表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

前編 遊戯幻想 上

補足です。この章で活躍する皇剣吾は私は三十年も前、子供のころから妄想していた物語の主要人物です。アバターマジックオーケストラはこの妄想物語の外伝として書いたものなので、絶対に説明不足になってしまいますので、読まれる方がもし、いたのなら、先に謝っておきます。好きに書いてしまったせいで、説明不足になってしまいました。皇一族は時の権力者に侍り、凶星と呼ばれる巨悪と永遠に戦い続けなければいけない悲しい忍びの集団です。この物語で出てくる敵のゴーストはある理由から皇一族の頭領、皇源流斎とその義兄弟である皇剣吾の因縁の敵であり、呪われた彼らは二人を倒すことを宿願としています。この章まで来て、やっとやりたかった異世界転生ものになりました。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

重複掲載 この小説は電撃文庫大賞に応募中の作品です。


資    料


紀元暦(仮称アース界年表)   皇一族記録


八五〇年頃(詳細不明)

 明仁導師が平安京に現れ、怪が起こした凶事から民衆を救済する。

九〇〇年頃(詳細不明)

 明仁導師、後に「はじまりの四弟」となる四人の弟子を取り、秘伝の伝授を始める。

九〇五年頃(詳細不明)

 明仁導師、高弟の一人、源こと皇源流斎に奥義光波を伝授する。

同年

 明仁導師が隠遁、姿を消し、皇源流斎と高弟の一人、皇剣吾が平安京から旅立つ。

 皇源流斎・剣吾がアマテラスと接近、凶星と初遭遇、これを退けることに成功する。

 凶星の呪いを受けた皇源流斎・剣吾の二人が帰京する。

九一〇年頃(詳細不明)

 皇源流斉、皇異忍団を結成。

以後、為政者の守護者として、暗躍。


以下略


一九九九年

 皇翔吾が光波秘伝を継承する。

同年

 皇翔吾が楓忍隊の奇襲を単独で撃退する。

二〇四九年

 凶星が再度襲来、皇翔吾の敗北、死亡により秘伝伝承者が途絶える。

 異星人による侵略により、大破壊により、多数の国が亡びる。

二一一三年

 新世界政府である世界統一戦線の樹立、凶星への本格的な反抗が始まる。

二一二〇年

 皇諒が光波秘伝を伝承。

異世界人が旧ロシア連邦勢力圏と接触、後に皇諒の尽力により、凶星の手により精神汚染を受けた電脳の大賢者マルボラを開放、以降マルボラと異世界人は世界統一戦線を支持し、マルボラがアース世界のマザーコンピューターとなり、管理を始める。

皇諒が世界を旅し、八人の星の勇者を集め、凶星を撃滅する。

二一三〇年

 皇諒の実子皇四兄弟の三男皇ノエルが欧州の暗黒街の黒幕パルッチョが企図した世界統一戦線首都への大規模テロを制圧。

二三〇〇年

 四人の超人類が皇一族を絶滅させると超人類の破壊行為により、文明の大崩壊が起き、人類が絶滅する。



亜永立神聖帝国歴        出来事(帝国騎士スメラギ活動歴)

一年

始まりの三賢者と初代皇帝アドルによる建国

五年

大魔導サンが離反、火星へ移住する。

二二年

聖導師グイネスが教団を設立、帝国への内政干渉を開始する。

三〇年

大賢者マルボラが滅私し、マザーコンピューターとして始動する。

五〇年

初代皇帝崩御、二代皇帝イリアス即位

二五五年

大陸東部の未統治地域十三支族が蜂起、革命軍を結成する。

三〇〇年

革命軍統治地域から多数の労働移民が火星への宇宙移住を開始する。

三八〇年

帝国特殊兵器アームズの兵器開発責任者であった科学者エドハリがミカ・クルーエルと共に革命軍統治地域へ亡命、後に革命軍首都内の研究施設にて、対アームズ兵器である十種の限定特殊兵器の製造に成功する。


以下略


三九〇年

帝国騎士スメラギが白銀騎士団団長に就任直後に七代皇帝ソレス暗殺事件が発生、首謀者として、帝国騎士スメラギが浮上、冤罪を避けるためにスメラギは逃亡、後に皇帝暗殺計画の首謀者を炙り出すために対抗作戦として先んじて行われた皇帝による自作自演であったことが判明、マザーコンピューターマルボラを担ぎ上げようとした教団指導者が暗殺計画の首謀者であったことが判明、逃亡先から帰還したスメラギによって、断罪され、皇帝暗殺が阻止される。

三九一年

帝国騎士スメラギが革命軍の軍閥の大物リー大家と衝突、革命軍の帝国へ大規模侵攻を未然に防ぐことに成功する。

三九二年

帝国騎士スメラギが帝国を離れ、崩壊状態にあった隠密部隊『皇異忍団』を再結成する。

皇一族の敵性因子『ゴースト』の襲撃、スメラギによって撃退される。

帝国騎士スメラギが葵流剣術秘奥義『孤影』を伝授される。

三九三年

帝国依頼により皇異忍団が革命軍首都で自我によって離散、行方知れずとなったエドハリ製造の八種の限定特殊兵器の発見、殲滅を実施する。

同年

スメラギが失踪したエドハリの妻ミカ・クルーエルの捜索のため、帝国内からゲーム世界『オーガスト』への最初の転送を開始。

三九五年

スメラギがゲーム世界『オーガスト』から、パラドクスキューブを持って帰還。

三九七年

帝国内特別監獄施設からS号文書『封人』が異世界人の主導のもと脱獄。

スメラギが封人捜索のため帝国で開発したゲーム世界管理システムを基に作成した歴史記録観測装置を用いて、封人を発見するも確保に失敗。スメラギが観測作業の過程で装置使用の弊害で微細の歴史修正効果が発生することを突き止める。

スメラギが帝国白銀騎士団の団長として帰還する。

同年

帝国騎士スメラギと妻である同族の娘皇桔梗の間に双子が誕生する。

帝国黒騎士隊幹部ウラベの造反により、帝国内に仮死ウィルスが蔓延、パンデミックが発生する。皇桔梗が人質に取られるも、奪還に成功する。

四〇〇年

帝国騎士スメラギを頼り、未把握のゲーム世界の王が亡命、追手によって、逃亡中の封人が惨殺され、所持していたパラドクスキューブが奪われ、追手が帝国に到着する。

 

以下不明

 

登 場 人 物


小春うさぎ  

選令門の若き魔術士、プレディクトの予言によって、「魔力の集中」と呼ばれる現象から生まれた英雄。

皇若葉

   小春うさぎを憑代とする世界の防衛力と呼ばれる伝説の皇一族の末裔で女剣士。

皇剣吾

   選令門高等部の体術担当の講師で、学科試験として、学生達にゲーム世界への転送試験を課す。はじまりの四弟の一人で、皇源流斎と共に皇異忍団の創始者の一人。伝説の剣豪。

アニャン・カルナゴ・クニヒト

   選令門の魔術士、武芸百般と言われた伝説の武人カルナゴの末裔、多種の武器を使って戦ううさぎの保護者にして最初の師。

音聞可奈

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で運動神経抜群の活発な少女。

伊藤政通

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で博学の優等生。

村田頼母

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で武闘家、剣術を得意とする。

村田ユウリ

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で武闘家、杖術を得意とする。

エドガー・オットー  

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で冷静沈着な白人青年。

浅井相

   皇剣吾の厳しい訓練に嫌気がさし、選令門を去った男子生徒

枝戸張理宇(えどはりりう)(エドハリ)

   うさぎと同じ選令門高等部の級友で大きな秘密を抱える黒人青年。ミカと言う少女を探しに選令門へ現れる。

長老ユスフ

   ゲーム世界に長く転送中の魔術士、ドーヴォルク要塞の長で秘宝を管理をしている。

ミカ・クルーエル

   エドハリが行方を探している少女。

小春陽介

   うさぎの父でポラリス市内にある宇宙技術開発機構と言う研究機関に勤める科学者。皇剣吾と接点を持ち、選令門にも通じている。

折原鶴

   小春うさぎの恩人で選令門の先輩魔術士、虚数魔法の使い手で敵の襲撃に遭い、現在は

魔力を喪失している。

久坂翠(すい)(ぎょく)

折原鶴と同じく小春うさぎの先輩魔術士、自然魔法を得意とし、高名な司祭の娘で魔法

に詳しい。折原鶴と仲が良く、東丸透と交際している。

東丸(あずまる)透 

   折原鶴と同じく小春うさぎの先輩魔術士、魔法で作成した銃器の使い手。折原鶴とは幼

馴染、久坂翠玉と交際している。























午後四時丁度、十八人のゲームプレイヤーがゲーム世界へと旅立った。二十人の受験者の内試験を辞退した生徒が二人いたのである。誓約書にサインするのを拒否した生徒だった。

受験者達は大スペースの研究室内に一まとめにされ、医療用ベッドに寝かされ、全身にたくさんの電子機器へ繋がっているパッドを取り付けられた。ゲーム世界に転送中の肉体のデータを取るためと東部に取り付けられたヘッドギアはゲーム世界内に転送中の精神状態を制御するためのものらしい。これらの器具は受験者達が事前に飲まされた睡眠薬により、深い睡眠状態に入った後に、取り付けられた。学生たちに仮想空間内での探索作業であると誤認させないための処置であった。

ログイン作業は正常に終わると、生徒全員が向こう側の世界のある建物内の一室に転送され、目を覚ました。

「ここは食堂かな。部屋の中の内装と調度が豪勢な感じがする。ホテルの中みたい。」

小春うさぎは友人の音聞可奈に話しかけた。

「うさぎの言うとおり、確かにここはホテルっぽいね。」

音聞可奈はすぐに窓から外の景色を覗き見て、絶句し、すぐにカーテンを閉めた。

「何これ・・・動物が戦争してる。」

うさぎは可奈の元へ駆け寄り、窓の外を同じように覗き込んだ。

外では甲冑を身に付けた様々な動物が隊列を組み二足歩行で行軍をしており、ホテルへ向かって行進して来る。哺乳類、鳥類、爬虫類様々な種類の動物による混成部隊であった。

可奈が戦争と表現したのには理由がある。ホテルは小高い丘にあり、丘の下の居住地区と思われる場所が焼け野原となっていたからだ。

「このホテル、もしかして兵站の拠点として接収されたのかな?

あの兵士達はおそらく陸士なんだろうけど、殆どの兵士が軽装で歩いている。爆撃の後の被害状況の確認か何かで出隊して、その帰りかな?

下の街並みの状況を見たら、多分災害とかじゃないと思う。可奈はどう思う?」

可奈は地蔵のように目をつぶり、魂が抜けたように静止している。

「ちょっと、しっかりしてよ!試験は始まったばっかりでしょう?大丈夫だよ。先生ここで死んでも外では死なないって言ったじゃない?」

 試験官である魔術研究機関選令門の講師である皇剣吾の説明では転送中のゲーム世界内で死亡しても、うさぎたちのいるアバター世界で死亡することはないらしい。

「あんた、やっぱりどこかおかしいよ。感じないの?このリアル感!?

筋太郎の言ったとおりだわ。これはゲームとは名ばかり、他の世界に移動して来たのと全く同じだよ。

私達のいた世界と時間の進行速度が二十四倍も違うのよ?

ここで何らかの危難に遭遇しても、向こうの世界じゃあまりに短い時間で私達を助けられっこないじゃない。

それに試験説明じゃ、細かくレクチャーされなかったけど、私はアバターの私達は多分こっちの世界で起きた身体的異変はダイレクトに元の世界にも反映すると思う。

あの先生、記憶は持ち出せるって言ったじゃない?裏を返せばこっちの世界で起きたことは忘れないってとでしょ?ここで情報として書き込まれたコードが元の世界にいる本体にも同じように書き込まれたとしたら・・・

それに、魔法だって使えないみたいだし。外は戦場なのよ!海外旅行で遊びに来たのとワケが違うんだからね!?」

 筋太郎と蔑称を付けられた体術講師の皇剣吾は学生達には細かく試験の説明しなかったようである。辞退者の数を少なくするためであろう。

「可奈、落ち着いて!試験の説明では厳密な地点までは特定出来ないけど、ある程度転送先は予測出来るみたいなニュアンスだったじゃない?多分、おそらくここは安全な場所なんだと思う。」

「何で、あんたそんな涼しい顔してるのよ!?

私達はここであの野獣の群れに蹂躙されるに決まってる!!

見てよ、外を歩いてるあのケダモノ共を!あの二足歩行の馬は一体何!?あんなのにぶち込まれたら、もう、あたし!」

うさぎはいい加減にしろ、こいつ何を言ってるんだと思ったが、生徒の一人が可奈をなだめた。筋太郎のしごきにも全くへこたれなかった伊藤政通だ。

伊藤は高身長の細マッチョな身体に目鼻立ちのくっきりとしたイケメンで髪は黒色の髪をセンター分けのツーブロックヘアにした、いかにも育ちの良さそうな好青年である。

「音聞君、落ち着きたまえ。これは試験だ。この部屋の出入口の全てのドアと窓にテープが貼られてるのが分かるかい?

あれはおそらく結界魔術の代わりの様なものさ。」

伊藤は落ち着き払っている。興奮の冷めない可奈は伊藤に語気を荒げて反論した。

「何でそんなことが言えるの!?あなたここの世界のこと何も知らないでしょう?

かもしれないみたいな不確かな情報で気休めを言わないで!」

「確かに君の言うとおり、僕もここは初めてだ。けど、知っている知識で分かることもある。このホテルの内装を見て、君は何も感じなかったかい?この部屋は我々人類が築き上げた文明で完成した建築技術が使われている。見覚えのある電気照明もあれば、空調も効いている。この窓だって通気性をよくする材質のもので二重ガラスで防音性まで考慮されている。

たったこれだけの状況からでも判別できることはある。

この部屋自体が我々の世界で用意された転送先に相応しい安全な場所であること。それとは逆に室内がテープで目張りされ、目隠しされているところを見ると、おそらく我々はここでは招かれざる客だと思うがね。」

伊藤政通の講義は続く。

「窓枠に貼られたテープを見て欲しい。この目張りとして使われているテープには紋様が描かれている。」

伊藤の指摘の通り、テープには一見して魔方陣の様な紋様が描かれている。しかし、うさぎや可奈が知る限りでは見たことのないものであった。

「どうせ君達は進化学Ⅲの講義を選択していないだろう?次の学年で履修する選択科目だからね。しかも魔術知識に直結しないマイナーな科目だ。

単位を取るのにも履修範囲がとても広くて、試験の難易度も高い。効率良く進級するためには普通なら選択しない科目だ。

進化学Ⅲと言う科目はただでさえ高難度の選令門の履修科目の中でも私の様に更に向学心の強い生徒だけが選ぶ学問なのだよ。」

伊藤の自画自賛話へと話がやや脱線して来た様だ。うさぎは自分も含め、選令門の生徒は優秀だが、変わり者が多いと常々思っていた。うさぎは話題を元の軌道へ戻した。

「それで、その進化学Ⅲがこのテープと何の関係があるの?」

「僕はこのテープに描かれた紋様を見たことがある。僕の様な優秀な生徒しか選択しない様な進化学Ⅲの講義の中で・・・」

「で、どこでそれを見たの!?」

獣の隊列はホテルに向かって近づいている。

もしかしたら、魔法を使えるようにするための糸口になるかもしれないとうさぎは話の先を急かした。伊藤は思案に暮れている。どこで見たのか思い出せない様である。

「ちょっと、待ってくれ給え。今思い出すから。ウーン、う〜ん・・・すまない、ダメだ、やっぱり、思い出せない。」

「優秀なんでしょう!?お願いだから思い出してよ!」

「ごめん。」

伊藤は涙目になっている。うさぎは失望と苛立ちで大きく溜息をついた。可奈は相変わらず放心状態である。うさぎは壁に寄りかかっている枝戸張を見た。

枝戸張理宇(えどはりりう)はうさぎや可奈と同じく魔術研究機関選令門の高等部の同級生である。長身で、筋骨隆々の黒人の青年で整った顔をしている。だが、ひげ面でいつもしかめっ面をしているため、十七歳であるうさぎや可奈と同年代とはとても思えない老け顔であった。

普段から言葉数が少なく、余計なことは話さない。うさぎと可奈はエドガー・オットーと言う名の白人青年としか仲良くしているところを見たことがなかったため、枝戸張はクラスの中でも異質な存在として、浮いていた。

うさぎは枝戸張と目があった。

枝戸張は顎をくいっと部屋のドアの方向へ向けた。うさぎはドアの方へ視線を向けるとドアのすぐ傍に一匹の黒猫がいた。

全身から眩いオレンジ色のカラーを放っている。うさぎがこの猫を見間違える訳はなかった。

「まさか、アニャンさん!?アニャンさんなのね!!」

うさぎは黒猫に化けたアニャンをめいいっぱい抱きしめた。気丈に振る舞っていたが、うさぎも可奈と同様に本心では不安でたまらなかったのだ。

「苦しいって!あたしがここにいる理由は後でゆっくり話すから、取り敢えずここから

一刻も早く出るんだ。あたしは選令門から正式にあんた達を護衛するための用心棒とし

て依頼を受けて、向こうの世界であんた達より三十分早く転送されてこっちに来てるんだ。あたしは半日もこっち側の世界にいて、建物の外側もそれなりに探索したんだよ。

 こっちに向かってる獣の軍勢は人間を目の敵にして、見つけ次第片っ端から殺してる。このホテル自体は元々人間が使用していたものさ、今は敵の手に落ちて拠点の一つと

して使われている。この部屋にはこっちの世界の人間が立てこもっていたのさ。

今は、外へ連れ出されてどこかへ移送されちまった。見て分かるように連中は武装し

てるし、人間よりも敏捷で体力もある。あんた達の中でまだ魔法が使える奴はどうせいないだろう?

