(2)金髪碧眼の転校生
重たい目蓋を無理やりこじ開けて、焦点の合わない瞳に映ったのは金髪碧眼の少女だった。
「は? え、何これ?」
あまりに脈絡の無い出来事と展開に混乱した創太は、幻覚を見ているのではないかと錯覚し、人差し指で力強く眼を擦る。
下野町で義母に痒くても眼を擦っては駄目と注意されたが、そんなのお構いなしに擦り続けた。
目蓋が赤くなるまで、ひたすらに擦った。
「くそ、焦点が合わねえ。……ん? あだだだ!?」
眼を擦っていけない理由は主に二つ。一つ目は単純に瞳孔を傷つけてしまう恐れがあるからだ。そして、もう一つが……。
「刺さった! まつ毛が眼に刺さった!?」
……このように、擦った影響で反り返ったまつ毛が眼球に刺さってしまうのだ。
「痛い痛い痛い! 眼があぁぁぁ!」
瞳を焼くような激痛に悶絶し、涙を流しながらその場に崩れ落ちる創太。
「ちょっと、大丈夫なの貴方? 痛くても我慢して、擦るんじゃなくて開けるのよ。ほら、ゆっくり」
見えない声の主に従って、痛みに耐えながら右手の親指と人差し指を使い、ゆっくりと丁寧に目蓋を開けると、涙で潤んだ瞳に先程の美少女が映っていた。
眩しい程に透き通った綺麗な金髪。今し方発見され、その場で磨かれた宝石のように輝く青い瞳。神様が丁寧にパーツ一つ一つを手に取って創り上げたかと思われるその顔立ちは、もはや芸術の域だ。そして、それら全てをより引き立てるパーフェクトボディー。
涙で瞳が潤っているのも相まって、今の創太には目の前の金髪青眼の少女は、一層美化されて脳内に情報が伝達される。
「なあに、この美少女」
故に柄でもないのに口に出してしまっていた。きっと誰だってこの少女を一目見たら、無意識に称賛の言葉が口から溢れてしまうだろう。
「……きも」
宝石のような瞳が曇り、先程の心配そうな声色は何処へやら、謎の美少女は吐き捨てるようにそう言った。
「はっ!? しまった口に出てた。ええと、今の無し。きっと、まつ毛が眼に刺さって混乱してたんだ。一瞬の気の迷いみたいなもんだ」
「何で私が振られたみたいになってんのよ。悪いけど告白ならお断りよ、色恋沙汰とか私興味無いから」
「……いや、そもそも告ってないんだけどね」
嫌味に軽口で返す創太。
金髪碧眼の少女はむすっと頬を膨らませるが、創太はお構いなしに続ける。
「それにしても助かったよ。マジで死ぬかと思った」
美少女耐性ゼロの創太が何故普通に会話できているのか、悲惨な4人班作りを見れば当然不思議に思うかもしれないが、そんな考えは早計である。
新城創太はボッチでもなければ、人見知りでもない。和馬や亜貴先生との会話を見ればわかる通り、コミュニケーション能力は割と高い方だ。
ただ、たった一人生き残った男の子というレッテルが、創太の周りに人を寄せつけない。強調性が無いのは、自ら寄り添うのを諦めた結果なのだ。
故に話しかけてくれる相手には好意的に、積極的に会話のキャッチボールを始める。
「……助けなければよかった」
「何それ、アメリカンジョークってやつ? 悪い、俺英語苦手で噛み砕けないからもう少し柔らかく、食べやすく話してくれない?」
「そのまま死ねばよかったのよ」
「初対面のやつにそこまで言うか!?」
場を和ませようと創太は海外映画でよくあるカッコいい言い回しを使うが、余計に彼女を怒らせてしまったらしい。
金髪碧眼の少女は尋ねる相手を間違えたと、頭を抱えている。
「……えっと、流石にふざけ過ぎたな。職員室の場所だっけ? それなら、ここで合ってるぞ。ほらあそこ、あれが職員室玄関だ」
まつ毛の脅威から救ってくれた彼女に感謝はしているので、丁寧に彼女からの質問に答える創太。
「はあ、最初から言いなさいよ。私、亜貴先生という人と待ち合わせをしているの。初対面から粗相なんてできないわ」
