06 【問題編】用務員さんの密告②
サクランボとは読んで字の如し、桜の実ではないのだろうか。
病院の敷地には、正門の両脇に桜の木が植えられており、道路を挟んだ学校にも、対を成すように桜の木があれば、街路樹だって桜並木なのに、サクランボが実ったところを見たことがなかった。
「ソメイヨシノは、自家受粉できねぇから実がつかねぇんだよ」
龍翔は連休前の週末、この病院に通院している母親の付添いついでに、私の病室を訪ねてくると、ソメイヨシノは自分の花粉で受粉できないので、実らないのだと教えてくれる。
「でも桜の木は、あんなに沢山あるんだから、自分の花粉じゃなくても受粉できるんじゃないの?」
肩をすくめた龍翔は、いかにも『やれやれ、仕方がないから教えてやろう』と、いった様子でベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰掛けた。
「ソメイヨシノは江戸時代、駒込染井町で一本の桜から作られた改良品種だからな。ここから見えてるソメイヨシノは、そもそも接木で増やした同じ桜なんだぜ」
「うん?」
「ソメイヨシノは、全て同じDNAの桜だから何本あっても受粉できねぇんだ。だからソメイヨシノは、一代限りで子孫を残せねぇ桜なんだよ」
「なるほど……。ってかさ、龍翔くんは、やたら桜に詳しいんだね」
「桜子が以前、ここから見る桜が好きだって言っただろう。それで話のネタになるかと、いろいろ調べたんだぜ」
「龍翔くんは、やっぱり真面目だよね」
ソメイヨシノは、自分が実らないと知っているのに、毎年必ず健気に花を咲かせて、桜の代名詞にまで成長した。
私の両親は、満開の桜に因んで一人娘に『桜子』と名付けたのに、実をつけないどころか、花も咲かさずに散っていくのだから、さぞや無念なことだろう。
「ソメイヨシノは子孫を残せないのに、綺麗な花をいっぱい咲かせているのだから、余命幾ばくもないと塞ぎ込んで、花を咲かす気力さえない私とは大違いだ」
「そうか?」
「そうだよ」
「桜子とは、同じクラスだったけど、今まで話したことがなかったよな。お前は教室で、いつも本ばかり読んでるから、てっきり人付合いが苦手な女だと思ったぜ」
龍翔は、椅子から立ち上がると、私が体を起こしているベッドに座り直した。
彼が顔を近づけるので、手で胸を押し返す。
「何なのよ?」
「桜子とは、入院してから話すようになったし、こうやって正面から顔を合わせる関係になっただろう」
「だから、それが何なのよ」
龍翔は、花も咲かさず塞ぎ込んでいると、自分を卑下した私を励ましてくれるのか。
「それでなんつぅか、桜子を脅かすような真似すると、死んじゃうかもって言われているし、俺も感情を表に出さないように我慢しているんだけどよ、もう限界なんだ……」
龍翔が、もじもじしながら口ごもる。
「トイレなら、廊下に出て右側だよ?」
龍翔は『トイレじゃねぇよ!』と、私の肩を掴んでベッドに押し倒した。
鼻息を荒くする龍翔から視線を逸した私は、彼の肩越しに天井を見上げて息を吐くと、自分が、大胆で小狡い女だと自覚する。
「よく解らないけど、我慢は身体に良くないから、私に言いたいことがあるなら、ちゃんと口にしてよ」
龍翔の想いは伝わっているものの、私は惚けて告白させるのだから、大した役者だなと思う。
龍翔は『これが俺の想いだ』と、気不味そうな顔で口を開いた。
"I realized that I liked you only after you were hospitalized. You was advised not to confess, so I hid you feelings, but it's already the limit of patience. I love you"
龍翔は、流暢な英語を話し終えると、私のおでこにキスして笑顔になる。
「はあ?」
「言いたいこと言ったから、もう少し我慢できそうだぜ」
スッキリした顔で答えた。
「いやいやいや、もしかして私が、英語を理解できないと思ってバカにしているの!? なんで、この期に及んでリュート・ジャクソンなのよ」
「告白するなって言われてるからよ……」
龍翔は『告白するな』と釘を刺されたから、私に理解できないだろう英語で、自分の心情を吐露したらしい。
だから仰向けに寝ていた私は、龍翔の首に手を回して引き寄せると、世界のキタノの口調で−−
「アイラブユーぐらいわかるよ、バカヤロー」
と、耳元で囁いた。
龍翔が毎朝、見舞いに来てくれるのは、バイク通学を偽装するためだと思っていたけれど、彼は学校のない休日も見舞いに来てくれる。
それに放課後は、家事に追われて大変だと言ったくせに、私が預かっているヘルメットを返しても、夕食の配膳が始まるまで病室に残って、話し相手になってくれた。
