05 【問題編】用務員さんの密告①
私の視界を薄桃色に染めていた桜並木が、花が散って若草色の葉に置き換わった頃、龍翔に病気のことを詳しく説明したものの、彼は『そうなんだ』と、あっさりした態度で、いつものようにバイクのヘルメットを預けて病室を出ていく。
べつに龍翔の同情が欲しかったわけでもないが、素っ気ない態度には拍子抜けした。
龍翔は曲がりなりにも『I love you』と、私を抱きしめてキスしたのだから、私が応じるかどうかを別にしても、告白されたと受取って良いと思う。
つまり告白した女子が来年の春を待たずに、この世を去ると言うのだから、もっと何か思うところがあっても良いのではないだろうか。
「桜子ちゃんは最近、それを抱えて学校ばかり見ているね」
看護師の健吾は、私がヌイグルミのように膝の上で抱える龍翔のヘルメットを指差した。
「いつ地震がきても、これを被れば大丈夫です」
「え、それ防災用なの?」
「冗談です」
「そうだよね……。もうすぐ田中先生の回診があるから、おとなしく病室で待っていてね」
「健吾さんが車椅子を押してくれなきゃ、トイレにも行けないのに、何処に出掛けるというのよ」
「ははは、そりゃそうだ」
私は近頃、不幸な境遇で落ち込みそうになる気分を、健吾に八つ当たりすることで紛らわしている気がした。
「私は、ここで待ってます」
「よろしく頼むね」
でも寝たきりの私に『おとなしく病室で待って』と、声を掛けた健吾もデリカシーがないので、少しくらい嫌味を返されても仕方がないと思う。
彼が病室を出ていくと、再び校舎に視線を戻す。
龍翔が毎日、朝と放課後に見舞いに来てくれるようになってから、彼と話せない時間を退屈に思うようになっており、気が付けば病室の窓から彼を探してしまう。
「3時間目の体育は、体育館でバスケットボールなんだね。バスケットボールの本場、ヤンキーのプレイする姿を見てみたいなぁ」
本校舎から体育館に向かう渡り廊下を見ていると、バスケットボールを抱えた龍翔が、こちらに振り向いて手を振ってくれた。
私は照れ臭くて、慌てて身を隠した。
なぜなら龍翔は今日、登校する校門、授業開始と終了、休み時間のとき、必ず病室の窓を確認して、その都度、私と視線を交わして手を振ってくれるからだ。
「これじゃあ、龍翔くんのストーカーだよ」
金髪の龍翔は、校内の何処にいても目立つし、あちらも病室の私を見ているから目が合うわけで、ストーカー行為にならないと思うのだけれど、彼は学校にいる間、私に監視されている状況のわけで、それを負担に感じるかも知れない。
いくら好きな女子とはいえ、拘束されると逃げ出すのが男だと、親友の真美が言っていたではないか。
私は、そんなことを考えながら体を起こすと、ブラインドカーテンを下ろして隙間から学校を覗いた。
「ストーカー感が増したけど、龍翔くんに気を遣わせるよりマシよね」
ブラインドカーテンの隙間を指で広げた私は、自分に言い訳してから龍翔を探してみる。
しかし体育館の様子は、病室から死角になっており、見えるのは、用務員の中野秀蔵が、校門前で丈ぼうきを股に挟んで遊んでいる姿と、体育教師の木村良夫が竹刀を肩に担いで、生徒に遅れて体育館に向かっている姿だった。
用務員の中野は、雪が降れば大きな雪だるまを校庭に作ったり、掃除で掻き集めた落ち葉の山にダイブしたり、なかなか遊び心のある中年男性で、体育教師の木村は『このばかちんが!』と、長い髪を耳にけながら生徒指導する金八気取りの先生である。
多くの生徒は、愚痴をこぼしても黙って聞いてくれる中野の好感度が高く、粗探しばかりで融通の効かない木村を嫌っていた。
「中野さんは、一人のときも遊んでいるなんて、本当に面白い人だな。それに引き替えて、今どき竹刀を担いで生徒指導する木村は、いつか痛い目に遭うよ」
