01.王国の危機
シュテルン王国は今、その存亡を揺るがす事態に見舞われていた。
しかし、まだ王国上層部の誰も、その深刻さに気付くことはなく、暗澹たる様に頭を抱えるのは一部の人間のみだった。
それは一体どこで起こっているのかと問われれば、王立学院である。
この国では教育に力を入れており、王国民は無料で学校に通うことを許されている。そして貴族の子女は12歳から15歳までの期間、王都にある王立学院に通うことが一般的であった。国の所領を預けられる者としての知識の底上げと新しい技術を子女を通して広く知らしめることを目的としている。それでも生活費などは自分達で賄う必要があるので、爵位を継ぐ嫡子だけを送り出すことが殆どであった。優秀な学生には奨学金などの制度が設けられているのだが、今は割愛しよう。
とにかくそんな学びの場で、事件は起きていた。
原因は、今年度編入生としてやって来たキャサリン・メテオーア男爵令嬢という少女の登場だった。
婚約当初より王太子ローデリヒ・シュテルンビルトとモーント公爵家ディアナは不仲であったのだが、基本的に王太子がディアナを一方的に無視する形で膠着状態が続いていた。しかし、最終学年に上がってキャサリンに出会った王太子は、ディアナに見せつけるように下位貴族である彼女を侍らせるようになったのだ。いや、むしろ王太子の方がキャサリンに侍っているようにさえ見えた。その愚行に対し、諫言する立場にある側近達も同じ女に骨抜きにされて、その意味を成さない。彼女の寵を得る為に傅き、彼女の機嫌に一喜一憂するという体たらく。
国の頂点に近い王太子が男爵家に膝を折る――身分制度の崩壊さえ予感させる事態だ。そこで苦言を呈したのがディアナである。王太子と男爵家の娘との恋人ごっこは、所詮学生時代の遊びだと目を瞑っていたが、あまりにも婚約者を蔑ろにし過ぎたことを咎めたのだ。
「手紙を出してもお返事を頂けない。夜会などのエスコートも忙しいとお断りになる。挙げ句、ドレスや宝飾品をキャサリン様には贈っています。私は何一つ、頂いたことがないのに!」
婚約者として当然であろう振る舞いを指摘しただけなのに、王太子はディアナを汚物でも見るかのように一瞥して言った。
「公爵家の娘が、まるで物乞いのような口ぶりだな」
「なッ――!?」
「宝石など、いくらでも買うと良い。そうしてその代金を私宛にすれば良いだろう」
ディアナは物が欲しくて言ったのではない。公爵家の姫として必要なもの、相応しいもの、欲しいものは全て持っている。わざわざ王太子に乞う必要は無い。それでも咎めるのは二人の婚姻による利益について、今一度考えて欲しいと言っているだけなのだ。
贈り物というものは、言わば『好意』だ。
人の気持ちは目には見えない。だから贈答によって好意を可視化するのである。
王太子がドレスや宝飾品をディアナに贈っていれば、親達は安心し、婚約に反対する者達から付け入られる隙を潰すのに、一役買っていてくれるのだろう。しかし、残念ながら王太子にはそこまでの事情を察することは出来ないようだ。
シュテルン王室は、ここ数代に渡り、初代国王の血統が薄まりつつあった。
後継となる男子は皆、身分の低い側室から産まれている。高位貴族の王妃や側室が懐妊しても女子ばかり。現在の国王の母も子爵家出身で、王太子の母もまた男爵家の娘である。それ故に、他国との外交で口惜しい思いを味わってきたのだとディアナは父から伝え聞いている。
このままでは国内においても王家の威信に影響が出ることを恐れた国王が、先々王の妹が輿入れした公爵家の姫を王太子の婚約者として選んだのだ。ディアナが男系一族の待望の女子ということも選抜の理由の一つだろう。
この婚約は国王の悲願であり、国王の苦悩を理解する公爵もまた婚約の維持と成婚を望んでいる。解消など有り得ないし、破棄などもっての外である。仮に王太子がキャサリンとの恋の為に婚約を破棄するというのなら、その代償は余りに大きいものとなるだろう。
確かにディアナの物言いは遠回しなものだったかもしれないが、婉曲な物言いこそ美徳とされる貴族としては普通のことだ。更に付け加えるならば、後継者の血統の向上と高説を垂れたところで、つまり「子作り」なのだから、年頃の娘が話題にすること自体憚られる問題である。
王太子の先行きを慮るディアナであったが、彼女の言葉など王太子には何一つ響くことはなかった。それどころか、もはや更生を望む熱意よりも呆れが勝り、親愛の情など生まれることはなかった。