あたしはこの姿でいる時は多少は魔法が使えるし、人間の姿でも多少は戦えるから。ただ、あれだけの数の兵隊を同時に相手するのは正直無理がある。武器もないし。

ただ、ホテルの構造は頭に入ってるから、あたしが外へ案内する。とにかくここを出て、奴等から少しでも離れるんだ。

うさぎ達にとってはこれ以上頼もしい旅先案内人はいない。うさぎは可奈に状況を説明すると可奈は奇跡だ、奇跡だとうわ言を言いながら、大粒の涙を流し、いい子、いい子と言いながらアニャンの背中と後頭部を力一杯撫でた。



アニャンの指示に従い、アニャンの存在については秘したまま、うさぎは部屋にいる全ての生徒に向かってこの部屋から出るように進言した。

「本当に君はその動物と会話できるのかい?

確かに猫は人間に近しい動物だから霊格は高いし、魔法でコミュニケーションを取る者も多いがね。僕も動物との会話術はさわりくらいなら出来るんだ。このネコちゃんと少しお話しさせてもらおう。」

伊藤はアニャンを抱き抱えるとアニャンの瞳を見つめて、何やら唱え始め、しばらく時間が経った。

「あっ、ここってそもそも魔法使えないんだった。小春君、そもそも何で君はこの猫と意思の疎通ができたんだい。」

うさぎは切迫しているにも関わらず、伊藤のあまりに無駄なやりとりに呆れていたが、同時に伊藤の鋭い突っ込みに答えを窮した。

「おい、そこの素人のお坊ちゃん。お前、ポラリスから外へ出て、フィールドワークの

一つもしたことないだろう?」

初めて、枝戸張が口を開いた。

「進化学に目を付けた処までは良かったんだがな。犬猫ってのは万国共通で、独自に人間とコミュニケーションツールを持ってる賢い生き物なんだよ。人間サイドがただ解読出来てないだけでな。

人類が何らかの事情で生物の頂点に君臨しない世界線ってのも進化の過程で必ず存在していている。そうしたものは世界の表象に必ず現れる。高レベルの魔術士の中にはそうしたものを観測して研究している者もいる。そんなつまらない学説なんぞは全く関係なく、この猫は俺たちを案じて外へ出ろって意思表示してるだけだ。

悪い事は言わない、この猫に従ってここからすぐに外へ出るべきだ。俺は死にたくないからここを出る。小春、音聞、こいつの講釈を聴いてても時間の無駄だから、もう行くぞ。」

その渋すぎる容姿のせいか、枝戸張には存在そのものに妙な説得力があった。うさぎ達は取り敢えず、アニャンの導きに従い、建物の外へ出ることにした。



アニャンの動物的な勘は冴え渡り、建物の外へ出るための安全で最適な経路へと導いた。兵士達が入って来ないであろう収納庫のドアから表へ出ようとしたその時である。

うさぎが触れたドアノブに違和感があった。

誰かがドアの向こう側からノブを回そうとしてる?

うさぎと同様ドアの向こう側の相手も異変に気付いたのか、ドアは建物の外から勢いよく開けられた。

開け放たれたドアの向こう側には人間大の大ガエルの兵士がいた。大ガエルは獲物を捕えんと長くて太い舌を伸ばした。舌がうさぎに届かんとしたその瞬間、人間に戻ったアニャンが逆手に持ったナイフで舌を切りつけると大ガエルは奇怪な雄叫びをあげた。

「こいつ、応援を呼びやがった!あんた達、あたしがこいつを始末してる間に出来るだ

け遠くへ逃げるんだ!目の前の道を突き当たったら、左へ曲がった道をひたすら真っ直ぐ進むんだ。しばらく行くと人間の避難場所になっている塹壕がある。そこであたしを待つんだ!」

大ガエルは三本の大きな指で器用に装備していた機関銃を構えるとアニャンに向けて銃撃を始めた。アニャンは猫の姿に変わると銃撃を巧みにかわす。

「早く行け!」

アニャンはうさぎにテレパシーで話しかけると、うさぎはアニャンの指示通り駆け足で目の前の道を駆け始めた。他の生徒も後に続く。

「このすばしっこい、ネコめ!」

大ガエルは長い舌を突き出し、アニャンを絡めとろうとした。

「ナメんなよ、このブサガエル。」

アニャンは大ガエルに向かって疾走した。直線状に伸びた舌がアニャンに届きそうになった瞬間、アニャンは大ガエルの舌の真下を駆け抜け、大ガエルの腹に右前脚の爪を突き立てた。

「ゲロ!?」

大ガエルが首を傾げたその瞬間、その舌は真っ二つに割れ、その頭部から胸部にかけて大きな切れ目二つが現れると大ガエルは大量の血を噴き出し、仰向けに倒れた。

大ガエルは自分が殺されたことにすら気付かない程の素早い攻撃だった。大ガエルとすれ違う瞬間、アニャンの身体変質術によって巨大化し、鋭利な刃と化した右前脚の三本の爪が大ガエルを三枚におろしたのだ。

その頃、アニャンの上空には三羽の人型のカラスが滞空し、アニャンの隙を窺っていた。アニャンはそのことにまだ気付いていない。


アニャンは地面に現れた敵影を見て、初めて上空の脅威に気が付いた。敵は太陽を背にしている。三体の人形のカラスである。敵はアニャンが振り返ると同時に散開し、アニャンは陽光で目を眩ませられた。

「しまった!」

アニャンは右の前脚に違和感を感じた。

「動かない!?」

アニャンの右前脚は外見上に変化はないが、固定化された状態でピクリとも動かない。

アニャンは三本の脚で跳び上がり、大ガエルの死体の影に隠れた。

あのカラス達はこちらの能力を見ているに違いない。だから、爪の攻撃を警戒して絶対に近距離攻撃なんてして来ない。それに魔法が使えても黒猫の姿でやれることは限られている。アニャン自身が武器使用に特化した格闘術を得意とするため、多数の敵を同時に相手にすることが本来苦手なのである。四足歩行しか出来ない状態では、身動きも取れない。前脚の爪の攻撃も固定化によって封じられている。

「魔法さえ自由に使えれば・・・」

アニャンは魔法が使えない不自由が自身の戦闘にどれだけの致命打になったか痛感していた。

「こりゃ、ガチでヤバいやつだ・・・」

アニャンは小さくため息をついた。アニャンは視線を盾にしている大ガエルの背に移した。カラスの内一体が大ガエルの死体の背後に回り込み、アニャンの姿を捉えようとしたその時である。野球ボール大の黒い物体がアニャンの直上に舞い上がった。物体が舞い上がるのとほぼ同時、アニャンは元の姿に戻り、大ガエルの身に付けていた機関銃で舞い上がった物体の一部を掠めるように単射した。銃撃を警戒したカラスが飛行を止めた瞬間、黒い物体は大きく爆音を上げて破裂し、カラス兵は爆発に巻き込まれて、地表に倒れた。

大ガエルの腰部に巻き付いたバンドには手榴弾と機関銃の予備弾が備え付けられていた。アニャンはそこで、大ガエルが使っていた武器を活用することを瞬時に思いついたのである。一か八か敵を一体でも引き付けてから奇襲すると決心した。大ガエルの骸でカモフラージュしながら、残された前脚の爪で瞬時に大ガエルの機関銃の肩掛けと腰のバンドの一部を切り離し、元の姿に戻るや手榴弾を真上に高く投げ、固定化した利き腕の右腕で機関銃を固定すると、器用に不慣れな左手を使って機関銃で手榴弾のピンを狙い撃ちし、ピンを外した。

先の戦闘で武器の使用方法については理解していた。手榴弾を敵に向かって投げれば遥かに身体能力で勝るカラスに気付かれてしまう。こちらの姿が見える位置まで敵を引き付け、警戒心を多少緩めてから銃撃音で威嚇、前後不覚になったところを爆撃で始末する。

アニャンの思惑通りに事は運んだ。

「取り敢えず一体。まだ、手は動かない。始末したカラスが術を掛けた奴じゃない。」

アニャンの利き腕である右腕は動かない。

「カエルちゃん、ありがと!」

アニャンはカエルの骸にウィンクすると駆け出し、すぐ傍の雑木林に身を隠した。

アニャンは雑木林の中を突き進んだ。カラス達から身を隠す事は難しいが、こちらにも武器もあれば、樹々が遮蔽物にもなる。敵の応援がやって来る前にこの場をやり過ごすことに集中した。アニャンはこの地に先行して転送され、うさぎ達を迎え受けるためにホテル周辺の地理を把握するために一通り探索している。

雑木林を突っ切れば川縁へと出る、その川はうさぎ達の行く道筋と平行する様に走っている。アニャンは潜水には自信がある、川まで行ければ、川の流れに従って泳ぎながら移動し、うさぎ達との合流を目指し、行動していた。合流前に可能ならば追手を片付けたいとも思っていた。

数分移動した頃、微かにだが、川の流れる音が聴こえ出した。音の進む方へとアニャンは迷わず進む。その瞬間、アニャンの死角から風切り音が聴こえた。敵の不意打ちである。常人の身体能力なら間違いなくアニャンはここで命を落としていたことだろう。アニャンは手負いの右手で中距離から放たれた攻撃を受けとめた。

アニャンは風切り音を聞いた瞬間、それが真空波、つまりかまいたちであることを察した。また、敵の攻撃の特性として攻撃された右腕は物理的に固定化され身動き出来ないようにさ

れているばかりでなく、敵に近づけば近づく程、硬質化することも逃走中にアニャンは気付いてもいた。


「やはり人間だ。コイツ、魔法を心得てる。あの爪もある、不用意に近づくな。」

「了解、俺があの人間から更に身体の自由を奪う。応援が来るまでじっくりやるぞ。」

カラス達はその種特有の通信方法で意思の疎通を図っている。

突風が吹き荒れると雑木林の樹々が乱雑に切断され始めた。カラスは手当たり次第攻撃し、付近を丸裸にするつもりらしい。アニャンは当然のことながら身動きが取れない。カラスも薄暗い雑木林と樹木の陰に姿を紛らわせているため、こちらからは視認することができない。

アニャンも猫に姿を変え、姿勢を低くして、身を隠している。

「応援が来て、ここを焼き払われたり、空爆されるようなことがあれば、それで終わりだ。敵は見た目はアレだが、近代的な文明と戦争能力を有している。

それにモラルに欠ける節がある、敵の捜索など生ぬるい事はせず、躊躇わずに大きな攻撃を仕掛けて来るだろう、あの焼野原になった街並みを見れば分かる。

先ずはあのかまいたちの方をどうにかしなければ、相手の行動力を奪う能力を持つ方

はこちらに仕掛ける前に必ず、何かしらの行動に移る。」

アニャンは大ガエルとの戦闘の最中にこちらの身体の自由を奪わなかったことに理由があると確信していた。

「敵がすぐに行動出来なかった理由は恐らく、魔法詠唱に時間を要するからだ。あのカエルが飛び道具を持っていたのもおそらくそれが理由。あの長い舌による攻撃は身体変質術を使った捕食行動・・・恐れるな、敵もこちらと同じような戦い方をしている。奴らの詠唱が終わる前に片を付ける!」

アニャンは起き上がり、攻撃に転ずる構えを見せた。

雑木林の中は真空波が飛び交っている。一度切断された樹木が複数回切断され細切れになり宙を飛び交っている。猫の姿のまま伏せっている事は自重の軽さから最早、難しくなっていた。

「時間は稼いだぞ、手足の一本でも捕まえれば、身動きは一切取れまい。これから地面

を風で薙ぎ払う。あの人間は地を這っていても、嫌でも跳び上がらずを得まい。

猫の姿だろうが人の姿だろうが、視界に入った瞬間、術を発動させろ。詠唱は済んだ。待機状態に入っている。発動はいつでも可能だ。すぐにでも合図を出せ。」

通信の終わった三秒後のことである。雑木林の中の気流が一瞬だけ止み、轟音と共に巨大な二つの真空波が相対する方向から地を薙ぎ払うように発せられた。

「奴は跳び上がって来ない。しめたぞ!今の攻撃で、敵を仕留めたか、周囲を確認しろ!」

かまいたちの遣い手のカラスがもう一人のカラスに指示を出したが、返事がない。

「どうした!?返事をしろ!」

返事は未だない。カラスに言い知れない恐怖が生じた。

「何かは分からないがしくじったのか。」


「おい、後ろを見てみろよ。」

アニャンが低い声で凄んだ。

カラスが振り返ると、切断されたカラスの首を振りかざしたアニャンが人に戻り、至近距離に立っていた。アニャンからの無慈悲な殺気を感じ取ったのかカラスは既に戦意を喪失し、死を悟っている。

「あの真空波の嵐の中、お前は一体どこにいたんだ!?」

「これから死に逝く者にわざわざ答えてやる必要はないんだけどねぇ・・・

教えてやるよ。あたしは飛び交ってる木の枝や樹木の幹に隠れながら、お前らが御丁寧に移動することもなく突っ立って詠唱している間、姿を猫に変えて、ずっと地に足をつくことなく滞空してたのさ。

風が強まってからはこのカラスが固定化した腕から爪を長く伸ばし、木の幹に爪を突き立て、身をかがめて姿を隠しながらね。

こちらからすれば、お前らみたいなのはただの動かない的さ。最後の方はお前らは術の発動に気を取られたり、地面に目を奪われて、あたしがどこにいるかなんて、気にも留めていなかっただろう?

魔法ってのは場に応じて器用に使いこなすのがクールなのさ。あんたら、数の優位と魔法の戦力差から技に溺れたねぇ。そう言う時は死神がこっちを向いて微笑んでる時なのさ。」

そうアニャンは捨て台詞を吐くと、手持ちの銃で目の前の敵を蜂の巣にした。



うさぎ達はアニャンの指示通り、全速力でホテルから遠ざかった。体術が体力増強の基礎訓練に限定されていたこともここで皆が理解した。

転送後、魔法による攻撃手段を失った状態で敵と接触するのは極めて危険であり、要は危険を避けるために逃げ足を速くし、そのペースを長い時間維持出来るようにするための訓練を筋太郎から受けていたのだ。あのしごきにはきちんと意味があったのである。

うさぎ達は行き止まりまで来るとそこは山裾であり、整備された防空壕の入口が幾つか点在していた。人がやっと通れる大きさの穴もあれば鍾乳洞の入口のように車両は物資を運び入れることのできる大きな入口もある。大きな入口には門番の人間が立哨警戒していた。

救助を求めようとしたうさぎを伊藤政通が止めた。

「姿が人間だってだけで、信用して本当に大丈夫なのか?あの猫と合流するまで待つべ

きだ。あの猫が君達とどう言う関係か知らないがここで息を整えて、合流し、この世界のことをちゃんと聞いて確認してから、あの門兵に助けを求めても良いんじゃないか?  

それに、どうして君だけ、この世界のことを少しだけ知っているんだ。これは公平に執り行われるべき試験のはずだろう?」

この男はその後もペラペラと何かつまらぬことを言っているようだったが、うさぎの耳にはもう入っていない。

「あぁ、ウザったい!」

うさぎは心の中で独り言ち、答えに窮していた。うさぎ自身、断片的な情報しか与えられておらず、しかも、それを伝えても、周りのものをより混乱させるだけだったからである。

伊藤の意見は理路整然とした真っ当なものであったが、殊にこの緊急時にあっては煩わしい以外の何物でもなかった。この男はとにかく面倒なのである。つまらぬ意地を張り、空気を読まず、逆張りをして自分の意志を通そうとする。どこにでもこう言う奴はいる。

気が付けば枝戸張と可奈がいない。枝戸張はよく分からない男だが、うさぎはホテルでの彼の言動を見るに決して悪い奴ではないと感じていた。それに、この世界のことを何故か知っているような感じを受けた。姿を見張れと言われたが、それどころではない。それより、可奈はどこへ行ったのか。

「ヘルプ!ヘルプミー!ギブミーウォーラー!ギブミーウォーラー!」

伊藤の話を全く無視した可奈が妙に流暢な巻き舌を使った英語で助けを求めながら、門兵に近づき、話かけていた。可奈は我々の方を指差し、ジェスチャーで門兵に我々が遭難し、助けを求めていることを伝えていた。可奈のジェスチャーは動きが大きく、意図していることをうまく表現出来ている。よっぽど不安で喉が渇いていたのだろう。門兵を全く警戒していないようである。

門兵しばらくすると満面の笑みで、うさぎ達を呼んだ。

「おーい!みんなぁ!こっちだよぉ〜!私達のこと助けてくれるってぇ〜!」

「ここでアニャンさんを待とう。」

うさぎはアニャンの身に不安を感じながらも、その一方で避難場所に無事たどり着いたことに安堵していた。



アニャンが雑木林を抜けようとした時である。雑木林の外を見やると、多数の兵士が雑木林の外に配置され、川の中には水棲生物の兵士がアニャンを探し、ウヨウヨしていた。

「参ったな・・・これじゃあ、今、外に出て行くのは無理だ。本格的な捜索が始まれば

見つかるのも時間の問題だし、投降するなんてあり得ない。どうするか・・・」

アニャンは思案に暮れていたその時、背後に人の気配がした。

そこには枝戸張が立っていた。

「あんた、ホテルの部屋の中にいた学生だろう?一体どこから!?」

「お前を助けに来た。ここからすぐに脱出するぞ、助かりたければ、俺の手を取れ。」

アニャンは枝戸張に害意が無いことを感じ取り、迷うことなく彼の差し出した右手に捕まった。ほんの一瞬のことである。アニャン達はうさぎ達のいる防空壕の傍へ移動していた。

「ここは!」

アニャンには見覚えのある場所である。

「安心しろ、小春達はもう中へ入ったようだ。」

「どうして、あたし達を助ける?」

アニャンは枝戸張に問うた。

「お前を死なせたら、小春や音聞が悲しむ。向こうはどう思ってるか知らないが、一応

苦楽を共にした級友だからな。それにお前が一番この状況を理解し、話が通じそうだ。」

「話って何よ。」

「俺達は利害が一致している。小春にはやってもらわないといけないことがある。

途中退場は困るんだ。だから、お前には小春を守ってもらいたい。」

「言われなくても、あの子達はあたしが守るわ。そのために志願して、こんな所までや

って来たんだもの。それより、あんたに聞きたいことがある。あんた、ここへ来ても魔法が使えるでしょう?その理由をすぐに教えなさい!」

アニャンは枝戸張に詰め寄った。

「俺が使っているのはお前達が使っている魔法と仕様が少し異なるものだ。

さっき手を握った時に、お前には上の世界と同じように魔法が使えるように身体を整

えてやった。身体に変化を感じるだろう?」

枝戸張の言う通りである。アニャンは全身に魔力が漲るのを感じていた。

「お前が何を考えているかは分かっている。俺から魔法について何らかの情報を引き出したかったようだが、断言する。

折原鶴は今のままでは、どの道この世界へ連れて来られても魔法は使えるようにはならない。仮に俺が失われた魔法をここでは使えるようにしてやっても、上の世界では元の通りに魔力は戻らない。」

アニャンの心の中は何故か分からないが全て見透かされている。

「ただ、ここから技術や知識は持ち出せる。生きてこの世界を出て、これを持って、折原鶴に会いに行け。」

アニャンの頭の中に急激にあるイメージが浮かび上がり、先程戻った魔力が大きく変質するのを感じた。身に付けている衣服、装備全ての存在をダイレクトに感じる。接する物体と同化する。異質な感じだが、一言で言うなら、高度な感覚で物に触れている感じがする。

「これは?」

「折原鶴が今必要としている物だ。説明するのは難しいが、俺はゲームメイカーと言う能力者で世界を創造する能力と指定した個体に能力を付与する力を持っている。先程、お前の肉体に与えたものはここでの魔法の使用権限とその使用権限を更に他者にも付与できる能力、それに加えて魔力を固定化したり、付着させたりする機能だ。この能力を外の世界へ持ち出し、折原鶴と接触できれば、きっと役に立つことだろう。」

「あんた、主に近しい高次の存在なんだね。だから、鶴のことまでお見通しなわけだ。」

アニャンは素直に枝戸張の話を聞いている。

「小春にも同じ感じを受けたが、やはり、お前も察しが良いな。あいつはとても柔軟な感性を持ち合わせている。

納得したぞ、あいつの感性を磨いたのはお前だったのか。ゲーム世界について、どこまで知っている?それなりの事情を知ったからこそ、小春の危機を察知してここへ来たんだろう?

