05.娼婦の娘
「娼婦というものは、根っからの男好きのように語る方もいらっしゃいますが、心から望んでその道に入った者は極僅かです。少なくともキャサリンの母親は、貧しい一家が冬を越す為に身を売ったのです」
三十年ほど前、シュテルン王国は国全体で飢饉に見舞われている。国庫を解放したものの餓死者も少なくなく、キャサリンの母親はその時に身を売ったのだろう。
「父とは幼馴染で結婚の約束をしておりましたが、当時起きた飢饉のせいで男爵領全体が貧しく、男爵家では一家の面倒を見ることが出来ず、見送ることになりました。その後に私の母と結婚したそうです。私の母は私を産んですぐに亡くなってしまいましたが、父は後妻を迎えることなく、私を10歳まで男手一つで育てました」
この場にいた学生達は一様に息を呑み、レオンハルトの言葉に耳を傾けていた。貧しく身を売る者がいることは誰もが知っていた。貴族の子女として救貧院などの奉仕活動など行う者もいる。しかし、彼らは貴族とは一線を画した存在だと思っていたし、元娼婦達もそれが分かっているから本音や過去を詳らかにすることはなかった。レオンハルトによって身近な問題として突きつけられたのだった。
「どうにか実家の生計が立ち行くようになったので、娼婦から足を洗った義母を私の父は迎えに行きました。買い戻す金も作れなかった自分を許して欲しいと膝を突いて謝ったと聞いています。その後、男爵家の後妻に迎えられましたが、当時の困窮ぶりを知っている男爵領の者達は誰も彼女を罵る者はおりません」
男爵は娼婦になった元許嫁の帰りをずっと待っていたというのか。それほど愛していたということなのだろうが、同時に恋人が娼婦に身をやつすことを止めることが出来なかったという後悔は、いかほどのものだったのだろうか。その後悔を埋めるべく、互いに誠実に仲睦まじく暮らしているからこそ、領民達から非難の声は上がることがないに違いない。
そしてそんな父を見たレオンハルトは継母に対して差別的な感情よりも、不遇な弱者への同情と気遣い、親族への親愛の方が強いからこそ、侮辱的な発言をした妹を許せなかったのだろう。
「しかし、事情を知らぬ王都の方々が素性を知れば、どのように思うでしょうか。目立たず、真面目に過ごしていれば、取るに足らない男爵家の娘の出自など気にも留めなかったでしょう。しかし、キャサリンは己の不出来を窘められると『男爵家の娘だと馬鹿にしているんでしょう』だとか、男の懐で『娼婦の娘だと馬鹿にされてきました』などと自ら暴露したというではありませんか」
学院での所業は全て保護者に伝わっていたのだろう。キャサリンがやって来て約半年だったが、その短期間に積み上がったそれに家族は危機感を覚え、修道院入りを決意したに違いない。
「本当なら王都に来られるはずもなかったのに、我儘を言って両親の貯えも切り崩したんだぞ。にも関わらず、お前がやったのは男漁りだけじゃないか」
「お兄様だって学院に通ってたじゃない!!」
「私は運良く奨学金を受けることが出来たのだ。それが受けられなかったとしても、働きながら自分の稼ぎで通うつもりだった」
王都の王立学院を卒業しない貴族というものは、財産も、爵位に見合う知識や教養も無い無学者と言われるのだ。次男、三男ならば騎士や平民として暮らすようになる為に許されるが、やはり嫡子がそれでは外聞が悪く、貧しくともどの家も借金をしてでも王都へ送り出すのだ。それを借金ではなく自らの力で通おうとする気概が潔い。
「領地に婚約者もいる身で恥ずかしくはないのか」
「婚約者!?」
「親に勝手に決められたのよ!」
王太子もその他の取り巻き達も全く知らなかったようで、キャサリンを注視している。
「お前の学院での生活態度を話し、婚約の解消を願うと快諾してもらえたよ」
「どうせあの男も私の出自を嫌がったんでしょう?」
「いいや。彼はそんな不誠実な人間じゃない。出自が嫌だったら最初から断っている。彼なりに受け入れようと思ってくれたのだ。だが、お前は裏で彼を馬鹿にしていたそうじゃないか。『金で私を買えても、心まで買えると思うな』、『一介の商人のところに嫁ぎたくない。私はこんな田舎で終わるような女じゃない』と。男爵家の顔を立てて断らないでいてくれたようだが、その事実を知って義母上は倒れたそうだ」
「嘘よ!!」
ここまでずっと王太子にさえも正論を突きつけてきたレオンハルトが、今更嘘を言うはずはないだろう。
「これでようやく好きな娘に交際を申し込めると言っていたよ。彼を縛り付けてしまって申し訳なかった」
「何ですってッ!!もしかしてエルザ!?私よりも、あんなブスを選んだって言うの!?」
「少なくともお前よりは気立ての良い働き者だ」
正直、キャサリンの本性はとんでもない女の一言に尽きる。レオンハルトが現れてから、その本性があっという間に曝け出されてしまった。母親の出自を除いても、そんな図々しい女を嫁に迎えたいという家など無いだろう。