反旗を翻すのは容易ではないだろう。
そんな及び腰の彼らが再び立ち上がり行動を起こすとしたら、さらなる痛みを回避するための抵抗だと考える。
ヨタカ一派の残党は、元夜汽車の少女をかこっているという。少女は廓にも入らず、搾血作業にさえ参加していない。親の決めた嫁ぎ先があるわけでもなかろうに、そもそも親がないからこそ夜汽車だったというのに、何故そんなことになっているのか。同じく親のいない彼らの同情を集めたとでも言うのか。
理由は定かではないが、ヨタカ一派の残党がその少女を守らんとしているのは確かだった。
ならばその少女に消えてもらえばいい。
揺さぶりはかけた。だが彼らはまだ動かない。ならばこちらも揺さぶり以上の本気を見せてやらねばならないだろう。
「電車はあとどれくらいで帰って来そう?」
アイに尋ねる。
「最短で六時間十一分後と予測されます」
「そう言えば今日は塔にも行くって言っていたわね」
それくらいの頃合いにもう一度ここに来よう。蝋燭に火が灯されるまで、男たちが帰ってくるその時まで、精々元夜汽車との時間を楽しめばいい。私は踵を返して自室を目指した。
「そう言えばアイ、この前の機械……」
半歩後ろを付いて来るアイに話しかけた時、背後に気配を感じた。私は角を曲がって身を隠す。
「なにも隠れることはありません」
アイがにこやかに忠告してきた。
「他の男と無暗に交流するべきじゃないでしょう?」
ワシの理論で言いくるめる。
「ワシの駅では不純異性交遊を禁止していますが、会話や対面までは禁止されていませ…」
「ノスリが嫌がるの」
アイはようやくここで「はい」と納得してくれた。
「わかったら静かにしてて」
「はい」
面倒くさい同伴者を黙らせてから、私は先までいた通路を覗く。
通路の奥から歩いて来たのは薄汚れた服の男だった。最下層の出身者、ヨタカ一派の残党だ。確か名はチュウヒ。
何が『全員在室中』だ。ヨシキリの杜撰な仕事に舌打ちしたくなる。チュウヒの後ろにもアイがいてその前には、
「あの娘は誰?」
見慣れない顔の少女に目を凝らして、私はアイに尋ねた。
「ウには関係ありません」
そして珍しい回答に目を丸くして振り返る。
ワシの駅の女には教えたくない立場にある少女、ヨタカ一派と共にいる少女。密会、特別扱い、隠したい存在、そしてあの背格好。
「……別の駅から来た子?」
「ウには関係ありません」
アイの回答に確信した。ネコの娘だ、シュウダが言っていた例の娘。ヨタカ一派と手を組んで、ワシの駅を襲撃する際には手引きしてもらうという計画だったか。
それにしても、想像以上の少女の幼さに私は眩暈を覚えた。あんな子どもに交渉を任せるとは、ネコも気が触れたか? いや、子どもを駆りださねば回せないほどに手が足りていないということか。
ネコの娘がチュウヒに連れられてヨタカ一派のたまり場に入って行った。今日はアイが消えたらこれを使うつもりでいたが、それではあの娘も巻き込むことになる。決行は日を改めるしかなさそうだ。シュウダからの依頼を安請負した自分を悔む。
まったく間の悪い娘だ。掃除用具入れの持ち手を握りしめた。
「アイ、彼らは一体……」
回答を拒絶されると知りつつ駄目元でアイに尋ねてみた。当然何らかの言葉が返されると思っていたが、その時のアイは無言。答えられないとしても無視されることなど今まで無かったのに。
「アイ…?」
通路の照明が一瞬点滅した。
電車はまだ帰って来ない。クマタカの帰駅前に電気が消されることは無い。誰かが間違えた? そんなこと今まであっただろうか。それよりも。
「アイ?」
体の透明度に強弱を付けて、今にも消えそうになりながらアイが止まっていた。動きを止めている。生き物を模した胸部の隆起と陥没も、瞬きも無い。表情も無い。死体のように何も映さない眼球は真っ直ぐにどこかを見つめていたが、それが突然こちらを見て、
「逃げてください」
消えた。
「………アイ?」
電気は点いている。天井からの照明は煌々と辺りを照らしている。それなのにアイだけがいない。
静寂の後にやって来たのは喧騒だった。駅中の動揺が困惑に代わり、騒然とした空気がそこかしこから押し寄せて来る。
勢いよく扉が開けられた。ヨタカ一派の残党が通路に躍り出る。ネコの少女を肩に担ぎあげたチュウヒが正面の壁を蹴ったかと思えば壁はぽっかりと口を開き、ネコ共々男たちを吸い込むと素知らぬ顔で壁に戻った。
あんなところに隠し扉があったなんて。調査不足の自分を省みる。ちらりと見えたのは階下へと続く階段だった。
と、また別の男が飛び出してきた。同様に壁を蹴って階段を降りていく。誰?
「ウさん!!」
呼ばれて振り返ると駆けて来るのはヨシキリだった。
「アイが突然消えました。ウさんは何か聞いてますか? 電気系統は何も問題無いそうなんですけど…」
そこでヨシキリは声を顰め、
「何したんですか」
小声で私を責めてきた
「私じゃないわ。本当よ」
私はヨシキリを見つめる。これは事実だ。だからそれ以外に言いようがない。
ヨシキリもその点については信じたようで、「だったら何なんですか!」と恐怖を苛立ちに変えてぶつけて来た。
「わからないけどここに止まっていない方がいいわね」
私は掃除用具を床に置く。
「地上を見てきて」
「地上で何をしろって言うんですか!」
「わからないの? 敵襲の確認よ。何かあれば他の者にも知らせて身を守る事に専念して」
もしこれが何者かの襲撃だとすれば、それはヘビじゃない。シュウダは私の指示が無い限り動かない。ネコかもしれない。先走った馬鹿な女たちが仕掛けて来たのかもしれない。女がワシの男に敵う訳が無いのに。
しかしネコでもなかったら?
「敵襲って……」
「ネズミ」
私の考えにヨシキリがごくりと唾を飲み込んだ。
「可能性の話よ。とにかく確認してきて。怖いならどこかに隠れてなさい」
ワシとネズミが手を組んだとは言え、クマタカは捕虜のネズミを殺すことさえ計画に入れている。ならばネズミもまた、ワシを切る道も選び得るということだ。
そしてもしこれがネズミの仕業なら。ワシとかヘビとかスズメとか、駅の違いなどという瑣末な問題をこねくり回している場合ではない。
「見てきます」
怖気づいたと思われたのが癪に障ったのか、ヨシキリは低い声で言った。
「ウさんは? あなたは何するの?」
敬語さえ忘れてヨシキリは怒りのままにぶつかってくる。
「私はこっちを見て来るわ」
言って私は階段の方に目を向けた。
「もしかしたら『奴ら』も動き出したかもしれない」
ネズミ以外の可能性、揺さぶりをかけ続けて来た小童たちの、開け放っていった扉を睨みつけた。