選令門のお偉方はお前のような腕利きの傭兵にはきちんと事情を説明したはずだ。」

しばらくすると、アニャンは話し始めた。

「あたしがあの子達と同じように選令門で学生やってた頃、全く同じ試験を受けさせられたんだよ。夢のような体験で、現実に起きたことかどうかもはっきりと覚えていなかった。うさぎのお父さんと皇って先生から話を聞かされた時、この世界のことをおぼろげながら思い出し始めた。

そして、この世界へやって来てはっきりと思い出した。あたしはここへ来たことがあるってね。これは選令門の仕組んだ何かのプログラムなんだろう?あたしが以前ここへ来た時にはこの世界は人間だけしかいない場所だった。何故、こんなことになったのか。」

「この世界は元々、俺がゲームメイカーとしての技術を身に付けるために作った習作の人造世界だ。今はお前達アバターにも転送できるように開放している。

選令門は優れた若い魔術士を試験と称して、時折、この世界へと誘っていた。強い自我を持ち、二つの世界を橋渡しする者を選出し、今も組織的にこの世界へ魔術士を送り込んでいる。その目的はこの世界から知恵や技術を持ち出すためだ。お前もきっと同じ理由でここへ送られてきた若い魔術士の一人だったんだろうな。」

「あなたは主に類するもの、そしてアバターは超常なる存在と既に接触している。あたしは見たくも無いものを沢山見て、生きてきた。

だから、薄々は気付いていたのよ。主の正体に。主は神と同義ではない。私達からすれば完璧に近いけど、決して全知全能なんかじゃない。」

「きっと、お前は聡明すぎて、選令門で記憶を消されたんだろうな。今、何者からか侵奪行為を受けている。悪意を持った何者かがコードを書き換えたからだ。そのせいでこの世界に秩序をもたらすはずの守護者がいなくなってしまった。」

「守護者って?」

「皇一族さ。彼らの存在は世界の防衛力を象徴する正義そのものだ。

この世界にいた皇一族は、とある理由からこの世界から姿を消した。小春がしばらくここへいれば、世界はバランスを維持することができる。

その頃、上の世界では別の守護者が鬼退治をしているだろうさ。」



うさぎ達が転送されてから、現実世界では十分が経過しようとしていた。皇剣吾はうさぎ達のいる研究棟のエントランスに設置された。一人分のスペースの休憩用デスクに備え付けられた椅子に腰掛けていた。デスクには皇の愛刀である長刀峻険が鞘に収められ、立て掛けてある。

「間も無くだな・・・嫌な気配を感じる。」

出入口の自動ドアが開くと、画面に奇妙な幾何学模様の紋章が入った仮面をつけた黒装束に

甲冑を着けた一人の刺客が現れた。

「ざっと見たところ、紋章の数は仮面に五、胴体に三、右大腿部に一、左脚部に一、計十個か。単体でもそこそこやるレベルだな、こりゃ。」

剣吾は刺客の身体に刻印された紋章の数を瞬時に数えると独り言ちた。

皇一族の天敵であるゴーストは忍びの掟に従い、同族ながら因縁の敵同士である皇剣吾とその朋友、皇源流斎を始末するため、長き過去から事あるごとに襲撃して来た。

ゴーストは元々皇一族の始祖である皇源流斎が結成した隠密衆皇異忍団の残党であり、皇流忍術には秘奥義光波の伝承を限られた継承者にのみ伝承する掟があり、それに異を唱え、本流と袂を分かった分派が本流に成り替わろうと武力衝突に至ったのがゴーストのルーツである。その武力衝突の結果、呪術返りしたゴーストは異形の集団と化した経緯があり、ゴーストにとって自分達に呪いの足枷を課し、歴史の闇に一族を封印した皇源流斎と剣吾の二人は皇流忍術の始祖であり、憧憬の対象であり、最大の敵なのである。

ゴーストに刻まれた紋章はその数が強さの指標となっている。過去に確認された最大の紋章持ちのゴーストはこの物語とは未だ関わりない別世界の帝国騎士スメラギが倒した紋章九個持ちのゴースト、スメラギ・ガクである。

ゴーストの特徴として、素顔を隠すために身に付けた仮面と紋章が弱点になりがちと言う点がある。紋章が増えることは同時に弱点が増えることを意味するが、それを補って余りあるほどに紋章が増えると強さが倍増するのである。帝国騎士スメラギは父でありゴーストと化したスメラギ・ガクを死闘の末に倒した。それはまた、別の物語である。

ゴーストは腰を低くし、両脚を大きく開き、両手を広げ、掌を上に向けた、いつの間に取り出したのか、両手には山積みになった護符が積まれている。ゴーストが念じると両手の護符が猛スピードで剣吾に襲い掛からんと飛び立ち始めた。護符はそれぞれが意思を持つかのように不規則な動きをしている。

剣吾は素早く太刀を抜き、飛んで来た護符を一刀両断にし、分断された一枚の護符を串刺しにし、その護符を注視した。

「コロシテヤル」

護符から怨さの声が響くと護符から小さな武者が現れると剣吾を弓で射抜こうとした。

ほぼ同時のことである。エントランスじゅうに舞い上がった護符から浮き上がった無数の武者が剣吾に向けて、同時に弓を放った。

矢の長さは約五センチ、武者の数は五十にも及ぶだろうか、一斉に武者達の放った弓が射出された。剣吾は右手に握った太刀を左から右へ払いながら、頭を低くし、超高速の運足で音も立てずに右前へ移動すると今度は腰を切り返し、今度は体の向きを真逆に変えると元の位置から若干ずれた逆の方向に素早く剣を突きながら、移動した。

時間差で的を見失った無数の矢が地面に突き刺さると剣の切っ先には顔の覆面に一つの紋章を付けた黒子の胸の急所が刺さっていた。剣吾の左手の人差し指と中指の間には直径0.5ミリ程の極細の針が挟まっている。

「護符の兵隊は陽動、本命は死角から撃ち込むこの毒針か!この程度の攻撃で俺を殺ろうなんざ、へそで茶を沸かすぜ。」

「ツカマエタ。」

黒子は自分から前進し、太刀に深く刺さりに行くと、太刀の根元を両手でがっちりと掴んだ。剣吾は物凄い力で突き出した剣をそのまま斬り下げ、黒子を真っ二つにし、太刀を黒子の股下から引き抜くと、黒子は倒れた。

「ツカマエタ。」

地面から声が聞こえる。

「影か!?」

「ツカマエタ、モウオソイ。」

剣吾の両脚を一本ずつ、二体の影の黒子が捕まえている。宙を舞う護符の武者達から既に矢が放たれている。

剣吾は超高速で捕まえられた脚を軸にして背をつけるようにして反り返ると両手に持った太刀で弧を描くように全身を使って更に高速で剣を振り始めた。剣吾の動きから下から上へと旋風が吹き上がる。武者の放った小さな矢は旋風に吹き上げられ、一本の矢も剣吾まで届かない。

剣吾が動きを止めると旋風は止んだ。

剣吾の手に太刀は握られていない。太刀はエントランスの天井の照明付近に突き刺さっており、切っ先には黒子が刺さり、釘付けにされている。

「影縛りの術ってのは術者は光源の側にいるってのがセオリーだろ。

そのくらいは剣術が専門の俺でも知ってる。

お前、紋章十個も付けてるんだろう?もうちょっと俺を楽しませてくれよ。」

剣吾が念ずると天井に突き刺さった太刀が剣吾の手元に戻ってきた。影縛りの術が解けても、足下の黒子は未だ必死に剣吾にしがみつき、極細の針を剣吾の脚に突き立てようとしていた。剣吾は物凄い勢いで二体の黒子を蹴り上げ、蹴散らした。壁に打ち付けられた黒子は二体ともその衝撃で即死している。

ゴーストは両手で印を組み、短く念ずると、地に落ちた護符から人間大の武者が這い出し始めた。武者の両肩には紋章が一つずつ付いている。

「数はざっと二十騎と言ったところか、正面切って合戦スタイルで挑んで来るとはな。」

ゴーストは無言のまま、両手に小太刀を抜刀した状態で十字に構えている。

「先程からの様子を見ると、護符の武者は完全に自立して動くみたいだな。しかも一人の術者を中心とした緻密な戦術に則った戦闘法を貫いている。

兵士一人に限っても相当練度の高い訓練を受けていると見える。数も結構いる、それに不意打ち専門の黒子の伏兵の相手が地味に七面倒臭い。

今回の奇襲は随分と本格的だ。どれだけの手練れが潜んでるか知れないが取り敢えず、あの頭の術者を片付ける。後のことはまた考えるとするか。」

剣吾は頭の中で戦術を組み立てている。

「そっちがストロングスタイルで来るなら、こっちも御期待に応えるぜ。」

剣吾は一度正眼に構えると腰を低く落とすと次は右下段に構えた。

皇流剣術の奥義の一つ『音速剣』の構えに入ったのである。剣吾の剣術は真っ正直の剣であり、音速剣はその名の通り、音速を超えるスピードで直線的な動きで相手に近付き、最大の力で相手を斬り伏せる一撃必殺の技である。

敵は必殺の一撃をくらった後で、風切音を聞き、そこで初めて自身が斬られたことを知覚するのである。剣吾がこの技を使う時、二の太刀については全く考えない。次の挙動をイメージすると、判断に迷いが生じ、決断が鈍る。剣吾がこの技を使う時は必ず相手を絶命させると言う強固な意志で臨む。そうでなければ、音速剣が必殺技としての意味をなさないからである。

剣吾は約二十メートル先正面にいる敵に向かって通常の最高速のスピードで大股で駆け寄り、横一閃にゴーストを薙ぎ払った!風切音が後から続く!

「この手応えは!?しまった!?」

剣吾が斬ったゴーストは二つに切断された等身大の護符へと変化した。

剣吾の頭上の死角わずか数メートル離れた所から剣吾を串刺しにせんと、二本の小太刀を逆手に構えたゴーストが襲い掛かろうとしていた!



剣吾はゴーストの小太刀が届く寸前、軸足と反対の足を素早く引き寄せ、屈伸し、身を屈めると超高速でゴーストのいる方向に体を捻らせながら敢えて後向きに跳び上がった。

剣吾はゴーストの懐に入ると、猛烈な勢いで衝突した。ゴーストは剣吾の決死の当身を食らって後方に吹き飛んだ。

ゴーストは胴体の紋章付近を抑えて膝を着き、痛みから立ち上がることができない。

「おー、危ない危ない。こいつ、音速剣に対応出来るだけのスピードで動けるのか。

けれども、流石に後ろに飛んで来るとまでは思ってなかったろ?」

剣吾は一度前進する際、音速剣を使用し、ほんの僅かな時間で呼吸を整えてから、短いスパンで更に音速剣を使ったのである。音速剣は基本、直線的な動きしか出来ないが、相手が確実に進行方向kにいるなら、連続使用も効果的に作用する。必殺の音速剣は剣技だけに止まらない。

ゴーストは弱点である胴体の紋章部位にピンポイントで肘鉄をくらったのである。

頭領のゴーストを庇わんと武者達は一斉に剣吾の元へと向かって来た。矢を射掛ける者、太刀を振るい駆け寄る者、槍を突き出し後方の支援に回る者、統率の取れた戦い方を習得している手練れの集団のようである。剣吾は面倒なのか適当に剣であしらっている。

「ここでは、魔法が使えるんだっけか、こう言うのは柄じゃないんだがな。

なんかズルしてるみたいでよ。だが、せっかく上の世界の連中もデータぶち込んでく

れたみたいだから試しに使ってみるか。

まっ、お前らもこれだけ寄ってたかって大人数で一人をいじめようってんだから、ちょっとくらいのズルには目を瞑ってくれよ。

イメージはそうだなぁ、昆虫・・・カブトムシ、クワガタ・・・こんなもんか。」

剣吾は目を瞑り、自身の姿を仮象の姿に強く夢想した。すると、両腕の付け根から節くれだった二本の腕が生え、背中に二枚の羽が生えて来た。頭には一本の黒光りした長い角が生えている。全身の皮膚は硬くて黒い装甲に覆われている。これらの変化は身体変質術によるものである。これだけの変化を及ぼす術なら本来は相当な技術と手間がかかるのだが、そこは戦の天才のセンスが為せるものなのだろう。剣吾は全身を見回した。

「なんじゃこりゃあ!?おいこれ、ゲーム世界用の能力だろ!?ちょっと待て、お前ら、休む時間くれてやるから、ちょっと調整させろ!」

剣吾は両手で武者達を制止し、背後にいる術者に声を掛けた。これも、武士道精神によるものなのか、お互い睨み合いの状態になった。

「それにしても、お前、なかなかやるな。俺の音速剣に通常速度で付いて来られるってんだからよ。自分で自分を褒めてもいいぞ!

二刀の小太刀、モチーフはアイツか?ゲンの野郎は人気あるからな。

これだけの忍びの術を使うってのに、お前らつまらない意地に固執しやがって・・・消しちまうには惜しいなぁ。どうにかならないものなのかね。」

剣吾の姿はいつの間に姿が変わっている。頭の角と背中の羽根がなくなり、幾分か人間に近い身体に見た目が寄り、左手にはクワガタのアゴのような形をした刀を手にしている。剣吾は屈伸運動を二度ほどすると深呼吸した。

「よーし!続きをやるか!」

剣吾は武者達からの攻撃を避けることもなく相手の攻撃を一切気にせず、斬って斬って斬りまくる。武者達は剣吾の動きを止めようと団子になって取り囲もうとしたが、剣吾は近づく者は全て両手の太刀で無雑作に斬り刻んでいる。遠くから放たれた矢も分厚い装甲に阻まれ、全くダメージを与えられない。あっという間に武者達は一人残らず切り捨てられた。

「これで、わちゃわちゃいたのはみんな片付いたな。後ろで一息付く時間をちゃんと作ってやったんだ。次は何で俺を楽しませてくれるんだ。」

ゴーストは武者達が斬られている間ずっと印を結び、次の攻撃に備えていた。

「お前、影が無いな、分身か?本体はどこへ行った?」

剣吾に嫌な予感が走った。もし、ゴーストがゲーム世界に転送されることがあれば、うさぎ達が全滅することは免れないだろう。ゲームメイカーのエドハリに限っては向こうの世界で死ねば、データそのものの存在であるこちらのアバターごと死ぬ。その段階でプログラムの管理権限が襲撃者に委譲されるか消失する。

「アイツにはここまで骨を折ってもらったんだ。ここで俺が踏ん張らないとな。こっちの世界に迷い込んだ連れのお嬢さんも探してやらなきゃいけないしよ。」

それにしても、お前達、必死だな。光気の一つも使えない小娘相手にここまで本気で殺しにやってくるんだから、生かしておけない理由があるんだろう?

さっさと影のお前を斬り捨てて、本体の所まで行かせてもらうぜ。」

ゴーストがまた、護符を取り出した。何か術を発動させようとしている。

「もう、其れ飽きたわ。」

剣吾はゴーストの前へ音速剣で近づくと、ゴーストの残りの紋章に両手の剣で突きを繰り返した。

術を唱える間も無く、ゴーストは絶命し、その場に倒れ込むと姿を消した。


先のゴーストの術者本体はうさぎ達が眠る実験室のドアを開けた。中はもぬけの殻であり、全く別の部屋と繋がっている。ゴーストは中に入り部屋の中を見回している。背後からドアを閉める音と声が聞こえた。

「ここに目当ての小春うさぎはいねぇよ。このドアは別の部屋へ繋がっている。お前達がどう足掻いたところで元の場所へ帰ることが出来ないほどの遠い場所にこの部屋は存在している。

バックドアとか言う魔術だそうな。上手い具合にこの部屋へ入ってくれた。

お前らは徒党を組んでやって来るのに俺一人だけで、素直に待ち構えてるわけないだろう?