「亜貴先生? まさか君も罰を受けるのか……」
金髪碧眼の美少女から、よく知る暴力鬼軍曹の名前が出たので、創太は驚き後退り。
「罰? 何の話よ。私は転入の手続きが終わって、配属されるクラスが決まったって聞いたから、それを確認しに来ただけよ」
「配属って、少し硬くないか? 学校を何かの組織と勘違いしてるぞ」
「……」
創太のジョークはまたもや空振りに終わる。和馬と亜貴先生以外で気軽に話せる相手ができると内心喜んでいたのだが、その願いも儚く散ってしまいそうだ。
いつの間にか、一人キャチボールをしている。
そして美少女は名乗ることも無く、職員室に向かって行ってしまった。休憩スペースには創太だけが、取り残される。
「……せめて名前だけでも、聞いておけばよかったな。転入の手続きって言ってたけど、あんな美少女が正式に転入してきたら、一ヶ月は校内お祭り騒ぎだぞ」
創太はそう呟きながら、再び席に腰を下ろし机に顔を埋める。
加えて言えば、現在生徒たちは追悼式で疲れている。大災害に因縁の無い生徒にとっては、あんな行事はストレス以外の何でもない。
そんなゾンビの如く、精気の抜けた群衆の前に突如現れる美少女。落としてから上げるという、さながら恋愛における高等テクニックのような背景が既に出来上がっている。
潤んだ瞳でその容姿を認識した創太よりも、テンションがただ下がりとなった生徒たちの方が、彼女の美貌は鮮烈に映るだろう。
「……日本語……上手だったけど、ハーフなのかな?」
彼女の容姿を目蓋裏に描きながら、創太はゆっくりと睡魔に誘われてその身を委ねた。気を取り直して、睡眠補給。
ーーー何にせよ、もう俺には関係の無い事だ。
*
「いつまで寝ているんだお前は!」
「ひぎゃあぁぁぁっ!?」
ゴツンという鈍い音、脳天に響く鋭い痛みと共に、創太の意識は覚醒した。
眼球にまつ毛が刺さる痛み、を軽く超える痛みが創太のぼやける焦点を無理やり合わせる。
「……っ、痛えなあもう!」
殴られた頭部を押さえながら、机に突っ伏していた顔を上げると、目の前に上野第一高校の鬼軍曹こと、亜貴恭子先生が現れた。
「……です」
そのしかめっ面を見た瞬間、創太の口調は敬語へと瞬時に切り変わり、腰も自然と低くなる。
立場の上下関係というより本能的な感覚に近い、草食動物が肉食動物に捕食されるという自然の摂理と同じく、創太は亜貴先生には敵わないと十分理解していた。
「私は職員室で待っていろと言ったはずだが。何故、お前は休憩スペースで仮眠をとっている?」
亜貴先生は創太の頭を鷲掴みにすると椅子から立たせて、尋問をスタート。強制的に立たされた創太は亜貴先生の背後に隠れる金髪碧眼の少女と目が合う。
が、金髪碧眼の少女は創太に気づくと、プイっとそっぽを向いた。
「怒られてる時は人の目を見なさい」
「あだだだだ。先生、ここ職員室前ですよ。いくらなんでも問題になると思うんですけど」
創太の視線が自分に向いていないことに気づいた亜貴先生は、自分に視線を向けるように創太の頬を引っ張り上げた。
「ふふ、安心しなさい。職員室側からは私の背中で何も見えていないわ」
「アンタ本当に狡猾だな!」
「当然だ。いずれは校長の座に君臨して、この学校を支配するのが私の目標」
「もしもし、上野第一高校の教育委員会ですか?」
亜貴先生のどす黒い野望を知り、そろそろ本気で教育委員会へ直談判しに行くべきかと、スマホを取り出し電話する仕草をする創太。
しかし、亜貴先生は笑うだけで本気にしない。強者の絶対的余裕と言うべきか、彼女は創太の挑発には全く動じない。
「……まあ、冗談もこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうか。ほらこの子、可愛いだろ?」
