(1)上野町大災害
10年前、突如としてこの上野町で起こった未曾有の大災害。通称上野町大災害は死者2万人、倒壊した建物は実に数千棟という甚大な被害を及ぼした。
当時の上野町の住人は一人の少年を残して全滅。救助へ向かった自衛隊はまるで町一つが丸々、怪獣に踏み潰されたようだったと証言している。
誰が見てもそこで何かがあったことは明白なのだが、被災地である上野町からは火災や地震の痕跡が一切見られなかった。
建物は倒壊しているだけで炎が燃え広がった形跡は無い。ならば上野町のみで起こった地震では? という憶測が飛び交ったが、東京地震センサーはその日、日本内での地震を観測してはいなかった。
故に地震でもない。
この謎に包まれた上野町大災害は幅広いメディアで取り上げられ、オカルト界隈では日本を代表する生きる都市伝説として盛り上がっている。
今日はその大災害が起こってから、ちょうど10年。10周年と祝う事では無いが、被災地の上に建てられたこの上野第一高校では、例年通り亡くなった方々への追悼式が挙行されている。
現在は全校生徒が集められ体育館で亡くなった方々への黙祷中である。
「……おい、創太」
目を瞑って黙祷している創太に、黙祷の意味を理解していないのか、和馬が小声で呼びかけてきた。
「……何だよ? 追悼式の途中だぞ、亜貴先生にバレでもしたら、ただじゃ済まないぞ」
創太は和馬の方に振り返らず、目を瞑ったままで答える。
創太の担任である亜貴先生は黒いスーツの似合う大人の女性だが、怒らせると幼少期から習っていた格闘技を使って叱るのだ。体罰が問題視される世の中でなんとも強気な女性だ。
それを知っているからこそ創太は最小限の声量で答える。亜貴先生のストレス発散の標的にされたい生徒などこの学校にはいない。
「お前、生徒代表の言葉を蹴ったって本当かよ?」
「……本当も何も俺がここにこうして、並んでいるのがその答えじゃないか」
代表の生徒に選ばれているのなら、他の生徒と同じように背の順で並ぶことは無い。そんな役を買ってしまえば、今頃はステージ裏で原稿を頭に叩き込んでいるだろう。
「お前以外に適役はいないだろ?」
性懲りもなく和馬は創太に話しかける。
「適役って……お前なあ、それ皮肉だぞ」
「違う違う、そうじゃないんだ。悪い、そう思ったんなら謝る! この通り!」
「声がデカいんだよ馬鹿!」
創太は前を向いたままなので、もちろん謝罪として頭を下げる和馬は見えない。しかし、背中に当たる僅かな髪の感覚から和馬がペコリと頭を下げていることが想像できた。
こういう素直な所が人気者の秘訣なのだ。和馬は良くも悪くも嘘はつけない真面目で明るい男だった。
「だいたいな、俺よりも適役な人間は少なからずこの学校にはいると思うぞ。災害で上野町の住人が一人の少年を残して全滅したとはいえ……」
「……」
和馬は反省しているのか黙り込むが、創太は止まらない。
「……この学校にも、亡くなった方々の家族や友人がいるかもしれないだろ? だから一概に俺以外に適役はいないだなんて安易に……」
「……」
「どうした? 急に黙り込むなんて、腹でも壊したのか……はうっ!?」
和馬の豹変に気付いた創太は恐る恐る振り返る。そして無表情のまま凍りつく和馬の背後で、ニコニコとした笑顔を向ける亜貴先生と目が合った。
和馬が先程見せた満面の笑みを軽く超えている。
反射的に恐怖を感じた創太はゆっくりと首を前に向き直そうとするが、首を戻し終える前に肩を亜貴先生にガッと掴まれ、列から外されると廊下へと引きずり出された。
格闘技を習っていたというのは伊達ではなかった。創太を引きずる亜貴先生は廊下に出ると、創太を片手で猫掴みにし、そのまま創太を両足で立たせる。