かと言って、このアバター世界の住人の命を軽く見るのも気が引ける話だからよ。連中にも協力を仰いだのさ。悪いが他の仲間に小春うさぎを襲わせようとしても無駄だ。

侵入者対策でこの部屋に異物が入った時点で、転送者達の眠る元々の部屋自体がこの建物とは別の建物の中にある全く同じ構造の別の部屋とすり替わるようになっているそうだ。転送者がどこへ行ったかは俺も知らないがな。これは虚数魔術とか言うものらしい。どう言う理屈でドアの先が別の場所になったり、部屋の中身そのものが入れ替わってるのかはよく分からないが、簡単に言うと、俺がお前をここへ釘付けにしている間は眠ってる連中を直に襲う事はできないって事だ。

はっきり言っておく、俺はお前達なんぞに絶対負けないからな。覚悟しておけよ。」

剣吾の身体変質術はいつの間にか解けている。剣吾は正眼の構えを取った。

ゴーストは直立し、印を結ぶとしばらくして、全身の周りに陽炎がゆらゆらと立ち始めた。陽炎は暗い色を帯びている。この陽炎はゴーストが使う闇の闘気によるものである。闇の闘

気は皇一族に伝わる光気に相反する力であり、この闘気こそがゴーストが皇一族の天敵となる理由の一つなのである。

光気の継承者が使う明仁導師の四つの秘伝の一つに黒波はと言う能力がある。この能力は光気と共に生じた影を使って生み出される闇の力を操る力であり、光気を極小さく、球体を維持する様に形作った際、光のエネルギーの周囲に生み出された影をエネルギーに変え、技となす。 

この闇のエネルギーは相手の精神を攻撃する力となったり、熱エネルギーに置換すると凄まじい威力の氷雪の力となる。

皇一族は黒波を熱エネルギーに置換させることに特化させており、通常、闇のエネルギーをそのままの性質のまま使用しない。闇の力は深く、未知なものであり、使用者の心を感化させ、惑わせるからである。とかく、光の力は闇の力に飲み込まれやすい。明仁導師はそれ故に、絶大な信頼を置く一人の弟子にのみ、力を継承したのである。

ゴーストは数多くの武者達を剣吾にけしかけ、時間を稼ぎ、闇の力を練り上げたようである。ゴーストは闇の闘気を使うと一切の恐怖を失い、元の力を倍増させる。術者であればより複

雑で多岐に渡る術を簡単に使用できるようになる。それは神仙の力である光気と真逆の性質の力であるが、闇の闘気はそれと同等の力を持っている。ゴーストが最大限の力を見せ付けようとしたその一方で剣吾は一呼吸し、軽く脱力すると、太刀を低く持ち、前傾姿勢になり、軽く顎を引くと、切っ先をゴーストへ向けた。この構えは皇流剣術の奥義の一つである不敗不倒の構えである。

剣吾がこの構えを出したことはこの戦いで剣吾が敗北することがなくなったことを意味する。不敗不倒の構えは技が成立させるための条件が幾つかある。一つは戦う相手との間に絶対的な実力差があると剣吾の中で見極めが出来た時である。

そして、もう一つの条件は念ずれば通ずるでは無いが、信念が必ず結果として実現すると言う如意宝珠の境地に到達することである。これはアバター世界の真解に似ている。

強固な意志と圧倒的な実力差この二つの条件が揃った時、揺るがない現実として、この構えが生ずるのである。そして、この技が剣吾の全身から発せられる剣気は可視化出来るほどのものである。荘厳な山脈が眼前に現れる者といれば、鋼鉄の壁を背にしているように見える者もいると言う。戦いは既に勝敗を決したのである。

それは、武術の達人であるゴーストにも当然に覚知出来ていることである。圧倒的な力量差と凄まじい剣気によるプレッシャーに耐えかねたゴーストが先に仕掛けた。十字に小太刀を構えたまま、剣吾に向かって猛スピードで突進し、剣吾の面前で両手の刀で斬り払った。

ゴーストには剣吾が微動だにしないように見えた。

ゴーストの両刃は剣吾に、届くことはなかった。ゴーストの両手首は小太刀を握ったままの状態で、遠くの床上に飛び落ちている。ゴーストの仮面の下半分がはらりと下へ落ちた。ゴーストは素顔を晒すと顔面が左斜め上から右下へかけて斬られている。ゴーストはその場に倒れ込んだ。既に絶命している。

剣吾はゴーストの決死の攻撃にカウンターで応えた。最初の一太刀で右上段から斬り下ろす形で顔面と交差した両手首を斬った。この頭部への一撃が致命打となった。

剣吾は一撃目の直後、胴体にある二箇所の紋章を直線上に二箇所同時に斬っている。そして、最後に下段からの斬り上げの一撃で右大腿部と左脚部の紋章を同時に斬った。既に音速剣の肘打ちで破壊した紋章を合わせれば、急所である全ての紋章を破壊したことになる。

剣吾はゴーストの仮面の上半分を剥がし、素顔を見た。

「この顔は・・・こいつ、顔までゲンそのものじゃないか・・・」

ドアの開く音がした。ドアを開いたのは小春陽介であった。

「ご苦労様でした。流石、剣神と呼ばれるだけのことはある。」

「何か知ってるようだな?詳しく説明してもらおうか。」

「あなたが今倒した暗殺者は本来ならばこの世界に救世主として在るべきものであった不出来の英雄なんですよ。」

「どういう意味だ。」

「選令門は救世主の自然発生に拘り、とてつもなく長い年月を無為に費やしました。

それが主によって与えられた己が習性とも気付かずに。

しかし、他の大多数のアバター達は違ったのですよ。早くから、アバターと親和性の強いゲーム世界への参入を試み、ゲーム世界に潜行した者達はこの世界に様々な知恵や技術を齎らした。

この世界の人類は神とほぼ同義の主に近づき、その正体を明かそうと人知れず研鑽を続けて来たのです。

しばらくすると選令門の中にも恐れを知らず、主への信心と逆行した行為と知りつつ、ノーマルアバターに協力する魔術士も現れ始めた。そして、ゲーム世界の一つである、このアバター世界が永くに救世主を持たないことの危険性を知った我々は別のゲーム世界から、救世主を招くことにしたのです。」

「それが、たまたまゴーストだったと言うのか?」

「アバター達はその辺の細かい事情を知りません。あなたが斬り捨てた男が何者なのかすら。ただ一つ分かっていたことは、その、男がこの世界にとっては決して救世主ではなかったと言うことです。

皇一族の始祖たる皇源流斉とその友、皇剣吾については様々な伝承に形を遺していたことから、お二人については伝説として存じておりましたがね。」

小春陽介は微笑している。

「こいつを片付けるために俺を利用したのか?」

「とんでもない、そんな恐れ多いことなど考えもしませんよ。

外の世界からわざわざ足を運んできたのはあなたの方だ。そしてご自分の意志でその男を倒した、ただ、それだけのことです。」

「笑わせるな、お前、結果が視えていたんだろう?

「買い被らないで下さい。私はそんな大層なものではないですよ。」

「嘘をつけ、お前は時の管理者「終始を識る者」だろうが。」

「やはり、分かってしまいましたか?小宇宙(ミクロコスモス)には本来、転送にあたって自我を失わせる

効果があるはずなので、問題ないと思っていたのですが。コモンイデアの貴方には無駄

でしたか。

この身体は仮初の物です。アバターである本来の小春陽介は自分が何者かも知りもし

ません。」

「お前らが介在していると言うことは、根源世界にも危機が迫っているんだな?

凶星は墜ちたと思ったんだがな。」

「あなた達皇一族が世界の抑止力として凡ゆる世界に概念を超え、実在のものとして現れたと言うことはそう言うことなのですよ。我々の仕事もまだまだ終わりそうにない。」

「俺には世界の守護者なんて高尚な自覚なんてないがな?

てめぇらの世界なんだ。他人を頼らず、てめぇのケツくらいてめぇで拭いて欲しいもんだぜ。」

剣吾はそう、言い捨てると、ドアから外へ出て行った。



ゲーム世界内では既に四時間が経過している。うさぎ達は防衛拠点ドーヴォルクにてアニャンと合流した。アニャンはうさぎ達よりも半日早くこの世界へやって来たが、あの建物に転送されてから、意識することなく体が真っ直ぐにここへ向かったと言う。

ドーヴォルクの衛兵は哨戒勤務中、アニャンの姿を見つけるや、すぐに彼女をここへ招き入れた。アニャンは軽い記憶障害に陥っている自覚はこの時は未だ無かった。

ドーヴォルクの長老ユスフが戻るまで彼女を保護するようにとユスフから指示を受けていると衛兵が話したことからしばらくの間ユスフの自宅にて休憩を取っていたところ、衛兵達が敵襲の知らせを聞いて騒ぎになっている隙に乗じて、ドーヴォルクを抜け出し、うさぎ達を迎え入れるため、ホテルへ戻ったのだそうだ。

「アニャンさんがガイドしてくれるなんて、こんな心強いことないです!

来て早々、あの野獣軍団を見た時には私はもう、ひっくり返りそうになりましたよ!そこの伊藤みたいなこじゃれた陰キャ野郎は当てにならないし!

学校じゃキョロ充のくせによ!」

「貴様!人のことをキョロ充などと!!」

「貴様!?そんなこと言う奴、生まれて初めて見たんですけど!

ずっと思ってたんだけど、お前ピーチクパーチクうるせぇんだよ!」

「ギャーギャー泣いて騒いでうるさいのはどっちだ!」

可奈と伊藤がうるさくじゃれあっていた。可奈はまだおかしなテンションであったが、平常心を取り戻したようだ。

「ここに滞在できる時間は本当に短いんです。少しでも無駄な時間を省きたい。

ここに以前、目的があって来たことのあるアニャンさんだけが頼りなんです。私達の道しるべになって欲しいんです。」

うさぎはアニャンに真剣な表情で話しかけた。

「あんた以外の学生はここでは人命最優先だよ。不快な思いをこれ以上したくないなら、ここに滞在して、残り時間をすべて使いきった方が良い。それが一番賢明で安全な選択だよ。ただ、あんた達全員に言っておくけど、この転送が試験だってことは覚えておいた方が良いと思う。

ただ、合格すれば良いか、上位で好成績で試験を突破したいか、微々たる違いだけどね。ここへ来てから思い出したんだけど、実はねあたしもあんたらと全く同じことをここでやらされたんだよ。当時は今回ほどハードな試験じゃなかったけどね。」

部屋の中が学生の声でざわつく。

「あんた達、これを見たことあるかい?」

アニャンは胸のポケットから焦げ茶色の革の手帳を取り出した。中身は一見すると、デジタル手帳のような小型端末である。手帳を保護する皮のカバーには選令門の大きな紀章が付いている。選令門の紀章は六芒星の真ん中に円、その周囲の枠内に天智魔法を現すマークが描かれている。上の枠内には虚数術を示す、黒満月のマーク、右上の枠内には変化術を示す白地の逆三角形、右下の枠内には具現術を示す右下がりの矢印、下段枠内には操心術を示すハートマーク、左下枠内には武装術を示す縦長長方形とその後ろ垂直線のマーク、左上枠内には自然術を示す三本のくの字マークがそれぞれ描かれている。

「魔導六法の小本!?初めて見た!」

伊藤は驚いている。彼にとっては既知のものであるようだ。

「その通り、あんた詳しいね。この魔術書は一定の保有魔力が基準値を超えないと視認すら出来ない構造になっている。

一つは許容、持ち主自身が閲覧制限を解除した時、それともう一つは選令門が持ち主たるに相応しいと所持を認め、閲覧制限を解除した時。あたしは昔やったこの試験で上位の成績取ったから、この手帳をご褒美としてもらったのさ。

ここへやって来てようやっとそのことを思い出したんだよ。今までは何でこんな物を持ってたのか、訳も分からず所持していたんだけどね。

記憶を弄られるなんて魔法稼業じゃザラにあることだし、気にしてたら一々やってられないんだよ。まぁ、気長に魔術士をやって、実績を残せば選令門からまれに貰えるそうだけど、最速で欲しいなら、ここで頑張るんだ。」

アニャンはカラカラと笑っている。

アニャンの言うとおりこの魔導六法小本は使い道によってその利益は絶大なものになる。選令門で登録されている全ての魔法を記載した国宝魔道大全、その記載の範疇から外れる残り三割の魔法はほぼ天智魔法と呼ばれる上位魔法で占められており、下位の魔法であれば、マニュアルなどなくても手帳の所持者ならば、そらで魔法を使いこなす者や魔法の得手不得手の概念すらない魔術士も中にはいる。

この魔術書は魔法のマニュアルとしての側面よりは、手帳の所有権と閲覧権そのものが魔術士そのものの信用を生むメリットの方が遥かに大きい。

例を挙げれば、証明書の代わりとして、普通なら立ち入れない場所に入ることができる様になったり、法律で規制される禁忌ともいえる魔法の使用を許可されるなどの目に見えぬ利益である。規制を無視して大魔法を好き放題開発したり、使用出来る環境にあることこそが大魔導士の条件なのである。

「あたしはこのミッションの秘匿性と難易度、それに今までの経緯を考えれば、選令門は当然に手帳は報酬として出してくると思うよ。

しかも、今回は大盤振る舞いと言った個数をね。

だからこそ、やる気のある子は競争ってよりは協力してフェアな精神でチームプレイ

を心がけることを勧める。

アニャンも上手い具合に焚きつけたものである。

「マジですか!?」

可奈もいつの間にか目の色を変えている。

「今の私達のレベルでクソ魔法とかないですから!

うさぎ、やろう!この手帳、マジのお宝だよ!私達はここで手帳を手にして億万長者になる!

伊藤くぅん・・・せっかくここまで来たんだから、一緒にガンバしよ!」

うさぎもアニャンも可奈の豹変ぶりに呆れ返っていた。

「あたしは今はもう魔法を使える状態になってるけど、あんた達は未だこっちへ来てから魔法が使えなくて困ってるだろう。これは、あたしからのサービスなんだけど、限定的にだけど、あんた達が魔法を使えるようにしてあげる。」

 アニャンの言葉に学生はどよめき立った。

 アニャンは可奈をじっと見つめると、近くへと呼ぶと、魔道六法を開くと、記載されたある一項を可奈に見せた。

「少し時間を上げるから、しっかりとここを覚えな。」

「分かりました。けど、私は今まで弓矢なんて扱ったことありませんよ。」

「あんた運動神経かなりいい方だろう?体つき見れば、そんなことくらいすぐに分かる

よ。今のあたしは魔法の力で、あんたの適正が見えている。

ここで死にたくないなら、迷わず弓を選んで戦いな。見た目とは裏腹に感性も強そうだし、イメージを固定できれば、弓も具現化できる。用途に合わせてサイズや構造、威力を変えたりとね。」

 可奈は指定された項目が暗誦できるようになると、アニャンに話しかけた。

「不思議な感覚です。私、間違えなく弓が扱えるようになってます。」

 学生達の間にまた、どよめきが起こった。

「じゃあ、ちょっと外へ行って、みんなで確かめてみるか。可奈はずっと暗誦を続けて、正確に詠唱出来るように練習しておきな。」

 アニャンと学生達は外へ出ると、アニャンは近くの雑木林の高い樹木を指さした。木の枝には一羽の鳥が止まっている。

「可奈、あの鳥を試しに射抜いてごらん。口述詠唱で構わないから、弓をイメージで具現化して、魔法で弓矢を作ってから、あの鳥を狙って矢を放つんだよ。」

 可奈は深呼吸して目を瞑ると、しばらくして可奈の両手に大きな弓矢が現れた。弓矢は無機質な金属色である。可奈は眼を開くと、力いっぱい弦を引き絞り、樹上の鳥の胴体を簡単に射抜いた。

「すごい!」

うさぎは可奈に向かって大きな声を出した。学生達も可奈が弓を扱うところなど見たことがないため、驚いている。

「絶対にいけるって自信があったろう?」

「はい。けど、どうして私なら弓矢が上手く扱えるだろうって思ったんですか。」

「元々、あんたに備わってる能力なんだよ。センスって言うよりは使えるべくして、使えるみたいな。」

 可奈は首を傾げている。明確な答えをもらえずにもやもやしているのだろう。 

「それで、結局何でアニャンさんはここで魔法が使えるのですか?音聞君、君もだよ。」

伊藤は最初の疑問を忘れていなかったようである。

「そうだったね。あたしはあんたみたいな論理的思考の持ち主じゃないから、上手いこと順序立てて説明出来ないの。ごめんね。

可奈に関してはあたしが魔導六法の閲覧制限を解除して、魔法を覚えさせたからだよ。魔導六法の最初の方の項に魔術貸与についての記載があってね。あたしが許可さえ出せば、第三者にこの本を読ませて、魔法を覚えさせてやることが出来る。ただ、この手帳は使用にあたっていろいろと制約があってね。魔法の発動をしくじると、魔導六法からその魔法の項目が消えるのさ。使用不適者と見なされて、その魔法は二度と修得できなくなる。便利には違いないから、使い様によるんだけどね。

しかも、魔法をしくじった時はペナルティが魔法を使った奴じゃなくて、使用させたあたしに返って来るんだよ。だから、この手帳は濫発使用が出来ないし、つまらないトラブルを呼び込むのさ。

あんた達、ここで魔法を使いたいなら、許可した奴はこの手帳を読ませてやる!読みたい人は手を挙げて!」


はい!はい!はい!はい!


