06.無意味な謝罪
「父上も母上も、誠実で働き者の人格者だというのに、何故お前はそのように腐った性根なのだ」
兄でありながら、庇うことも出来ずに頭を抱えてしまうレオンハルトにディアナを含めた誰もが同情した。
「多くの方々に迷惑を掛けた謝罪に値するとは到底思えないが、我が家は爵位を返上し、市井に下ることを決めた。私も職を辞して来た」
「そ、そんな!!私はどうすれば良いのよ!!」
「反省の言葉も無く、大切に育ててくれた両親への謝罪も無く、口から出るのは己の保身だけか!!」
レオンハルトの一喝に、キャサリンだけでなく王太子もまた恐れおののいた。全く情けない限りである。
「安心しろ。だからこそ、お前を修道院に入れるのだ」
「嫌よ!」
「それが嫌なら、結婚をしてメテオーア男爵家の籍から抜けることだ」
「それなら!!」
喜色の滲んだキャサリンは周囲を見回した。自分を妃にしたいと言った王太子やこれまで自分を囲んでちやほやしてくれた高位貴族の令息達なら何とかしてくれると思ったのだろう。けれども彼らは全員キャサリンから距離を取ったのだった。
「ど、どうしたの?皆?」
「お前の本性を見て、結婚したいという男はいないだろう」
「そんなことないわよ!!ねぇ、ロディ様……」
「止めろ!!近づくな!!」
よろよろと足をもつれさせながらも王太子に近づいたキャサリンを、王太子は無慈悲にも振り払い、拒絶した。自分に恋していた者達からの軽蔑の眼差しに耐え切れず、キャサリンは崩れ落ちたのだった。
「メテオーア男爵家は、何故こんな愚かな女を王都に連れて来たのだ!!」
確かにキャサリンは愚かな娘だ。けれども耳当たりの良い言葉に騙され、都合の良い解釈をしたのは王太子自身である。
「殿下。このような無知で愚かな女でも、両親にとっては愛しい娘であり、私にとっても可愛い妹なのです」
「ふざけるなッ!!私を巻き込むな!!」
結果として、キャサリンは大問題を起こしたわけだが、遅くに産まれた娘が一年だけ華やかな王都で暮らしたいという望みを叶えてやりたいと思うのもまた人情であろう。何もかも捨ててキャサリンを迎えに来たのだって、家族としての愛情があるからこそなのだ。
けれども王太子には理解出来ない。ひとしきり男爵家の兄妹を罵った彼は、ディアナを見据える。
「ディアナ!!私は騙されていたんだ!!婚約破棄なんて望んでいない!!」
そして恥知らずにも先程の発言を撤回してきたのだった。キャサリンに煮え湯を飲まされていたディアナでさえ、こんな結末は望んでいなかった。
「ディアナ!許してくれ!」
一時は恋仲であった女を無下に扱うような不義理な男は、きっと同じことを繰り返すのだろう。その時には今日のように殊勝に頭を下げることもなく、居丈高に振る舞うかもしれない。そんな姿が脳裏を過った瞬間、ディアナの心は一気に冷めたのだった。こんな男の機嫌を伺いながら、愛されることがないまま年老いていくと思うと絶望しかなかった。
「先程の殿下の御言葉を、この場にいた者達は聞いております。今更、無かったことには出来ないでしょう」
「違うんだ!私はそんなつもりじゃ……」
「だとしても、父公爵に判断を仰ぐことに変わりありません」
王太子が何を言い募ろうと、ディアナがすべき行動は変わらない。父親の判断によって婚約が継続か否かが決まる。それが政略結婚というものだ。
重要なのは王太子の進退である。先程の王太子の発言は、責任ある立場の人間が衆目の前で発した言葉なのだ。後戻りなど出来るはずがない。婚約破棄という他人の人生を左右するような重要な決定を、冗談だったと済ませてしまえば、王太子の言葉に重みが無くなってしまうだろう。賢明な人間であれば、凋落した未来が王太子の後ろに見えているはずだ。
「違う、違うんだ――ッ!」
王太子もまた己の落ちぶれた姿を想像したのだろう。気が触れたような様子で叫び、腰につけた剣を鞘から抜いたのだった。
「えっ!?本物!!」
「模造刀じゃないのか!!」
学院内に学生が刃物を持ち込むことは基本的に禁止されている。それでも見栄えを良く見せる為に腰に模造刀をつけているのだ。しかし、王太子の剣は模造刀には無い煌めきと鋭さがあった。
「この女がいたから、私はこんな茶番に巻き込まれたんだ!!」
完全に言い掛かりであろう。王太子は巻き込まれたのではなく、キャサリンと共にディアナや周囲の人々を茶番に巻き込んだ側だ。彼はその切っ先をレオンハルトとキャサリンに向ける。シュテルン王国で最も高貴な人間の一人だというのに、もはや場末の破落戸にしか見えない。
「お止めください!このようなことをしたところで、何も状況は変わりません!」
レオンハルトは王太子の剣の間合いに入らないように、そしてキャサリンを守るように立ち塞がった。
「いいや、変わるさ。キャサリンなどという尻軽女さえいなければ、ディアナは許してくれるんだ!」
そんなことは誰も言っていないと、誰もが心の中で呟いた。キャサリンとレオンハルトを始末したところで、ディアナは許すことはないし、迷える民を殺した王族は、たとえ王太子と言えど罪に問われるだけの話だ。シュテルン王国の王政はそこまで独裁を許していない。
「殿下!お止めください!!」
「モーント公爵令嬢!!」
今度こそ、ディアナは王太子の前に躍り出た。