10.後日談 Ⅱ
ディアナは保護政策を提案したことで、王女の秘書官に抜擢された。
三つ年下のエーデルガルド王女が学院在籍中、政務が滞らぬように名代として調整することが彼女の役目であった。けれども今、王女の下で働くということは、婚期が遅れるということを意味していた。シュテルン王国の女性は16~20歳前後で結婚する者が多く、王女の卒業を待っていたら、適齢期ギリギリといったところになる。
「せめて婚約者だけでも確保しておいた方が良いんじゃないか?」
王宮では辣腕を振う公爵であっても、娘の結婚というナイーブな話題を出すのは躊躇われたようだった。まして、親達が決めた婚約者に婚約破棄されるという過去を持っているディアナであるから猶更だ。
「私は自らの手で『あの方』が出来なかったことを成し遂げたいのです」
「お前の気持ちも分かる。しかし、その理想を受け継いでいく者を作ることもまた、貴族としての役目の一つだ」
「……」
「そう長くはないが時間はある。よく考えなさい」
モーント公爵の言葉は、娘の心情に父として寄り添うものであるのと同時に、公爵としての忠告でもあった。
けれども、父の言葉に答えを返せぬまま、ディアナが仕事に奔走する日々が三年ほど続いたある日。とある港町に視察に訪れた際、そこで知った顔を見つけたのだった。
港に到着した船の荷を下ろす人足の中に、レオンハルトの姿を見つけたのだ。三年前に見た時よりも日に焼けて、何よりも肉体労働に従事している為か、たくましさも増しているように見えた。
声を掛けても良いだろうかと迷っていると、
「おい!レオン!ちょっとこっちに来てくれ!」
と、船の持ち主である商会長がレオンハルトを呼んだのだった。どうやらレオンと名乗っているらしい。呼びかけなくて良かったと胸を撫で下ろしたのだった。
「秘書官殿。この者は最近うちの商会で経理を担当することになったレオンと申します」
「……お初に御目に掛かります。レオンと申します」
レオンハルトもまたディアナのことを覚えていたのか、少しだけ目を見張ったものの、すぐに表情を取り繕って挨拶をして見せた。貴族の礼ではなく、平民のそれだったが、美しい所作は相変わらずであった。
「初めまして。王太女殿下の秘書官であるディアナ・モーントと申します。本日は殿下の名代として、こちらの視察に参りましたの」
平民の身の上で、宮仕えの人間と顔見知りだなんて状況は、悪い方に勘繰られてもおかしくはない。ディアナもまた初対面を装ったのだった。けれども彼はすぐに仕事に戻ってしまい、それ以上をすることは出来なかった。
「経理の担当だと仰っていましたが、どうして荷運びを?」
どういう意図で彼を紹介して来たのか量りかねて、世間話のように商会長に問い掛ける。
「元々レオンは人足だったんです。少し前にレオンが新人の頃の世話役が腰を悪くしまして、自分が代わりに出ると」
「まぁ……」
相変わらず義理難い性格をしているようだ。
「荷運びだって簡単な仕事ではないのですが、経理の方の仕事も完璧で……」
「素晴らしいですわね。ですが、どうして経理が出来る方が人足なんて安い給金で働いていたのかしら?」
王宮で財務担当者として働いていたのだから実務経験は十分にある。日雇いの人足のように安い給金で働くよりも、最初から経理として雇ってもらった方が良かっただろうのに。
「はい。お恥ずかしい話ですが、レオンは田舎の学問所を出ただけというので人足に回したのです」
商会長の答えを聞いて、己の努力の結晶である学歴さえも奪われてしまったレオンハルトを思い、ディアナは胸が潰れるような気持ちになった。彼の本当の学歴を知れば、引く手あまただったに違いない。ただ、地域によって教育格差はあって、レオンハルトがどこの出身と書いたかは分からないが、商会長の判断が間違っていたとも思えなかったのだ。
「ですが、事務所で日当を渡している時に帳簿が見えてしまったようで、数字の間違いを指摘されましてね。レオンの言う通りだったんですよ。テストをしてみたら計算も出来る上に、帳簿の書き方を教えればすぐに覚えたんですよ。天才だと思いました。丁度人員を補充しようと思っていたところだったので、正式に雇用したのです」
帳簿の書き方だって知っていたけれど、詮索されないように無知を装ったのだろう。いや、最初に覚えた時も、きっとすぐに覚えてしまったのだろうが、天才扱いをされて困惑しているレオンハルトを思い浮かべ、ディアナはニヤニヤと笑ってしまいそうになるのを、どうにか堪えた。
「人足からの大抜擢にやっかむ者もいましたが、レオンの奴は堅物の癖に人の懐に入って行くのが上手いんですよ。誰より仕事をしますし、驕ることもない。今じゃ事務所の全員が、レオンを一番頼りにしているくらいです」
どこにいても彼は評価される人なのだろう。全くの赤の他人だというのに、ディアナはレオンハルトが評価されていることが誇らしくてたまらなかった。