第8部分 ケース6 ミサオの場合
第8部分 ケース6 ミサオの場合
明治36年(1903年)5月22日、一高生(現 東京大学)の藤村 操が栃木県日光市の華厳の滝の近くにあるミズナラの木を削り、「巖頭之感」と題する遺書を残して投身自殺した。その後彼に影響を受けた自殺が相次いだため、華厳の滝は自殺の名所という評判が立ってしまった。
藤村の「巖頭之感」は以下の通りである。読みがなは少し右に示したが、まぁ、カッコイイこと!
「巖頭之感」 「がんとうのかん」(よみかた)
悠々たる哉天壤、 ゆうゆうたるかな てんじょう、
遼々たる哉古今、 りょうりょうたるかな ここん、
五尺の小躯を以て ごしゃくのしょうくをもって
比大をはからむとす、 このだいをはからむとす。
ホレーショの哲學 ホレーショのてつがく
竟に何等のオーソリチィーを ついになんらのオーソリチィーを
價するものぞ、 あたいするものぞ。
萬有の真相は ばんゆうのしんそうは
唯だ一言にして悉す、 ただ いちごんにしてつくす、
曰く「不可解」。 いわく「ふかかい」。
我この恨を懐いて煩悶、 われ このうらみをいだいてはんもん、
終に死を決するに至る。 ついに しをけっするにいたる。
既に巌頭に立つに及んで、 すでに がんとうにたつにおよんで、
胸中何等の不安あるなし。 きょうちゅうなんらのふあんあるなし。
始めて知る、 はじめてしる、
大なる悲觀は だいなる ひかんは
大なる樂觀に一致するを。 だいなるらっかんにいっちするを。
ぬぬぬぬぬ… これをサティなりに「意訳」してみよう。
ただしこれで合ってるかどうかは、保証の限りではない。
「滝の上の岩に立って思うこと」
天地はあまりに広く、歴史はあまりに長い。
160cmほどの小さな体でそれを測ろうとしていた(けど無理だ)。
世の中には人智の及ばないような原理があって、
それは専門家でも解決できないんだ。
( ホレーショは『ハムレット』の友人の名 )
すべての真相は、要するにただ一言、
「不可解だ!」
エリートの私が悩みまくっても分んないんだよ、
だから… くそっ もう死んでやる!
すでに巨岩の上に居るんだから(投身直前)、
胸中には不安などあるワケがない。
大きな悲観は大きい楽観と同じなんだと、
やっとわかったわ、いま。
ざっとこんなところではなかろうか…
エリート学生が「いわく不可解」とかで自決するとか、チョーかっこいい!
そんな感じで後を追う者が続出したという。警戒の警官に説得された未遂者も多かったものの、彼の死後に華厳の滝で自殺を企図した者は4年間で185名(敢行40、未遂145名)に上ったという。彼の影響で華厳の滝は自殺の名所としても有名になってしまった。「巖頭之感」はほどなく警察が削り取ったという。
自殺の原因説は、①「巖頭之感」的な哲学的な悩み説 ②失恋説 の2つに大別される。友人は②を否定したらしいが、状況から見て客観的には②のように思える。恋の相手は縁談を抱えていたのだ。
ちなみに同高在学中の岩波茂雄や、藤村の英語担当教員の夏目漱石にとっては、この事件が1つの転機になった。漱石『吾輩は猫である』や『草枕』、『文学論』には藤村を意識した記述がある。
もうクイズにはならないな… 答は投身自殺でした。
ミサオのインフルエンス効果は量り知れないほど大きかった。
しかし裏を返せば、自殺予備軍はいつでもこれだけたくさん居る… という証左にもなるだろう。サティも含めて…