思春期食べ盛りの男子高校生を猫掴みにできるほどの怪力。何故この人は教師を務めているのだろうと疑問に思う創太だった。
*
「……新城、お前は何がしたいんだ? 追悼式の黙祷という大切な場で、悪友とふざけるなんて故人に申し訳ないとは思わないのか?」
体育館で追悼式が挙行される中、創太は廊下に立たされて、亜貴先生からの説教を受けていた。
「申し訳ないとは思いますが、俺も最初は静かに黙祷してたんですよ。和馬が話しかけてくるまで……」
「言い訳は無用だ! そもそも新城が和馬のちょっかいに乗っからなければ、私もお前を摘み出して説教するなんて面倒な事をしなくて済んだんだぞ」
「面倒なのかよ……」
教師という職業はよくストレスが溜まるそうだが、生徒本人にそれを言うのはきっとこの人だけだろう、とため息を溢し呆れる創太。
「公私混同ですよ、生徒に職業柄の愚痴を吐かないでください」
「新城に吐けなかったら、独り身の私は一体どこで愚痴を吐けばいいんだ? 私から安らぎの時間を奪うな」
「それが公私混同って言ってるんだよ!」
と創太がツッコミを入れるが、亜貴先生は悪びれることなく、指の関節をパキパキと鳴らす。
上野第一高校名物、亜貴先生お怒りのサインである。
「あぁん? 敬語はどうした敬語はぁ?」
「……です」
公私混同、権力濫用する大人が敬語には厳しいなんて、これはもう一種のパワハラでは? と、またもため息を溢し呆れる創太。
立場上仕方ないとはいえ、納得がいかない創太は地団駄を踏む。しかし文句を行動で示せば、今度は追悼式中に騒ぐなと亜貴先生に罵倒される。
逃げ出すことの出来ないアリ地獄。社会に出てから味わうであろう理不尽さを高校2年の6月に創太は感じていた。
「……はあ、やっぱり納得がいかない」
「それが大人になるってことだ」
「意味がわかりませんよ」
それから五分程度、創太が亜貴先生の説教(ストレス解消)に付き合わされていると、体育館の方から生徒代表の言葉が始まった。
代表生徒は大災害により身内を亡くし、その想いを全校生徒の前で語っている。実体験を交えている言葉一つ一つには重みがあり、廊下にいる創太の心にもその想いは響いた。
「……そういえば新城、お前どうして生徒代表の言葉を断ったんだ? お前以外に適役はいないだろ?」
体育館から聞こえてくる生徒代表の言葉を聴き入っていた創太に亜貴先生が問いかけた。
「どうしてみんな俺を適役だと考えるですかね、はっきり言って皮肉にしか聞こえないんですけど」
「新城には皮肉に聞こえるかもしれないが、普通ならそう考えるぞ、だってお前はーーー」
聞きたくないと、耳を塞ごうとする創太よりも先に亜貴先生は言い終える。己のコンプレックスであり、代表の言葉を断ったその理由を……。
「ーーーその大災害で、唯一生き残った少年だろ」
*
死者2万人の上野町大災害で唯一生き残った当時七歳の少年、それが新城創太だ。
自衛隊に救出された時、彼は被災地の中心で倒れていた。所々衣服が破れてはいたが、その身体に傷は一切無く、五体満足の状態で彼は保護された。
救出された創太は様々な精神的医療を受けたが、その質問の数々に彼は満足に答えることが出来なかった。
自身の名字や両親の名前、家族構成、創太という名前以外、大災害以前の全てを彼は忘れていた。
端的に言えば、記憶喪失である。
そして、家族、戸籍、身寄り。その他多くの物を失った創太は、隣町である下野町の新城家へと引き取られた。
現在は訳あって復興した上野町に戻って来たのである。しかし、この事実は上野町に住む住人の間では周知の事実であり、暗黙の了解として誰一人彼に話題として振ってはいけないのだが……。