龍翔の偽装バイク通学が、私に会うための口実で、今なら二重偽装工作だったと、名探偵でなくても推理できる。
「俺、桜子に言いたいことがあったんだ」
「なに?」
「本当は、ずっと前から桜子が好きだった」
「いつからなの?」
「忘れたぜ」
「私も、龍翔くんに言いたいことがあるんだ」
「な、なんだ?」
「重たいから退いて」
龍翔が『ごめん』と、私から離れる。
大きな彼を支えられるほど、私の身体は強くないのだけれど、離れてしまうのが名残惜しくて、手を繋いだままにした。
私は恥ずかしかったので、龍翔の告白に答えなかったけれど、口にしなくても伝わったよね。
「ゴホン、ゴホン……。お二人さん、もう終わりました?」
親友の真美が咳払いしながら、手を繋いでいる龍翔と私に話し掛けてくる。
「まみちゃんっ、いつからいたの!?」
「忘れたぜぇ」
「ぜんぶ見られてる!?」
「いや〜、二人とも奥手だと思ったけど、やることはやってんのね」
「ヤ、ヤるって、ヤッてないから、私たちは、ナニもヤッてないからね。私は、激しい運動を禁止されているんだよ」
真美は『激しい運動か』と、含み笑いした。
絶対に誤解された。
「桜子さんたちも、木村と中野さんに気を付けないと、僕と沙代みたい別れさせられるよ」
「加藤くんと、カノジョさん?」
真美が連れてきたのは、生徒指導の木村に男女交際が発覚して、両親が学校に呼び出された同じクラスの加藤と、D組の堀越沙代だった。
加藤の話では、男女交際に厳しい木村にバレないように、校内で沙代と話したり、一緒に下校したり、付き合っている素振りを見せなかったが、その日に限って校舎裏でキスしたらしい。
「学校でキスするなんて、加藤くん大胆なんだね」
「僕らは、桜子さんと龍翔くんのように普段からキスする付き合いじゃないんだ。学校を卒業するまでは、ストイックな関係を続けようと決めている」
私と龍翔は、同級生から『普段からキスする』関係だと思われていたのか。
欧米か。
いいや、リュート・ジャクソンは欧米なのか。
「では他の生徒に見つかるかも知れないのに、なぜ校舎裏でキスしたの?」
「学校では、お互いに他人のふりしてるから、他の男子と仲良くしている沙代に嫉妬して、授業が始まっても校舎裏で痴話喧嘩が終わらなくて……」
「加藤くんには、私からキスしちゃったの。卒業するまでは、プラトニックな関係でいようと約束したのに……」
「沙代は悪くないんだっ、それに唇と唇じゃなかったからギリギリセーフだよ! ほっぺにキスは、桜子さんと龍翔くんなら挨拶みたいなもんだ」
「欧米か」
口に出してツッコんでしまった。
沙代は、他の生徒が授業だったので校舎裏なら人目がないと思って、加藤に自分の愛情を伝えるために、約束を破ってキスしたと言う。
「校舎裏には、誰もいないと思ったけど、焼却炉の扉の影に中野さんが隠れていやがったのさ」
「中野さんに見られたの?」
私が問い直すと、加藤と沙代が頷いた。
彼らは恥ずかしさのあまり、その場から顔を伏せて逃げたものの、生徒から慕われている用務員の中野が、まさか生徒指導担当の木村に密告ると思わなかったので口止めしなかったらしい。
「僕らは、中野さんが木村に密告ったせいで、卒業するまで校内外問わず『二人きりで会わない』と、両親の前で念書を書かされたんだ」
「私は、パパに『すぐに別れろ』と言われたわ」
真美が気を利かせて、私の見舞いを理由にすれば二人きりにならないと、加藤と沙代を家から連れ出したらしい。
「木村にチクっているのは、中野さんで決まりね」
真美が、ドヤ顔で言った。
用務員の中野は、校門前で丈ぼうきに跨って魔法使いごっこしていれば、多くの生徒から愚痴聞き役として愛されている。
そんな陽気で愛されキャラだった用務員が、加藤と沙代が校内でキスしていたと、生徒指導担当の木村に密告するのだろうか。
「陰湿な木村に、二人のことを密告れば、どんな目に合うのか解っているのに、中野さんが、そんなことするわけがないわ」
「現場には、焼却炉で隠れていた中野さんしかいないよ」
「中野さんに不審な動きがないか、私が監視しておくわ。だから、まみちゃん、みんなに知らせるのは、連休明けまで待ってくれない?」
真美は二つ返事で了承してくれたが、加藤と沙代の事情を知った生徒は、やはり用務員の中野が木村に密告したと決めつけて、登下校時はおろか休み時間も、用務員を避けて通るようになった。
中野は、今まで慕ってくれた生徒に嫌われた理由が解らない様子で、肩を落として校門前を掃除している。
「犯人は、本当に中野さんなのかな」
そんなことを呟きながら窓を覗けば、落ち込んでいたはずの中野が、病室の窓に私を見つけると、慌てて手にしていた丈ぼうきに跨った。
彼は一人遊びしていたわけではなく、休学中の私を楽しませようと、病室から見える校門前で魔法使いごっこをしていたようだ。