皆が挙手して、はい!がこだまする。

「お前達子供か!!まぁ、魔法使いたくてうずうずしてるわな。じゃあ、条件を出す!読んで良いのは魔術貸与の項と自分が元々使える得意の魔法二つのみ!それ以外は絶

対目を通すなよ!お前達がヘマしたらあたしが魔法使えなくなるんだからな!それと、

あたしがここで魔法を使える理由だけど、あたしはここの長老ユスフから許容の洗礼を

受けたからだよ。」

「許容の洗礼?」

伊藤はいつも真剣にアニャンの話を聞いている。

「長老ユスフは転生者の魔法使用の制限を解放する力を持ってる。

彼は今不在だから、彼が戻るのを待って、洗礼を急いで受けるのとここでチャチャっと本を読んで、少しだけでも魔法使える身体に戻すのとどっちを選ぶかだね。

さっきの様子を見たら、長老を気長に待つような一人もいなそうだ。それと、手帳を貸してやるにはもう一つ条件がある。あたしとうさぎに最大限協力すること。特別扱いしても、文句言わないこと。文句言う輩がいたら、速攻で魔法の使用権限剥奪するから。」

アニャンは馬の前に人参をちらつかせるような真似をしながら、実に高圧的な物言いをしている。学生達を道具として上手いこと使う気満々である。

アニャンは実際、許容の洗礼などではなく、枝戸張の処置によって魔法が完全に使えるようになったことは他の生徒には敢えて伝えなかった。

だが、話の長老ユスフの許容の洗礼の件は嘘ではない。ここでの記憶もあらかた元に戻っていたが、以前にここへ転送されて来た際、自力で情報収集し、長老に接触、魔力を元の姿に戻したのである。

あくまでもアニャンの中での解釈であるが、この世界への転送は重篤な記憶障害を起こす蓋然性が強くある。それは、仮想空間に入り込んだ際、転送中の肉体に現実と非現実の境界が不鮮明になる状態を継続して受容させるために、記憶を混乱させる。例えるなら転送者を夢見心地にすることで現実世界の常識や倫理観などを薄れさせ、異世界に陶酔させるための元々の仕様になっているのではないかと考えていた。

それに自分の意思で選択しているはずの行動すら、何か別の意思が働いて取らされている様な奇妙な感覚すらある。深く考えずにおとなしくしていても、何かに突き動かされるような物事が勝手に進む様な感覚である。

枝戸張は相変わらず、黙して語らない。

アニャンは枝戸張と接触したことで、ここでの本来の自身の使命を思い出した。

秘石の回収と長老ユスフへの接触である。

この二つを実現すれば、恐らく、事態は大きく進展する。枝戸張の話ぶりでは恐らく、うさぎや若葉に関係する大きな事柄なのであろう。



アニャンは学生達に手帳の回し読みをさせている間、うさぎを個別に呼び出し、枝戸張とのやり取りについて、説明した。うさぎはアニャンの話を聞いても全く動じることはなかった。

「あたしは、この世界のあらましについてとか、枝戸張についてや主の正体の可能性とか結構衝撃的な話をしたつもりだけど、相変わらずの淡泊な反応だな。」

「多分、私の中に若葉さんがいることが関係してるんだと思います。そんなことは当然知ってるし、アニャンさんの説明にあった秘石の回収についての事の方が若葉さんにはずっと重要なことなんじゃないかな?」

「そう言うの分かるものなのかい?」

「実はアニャンさんが来てから、理由は分からないけど何かを待っているみたいなモヤッとした感覚はありました。」

皇若菜は小春うさぎの中にいる別人格のようなものであり、彼女がアバター世界の救世主として、魔力の集中と言う現象として生まれ出で、捕食者を容易に識別し、アバターに仇なす捕食者達と対峙し、葬ってきた。

「そうなのか。若葉には分かっていることだろうけど、あんたのために秘石に付いて説明しておく。今回の転送試験の最大の目的でもあるし。

簡単に言うと、その石は守護者としての若葉の本来の力を引き出すためのアイテムなんだよ。その石には皇一族の魂そのものが宿っているとか。若葉の本来の力を引き出すためには秘石と対になる皇一族の宝物である守り刀が必要でね。長老ユスフはその二つを別々の場所に保管管理していて、その一つを取りに外出している。

この転送試験自体、大分前から秘密裡に何度か実施されていて、選令門の優秀な学生の炙り出しが目的ってのもあるけど、一番の目的は秘石と守り刀の捜索だったのさ。

先行して転送していたアバターの何人かが遂に、秘石と守り刀のありかを突き止めた。実は長老ユスフも私達と同じアバターで、冷凍催眠された状態で選令門のどこかで管

理されているらしい。これはこの世界に転送中のユスフ本人から聞いたんだよ。

ユスフはアバター世界に顕現した守護者である若葉に一刻も早く秘石と守り刀を渡したいと願っている。

本来、二つの宝物は若葉が、所持すべきものだから。」

枝戸張が二人の話に割って入って来た。

「時間がないから手短に話すぞ。小春うさぎ、頭の柔らかいお前なら、きっと俺の話を受け入れられるはずだ。

この世界はゲーム世界と言う人造世界で、俺がプログラミングして造った世界だ。この世界はゲーム世界と呼ばれているが、仮想空間に作った絵空事などでは決してない。 

現実に存在し、他の世界にも影響を及ぼす実在する世界なのだ。

お前達のいるアバター世界もゲーム世界の中の一つに過ぎない。お前たちが主と呼んでいる存在もゲームメイカーと呼ばれる高次元の存在であるプログラマーのことで、俺もその一人だ。

この世界はお前達のいる世界に比べたら遥かに狭い箱庭みたいなフィールドの世界で、俺が所持している大事な物をいくつかしまっておくための倉庫用に造ったものだ。

皇若葉がお前達の世界に現れるまで、俺がここで秘石と刀を保管していたのだ。俺は我々が転送されているこの短時間の内に秘石と刀を本来、所持すべきである世界の防

衛力である皇若葉に渡したいと思っている。」

話の途中で、枝戸張は遠くにいる伊藤を睨み付けた。伊藤は枝戸張に気付き、部屋から逃げ出そうとしたが、枝戸張にすぐに捕まえられた。

「お前、俺達の話を全部聴いていたな。」

「あんな遠くにいたのに聴こえるわけないじゃないですか!?」

伊藤は震え上がっている。

「枝戸張君、どうして伊藤君から盗み聞きされてるって分かったの?」

理由については、アニャンが説明した。

「うさぎ、あたしは魔導六法の中から得意な魔法を二つだけ選べって言っただろう?

こいつは大事な選択権の一つを盗聴の魔法に使ったのさ。」

「えっ!?どうして数ある魔法の中からそんな魔法を選んだんですか?」

「こいつはこいつなりに野心と裏腹に自分が生き残ることもちゃんと考えてるってことだよ。護身に魔法を割けば、戦闘に出る羽目になる。生き残るためには特別視されてるうさぎに近づいて情報収集するべきだと思ったんだろうね。あたしもちょっと前から気付いてたけど、こいつ見込みがあるなと思って感心して放っておいたんだよ。」

「感心ですか・・・」

「あぁ、人命最優先、あたしの言った言葉を忠実に守ってたことには違いないからね。

それにこのサバイバルな環境で簡単な魔法と言えば、身体を強化したり、武装するよ

うな魔法を選ぶのか普通だよ。あたしも可奈をモデルにしてやって見せたわけだし。

けど、こいつは根は卑屈な陰キャ野郎なのかもしれないけど、こいつなりの方法でこの世界のことを探索しようとしてたのさ。」

伊藤は意気消沈している。

「お前が、「魔法剣!」とか言って、柄にもなく、カッコつけて、刃物でも振り回すような奴だったら、はっきり言ってそんな奴は必要ないから。さっさと、ここで死んでもらって元の世界にお帰り願おうと思ってたけどさ。流石に、ここまで選考に残ってるだけのことはあるよ。」

アニャンの言葉を聞いて、うさぎは可奈みたいなのもいるけどなぁと疑問に思っていた。

「魔導六法、絶対欲しいんだろう?それなら、うさぎ達と一緒に頑張れよ。」

アニャンは伊藤を優しく慰めた。伊藤も涙を流して謝罪した。

「はい。枝戸張君の話にびっくりしたってのもあるんですけど・・・

実は皆さんにお伝えしたいことが。ついさっき、衛兵の話を盗み聞きしたんですが、ドーヴォルクの衛兵の何人かが敵兵と内通していて、敵兵をここに誘導しようとしています。」

「まずい、ユスフの安否を確認して、早く接触しなきゃ!

キョロ、お前その能力でどれだけの範囲を盗み聞き出来る?」

「半径十メートルくらいならできますけど?」

「結構な広範囲で聴き取れるな。お前、めちゃくちゃ使えるじゃん!五分やるから周囲を駆け回って、片っ端から情報を取ってこい!」

「かしこまりました!」

伊藤は満面の笑顔で部屋から飛び出して行った。


10


伊藤が盗み聞きしながら走り回って情報収集して来た結果、拠点外からの敵の攻撃予告時間は三十分後、ドーヴォルクの中だけでも敵への内応者は五十人以上にもなることが分かった。 

アニャンの記憶と伊藤が見聞し、収集した情報を勘案しても、武装したドーヴォルクの内応者と十数人しかいない未熟な魔術士の戦力差を比べたら、こちら側が圧倒的不利なのは誰が見ても明らかであった。

伊藤が駆けずり回っている間、ある女生徒が皆に進言した。うさぎの仲の良い級友の一人、村田ユウリである。村田ユウリはうさぎよりも少しだけ、背の高いスポーツが得意な少女であり、見た目は地味であるが端正な顔立ちをしており、温和な性格な者同士であるうさぎとはクラスでも仲が良かった。

「私はアニャンさんの手帳の中から得意な魔法の、「フリートーク」の魔法を選びました。ここからは私の魔法を介して、秘匿通信とグループトークをしてみんなと情報共有し

たいと思うけど、どうですか?

みんなには黙ってたけど、私、腕に覚えがあるから殺されずに通信兵をやり遂げられる自信があるんだ。」

男子生徒が挙手した。村田ユウリの兄である村田頼母(たのも)である。頼母はがっしりとした体型でよく日焼けした健康的な男子であり、義侠心に篤い男らしい性格をしたしっかり者である。

二人は二卵性双生児であり、容姿は瓜二つではないが、二人が若年ながら卓越した武装術を扱う魔術士であり、人格者であることは皆が知っていた。

「俺は妹を守りながら、斥候をやる。ドーヴォルクの外にいる敵兵の進行状況を最新情報として皆に逐次報告する。俺達兄妹は魔導六法には全く興味はない。この提案は俺からの発案だ。ここでの戦闘は貴重な経験だ。最大限戦って、死ぬなら皆の為に役立ってから死にたい。」

何とも男らしい発言である。頼母の提案に皆が同意した。アニャンがこそっと可奈の脇腹を肘で突いた。

「この御時世にあんな漢気あるイケメンっているんだな。」

「タノ君の家は一家なんですよ。お父さんは剣術の指南役として著名人なんです。妹軍人のユウリちゃんと共にゴリゴリのアスリートって感じで。」

 アニャンはにやにやといやらしい笑顔をしていた。

「この僕達、青春真っ只中ですみたいな感じ、羨ましいなぁ。」

「そうですか?明らかな非常時ですよ?」

「お前、今アイツのことスーパースターでも見るような羨望の眼差しで見てただろ?」

「そ、そんなことないですって!」

「いいって、いいって、皆まで言うな。守ってあげたい!とかそんなんだろ、どうせ?」

「まぁ、否定はしませんけど・・・でも、彼めちゃくちゃカッコよくないですか?」

「いや、いくら軍隊志望だからって、あの角刈りはありませんよ。あの角刈りはどんな美男子も殺しにかかる髪型だよ。」

頼母はバリバリの直毛、黒色角刈りなのである。

「昔の戦争映画じゃないんだからさ。自分から鉄砲玉に当たりに行く奴なんていないだろう。あたしはああ言う、命の重さを軽んじるようなのはちょっとなぁ。」

可奈は心の中で、アニャンさん、あなたがそれを言うかと呟いた。


「あんたで最後だから、好きなだけ読んで構わないよ。今まで、手帳のこと黙ってて悪

かったね。甘やかしたら、あんたのためにならないと思ってさ。こんなもんに頼ってば

っかりじゃ、使えない魔術士になっちまう。

仮にも、あんたは救世主なんだし、教科書読みながらの戦闘なんて、カッコつかないだろう?」

アニャンは手帳を渡す順をうさぎを最後にした。今回のミッションの切り札とも言えるうさぎの身を案じたのと多数の無関係の学生を巻き込み、今後の学生生活にうさぎの立場を悪くしてしまう可能性を作ってしまった罪悪感からか、うさぎにだけは手帳を好きなだけ読ませることにしたのである。

「私も他の子達と一緒で選べる魔法は二つだけで良いですよ。」

「あんたがそれで良いなら、もう何も言わない。それで、何を選んだんだい?」

「一つは身体変質術の基礎的な魔法です。身体能力をくまなく上げるやつです。

この魔法なら、詠唱とかしなくても、息をするように何も考えずに使えますから。

残りの一つは、操心術のごく簡単なおまじないです。イマージュって唱えるだけの魔法です。自分の実力の範疇で思ったままの自分になれるとか。操心術の達人なら効果てきめんなのかもしれないけど。要は自分の気持ちをベストコンディションに持っていけるようにする魔法です。はっきり言って気休めです。

ごちゃごちゃ考えながら、戦うようなタチじゃないですから。」

「いいんじゃないの?頼母みたいな、この試験そのものに意義を見出す子もいるわけだし。あたしがここにいられる時間も残り少なくなって来たから、秘石と守り刀の入手だけでもあたしがいる内に済ませたいんだよ。

それが叶えば、長いことこの世界に潜入してるユスフを任務から解放してやることも出来る。思い出したんだけど、ユスフはあたしと同期生なんだよ。上の世界では十年以上も経過してるんだ。自分で志願してこの世界に残ったにしろ、あいつはここでは約二四十年以上の月日を過ごしてることになる。」

「そんなに長時間転送し続けられるものなんですか?」

「ここに転送して来て、時間が経過するにつれて色々と思い出して来たんだよ。

魔法が使えるはずなのに使えないみたいな変な感覚もずっとあったし。

あたしがここへ一度来た頃と比べてゲーム世界への転送技術は大分、進歩してるし、より人命に配慮された仕様に変わってるんだよ。

だからこそ、今は短時間しか転生出来ない。当時の転送技術ではアバター世界からの情報の持ち出しが本当に不便だったんだよ。当然に魔法も使えなければ、記憶もすっぽりと抜け落ちてる。それに加えてゲーム世界内に役割を与えられて転生させられていた。イメージするとロールプレイングゲームのモブキャラクターみたいな感じかな。ゲームメイカーの監視を擦り抜けるようにそうしたものに成り代わるような。今よりも長時間転送出来るけど、強烈な催眠作用で自我に目覚めるだけでも容易じゃなかったのさ。あんたみたいに感性の鋭い子は小さなことから、この世界はおかしいみたいな異変に気づけるんだけどね。

例えば、この世界に来てから、一度でも用便に行った奴が一人もいないだろう。」

「確かに。どうしてなんですか?」

「この世界が大雑把な造りになってる証拠さ。無駄な行動として、プレイヤーの行動原理に組み込まれていないんだよ。正常な世界なら、小便一つにしたっていろんな感情や生活習慣、文化も生まれてくるわけだろう?

けど、ここにはそんなものない。理由は簡単、必要ないものだからだよ。あたしの勝手な推測だけどね。

こんなところ、長居は無用。やるべきことをやって、すぐに元の世界に戻った方が良い。よく分からないけど、秘石と守り刀の発見は先人の冒険者の悲願だってことだけはしっかり覚えてる。

あんたには悪いけど、今回のミッションは最大のチャンスなんだよ。それに、フリートークの魔法や伊藤の盗聴の縛りもあって、あんまり余計なことは話せないけど、あたしが無事に生きて帰れれば、もしかしたら、鶴を助けてやれるかもしれない。」

 アニャンの後輩で、うさぎの恩人でもあり、魔法世界への案内人となった折原鶴は魔術士の天敵である捕食者達の主導者の一人、月光卿によって、魔法都市ポラリスの市街地戦で魔力を奪われ、現在はポラリスを離れている。

 アニャンの目の前で鶴は魔力を奪われた。アニャンをそのことをずっと悔いているのである。

「本当ですか!?」

「間違いない。少しは張り合いが出てきただろう?」

「はい!全員で無事に還りましょう!」


アニャンを先頭にうさぎ、可奈、伊藤、それに頼母とユウリが続く形でドーヴォルクを後にした。枝戸張は殿を買って出ると、あとのことは任せろ、そう言って、拠点に残った。

枝戸張は最後尾に残ったが、ゲームメイカーの彼ならば、この世界では好き放題に動き回れる。内通している衛兵をここに釘付けすることなど造作もないことである。他の学生達は陽動のため、ドーヴォルクからアニャン達と同方向に出立し、散開して待機した。アニャン達の脱出に気付き、追跡してくる衛兵を追い払うためである。枝戸張はしばらく時間をおいたらすぐにアニャンと合流する様に待機者には伝達してあった。しばらくしたら、多数の敵兵がこの拠点を襲撃しにやって来る。ドーヴォルク周辺に留まるのは非常に危険であり、敵部隊は真っ先にアニャン達の元へ向かうだろうと枝戸張は考えていた。この世界の広さを考えたら、誰もが逃げ場はない。最後は自分が出て行って片をつけるしかないと枝戸張も覚悟を決めていた。


アニャン達はドーヴォルクの直近にある船着場からボートに乗って下流に向かって下っていた。枝戸張から知らされたユスフの居場所へと向かっている。アニャンは魔法で宙に付近のマップを展開させた。ボートもアニャンの意思の赴くままに進んでいる。

アニャンとうさぎはアニャンの魔法により思念でコミュニケーションを取っている。ボートに乗る他の者も気付いているが、指摘する者はいない。

「確かにアニャンさんの言う通り、この世界は細々としたところは本当に雑な造りになってますね。ゲーム世界と名付けられているのも納得です。」

「所詮、人間の知恵の及ぶ範囲で作られたものだからね。ただ、危険なのはどう言う訳か、人造世界の中で通じるはずの荒唐無稽な技術や知識を外へ持ち出せるってことなんだよ。パラドクスキューブって希少アイテムを使えば、物質をここから持ち出せる。」

アニャンは肩に掛けた小さなオリエンタルな刺繍の入ったポシェットから、骨組みで組まれた掌大の立方体を取り出すと、うさぎへ見せた。キューブの中は空洞になっている。

「これが、そのパラドクスキューブだよ。秘石と守り刀を持ち出すために枝戸張が用意したものらしいけど。彼が言ってたけど、このパラドクスキューブはゲーム世界間では統一規格みたいなもので、どの世界にも持ち出せて使用できるらしい。だから、敵の狙いは皇一族にしか使い道がない秘石と守り刀の回収よりはゲーム世界内のものを外の世界に持ち出せるこのパラドクスキューブなんじゃないかって?」

「本来ならこれは枝戸張君が持っているべきものじゃないんですか?」

「この世界じゃ、ぶっちぎりであの男が強いと思う、おそらく無敵だと思うよ。

それに独自の移動権限で世界を自由に飛び回れる。けど、彼と同じようなこの世界の管理権を持つゲームメイカーが敵として現れた場合、世界の守護者である皇一族しか相手にならないだろうとは言ってた。

この世界の最大の防衛機能である皇一族を守ることの方が大事だと判断したんじゃないかな?