「……それ俺には禁句って、職員室で教員たちが話しているのを偶然にも聞いたんですが」
「だから、新城と私以外誰もいない廊下で話しているんじゃないか」
と、まるで何も問題無いかのように主張する亜貴先生。
「まあ、話したく無いのならそれでいいが。私みたいに適度に吐き出しておかないで胸の内に溜め込んでいると、いつか潰れてしまうぞ」
「潰れるって、今まさに俺が先生のストレスの掃き溜めにされて、潰れかけているんですが……まあ、いいですよ。吐き出しますとも」
創太がスマホの画面に表示される時計を確認すると、時刻は12時35分。
追悼式が終了するには、あと10分程時間があるので、創太は暇潰しも兼ねて生徒代表の言葉を断った経緯を亜貴先生に説明することにした。
もっとも、ただ面倒だから断ったと思われるのは創太にとって不服だ。正当な理由があったのだと、早いうちに話しておきたい。
そうしなければ、また理不尽をこの先生に押しつけられてしまう。
「亜貴先生も知ってると思いますけど、一応俺は記憶喪失だったみたいで、災害以前の記憶が無いんですよ」
「それなら新城の担任を受け持つ前に、校長から直接聞いている。本人の前では絶対にその話を掘り返すなって釘を刺されたわ」
「じゃあ掘り返すな……です」
亜貴先生がタメ口に反応する前に口調を修正する創太。上野第一高校のこの鬼軍曹には、何人たりとも軽々しい言葉を使ってはいけない。
使った時点で即背負い投げだ。
「それで、記憶喪失の事と今回の代表拒否に何の関係があるんだ?」
「まあ、ぶっちゃけて言うと……疲れたんですよ」
「疲れた? 何に?」
窓の外を眺めて、遠い目をしながら創太は続ける。
「俺は下野町の新城家に引き取られて、とても良くしてもらいました。でも……歳を重ねるごとに俺は、知りたくなったんです」
新城家は創太を普通の家族として受け入れた。優しい義父に義母、そしてどんな時でも味方をしてくれる義姉。下野町で過ごした9年間は、失った7年間の記憶の溝を埋めるかのように充実した毎日だった。
しかし、記憶の溝は幸せを感じる度に広がっていく。そしてそれはひと時の満足感や幸福感では決して満たされることはない。
「……本当の家族や自分のことを」
だから、創太は過去と向き合う選択肢を選んだのだ。上野第一高校に進学するのと同時に上野町での一人暮らしをスタート、そして一年と少しが経過した。
「へえ、新城も割と色々考えているんだな。だが、そんな信念を持った男が何故に辞退したんだ?」
「だから疲れたんですよ……真実を探求することに、自分の過去と向き合うのに」
「うん?」
「当時の記憶を持っていない人間が、過去の自分を探すなんて、土台無理な話だったんですよ。復興作業で町の景観はすっかり変わって、災害当時の事を知っている人は全員お墓の中、記憶も記録も残っていない」
「……あ、もう到着したのね」
創太は自身の葛藤と努力を熱弁するが、肝心の亜貴先生はスマホを操作し始める。
「そうして何一つ結果を得られないまま、一年が過ぎ去って」
「うん……うん……」
亜貴先生は適度に相槌を打つが、創太の顔を見ずにスマホで連絡先の相手へ返事を打つ。
創太はというと窓の外を眺めながら話を続けるので、返信に夢中な亜貴先生に気づかない。
見事にすれ違う二人だが、不思議と会話は成立していた。
「最近では過去の事なんかキッパリと切り捨てて、青春を送るのも悪くないな、なんて思い始めて」
「そうだな、青春は学生の宝だからな」
「……大災害から10年目である今日をもって、綺麗さっぱり忘れてしまおうって、そう考えたんです」
