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 どのくらい時間が経ったかはわからない。あの話し合いでそれなりにクマタカの懐に入り込んだつもりでいたカヤネズミは、話し合い後に再び元の地下牢に戻されるとは思っていなかった。


 ワシの頭首と話がしてみたくて、混乱に乗じて捕らわれてみた。ハツカネズミは電車から蹴り落として地面を転がる姿を見届けたしワシの駅(ここ)にはいないし、逃げ果せたと思っている。ならば後はワシから義脳の情報を探り出すだけだと思っていたのに、クマタカの持っている情報量は拍子抜けするほど少なかった。

 自分たちが知らない事実をワシから聞き出すことができれば、義脳が何を目論み何を隠しているかを知ることができれば、他に打つ手もあったかもしれない。だが当てが外れた以上、最後の手段に移るまでだ。


 クマタカとの面会の前と後でまるで違うカヤネズミの態度は、見張りのワシたちを動揺させたが、代わりに監視は緩くなっていた。足枷は外され、後ろ手だった拘束も体の前に変えられた。いい加減肩関節が痛かったし、何より排泄物まみれでないのが爽快だ。


 部屋の中央に正座し、瞑想でもしているかのように静かに呼吸を整えていたカヤネズミは、外から開かれる扉の光に顔を上げる。


「出ろ」


 来た。


 ワシたちに左右から繋がられ、カヤネズミは明るく長い廊下を歩いた。



 久しぶりの地上に思わずため息が溢れる。どのくらい幽閉されていたのか、カヤネズミの体感ではすでに計れなくなっていたが、外気からして季節が変わっていたようだ。


「あれか」


 空から視線を下ろした先にはクマタカが佇んでいた。周囲にはカヤネズミを連れてきたワシ以外にも、ぱっと見では数え切れないほどの武装した男たちが整然と並んでいる。敵ながらあっぱれってこういう時に言うんだろな、などとカヤネズミは感心する。


 クマタカが指した方角に目を凝らすと、ハツカネズミ隊と思わしき一団の他に、自部隊よりも大所帯のネズミの部隊がいくつかあった。その一つに目を細めてカヤネズミはほくそ笑む。


 義脳に読まれることを前提とした通信は、当然他部隊を呼び寄せるが、そこはコジネズミが上手く立ち回ってくれたらしい。顔は見えないがあの小柄な立ち姿を筆頭にした集団はオリイジネズミ隊だろう。あの遣り手はいまだに義脳から厚い信頼を得ているようだ。