うさぎ、あんたにお願いがあるんだよ。あたしが命を失うような最大の危機が訪れたら、あたしをこのパラドクスキューブで迷わず、元の世界へ転送するんだ。」

「けど、これは秘石と守り刀を転送するためのものなのではないんですか?」

「あたしがこの世界の肉体のまま元へ戻れば、おそらく、枝戸張から託された大事なものを外の世界へ無事に持ち出せる。これはあたし達のいるアバター世界で鶴を救うためのものさ。あたしは危うい作戦の成功より、自分の身勝手なわがままを優先させる。だからこそ、秘石と守り刀のことはあんたに任せたよ。」

 アニャンはこの世界から自分が消え去ってしまった後のことをうさぎに託すと厳命したのであった。


11


ドーヴォルクの周囲を敵兵達が取り囲んだ。うさぎ達への進路を妨害するためにドーヴォルク要塞のすぐ傍の林道に配置していたエドガー・オットーはフリートークのネットワーク通信で全ての学生に敵が到達したことを告げた。

エドガーは皆には黙って、要塞の中へと戻った。エドガーだけがミーティングで枝戸張だけを後方に残すことを唯一反対した。

枝戸張が内通者の一人であった場合、部隊全員に多大な危険をもたらすこともあり、その真偽を確かめるためと言う目的も当然あったが、彼は危険な役割と分かりつつ、要塞外周の一番危険な場所での配置を志願した。これは個人的な信条によるからである。

エドガーは枝戸張と唯一コミュニケーションを取っていた学生であった。うさぎも彼が枝戸張と一緒にいる時に談笑していたり、二人が昼食を共に取っていたのを見かけたことがある。 

エドガーはクセのあるブラウンカラーのロングヘアーを一本に縛っている。細面の輪郭に青い瞳、ただでさえ、理知的な顔に細い金属フレームの丸メガネを掛けた典型的な白人の美青年であった。

枝戸張は渋面の強面の老け込んだ黒人青年であったことから二人が共にいる姿は独特の雰囲気を纏っており、そこだけを切り取るとまるで異国での一風景であった。級友達はその状況を揶揄して二人の頭文字からE2とコンビのことを呼んでいた。枝戸張はどうかは分からないがエドガーが枝戸張に親近感を抱いていたのは間違いなかった。枝戸張一人に殿を任せることは本来ならば特異な状況である。

衛兵の離反について、誰もが疑うことなく、安全な拠点から飛び出す選択を他の全員が選択したことも同じである。これは枝戸張が自身のゲーム世界における使用権限を用いて、プレイヤーに心理的な作用を働かせたものなのであるが、誰もが自我による決断をしたと疑わない。  

アニャンはそのことに気付きつつあるが、状況判断が鈍ることを嫌い余計なことを考えることを止め、自己目的達成のために全集中している。エドガーも自身の強い好奇心や探究心、勘の鋭さから枝戸張に近づき、ゲーム世界の正体や枝戸張が特異点として存在することをここへ来てから何となくは察知していたが、友人への篤い良心から周りにそれを秘していた。

彼は友人の正体を知りたい、その一心で、拠点に舞い戻ったのである。建物内は静かだった。エドガーは要塞の中にいた多くの衛兵達が昏倒させられ、倒れているのを見つけた。

衛兵が内応者かどうか関係なく、見境なく建物内にいるもの達が眠らされている。やったのは、きっと彼だろう。


エドガーはドーヴォルクの中央部から度重なる金属音が聞こえたことから、その音源へ向かって進んだ。音源は祭壇の間からであった。部屋の中へ入ると枝戸張と敵兵の一人が剣戟を繰り広げていた。敵兵の傍には一見して魔術士の様な格好をした若い女がいる。

「エドハリ博士、お友達の小蝿が一匹紛れ込んだようだ。」

敵の騎士は青銅の甲冑の兜を外すと黒豹の頭部が剥き出しになった。

「黒豹のオズマか。思ったとおり、ズー一派の仕業だったか。獅子王オルガが去った後は組織は壊滅状態になったと聞いていたがな。」

黒豹のオズマはエドハリが世界の構造の大半を創造し、強固な管理権を持つゲーム世界の一つ『オーガスト』の中に存在する傭兵部隊Z()OO()の幹部の一人で精強な半獣の剣士である。皇一族の中興の祖として名高い帝国騎士スメラギはかつて、自身が奉職していた亜永立神聖帝国から特命により、オーガストへと転送され、ズーと激しい戦いを繰り広げたが、組織の頭領である獅子王オルガがスメラギに敗れ、組織から去ってからは、組織は半壊状態となっていた。

彼はエドハリとも面識があり、エドハリは彼が転送されているのを知り、ズーがパラドクスキューブを狙って、この地に現れたことは間違いないとにらんでいた。

「俺達みたいな傭兵稼業を営む者たちは能力に見合った報酬が約束されたなら、どんなことだってする。いくら管理権の持主であっても、好き勝手はさせないぞ。ゲームメイカーはこちらの陣営にもいるのだからな。」

「ミカ、やはり敵の手に落ちたのだな。」

魔術士の若い女は黙して語らない。外套のコードを間深く被っているため、表情までは分からない。

「私は自分の意志で貴方の元を去ったのよ。魔術文明は程なくして私達ゲームメイカーの領域に及ぶ。それは選令門だろうが、捕食者だろうが関係ない。貴方はその内に自ずから創造主の地位を手放す。その力の源は元を辿れば私のものなのにも関わらず。

 私は、そんなのは絶対に嫌。私達が創り出した生命は須らくして、私達のものよ。」

「ミカ、君が知らないだけでゲームメイカーは俺達以外にも沢山いたんだ。

俺達は決して特別な存在なんかじゃない。間もなくここへやって来るエドガーと言う男も自力でゲームメイカーの存在に辿り着いたプレイヤーの一人だ。

高度な技術レベルで造られたゲーム世界から転送れたプレイヤーに管理者権限によるプレイヤーの自我の抑制は通じない。

世界は俺達が思っているよりずっとずっと広かったんだ。君だって薄々気付いていたはずだ。」

 ミカ・クルーエルはエドハリと共にゲームメイカーとして、いくつかのゲーム世界を創造し、共に旅をしてきた。エドハリはあるゲーム世界の一つに存在する亜永立神聖帝国という大国の高名な科学者であった。エドハリはその国の戦力の中核を担う『アームズ』と言う特殊兵器の開発を任されていたが、アームズのノウハウを持って、亜永立神聖帝国を出奔した。エドハリは帝国の敵対勢力である革命軍政府に保護を申し出るとそのまま革命軍の統治地域に設置された軍事研究施設にて兵器開発を任され、革命軍首都内の研究施設にて、対アームズ兵器である十種の限定特殊兵器の製造に成功した。

 ミカ・クルーエルはその限定特殊兵器の一つ「五分(イーブン)五分(イーブン)」の能力を搭載した自律型兵器であった。彼女自体は人造人間のような人型の機械兵器などではなく、元々、五分五分という超能力を有した人間であった。五分五分はあらゆる事象の発生確率を五割にしてしまうと言う恐ろしい能力であり、エドハリは五分五分の能力を転用し、ゲームメイカーとして、ゲーム世界に介入する力を得たのである。帝国をおわれたのも彼女と接触したのが理由であった。

「私は貴方を苦しめることができたらそれで良いと思ってるの。どうして、私の思うように動いてくれないの?貴方のこと、今でも大好きだけど、大嫌い!」

彼女を知るエドハリはミカが元々気性が激しい女であることは知っているが、それを差し引いても、見ただけで情緒不安定であることが分かる。魔女の背後に巨大な魔法陣が現れると一つ目のタコの様な軟体動物が現れた。

「エドガー、すぐに目を瞑れ!動くんじゃないぞ!すぐにそっちに行くからな!」

エドハリは手拭いで顔を縛り、すぐに目元を隠すとエドガーのいる方へと瞬間移動した。

エドハリはエドガーの左手を繋いだ。

「コネクト!」

エドハリの精神術により、フリートークの回線が途切れ、エドガーと魔術回路が連結された。

「色々と悪かった。俺のことを友と認めてくれたから、ここへ戻ってくれたんだろう。ここを出れば、お前の記憶もきっと選令門によって消されてしまうだろう。だからこそ、忘れる前に伝えておきたい。俺はお前のことをたった一人の親友だと思っている。」

エドガーの記憶の中にエドハリがもたらした情報が一挙に流れ込んでくる。

「すごい!!こんなことって。」

エドガーは放心状態となったが、それはほんの刹那のことである。

「お前の力を借りたい。魔法は既に自由に使える様にしてある。目隠しの状態であの黒豹の相手をするのは不可能だ。お前にはあの煩わしい化け物をどうにかして欲しい。」

「あれは恐らく、最上位に近い召喚魔法の一種だね。あれは感覚器官で情報を得ただけで、対象に禍いをもたらす魔物。呪術の根源を成すもの。僕の専門が防衛魔術と知って、僕を近くに置いたんだね?」

「ああ、お前に才能があったから興味があって、近づいたんだ。敵がどんな手を使ってくるか、想像もついていた。こっちでも防衛魔術を使うことも出来るが相手があれだけの力があるとこちらも処理に相当な時間が掛かる。魔力は俺と繋がってる限りは無尽蔵にあると思ってもらって構わない。他の魔法も好きに使ってくれ。頼りにしてるぞ。」

エドガーは鏡面投影の魔法を使った。エドハリの処置により、詠唱は全く要しない。

鏡面投影は空間に作り出した姿見に映した対象を別の位置に実体として映し出す。上位の補助魔法である。

「エドハリ、目隠しを取っていいよ。僕は鏡を使って、あの魔物を君の視界の外に映し出す。鏡は自動で君の視界の延長線上にあの魔物を映し出す様に移動する。あの黒豹が鏡の前に立って投影を妨げない限り、君は安心だ。逆に黒豹が魔法の効果を打ち消すために鏡の前に立った時は君の真正面に黒豹が来ることを意味する。その時はこちらでも援護するし、黒豹の位置が特定出来ればいろいろとやれることもあるはずだ。」

「分かった。二人で息を合わせるぞ。」

エドハリはオズマに向かって突進した。オズマも身をかがめ、四足歩行にスタイルを変えると対向するように突進して来た。オズマの方が僅かに早く、エドハリの身体を組み付き、エドハリは倒すと右肩に噛み付いた。エドハリは剣を持つ右手の動きを封じられ、上手く動くことが出来ない。オズマはエドハリ喉笛に噛みつこうとした瞬間、悲鳴を上げ、エドハリの後方へ飛び上がった。オズマの右腰部が斬り付けられている。

エドハリの右腕と左脚の位置がすげ変わっている。身体変質術で右腕と左脚をすり替えたのである。エドハリはうつ伏せになると両手の掌を地面に付けると四つの魔方陣が現れた。掌の下の地面上に二つ、激痛でのたうち回っているオズマの背後に二つである。エドハリは魔方陣の中に出来た虚数空間に手を突っ込むと両手がオズマの背後にできた魔方陣から手が飛び出した。オズマはエドハリの両手に気付くと迷うことなく、剣を持つ右手首に噛み付いた。

「掛かったな!俺はお前の首を掻き切ったりなどしない!お前には実験台になってもらうぞ、あの化け物を見たらどうなるか!俺の視線の延長線上に鏡はあるんだったな。エドガー、あの鏡をそのままの位置のまま、百八十度転回させろ、俺の姿が映るようにだ。」

「やめろぉ!」

鏡にはあの魔物が正面を向いた姿がしっかりと映っている。エドハリの左手は既にオズマの後頭部をしっかりと掴んでいる。エドハリは力強く、オズマの顔を鏡に向けた。オズマが悲鳴を上げるとその肉体は灰となって飛び散った。

ミカは微笑んでいる。目を瞑って短く詠唱すると傍に姿見が現れた。

「小賢しいマネを。お前達の世界では空間に穴を開けて別の空間と繋げたりすることを虚数魔術と言うそうね。私も似たようなことができるの。やり方はちょっと違うけれど。」

ミカは姿見の表面に右手の人差し指を付けると鏡面が水面に浮き出る波紋のように波立ち始めた。ミカは右手を鏡の中へ突っ込むと鏡の中から鏡に映った分身の手を取り、自身の方へ引き寄せた。エドガーは鏡から現れたミカの分身を一目見て、違和感を感じた。

「パイソン柄のカラー?あの分身は僕達と同じ世界から来た魔術士なのか。」

鏡の世界から飛び出したミカが詠唱を始めるとオズマの死体の上に白装束の天使が現れた。

「福音の神子アルディスよ。そこな無知蒙昧の亡者を救い給え。」

「聖者の召喚による蘇生奇術だと!?禁忌魔法の最たるものじゃないか!?術式成立のための構成要件には尋常じゃない数の稀少供物と多大な時間、それに等価交換の代償として、自己犠牲の証を差し出さないといけないはず。それをあんな短時間の詠唱だけで発動させるなんて。」

福音の神子アルディスはアバター世界における救済の概念を具現化した姿と言われている。主を象る神話に度々登場し、神秘を引き起こす存在である。エドガーからすれば、実在するかどうかも怪しい聖者の召喚など本来ならば一生目にすることのないような奇跡体験なのである。

「常人の物差しで、考えるな。あいつに制約などない。お前ももっと頭を柔らかくして、派手に動いていい。どんなに達成困難な状況下に置かれていても、五分五分の能力を持つあいつの前では二者択一の選択で当たりを引き当てるゲームに過ぎない。」

エドガーもエドハリから渡されたイメージから五分五分の能力については把握しているが、魔法と異なるその能力に対し、いまいちピンときていない。

オズマは光に包まれると死の世界から引き戻された。

「姐さん助かったぜ。くっそ、この野郎、めちゃくちゃ痛かったじゃねぇか。」

オズマは悪態をついている。

「このケダモノめが、もう少し頭を働かせたらどうだ。別世界のアカウントを呼んできてまでお前を助けたのだ。私に感謝しろ。」

オズマとミカはほぼ無傷に等しい。事態は何一つ進展していない。

「僕に考えがある。あの女が黒豹を手間暇かけて呼び戻したのは君に本当の実力を出させないように釘付けにしておくためだ。君が自由に動けるように僕が何とかする。」

エドガーは一計を思い付くと、腹部の前に両手で三角形の印を結ぶと短く詠唱した。

「三覚特化、触覚専攻、視覚回路を切断。

君から光を奪った。聴覚機能も七割はカットしてる。視覚と聴覚の機能を取っ払えば、敵の催眠誘導系の魔術はまず、無力化できる。その分、触覚に感覚機能の出力を全て振ったから、敵の存在を余計に感じられるだろう?」

「あぁ、考えるな、感じろってやつだな。相手の思考まで読み取れそうな程冴えてる。」

三覚特化は視覚、聴覚、触覚の機能を倍化させる高等魔術である。強化させる感覚の度合いの割り振りもできる。人間の感覚比率の大半を占める視覚と聴覚を抑制させ、その分触覚を強化させることによって、エドガーにとっては予測不能の敵であるミカとオズマの攻撃の防御をエドハリに任せ、自分は補助に専念するつもりなのである。エドガーは普通の魔術士ならば、触覚のみに頼る戦闘などまず、不可能であるが、エドハリならばそれが可能と判断した。二人の親和性があって初めて成立する戦闘方法である。

「ミカが攻撃に回ったら、かなりヤバいことになる。多分、オズマは攻撃の下準備のための時間作りのために用意された捨て駒だろう。いくらゲームメイカーと言えども蘇生奇術の濫発は無理だ。あの黒豹は地道に何度でもぶっ殺せば、その内無力化出来る。

ミカに時間を与えたらダメだ。お前の三覚特化のおかげで自由に動き回れる。一度あの二人の動きをしっかりと止めたい。最高にクールな合体魔法を考えてる。その為にはお前にしっかりと俺を守ってもらわなきゃならない。やってもらえるか?」

エドハリは思念にてエドガーに手筈を送った。

「最高にクールか。よく、こんなこと思いつくな。」

エドガーはエドハリの方を向いてニヤけると自身にも三覚特化の魔法を掛け、視覚の機能を奪った。だが、エドハリの時とは異なり、特定の物体だけを見えなくする制約を付けた。動体だけを見えなくする制約である。

「鏡面投影。」

エドガーは更に二枚の姿見を発動させた。


ミカは鏡から現れた分身と手と手をを合わせ、二人で詠唱を始めた。二人の合わさった影から更に、分身が一体現れた。二身合一の魔法である。二身合一は先程、ミカが鏡面から別世界の同一の存在を呼び出したのとは違う手段で分身を産み出す魔法である。最初の分身の生成は召喚術に近いものならば、次の分身の生成は個性を創り出す具現術である。この分身は先の分身と違って真の分身ではない。二つの分身同士の特徴を持ち合わせた別の個体を生み出したのである。だが、分身同士の掛け合わせ故に特徴はほぼ同じと言って良い。オリジナルのミカは更に具現化した分身と手を合わせ、二身合一の魔法により、更に分身を産み出した。