「何故、先生が自慢するんですか。……よお、さっきぶり」
手を振る創太の呼びかけに、またしてもプイッとそっぽを向く金髪碧眼の少女。
たった数分で彼女への好感度は地に落ちたようだ。
「なんだ、お前たち既に面識あったのか。ふん、つまらん」
「つまんないって……そんな事より、いい加減に教えてくれません? 俺の罰ってやつ、もう4限目が始まりますよ」
亜貴先生は気にしていないが、職員室内の教員が慌ただしく、それぞれの教室へと移動し始めた。
携帯のホーム画面に表示されている時刻を見なくても、授業が始まりそうなのは彼らの様子から明白だ。
美人な転校生との談笑と進学に必要な単元。それらを天秤にかけて、前項を選ぶなんて愚行を働く創太ではない。
「ああ、そうだったな。本題に入ろう。お前部活とか委員会に入ってないし、放課後暇だろ?」
「え? まあ、そうですけど」
部活動や委員会においても、たった一人生き残った少年というレッテルは力を発揮していた。
触れてはいけない腫物のような扱いを受けている創太が、コミュニケーションが必須である集団行動を満足にできるはずもなく。
校内では、自ら無職の道を選んでいる。
端的に言えば彼は帰宅部なのだ。
「だったら問題無いな。放課後残って、この子に学校を案内しろ」
「「……え?」」
予想外の罰宣告に、創太と金髪青眼の美少女の声が重なる。そして申し訳程度に鳴り響く、鐘の音が創太にこれは現実であると知らしめていた。
金髪碧眼の美少女との放課後イベント発生である。
*
「はじめまして、ロンドンから来ました。藤堂・ファンレノール・アリスです。日本での勝手がわからず、ご迷惑をおかけするかもしれませんが。仲良くしてもらえると嬉しいです」
午後のホームルーム中、2年3組の教室では、金髪碧眼の美少女アリスの自己紹介及び歓迎会が開かれていた。
アリスは4限目から6限目までは教室に姿を表さず、別の小教室で授業を受けていたので、2年3組に顔を出すのはこれが初めてである。
当然、教室内は歓声の嵐。創太が予期した通り、お祭り騒ぎとなった。
「なあ創太氏」
「なんだよ……和馬氏」
教室内がお祭り騒ぎの中、最も騒ぎ立てそうな男が冷静に、しかし何故か上級国民風の口調で背後の席から創太を呼ぶ。
創太もそれに乗っかり、机に頬杖をつきながら応答した。
「……人間からどうして争いが無くならないのか、ようやく俺はわかったぜ」
「お前は一体何を悟ったんだ!?」
「あの子の笑顔を見てみろよ。戦争なんて、内戦なんて、ちょっとした喧嘩ですら、くだらない事だと気づけるぜ」
「確かに頬が緩むけど、美少女の自己紹介で真理の扉を開く奴がいてたまるか!」
「なんだよ乗り気じゃねえな。まっ、そうだよな。創太って女に興味なさそうだし」
教卓の前でアリスを囲う男子生徒の群れを遠目に眺めながら、和馬はため息と共にそんな事を言った。
「……心外だな。俺だって思春期真っ盛りの男子高校生だぜ? 性欲はそれなりにある」
「恋愛イコール性欲って、それ原始人の考え方だぞ……」
ボケとツッコミを交互に行うという、新機軸の漫才を開発した二人だったが、流れの悪い会話にうんざりして、二人共ため息を溢しながら、アリスの整った顔立ちを再び眺める。
「本当、高嶺の花だよな」
「……かなりトゲがあるけどな」
休憩スペースで彼女に「そのまま死ねばよかったのよ」と吐き捨てるように言われた創太は、彼女の笑顔が甘いマスクだと疑ってしまう。
どう考えても、猫を被っているとしか思えない。
「ん?」
「ん?」
この失言により、放課後に控えているアリスとの校舎内ツアーが和馬にバレてしまい。
創太に怒涛の質問攻めをし、納得がいかないと和馬は2年3組の生徒たちが注目する中、亜貴先生に異を唱えた。
結果的に教室内の男子を全員敵に回してしまった創太だった。