 カヤネズミはクマタカの横に並んだ。


「世話になった」


「言う相手は俺じゃないだろう」


 クマタカに指摘されてカヤネズミは背後を見遣る。見張り係は揃ってびくりと身を固める。


「どーぅもお世話になりましたあ」


 にっこりと微笑みかけてやると、この数ヶ月間、四六時中寝ないで叫んで暴れていたネズミに手を焼いていたワシたちは青ざめて固まった。


「代わりを呼べ」


 クマタカの声にカヤネズミは向き直る。


「その前に引き継ぎさせろよ」


「引き継ぎ?」


ワシ(あんた)のいないところで話させろっつってんじゃん」


 カヤネズミが睨み上げるとクマタカは数秒黙り込み、「いいだろう」と頷いた。


 クマタカが隣の男に目配せする。無言の命令を受け取った男がだみ声で指示を出し、ワシが一斉に小銃を構えた。


「行け」


 クマタカが言う。


「この中をかよ」


 カヤネズミはひきった笑いで鼻を鳴らす。


「五分だ。それ以上は待たない」


「『短気は損気』って言葉、知らない?」


「二分にしておこうか」


「行きゃいんだろ? 行きゃあ!」


 譲歩と冗談を知らないワシの頭首に舌打ちし、カヤネズミ手首を拘束されたまま歩き出した。


 ハツカネズミ隊が動き出す。こちらに駆け出したのはドブネズミだ。


「止まれ!!」


 カヤネズミが怒鳴りつけるとドブネズミはその場で足を止めた。


「ヤチぃッ!!」


 ドブネズミを追い抜いて小さい影が走ってくる。カヤネズミは後ろを気にしながら前屈みに歩く。


「カヤッ!」


 ヤチネズミは息を切らせながらまず始めにカヤネズミの拘束を解こうとした。


「耳の穴かっぽじってきたか? 手短に言うぞ」


「固いなこれ。駄目だ、切るか…」


 短刀を引き抜きカヤネズミの手枷に夢中になっているヤチネズミに頭突きした。


「だ!? おま…!」


「通信文の意味はわかってんだろ? セージが解読したはずだ」


 絶対的に信頼する副部隊長の頭脳を引き合いに出すと、ヤチネズミは額を擦りながら頷いた。しかし、


「お前がここにいる間に俺は義脳を止めてくる。あいつを消すことがお前の引き渡し条件だ」


「止め? え、今? って俺の引きわたし!?」


 暗号はきちんと伝わっていなかったらしい。


「だからお前は俺の代わりにここに残るんだって!」


「はぁ!? そんなの聞いてないけど!!」 


 ヤチネズミは目を白黒させて動揺し始めた。時間がないというのに!


「だから!」


 カヤネズミは口早に事の詳細を説明し始めた。



 * * * *



「作戦っていやあもう一つ、俺を解放しろ」


 カヤネズミは作戦の第二弾を口にした。しかし、


「却下する」


 クマタカは即拒否した。


「早ッ!!」


 当然の返答にカヤネズミは目を丸くする。


「も少し考えてくれても…」


「お前を解放する利点がこちらには無い」


 クマタカが言い放つと、


「俺をここに置いとくことの方が不利じゃね??」


 カヤネズミは唾を飛ばしながら反論する。


「俺がここにいたら水も食糧もかさむし見張りの仕事も増えるだろ? あとほら、俺ってうるさいじゃん? 騒音公害って意味でも……」


「お前を捕らえておけばネズミに遭遇した時に盾として使える」


「捕虜ってこと?」


 目を瞬かせてカヤネズミは言う。


「他にどんな意味がある」


 そもそも捕らえてくれと言わんばかりに電車に乗り込んできたのはカヤネズミの方だ。


「お前こそ俺に話があったから駆除されることも覚悟の上で突っ込んできたのではなかったのか」


 「そりゃあ……」と言ったきり、カヤネズミは唇を舐めて黙りこんだ。


「心配するな。殺しはしない…」


「けど俺が行かないとアイちゃん消せないよ?」


 カヤネズミの指摘に、クマタカはらしくなく目を見開いて顔を突き出した。


「お前でなくてもいいだろう。他のネズミもいるだろう」


「向き不向きって言葉知らない? うちの連中みんな機械音痴なんだって。あれ(・・)いじれんのは俺だけだよ」


 塔に住む者全てがイヌマキのような機械通ではないらしい。


「ここに端末がある。これで何とかしろ」


 クマタカは隠し置いていた端末を卓上に載せて言ったが、


「そんなしょっぼいのでつついたって逆にその端末が壊されるだけだって」


 カヤネズミを呆れさせるだけだった。


「他に手は」


 クマタカは憮然としながら端末を卓の下に戻す。


「だから俺が直接行くって言ってんじゃん」


「何故俺がお前を無傷で解放すると思う」


「結構傷ついてるよ? 服めくってみろって。あんたの下官から踏んだり蹴ったり殴られたり……」


「お前が口を割らないからだろう」


 カヤネズミの愚痴を眉根を顰めたクマタカが遮ったが、


「あんな下っ端に今の話したって意味ないだろ」


 カヤネズミが突然真顔を向けてきた。表情がころころ変わる男だ。切り替えが早すぎて付いて行けないクマタカは、その都度驚かされる。


「俺はずっとあんたを呼んでたろ。地下のくせに塔と同じ扱いされるようにアイと交渉したっつうのがどんな男か気になってた。あんたがどこまで俺らとそっちの関係を把握してるのか知りたかった。もしかしたら俺たちがまだ知らない事実もあいつから引き出してんじゃないかって期待もあったしな」


 クマタカは唇を結んで顎を引く。


「でも実際喋ってみりゃ何だよあんた。なんにも知らないし世間知らずだし譲歩ってもんも知らないし。とんだお子様だったわ。うちのスミの方がまだ聞き分けいいって」


 クマタカの眉間に皺が寄っていく。


「夜汽車を止めんだろ? その点だけは目的が一致したんだろ? だったらさっさと行動に移せって。アイを消すって決めたんならさっさと消しゃいいじゃん。消させろよ、早く。俺しか出来ねえんだよ! 俺が行かなきゃ駄目なんだって!!」