エドハリとオズマは激しい剣戟を再開している。

「あの女、一体何の目的であれだけの数の分身を?いずれにせよ、早くこちらから仕掛けなければ。」

エドガーの胸中は焦りと不安で満たされつつあった。

エドハリはオズマの剣捌きと野性味を帯びた動きに慣れて来たのか、オズマの攻撃を利き手の右手剣で軽くあしらいながら、左手の指先で器用に様々な印を結びながら、小声で詠唱している。三覚特化の魔法が功を奏したのである。

「その物騒な化け物を下げてくれ!あの鏡が気になって、やりづらくて仕方ねぇ!」

今となってはミカの召喚した魔物がオズマとの連携の足枷となり、オズマの持ち味である敏捷性を完全に殺している。

「お前の我が儘を聞いてやる。そろそろ頃合いだ。時間が欲しいのは、奴輩も同じか」。

本体のミカは召喚した魔物を引っ込めると、二身合一の魔法を連続して唱え、続々と分身を生み出した。

「三覚特化の状態を維持してくれ!残り五秒程度でこちらの準備は完了する!」

「分かった。鏡面投影はキャンセル、こちらもそちらに合わせ、準備に備える!」

世界の創造主たるゲームメイカーはゲーム世界の外側からなら世界の中の事象を自由に容易く扱うことが出来る。ただ、システム構想の複雑さ故にゲーム世界内にプレイヤーとして転生、介入し、システム管理を行わなければならない場合には強い管理権を行使出来ることに変わりはないが、ゲームバランスを壊すおそれのある大きな力を行使する場合、ハードへの影響がないかをチェックするためのシステム中枢部からの査閲を通過しなければならない。ミカの扱う大魔法やこれからエドハリが仕掛けようとしている大技に詠唱が必要とするのはこの処理に時間がかかるためである。

エドハリとエドガーの最後の通信の直後、ミカの詠唱が一足早く終了した。

「神衣纏装!」

一体のミカの全身が七色の細かな光で瞬き出した。

その直後、エドハリとエドガーの合体魔法が発動した。

「黄金弓英博!」

祭壇の間の中空か黄金の光に包まれると、十人の黄金の甲冑を見に纏ったエドハリの分身が現れ、同時にミカとオズマを射掛けた。

黄金弓英博はエドハリの創り出したこの世界内では必殺の効果を持つ攻撃技である。分身に対するカウンター等の迎撃行為は黄金の甲冑が全て無効にする。エドガーはこの甲冑の発動をサポートしていたのである。不意に現れた黄金の威光に目を眩まされたオズマは隙を突かれて額を射抜かれ、絶命した。ミカの全ての分身も同じである。弓兵の必殺の一撃により、全員が射殺されている。

「クソ!本体を仕損じたか!」

エドハリは精根尽き果てたのか、膝をついている。神衣纏装は絶対防御、永久不変の能力を持つ攻略不可の禁忌魔法の一つである。ゲームメイカーの自死を防ぐために発動するゲーム世界の中の特殊プログラムの一つであり、本来ならば、プレイヤーとして転送されている場合、ゲーム世界内から自己の利益行為としての魔法の発動は出来ないはずである。

「まさか、生き残ったのは本体ではなく、最初に出した分身か!?」

ミカは外套を脱ぎ捨てると、全身の神衣が剥き出しとなった。クリスタルとダイヤモンドの装飾に様々な鉱石が散りばめられた衣装はステンドグラスのような輝きを放っている。ミカはエドハリを見下し、嘲笑い始めた。だが、表情に憐憫の情からか翳りが見える。

「その通り、別世界からアカウントを取り寄せたのよ。本当に残念だわ。私を本気で殺そうとあんな技を使うなんて。貴方、オズマに刃を向けても、私に一度も攻撃して来ないから、やっぱり私のことを愛してるんだなぁなんて感傷に浸っていたのに。つまらない世界の虫螻共の片棒を担ぐなんて、やっぱり貴方のこと、理解出来そうにないわ。

バイバイ、さようなら。」

ミカは右手人差し指を天に向けると頭上にクリスタルの長槍が現れた。長槍はエドハリに向けられた。黄金の弓兵は既に消え去っている。

「エドガー、俺の力が足りなかった。すまない・・・」

エドハリは目を瞑り、死を覚悟した。

長槍が投擲された瞬間、エドガーがエドハリの前に飛び出した。エドガーの前の中空に何重にも重ねられた黄金の大楯が現れるも、長槍は無惨にも全ての盾を貫き、エドガーの胸に突き刺さった。エドガーは額に右手人差し指を付け、手短に印を結び、詠唱した。

「瞬間転移!」

「エドガー!!」

エドハリはエドガーの方へ右手を向けた。黄金の輝きでエドガーの姿は見えない。エドハリが何処かへと姿を消した。

「彼を何処へやったのよ!」

ミカは金切り声を上げた。

「知るか・・・はっきり言っておくぞ・・・僕達はお前に負けた訳じゃない。お前が分身を沢山周りに置き始めた段階で、彼はお前の真意に気付いていた。五分五分の能力・・・お前は自分が負けるように自分自身に能力を発動し、願掛けしていたんだろう。一体だけなら、五割の敗戦率も一体分身が増え、能力を重ねて発動する毎にどんどんと敗北の確率は減退する。分身を十体も生み出し、分身が増える度に能力を発動させたら、約一厘程度の敗戦率になる。裏を返せば、九割九分九厘お前が勝つ計算だ。悲しいけれど、お前が分身を沢山生み出した段階で勝負は決まっていたんだ。五分五分の能力が発動しているかどうかはお前にしか、分からない。誰よりもお前のことを知る彼がそんなことに気付かない訳がない。彼はお前の良心に賭けていたんだよ。お前が五分五分の能力を使わずに正々堂々戦っていたならば、まだ勝利の目もあると。けど、予想通りの結果になった。彼は、お前が目を覚すのをたった一人で永い時をこの世界でお前を探しながら旅していたんだ・・・愛する人を裏切ったのは彼じゃない・・・ 

お前の方だ!!」

エドガーは嗚咽しながら、最期にミカに向かって力強く吠えた。

「うるさい!!黙れ!黙れ!黙れ!!」

エドガーを守る黄金の盾が消え去った。エドガーはミカに向かって、ふらつきながら歩み寄ると、彼女の右肩に手をそっと置いた。

「彼は何故、こんな稚拙で醜悪な心根を持つ女を愛したんだ。」

エドガーはミカを睨みつけると大粒の涙を流した。目を瞑るとエドハリとミカが無邪気にはしゃぎ合っている姿が目に浮かぶ。彼には意思と魔力を共有した時点で、エドハリとミカの眩いばかりの面影がエドハリの記憶として視えているのである。

もう一度、言うぞ・・・僕達は負けたんじゃない。引き分けだ。僕が自分の意志で彼を逃したんだ。憶えておけ。皇一族が必ず雪辱を晴らしにお前の元へとやって来る・・・」

ミカは目を見開いてエドガーを睨み付けた。エドガーはミカの瞳を見た。

「蛇の瞳にパイソン柄のカラー?もしや、これは諸悪の根源の・・・」

 エドガーは今わの際、黄金に眩く光に照らされた人影を見た。幻であるが、何処かで、見たことのある人影である。

「よく、頑張りましたね。貴方の戦いは未だ終わっていません。

貴方に大いなる知恵と役目を授けます。」

「奇跡だ。貴方は主なのか・・・」

ミカの手刀がエドガーの首を刎ねると無情にもその肉体は地面へと倒れ込んだ。


エドガーは寝台の上で目覚めるとすぐに起き上がり、うわ言を繰り返した。

「早く・・・早く!書く物を!」

選令門の医療スタッフが駆け寄ると、エドガーはスタッフを突き放し、近くに置かれていたホワイトボードに引っ付いていたマジックペンを手に取ると部屋の壁面いっぱいに数式を書き殴るとそのまま、また意識を失った。

エドガーはゲーム世界から持ち出せる情報をめいいっぱい書き残したのである。この時の彼の英断が後にエドハリ達を救うことになるのだが、そのことを彼自身は知る由もなかった。

うさぎ達が転送してから現実世界では既に十八分が経過していた。アニャンがゲーム世界に滞在可能な時間は残りわずかとなりつつある。

ダークカラーのスーツを着た男は数式が殴り書きされた壁面を一瞥すると、倒れたエドガーを抱き抱えた。

「君はよく頑張った。この情報は君が命を張ってまで持ち帰ったものだ。君のおかげで、やっと彼女の居場所が分かった。眠っている間に保秘のために記憶は消されてしまうだろうが、見返りはきっちりと用意させてもらおう。」

転送試験に脱落したエドガーであったが、後に救済措置として彼は合格扱いとなり、優秀な成績を修めたと評価され、褒美として、魔道六法の小本が授けられた。いずれ、彼は選令門屈指の大魔導師となるのであるが、それはまた別の話である。


12


ミカはスマートフォンを取り出すと電話で、仲間の傭兵軍団に指示を出した。

「こちらの作戦は失敗だ。敵ゲームメイカーは逃走、お前達のリーダーのオズマも殺された。すぐに秘宝の位置を割り出し、確保に向かえ。その途中、皇一派と遭遇したら、始末してしまえ。報酬も倍出す。敵ゲームメイカーを見つけた場合、その位置を知らせるだけでいい、手出しするな。」

通話の相手はオズマの腹心の部下である狸のタロウである。

「あのオズマがやられるとはよっぽどの相手なのでしょう。私は死ぬのは真っ平ごめんですよ。こちらも兵隊は置いて行きます。けれども、条件がある。魔法と武器の使用権限を上げて欲しい。そうでないと他の連中が納得しませんよ。こんな貧弱な装備ではね。」

「分かった。使用できる武器レベルを上げてやる。ほぼ、現代レベルの武器なら扱えるだろう。だが、私の創世能力では再現に限界がある。知らないものまで忠実に復元できないからな。」

「分かっていますよ。武器さえ使えるようにして頂ければ、後はこちらで上手くやります。それよりもキューブは本当に頂けるんでしょうね?騙し討ちはなしですよ。」

「お前達が皇一派をどうにかできたなら、報酬は保証しよう、できたらの話だがな。」

「モチベーションが上がって来ましたよ。大いに暴れさせてもらいますよ。」

電話の先から古狸の下卑た笑いが聴こえた。


アニャン達はエドハリが敵部隊と交戦中であることは早くに認知していた。エドハリとエドガーの二人がほぼ同時にフリートークの回線を切断したからである。エドハリが敵と内応することはあり得ないことから、仲の良かったエドガーも帯同していることは容易に想像出来た。 

時間が経っても二人と連絡出来ないことが皆を不安にさせた。そんな時である、ドーヴォルク要塞の近くで配置していた学生から敵部隊が広範囲に散開し、何かを捜索している様子だとの一報が入った。また、部隊の一部がアニャン達と同方向へ進行中とのことであった。

アニャンは長老ユスフの居場所へと向かっており、今は水路から陸路へと変わっている。アニャンは魔法で移動用の四輪自動車を呼び出すと車は自動運転で目的地へと向かった。車は荒野の一本道をひたすら走っている。

「どうやって長老と合流するんですか?」

うさぎはアニャンに質問した。

「しばらく行くと遺跡群があるんだよ。その中の遺跡の一つから、秘石と守り刀は発見されたのさ。ユスフは二つの宝を持ってドーヴォルク方向へ移動中。ドーヴォルクまでの運路は一本道だからお互いの方向に進めばいつかはどこかで合流できる。エドハリからの情報なら間も無く合流出来るはずなんだけどね・・・」

「一本道ですか、本当に取ってつけたような設定と言うか・・・散策の必要がほとんどないフィールドマップのRPGみたいですね。」

「それは、あんたがゲーム世界についての基礎知識をある程度持っているからそう感じられるんだよ。ここで生まれて使命を持たされて生きてる者は自分の存在に疑問なんて抱きもしないよ。」

しばらく車を走らせると対向からアニャン達に向かって走って来る数台からなる車列が現れた。長老ユスフの一行であった。

「アニャンさん、様子がおかしい?警戒した方が良い。」

村田頼母は車両を一度停止するようアニャンに進言した。

「何が見えたんだい?」

斥候役を買って出た村田頼母は後部座席から高性能の双眼鏡でユスフが乗車しているであろう対向車を監視していた。

「ユスフ殿はこちらに転生している期間を考えたら、相当な高齢の方のはず、そのような年格好の者は車両の中には乗っていないようだ。運転席に衛兵と思われる男、助手席には迷彩柄の防具をつけた男、後部座席には顔を負傷した男が二名、更に後ろの席にも顔までは見えないが一人何者かが乗っている。助手席の迷彩柄の男は頭を下げていて、顔までは見えない。」

「まずいことになったね。ユスフはどこかで捕獲されたか、自分から姿を消したと考えるのが妥当だね。」

「皆さん、後方から敵襲です!まだ、距離はありますが、敵の飛行部隊がこちらへ進行してきます!」

後方触角をしていた村田ユウリが目視にて敵影を確認した。

「キョロと可奈、あんた達はここに残って対向車の確認をやって欲しい。ユスフはおそらく車内にはいない。後部座席にいる負傷者はおそらく、人質に取られて、拷問を受けている兵士だろう。ユスフの居場所を吐かないから、敵は人質返還を条件にあたし達からユスフの居場所を聞き出そうとしてるんだよ。二人には後部座席にいる捕われた人質の奪還とユスフがどこに行ったか人質から聞き出して欲しい。」

「イヤです!」

即答である。可奈は頑として首を縦に振らない。

「コイツと一緒ってのが・・・そんないかにもヒャッハー系のテロリストみたいなの相手にコイツと二人だけで相手しろなんて無理です!」

「僕も、アニャンさんと一緒がいいです!どこまでもついて行きます!」

「お前、ただ、死にたくないだけだろう!」

「私、ここに残っても平気です。多分、あの程度の連中なら大丈夫です。」

うさぎは対向車の相手を買って出たが、アニャンは許さなかった。

「ユスフと接触出来ても、あんたがその場にいなきゃ、話にならないんだよ。キョロ、あたしはあんたはここに残った方がまだ、マシだと思うけどね。エドハリ達と連絡取れなくなったことを考えるとこの先であたし達が相手をしなきゃいけないであろう、敵の主力は相当ヤバイ連中だよ。ここで小競り合いやってる方がマシだと思うけどね。」

アニャンから手間を取らせるなと言う圧力がムンムンと発せられている。伊藤はアニャンさんがそう仰るならと、素直に提案を受け入れた。可奈にあっても同じである、伊藤と同じく、死にたくないのは山々なのである。二人は渋々従った。アニャンは二人を降車させると全速力で前進し、対向車とすれ違った。対向車の運転手は狼狽えている。

「兄貴、行っちまいましたぜ、追わなくていいんですか?」

運転席の男は助手席の男に声を掛けた。

「距離を取ってから転回しろ。無理に追跡するな。運転席にいた女の方から対象に接触しに行く可能性もある。それに、俺は今回の仕事はあんまり乗り気じゃなくてな。あのオズマが軽くあしらわれてやられちまったそうじゃないか?俺達みたいな異世界から来た連中はここの魔法技術にはあまり馴染まないからな。それに今、こちらへ向かってくる車両の中の一人だろう。?俺達の部隊の人間を何人か倒したのは。本音は連中に変に近づき過ぎて、返り討ちに遭いたくない。俺達はゲームメイカーでも何でもないしな。外部からの救済措置がない環境で転生先で死んだら、それでおしまいだ。俺はこんなところで死にたくない。お前も適当に仕事するに限るぜ。」

助手席の男が応えた。

「若い男と女が路上に立ってますが、どうします?」

「お前の好きにしていいぞ。」

「なら、面白半分に轢き殺そうかなぁ〜!」

運転席の男はアクセルをベタ踏みし、急加速した。

可奈は苦虫を潰したような顔をすると、大きな弓を取り出すと矢をつがえた。

「なんか、めっちゃ飛ばしてこっちにすっ飛んで来るんですけど。気が変わったわ。やってやろうじゃない。」

可奈は運転席の男を狙って矢を放った。可奈の放った矢は対抗する車両のフロントガラスを突き破ると運転席の男の左肩に直撃した。車両が急停止する。運転席と助手席から男達が降車して来た。運転席の男は激痛のため大声を上げている。

「くっ、痛てぇ!痛てぇってもんじゃねぇぞ!よく見りゃあ、クソガキじゃねぇか!?」

運転席の男は顔の皮を勢いよく引き剥がすと緑色をした蜥蜴の顔が露わになった。

「ひぃぃ!キモっ!素顔を晒した方が覆面強盗みたいな!?」

可奈は射抜いた敵の正体に驚き、引きつった顔をしている。

「キント兄!女の方は俺が相手するからな。ぶっ殺してやる。」

「さっきから、好きにしろって言ってるだろう。で、俺はこっちの兄ちゃんを相手にすればいいんだな?」

助手席の迷彩柄の男も人面の顔を引き剥がすとドーベルマンの顔が露わになった。

「キョロはあっちのスカしてるワンコロの方をお願いね。」

「その名で呼ぶな!アニャンさんだから、許してるんだぞ!君はキントと言う名前なのかな?」

「その通りだが、それがどうしたんだ?」

「お願いがある。ほんのしばらくの間、時間を頂きたい!準備が整うまでリラックスして待ってくれ給え。」

「なんだコイツは?」

伊藤は深呼吸し、目を瞑ると短く詠唱を始めた。キントは伊藤の申し出を受け入れるとかったるそうにしてタバコを取り出し、ふかし始めた。

「お待たせした!それでは始めよう!出でよ、我が僕よ!」

伊藤の隣のスペースから白い煙が立ち上がると煙の中から、正装した老紳士が現れた。紳士は白髪をセンターでびっちりと分け、綺麗にカットされた口髭をはやし、鼻眼鏡を掛けている。