そんな生徒から嫌われている木村だが、校則違反を見逃さない熱血先生として保護者からの評判が高い。
生徒指導担当の木村が、とくに力を入れているのは『不純異性交遊の摘発』であり、これが生徒からの不評と、保護者からの好評を買っている。
「桜子さん、部屋を暗くしてどうしたの?」
部屋の前を通りかかった看護師が、ブラインドカーテンを下ろしている病室を不審に思って声を掛けてきたので、たまにはリハビリルームで運動したいので、病室を出るところだと嘯いた。
私は、その看護師とリハビリルームに向かう途中、健吾に担当医の回診があるから、病室で待つように言われたことを思い出したが、あと小一時間は、龍翔が教室に戻らないのだから、病室に籠もっていても退屈なだけなので戻らなかった。
健吾には申し訳ないけれど、私が学校に通っていたなら、3時間目は体育の時間なのだ。
◇◆◇
事件が起きたのは、その日の放課後だった。
いつも学校帰りで見舞いに立寄ってくれるクラスの加藤智之が、今日に限って来なかったので、真美に理由を聞けば、別のクラスの女子との男女交際が発覚して、木村の生徒指導を受けているらしい。
「あの二人は、付き合っていたんだね」
「ほんとそれよ。私だって聞いたとき、びっくりしたわ」
木村に呼び出された二人を知っているが、校内では交際している素振りを見せなかったので、誰も気付かなかったと、真美たちも私と同様に驚いたようだ。
「木村は、クラスメイトの誰も気付かなかったのに、どこから情報を得ているのかしら?」
私が疑問を口にすると、真美たちは用務員の犯行を疑っていた。
「考えられるのは、中野さんかな」
「俺も、中野さんが怪しいと思う」
「なんで中野さんなの?」
「中野さんは、生徒の恋愛相談も聞かされているからだよ」
「お前らは、用務員に恋愛相談するのか?」
「直接じゃなくても、中野さんにフラレた愚痴をこぼす奴もいるだろう」
中野の呼び名は千差万別だけれど、意味が通るので意思疎通に問題がなかった。
つまり同級生の考えは、不純異性交遊の摘発に力を入れる木村に密告している犯人は、生徒の愚痴聞き役で生徒同士の交友関係を熟知している中野である。
「さくらちゃんも、気を付けてよ」
「え、何を気を付けるの?」
「木村に龍翔との交際がバレたら、お見舞い禁止になりかねないわ。木村は、そういう陰湿なことする奴だからね」
「私たち、まだ付き合ってないよ」
「だって龍翔は毎朝、病院から登校してくるし、私たちが帰る頃にお見舞いにくるよね。今さら隠さなくても、クラス全員が知っているわ」
みんなは、私と龍翔が付き合っている認識なのか。
まさか駐車場にバイクを停めるために、龍翔が病室を訪ねているとは言えないし、偽装バイク通学が木村の耳に入れば、それこそ彼に迷惑をかける。
「でもさ、龍翔が病院から出てくるのは、中野さんにバレてんじゃね?」
男子が言うので、私の顔から血の気が引いた。
幸い駐車場は病院の裏手にあり、龍翔のバイク通学を見られる可能性が低いものの、彼が正門を通らず登校している様子は、誰よりも早く登校したり、宿直勤務している用務員の中野には、不審に思われるかも知れない。
「龍翔くんのことが、木村にバレたら困るよ……。どうしよう、まみちゃん」
「さくらちゃん、みなまで言うな。親友の私には以心伝心、すべて解っているわ。龍翔とのことは、私が責任を持ってどうにかするわ」
「ありがとう、まみちゃん!」
「私たち親友でしょう!」
真美は『私と龍翔が付き合っていると口にしないように』と、クラス全員に箝口令を敷いたので、二人の交際が既成事実化されてしまった。
親友とは、ちゃんと以心伝心したのだろうか。