 さすがに口を動かし過ぎたのか、いい加減に水分が足りなくなってきたのか、湯呑みに手を付けられないカヤネズミは枯れた声で叫んだ後で咳払いした。それから、


「お子様には利益と願望の違いがわかんないらしい」


 白い目で言って吐き捨てた。


 クマタカは憮然として立ち尽くす。ここでこのネズミを斬り捨ててしまえばアイの思う壺だし、ネズミの言い分を全て聞き入れてはワシの沽券に関わる。だがカヤネズミの言い分も尤もで、ここでこの男に乗らなければ一生あの女を使い続けなければならないままの気もする。


 しかしカヤネズミの作戦が成功するとも限らない。


「……いいだろう」


 クマタカは眉根を寄せて息を吐いた。


「お前を解放する」


 カヤネズミがぱっと顔を上げる。


「但し条件がある」


「条件?」


「お前の代わりを用意しろ。お前がアイを消すまでそいつをここに留め置く」


「……代理捕虜ってか」


 カヤネズミは鼻筋に皺を寄せた。


「期限を設ける。それまでにお前がアイを消せなければそいつには死んでもらい、こちらから動かせてもらう」


「動くって…?」


「塔を攻める」


 カヤネズミは目を瞬かせた。


「あんた俺の話、聞いてた? いくら小銃持ってたってあんたらじゃアイには敵わないって」


「お前の忠告通り塔内に入るつもりはない。あいつの土俵に上がらずに俺たちは俺たちのやり方でやらせてもらう」


 「『どひょう』?」とカヤネズミは知らない単語に首を傾げたが、


「アイと言えども塔そのものが燃え落ちれば手も足も出ないだろう」


 地下に住む者のやり方を聞いて絶句した。それから慌てた様子で身を乗り出し、


「塔には消火機能がある。一旦火の手が上がれば放水装置が作動するし自律起動…、自動で動いて消火活動する機械もあるから…」


「導線は炎を伝えるのにも適している」


「んな火力どこから手に入れんだよ!」


 カヤネズミはむきになって唾を飛ばす。


「あんたらに与えられてんのなんて小銃程度だろ? 最近じゃ自動二輪(にりん)もか。けどそんだけで太刀打ちできるとでも思ってんのか? 塔を舐めんな…!」


「俺たちの武器がアイから受け取ったものだけだとでも思っているのか」


 カヤネズミが息を飲む。


「お前らこそ地下を見くびるな」


 クマタカはネズミを見下ろした。


「……あんたさっき塔の心配してたじゃん」


 カヤネズミが憎々しげに言ったが、


「決めたのなら早く行動しろと言ったのはお前だろう」


 クマタカも皮肉を返す。


 瞬きもせずに卓上の一点を睨みつけていたカヤネズミは、その姿勢のまま「質問がある」と呟いた。


「俺の代わりは俺が決めていいか?」


 クマタカを説得した男は、自身も譲歩することにしたようだ。


「お前の仲間なら何でも」


 ネズミであれば誰でもいい、とクマタカも譲ると、


「万が一俺が間に合わなかった時のそいつの殺し方もこっちで決めさせてくれ」


 代理者の死を前提にして、カヤネズミは自らの命を選んだ。



 仲間などと言っても、信用だ何だと(うそぶ)いてみても、結局は自分とその他しかいない世界だ。自分以外はそれ以上になれない、それはネズミも同じらしい。指名されるネズミも気の毒なものだ。


俺の仲間(ネズミ)をなめんなよ―


 舐めてはいない。ただ現実を見ただけだ。


 所詮はそんなものか、とクマタカは白い目でカヤネズミの頭頂部を見下ろした。 


「こちらは夜汽車で慣れている。苦しめないことは約束しよう…」


 クマタカはまだ見ぬ代理のネズミに同情を示したが、カヤネズミが口にした処刑方法に耳を疑い、思わず二度見していた。


「本気か」


 よりによってそんな過酷な方法を指定するとは。


「冗談言ってどうすんだよ」


 正気の沙汰じゃない。


「他の殺しやり方でやった時はこの駅ごとてめえを殺す」


 狂気のカヤネズミは今にも噛みつきそうな殺気を隠さずにクマタカを睨みつけた。


 心底仲間思いの薄情なネズミに困惑しつつ、クマタカはその提案を聞き入れた。

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