だから辞退したのだ。
創太は過去を諦めて、未来を選んだ。
「ふん、そういうことね」
亜貴先生は創太にスマホを操作してた事がバレないようにそっとポケットに仕舞うと、後ろめたさから下を向く創太へ言った
「でも、それは逃げなんじゃないの?」
「……逃げ? そんなの言われなくてもわかってますよ、そうです俺は逃げました。でも、それの何が悪いんですか?」
創太は威圧的に答えた。
亜貴先生の言う通り、創太は逃げた。だが、悩みに悩んだ挙句の果てに諦めたのだ。決して、軽い気持ちで選択した訳では無い。
「悪いとは言ってない。ただ職務上、学生には逃げずに立ち向かえと、言わなければならん立場だからな。嫌でもこんな言い方をしてしまうんだ」
「……」
「私個人の考え方としては、逃げるのも諦めるのも否定しない。世の中、そういう奴ほど世渡り上手だ」
己の限界を理解して行動できる人間は総じて、波風立てずに真っ当な人生を送ることができる。
一足先に社会に出た人生の先輩である亜貴恭子には、それが身に染みてわかるのだ。
だから、創太の考えを全面的に否定したりはしない。むしろ正しいと、間違っていないと肯定する。
「だったら……」
「だが……そういう人間ほど、後悔の回数が多い。やらなくて後悔するより、やって後悔しろという奴だ。……お前はどっちだ?」
亜貴先生は創太の右肩をポンと叩く。もうじき式が終わると、会話を無理やり中断させた。
「……」
悩む創太を急き立てるように、再び黙祷の鐘が校内に鳴り響く。
*
「さ、追悼式も終わって普通なら他の生徒と一緒に教室へ戻る訳だが、新城には少し罰を受けてもらう」
「暴力は断固反対! 体罰問題で教育委員会に訴えますよ」
「お前は私を何だと思っているんだ」
生徒たちが列を作って教室に戻り始める中、創太は亜貴先生と一緒に廊下の隅に残っていた。
「罰って言うなら、和馬も同罪でしょ。あいつにも然るべき罰を……」
ゴンと亜貴先生の拳が創太の頭部を撃つ。
「うう、やっぱり暴力だった」
「違う、これは新城が馬鹿みたいに騒ぎ立てるからだ。罰は別に用意してある。それに和馬に罰を与えたところで、アイツの場合喜ぶだけだ。ああいう奴は、放置しておく方がよっぽど効く」
亜貴先生は困ったようにそう言った。その表情を見て創太は察する。亜貴先生でも和馬には手を焼くのだと。
「……だったら俺に何をさせるんですか?」
「ふふ、そういう諦めの早いところ、私は好きだぞ」
「思春期男子高校生に好きとか気軽に言わないでください。あと、さっき諦めるのは後々後悔するって話をしたはずでは?」
ずるい、矛盾していると創太は抗議する。
「細かい事は言わなくていい。ずるいのは大人の特権だからな。お前は職員室に行って私を待っとけ、罰はそれからだ」
これもまた理不尽だと、受け入れる他に無い創太はずるずると足を引きずって職員室へと向かう。
「何で俺がこんな目に……」
教室へと戻る生徒たちの視線に晒されながら、創太は職員室へと到着した。
忙しそうに職員室内で作業する職員たちを遠目に創太は、廊下の一部に設けられた休憩所の椅子に腰を下ろす。
亜貴先生が来るまで、少し時間を潰さなくてはならなかった。
「ううん……ねむ」
椅子に腰を下ろした瞬間、創太を睡魔が襲った。こんな場所で眠ってはいけないとわかっているが、これから亜貴先生の罰を受けるのだ。
少しばかりのご褒美があってもいいだろうと、創太は睡魔に身を委ねるが、
「あの、職員室はここですか?」
予想外の問いかけで創太は起こされた。
重たい目蓋を開けて、その声の主を見上げると、そこには金髪碧眼の少女が立っていた。