コロナ襲来
1975年早生まれ。
4月生まれと3月生まれでは約1年も差があることを、30超えてから初めて知った。
学校は行きたくなければ行かなくてもいいことも、30超えてから初めて知った。
国数社理英が秀でるより、保体音技美家が秀でた方が生きていけることも、30超えてから初めて知った。
人の言う事を聞いて生きることが「素直な良い子」ではなく「騙されやすい間抜け」だという事も、30超えてから初めて知った。
世の中の仕組みを知るには遅すぎたようだ。
私はちょうどロストジェネレーションでも真っただ中の方。
例に違わず時代に流され、ロストジェネレーションが経験するほぼ全てのものを経験し、思想の変化もまさに揶揄されるままに当てはまる。
ただ違う点は、根っからのPCヲタクで、30年間プログラムから離れなかったことだけ。
ちょうど、
私が引っ越しの話が出た頃がITドカタの職場改善が問題になっていた時期で、見做し残業や36協定が厳しくなり、月間100時間残業が当たり前のようなIT奴隷の見直しが進み始め、輪をかけてネット上では誰でもPGになれると言う、私にとっては20年前にやってきてほしかった時代が来た。
私がPGに憧れていた小学時代では、PGとはゲーム会社でゲームを作る人で、過酷な職場環境の中でもユンケル一つでゲームを作り、子供に夢を売る商売の人らのことだと思っていた。
後に何度も書くことになるフレーズだが、「知らない事は罪」であり「調べない事は大罪」である。
更に書いておくと「教えない事は詐欺」でもある。
30を超えるまで、私はお花畑の中で生きていた。
親までもお花畑で生きていたのだから、親は「教えない罪」はない。
が、親はその代わり「孫に会えない罪」を受けた。
無能の子供の代わりに多少なりでも子供のために調べてくれれば、親子共々無間地獄に落ちることもなかっただろう。
親を恨んではいない。私は親を見放したのだから。
世の中には親の傍に永遠にいて、親の庇護を親が死ぬまで受け続けれる人もいるらしい。
私の親は、運良くバブルの末期に土地家屋を売り抜け、莫大な金を手にしておきながら親戚一同に持て囃され、その得た金を子に渡さず親戚に渡し、自己破産まで陥った。
挙句の果てにはその親戚に離婚した方が生活保護が受けやすいと唆され、素直にそれに従った。
私はそれを止めなかった。
「教えないことは詐欺」を私は親にして、親元から離れた。
親は生活保護を受けられなかった。
それでも幸せだろう。親が一番可愛がった弟と一緒に暮らせているのだから。
私も幸せだった。
引っ越した先は大都会大阪に通勤1時間圏内で、ちょうど先ほどのIT土方の見直しの折、IT企業に就職することができた。
田舎の工場の超ブラック企業で長年勤めていた時よりか、未経験ロートル新人の初任給の方が月額4万高かった。
私は20年、田舎に捨てた。そんな過去ももう捨てた。
勤めて2年。かつてない程に楽しい人生を送らせてもらえていた。
残業が多くても苦にはならなかった。PCの前に10時間座っていようがそれは今まででも大して変わらなかった。
何より、家でPCを延々自分用のアプリ開発していても、「遊んでいる」と言われず「勉強している」ことになるのが助かった。
そんな中、コロナが来て全てを破壊しつくした。