01 余命宣告
これは奇跡の物語だ。
不幸な結末にならないので、最後まで話を聞いてほしい。
高校3年生に進級した春、激しい目眩に襲われて教室で倒れた私は、来るべきとが来たと、学校の前にある総合病院に担ぎ込まれながら思った。
私は先天性の心臓病を患っており、移植ドナーが見つからなければ、来年の春まで生きられないと、担当医から余命宣告を告げられている。
それでも最後の日まで人並みに生きたいと、治療に専念させたい両親に無理を言って、担当医のいる総合病院前にある高校に入学させてもらった。
「結局、卒業までもたなかったか」
私は満開の桜越しに、道路の向かいにある高校の校舎を眺めて呟いた。
日本では臓器移植が年間400件程度で、心臓移植に限ると60件に満たなければ、国内で移植ドナーが見つかる確率が皆無らしく、担当医には海外での移植手術を勧められている。
しかし海外の移植手術には、渡航費用と移植ドナーが見つかるまでの滞在費で3〜4億円必要なのだけれど、普通のサラリーマン家庭に、そんな大金を用意する当てもない。
つまり私は春を待たずに、この世を去るのが決定事項なのだ。
「移植ドナーは、絶対に見つかるよ」
「海外移植支援のクラファンも立上げたし、学校で募金活動も始めたんだぜ」
見舞いにきてくれた同級生たちは、私が春まで生きられないと聞いて、口々に励ましてくれるものの、国内で移植ドナーが見つからなければ、クラウドファンディングや高校生のカンパで数億円の寄付が集まるはずがない。
不幸な同級生を励ましたり、資金調達に奔走したり、彼らの心からの善意だと思うが、無駄な施しを受ける私には、返済の見込みがないので心苦しいだけだった。
「私の顔を晒してお金集めるなんて止めてよぉ〜、個人情報たれ流しじゃん。それに、みんなも大学受験で忙しいでしょう?」
これは本音。
なんの取柄もない女子高生が、インターネットで素性を明かして、目標額数億円のクラウドファンディングなんて立上げれば、心無い誹謗中傷で炎上するに決まっている。
そんなことに感ける暇があるなら、一生懸命に勉強して、医者にでもなって私の心臓を治してくれ、と言いたい。
今のは口にしてないけれど、ちょっと言い過ぎた。
「俺たちのことは、ぜんぜん気にするな」
「私たちは、さくらちゃんと一緒に卒業したい。だから自分たちのできる範囲で、できることをやっているだけ」
高山桜子。
私が桜の名所にもなっている、この総合病院で生まれたとき、満開の桜を見た両親が付けてくれた名前だ。
こうして病室の窓から見える満開の桜は、私の誕生を祝ってくれたのに、ことしが見納めになると思えば、感傷的になって涙が溢れてくる。
「さくらちゃん、泣かないで……。さくらちゃんは、自分の身体だけ考えて」
「う、うん。まみちゃん、ごめん」
「謝んなし……、絶対に謝んなし」
「わかった。まみちゃん、ありがとう」
親友の佐竹真美が、もらい泣きすると、病室に集まっていた同級生が背中を向けて肩を震わせた。
私と真美のやり取りを見た同級生も、切なさにもらい泣きしているのだろう。
不幸な同級生を見舞いにきた病室は、私を必ず救うという連帯感に包まれており、厭世家を気取る私も、青春ぽい雰囲気に飲まれて感動してしまう。
ただ一つ、病室の出入り口に立っている金髪の男子だけが、鬼のような形相で、私を睨んでいるのが気になる。
彼の名前は前崎龍翔。
私の高校は進学校ではなかったが、不良が集まる学校でもなく、龍翔のような金髪が浮いた存在に見える程度の一般校だ。
龍翔は、どうして見舞いにきたのか。
彼とは入学してから同じクラスだったけれど、話したことがなければ、病室に顔を出さない生徒も多いのだから、クラス全員が強制参加の見舞いでもないらしい。
「じゃあ毎日、顔出すからね」
「病室から教室も見えるし、たまに学校の話を聞かせてくれれば良いよ」
「私たちは、さくらちゃんを見掛けたら手を振るね」
「まみちゃん、ありがとう」
同級生たちが、病室の出入り口を塞いでいた龍翔を避けるように出ていくので、視線を窓の外に向けてため息をつく。
三階の病室からは、私が通うはずだった教室がよく見えた。
あと一年持たない命だから、今さら勉強する気にもならないし、奇跡が起きて復学しても、皆と一緒に卒業できないのは決まっている。
「おい、ちょっと良いか?」
「えっ、龍翔くん!? みんなと帰らなかったの?」
こいつ、私を殺す気か。
心臓が悪いと知ってるくせに、いきなり声を掛けるな。
「お前に話があってさ」
「私に話?」
「ああ、連中の前では話しづらいことだからよ。だから桜子と、二人きりになるのを待ってたぜ」
「みんなの前では話せないこと?」
え、もしかして告白するの。
私は、龍翔に告白されちゃうの。
龍翔は、照れ臭そうに金髪を掻きあげると、私の顔を神妙な面持ちで凝視している。
彼のことは、よく知らないが、見詰められると動悸を感じて胸が詰まりそうになった。
こいつ、やはり私を殺す気か。
「え、お、おいっ、桜子、どうした胸が痛いのか!? 看護師を呼んだ方が良いのか!?」
私が胸を押えてベッドに突っ伏すと、龍翔が慌ててナースコールを押そうとした。
私は、龍翔の手を止める。
バイタルサインモニターを装着しているので、異常があれば看護師が駆け付けてくれるからだ。
「わ、私が今死んだら、りゅ……龍翔くんのせいだからね」
「えーっ、なんで俺のせいなんだよ!?」
「わ、私が心臓病を患っていると知ってるくせに、こ、こんなタイミングで告白とかしないでよ……。同情も、愛情も、サプライズも、もう要らないから」
「俺が、桜子に告白!?」
「ち、違うの?」
「違う。俺は、桜子に頼みたいことがあるだけだ」
「え?」
龍翔が『じつは−−』と、話を切り出そうとしたとき、病室になだれ込んだ看護師と担当医が、彼を押し退けて点滴のチューブに薬を注入する。
「君は、邪魔だから退いてなさい!」
「お、おいっ、桜子! 明日の朝、また来るから死ぬんじゃねぇぞ!」
「病人に、なんてことを言っているんだ? このヤンキーを病室からつまみ出せ!」
「はい」
点滴のチューブには、どうやら鎮静剤が打たれたようだ。
私は薄れていく意識の中で、看護師に両脇を抱えられて病室を出ていく龍翔を見送りました。
彼の頼み事が気になった私は、明日の朝まで死ねないと思った。