「僕は敵と取っ組み合うような野蛮な戦いは不得手でね。君の相手は僕の使用人であるこの執事の青山にやってもらうことにする。」

「はぁ!?何かもったいぶったことやってるから何となく傍観してたけど、誰だよこの爺さん?いけすかない奴だとは思ってたけど、この場で正々堂々と卑怯系なことするのね、あんたは?後でアニャンさんに言いつけてやろう!」

 伊藤のいつもの調子に可奈は呆れた様子である。

「僕が何故、魔導六法の小本から盗聴などと言うあんな低次元の魔法を選ばざるを得なかったか、君には分かるまい!僕の得意分野は召喚術と身体変質術でね。汗水流して覚えた上級魔法は全て手帳には記載されていなかった。得意な三覚強化の魔法も当然ながら、下僕呼び以外の召喚術もほぼ、あの手帳には記載されてなかったのだからな!ここへ来てから、ずっとモヤモヤしているのだ、誰も本当の僕の実力を分かっていない。」

伊藤は胸を張り、アニャンがいないにもかかわらず、声高らかに宣言した。可奈は伊藤を無視すると執事の青山の方を向いて、頑張って下さいねと言った。

蜥蜴の男は名をジルバと言う。刺さった矢を抜くと、腰のバンドに取り付けたポーチの中から湿布のようなものを取り出し、傷口に貼り付けた。湿布は変色し、皮膚と同化すると傷口を塞ぎ始めた。

「俺を仕留め損なったな。折角の弓矢もこの至近距離じゃ、持ち味を出しきれねぇだろ。」

ジルバは腰のホルスターから自動拳銃を抜くと可奈に狙いをつけ、早撃ちを試みた。その時である、青山は凄まじい速さで何処からか取り出した大口径のショットガンでジルバの胸を撃ち抜くとジルバは後方に吹っ飛んだ。

可奈は隙に乗じて、めいいっぱい後方へ間を取った。キントも手にしていたタバコを無造作に投げ捨てるとサイドステップで距離を取った。

「坊っちゃま、今のは防衛措置で銃を抜きましたが、今後も戦闘行為を続けるのであれば、武装オプションとして、それ相応の追加料金を頂きますが、いかがなされますか?」

「こんなことは初めてだからなぁ。相場はどのくらいするもんなんだい?」

「お持ちの財の二割と言ったところでしょうか?金額の大小の問題ではありません。流儀のお話です。但し、非常時ですので一割まで割引きますよ。どうでしょうか?」

伊藤は下卑た微笑で軽くうなずいた。

「良きにはからえ。参考だが、ここでは何をやっても罪にはならないらしい。」

「畏まりました。こう言った命のやり取りは久々ですので、高揚しますな。」

青山は素早い動作で慣れた手付きで弾を込める。キントはデリンジャーを抜くと後部座席に座る人質に銃口を向けた。

「爺さん、俺を撃ってくれるなよ。所作を見てるだけで、相当腕が立つってのは分かるぜ。俺はそこの蜥蜴と違って、面倒ごとは大嫌いでね。」

青山は顔を上げると耳を澄ました。遠くから飛行音が微かに聴こえる。

「時間稼ぎですか?この御仁はどうやら、すぐそばまでやって来ている応援部隊をお待ちのようだ。お嬢さん、弓の腕前に自信はおありですか?」

「はい、おかげさまで、御期待に沿うことも可能です。」

「やって来るのは恐らく軍用ヘリのような輸送機でしょう。増援の降下の前にヘリを撃ち落としてもらいたいのですが、お願い出来ますか?」

「お安い御用です。射程は最長で三キロはいけます。」

「おぉ、それは素晴らしい!向こうが射撃行為をして来る可能性もあるので、射程が一キロを切った状態になったら、攻撃を。合図はこちらで出しますので。坊っちゃま、念のためカードをお持ちしたのですが、お使いになられますか?」

「何と気が効くんだ!さすが、ハイスペック執事!こちらへ寄越してくれ!」

青山は掌サイズのカードケースを伊藤に投げて渡した。

「直ぐにお使いになれるようにデッキは既に組んであります。」

伊藤はケースを開けると中身を確認した。伊藤は興奮している。

「うぉー!これだこれ!青山、これで勝負は決したな!」

「キモっ!何かこの人、絶好調なんですけど・・・」

可奈はひいた眼差しで伊藤を見ていた。


伊藤政通は真に誤解を受け易い男である。彼はポラリス筆頭の大財閥の創業者の家筋に生まれ、現在の当主の三男坊として生まれた。伊藤家はロイヤルファミリー、キングメーカーの一族として、その家系は政治家や財界人、著名な芸術家が名を連ねている。彼自身も大富豪の御曹司で生粋の金満家庭で育てられた。伊藤家は選令門の後援の筆頭の地位にあり、かつては学術機関の一つに過ぎなかった選令門を今の地位に至るまで経済面でその存続を支え続けて来たのである。眉目秀麗、博学多才にも関わらず、周囲の評価がイマイチなのには幾つか理由がある。最大の理由は兄へのコンプレックスである。彼には二人の兄がいるが、長男の将臣は伊藤家の後継者として帝王学を徹底的に叩き込まれた男であり、選令門高等部は当然のことながら首席で卒業、凡ゆる魔法に精通し、医学博士の肩書を持ちながら、法曹界に身を置く、スーパーマンなのである。彼は現在ポラリスの中枢部で財務官僚となっているが、いずれは財閥を率いることが約束されている。次男の政従は将臣に負けず劣らずの才気のある男であり、誰からも人望が厚く、若くして政治の道を志した。二十歳そこそこの若年ながら、ポラリスの若きリーダー候補として都市議員となった。そんな二人に比べるとどこか見劣りしてしまうのが、末っ子の伊藤政通と言う男なのである。

二人の兄と負けず劣らぬ能力を持っているにも関わらず、パッとしないのは一重に人として偏っているからである。分かりやすく言うなら、変わり者である。ただ、彼には二人の兄弟には絶対に負けない一つの才能があった。それは金儲けの才能である。小さい頃から数字に明るく、物心が付いた頃には五十近い銘柄の株式を管理し、景況の筋を読み、巧みに財を増やした。彼の父である当主の有靖はこうした彼の才能を本心では認めつつも、快く思っていなかった。その理由は嫉妬からである。伊藤家は財閥である以上、金の話は常に付き纏う、錬金術こそが伊藤家の当主に一番備わっていなければならない才能なのであるが、こんな才能がよりによって何故こいつにと言う気持ちが有靖にはあり、政通は愛情を向けられず育てられた。政通の母はそんな彼を不幸と思ったのか、彼を大いに甘やかした。こうした家庭環境が今の彼を作り上げたのである。彼は強い劣等感と自信の狭間で揺れ動いている。執事の青山は彼の幼少期からの付き人であり、彼が全幅の信頼を寄せる執事であった。彼は謎の多い男であるが、一つだけ確実に言えることがある。極めて有能であり、すこぶる腕が立つのである。そんな二人が遂に真価を発揮し始めた。


人質を乗せた乗用車が背を向けている可奈に向かって急発進して来た。

「運転席には誰も乗っていないはず!?」

可奈は背後の車の気配に気付いたが回避が間に合いそうにない。一瞬のことであるが、死を覚悟した。

「マジックモンスター、剛腕の擬人タイタンゴーレムを召喚!」

伊藤の投げつけたカードから鋼鉄の魔人が浮き上がると車のボンネットを両手で掴み、その進路を阻んだ。

キントは乗用車が前進したことにわずかに怯むも銃口を伊藤へ向け、射撃をした。

伊藤はキントの行動を先読みし、すでに次の手を打っていた。右手で素早くカードを一枚抜き、カードを発動させた。

「スキルカード、英雄の天幕を発動!」

伊藤の前に薔薇色のビロードの天幕が現れるとキントが撃った弾丸を全て受け止めた。弾丸は勢いをなくし、地面に落下した。

「こいつの技は一体何だ?敵戦力の魔法はほぼ封じられているとは聞いていたのだが。」

キントは伊藤のカードマジックに驚きを隠せない。

乗用車は停止すると後部座席から、男が一人降りて来た。狐の頭部をしている。くたびれたベージュのジャケットに灰色のスラックス、その風体と貫禄からチームのリーダーであることが容易に予想できた。

「そいつは疑いようもねぇ、魔法だよ。お前らは向学心が低いからな。俺達は魔法とは縁遠い無法者だが、覚えたら、中々便利だぞ。魔法を発動させるとカードから魔力が全く消えて無くなっているところを見ると、どうやらそのカードは使い捨てのようだ。

カードは使用後は消えはしないが、小僧は使い終えたカードを大事にしまっているところを俺達に見せて、カードマジックが繰り返し使えるようにハッタリで見せかけてる。 

ジルバ!増援が来ると思って絶対に気を抜くなよ。小僧がこの中で一番厄介で抜け目のない奴だ。」


可奈は迫り来る敵の飛行体を狙撃するため、弓を構え、弦を引き絞り全神経を集中させようとしていた。狙撃には伊藤と青山のサポートが不可欠である。

可奈の肩がワナワナと震えている。

「助けてもらって何なんだけど、その中二病臭い喋り、どうにかなんないかなぁ?気が散るんですけど。本気でカッコいいと思ってやってるの?もぞ痒いって言うか、ざわざわと言うか・・・鳥肌が立つわ。」

伊藤はいつの間にか黒色の革の指抜きグローブを装着している。

「えっ!?」

「えっ!?じゃないよ・・・あんた、イケメンだからまだ、救いがあるよ。キモいとまでははっきり言わないけどさ。正直言って、恥ずかしくて見てられないわ。」

「キモいって言ってるのと同じですよ、それ・・・」

伊藤は涙目である。

「坊っちゃま、気を落とさずに。私はマジックカードは坊っちゃまに相応しい素晴らしい魔法と思っていますぞ。」

「気休めはよしてくれ・・・」

「可奈!程々してやんな、そいつはナイーブなんだからさ。」

「アニャンさん!?もしか、今までのやりとりみんな聞いてました?」

フリートークの能力によりアニャンの声が聞こえる。声から笑いを堪えているのが分かる。

「聞いてるも何もないよ。こいつは、自分の必殺技を見せびらかせたくて、フリートークの回線、ずっと開放してたから。音声だけでキョロがポージングしながらカードひけらかしてる姿が目に浮かんできたよ。こいつ、才能あるのに勿体ないよね、無駄にイケメンだし。」

「そうなんですよ!見てると痛いのは当然なんですけど、気の毒と言うか・・・」

「俺は伊藤のデュエリストとしての真髄を見た気がするぞ。あっ、聞いただけだけど。」

「頼母!あんたそれ、フォローになってないから!」

「アニャンさん、笑けて手元狂うから、ホントやめて下さいよ!タノ君もやめてよね!」

アニャンのバカ笑いが聞こえて来る。

伊藤の使うカードマジック、「三才図画」は伊藤オリジナルの難易度のかなり高い召喚術である。伊藤の想像力、再現力、魔力の三つの才能があって初めて成立する魔法である。この魔法は伊藤がイメージしたものを伊藤の管理する魔法にて肉付けし、具現化する能力であり、伊藤はこの魔法を召喚術と言い張るが、無の状態から有のものを生み出し、個性を植え付けると言う創生能力を考えると実は虚数魔法として要素の方が大きい。例えば先のタイタンゴーレムであれば、泥人形のゴーレムを自然物等から生み出す魔法、ゴーレム自体を強固にする魔法、そして魔法で作った性質を持った召喚物として実体化させる工程を経て始めて成立するのである。それに加えて、召喚物をカードの中に閉じ込め、いつでも使用可能な状態で保存する技術も必要となる。伊藤は沢山の有能な魔導士を大金で雇い、自身では使用できない魔法をカードの中に閉じ込めて保管している。カードの創作と収集は伊藤の完全な自己満足による趣味である。 

本来であれば、カードの中の召喚物は伊藤の管理の元で出し入れしても消滅せずに保管し続けられるのであるが、ゲーム世界の中では伊藤の魔法能力が制限されているため、使用する度にカードの能力は消失してしまうようである。現にタイタンゴーレムも英雄の天幕も、ものの数秒で姿を消してしまった。カードを全て使い切れば、伊藤はここではほぼ無力となってしまう。可奈が狙撃を成功させ、敵の増援を防ぐためには、青山と協力して、目の前の三人の敵を倒すことは必須条件であった。

可奈は目を閉じ、心の中で詠唱を始めた。飛行体の音がする方を向き、矢を番え、めいいっぱい弓の弦を引き絞った。可奈が雑念を取り払い、集中するために、心の中で詠唱をしている。この行為を心象詠唱と言う。魔術詠唱は通常口述で行われるがこれは魔法を扱うにあたり、主との口頭契約をしていると言う建前から来ている約束事のようなものである。音にすることで術式を形作るために言葉として声にして発しているのである。可奈は心象詠唱を好んで使う。理由は簡単である。若さ故に口述詠唱をするのが気恥ずかしいのである。命を懸けて行う魔術に照れもへったくれもないのであるが、些細な心の澱が、魔術の成功の大きな仇となることもある。主に対する厳格な信仰を持つ者は特にこうしたことを嫌う。鶴が口述詠唱に拘るのもこれが理由である。可奈を包み込む空気が変わった。小さなラップ音と共に空間に折れ目のような線が乱雑に入り始める。

「凄まじい集中力だ。心象が第三者に目視出来る程とは。もう、私の声は貴女の耳には届かないでしょう。貴女の心をノックします。それが合図です。」

青山は半身になり、傍にいる可奈に声を掛けると左手を横に広げて伸ばし、縦拳を可奈の背中へ向けた。青山の全身から青白い陽炎が現れた。

「心ばかりではありますが、私も御助力致します。」

青山は左目だけを瞑り、小さく詠唱した。青山の左目から血が流れ出す。これは青山が左目の機能を可奈に差し出したことを意味している。

可奈は閉じた瞳の中で肉眼では未だ見ることの出来ない距離にいる飛行体の姿を捉えた。

「パイロット、翼の回転軸、燃料タンク・・・全部見えた!」

青山の左腕から腕の形をした陽炎が伸び始める。

「青山!まだ、合図には早いぞ!!」

「坊っちゃま、彼女なら、大丈夫。期を逸しては事を仕損じます」。

青山は右目の視線をドーベルマンのキントへ向けた。キントは身体に結着した無線機から飛行隊と通話をしている。

「まずい!飛行体から攻撃が来るぞ!」

伊藤がカードホルダーに手を掛けようとしたところ、いつの間にか背後に回っていた蜥蜴のジルバがカードホルダーの蓋を手で押さえている。

「へへへっ、抜かせねぇ。親父、得意の魔法で俺とキント兄の援護を頼むゼェ。爆撃の巻き添えを食っても生きていられるようにヨォ。」

「心配するな、もう手は打ってある。車内で防御魔法を詠唱済だ。後数秒に我々の肉体は激しく硬質化する。ヘリのミサイル攻撃程度ではびくともしない程にな。」

青山は右の腰からワルサーP38を抜き、ジルバに銃口を向けた。

「この下郎が。その薄汚い手を退けろ。」

銃口が火を噴くとジルバの人差し指の付け根から手首に突き抜けるように着弾した。

一瞬の隙をつき、伊藤がカードを抜く。

「カードマジック、ピクセルローディングを発動!」

可奈と伊藤と青山の身体が一瞬にして半透明の立方体群へと変化した。

伊藤を中心とした周辺十数メートルの範囲が極小の半透明のブロックキューブで構成された等身大のジオラマのように変化した。

カードマジック「ピクセルローディング」の効果によるものである。ピクセルローディングはカードの中に閉じ込められた虚数魔法であり、使用者の周辺の者をわずかな時間だけ情報の塊としてピクセルキューブ化し敵の能力や自軍の者の状態を解析する能力である。キューブ化されているわずかな時間は現実改変能力を持つ虚数魔法しかキューブへの攻撃は効かない。伊藤は敵能力の分析より、防御の意味合いでこのカードを使用したのである。

青山は左腕腕から伸びた霊体の手拳で軽く可奈の背中をノックした。

可奈の弓の両端から長さ二メートルの金属製レールが瞬時に具現化される。可奈は矢を放つと小さな光弾となった矢が凄まじい勢いで空を飛んでいく。

「レールガンだ!」

伊藤が叫ぶと同時に飛行体から光が発せられた。

「敵の攻撃が来ますぞ!」

青山は伊藤達に警戒を促す。

その頃、遥か上空では敵の輸送ヘリから射出されたミサイルの間を縫って可奈の放った光の矢がヘリのフロントガラス越しにパイロットの心臓部に着弾すると曲線を描くようにヘリの翼の回転軸を射抜き、更にU

ターンするとヘリの燃料タンクを撃ち抜くと、ヘリはその場で爆発を起こし、空中でバラバラとなった。それとほぼ当時、伊藤達のいる道路上にもヘリのミサイルが着弾し、周囲は爆炎に包まれ、残響音が響き渡った。

「キョロ!無事だったら、すぐに返事しろ!!」

残響音を聞いたアニャンがフリートークで声を変えるも返答はない。アニャン達のいる車内に緊張が走る。

「カードマジック・・・ウンディーネの慈雨・・・コホッコホッ。大丈夫ですよ。みんな無事です。敵の増援部隊を撃破しました。音聞君がやってくれました。まぁ、僕と執事の青山のアシストのおかげですけどね。」

回復魔法ウンディーネの慈雨の効果により、伊藤達の大雨が降り注ぐと、爆撃の影響で燃え盛っていた周囲の炎は全て消え、粉塵も雨風で消えると周囲の状況が次第に露わになってきた。

ピクセルローディングの効果は消え、その場にいた全ての者が元の姿へと戻っている。

可奈は全勢力を使い果たし、地面に倒れ込んでいる。

「青山、蜥蜴とドーベルマンをすぐに始末しろ。召喚の効果がまもなく切れる。」

「畏まりました。この手際の良さ、坊っちゃま、感心致しましたぞ。かの大賢者カミュ=サマセットの末裔は伊達じゃない。貴方こそ、平安の治世をもたらす大賢者の再来。 

貴方の素質を見抜き、保護するように私に命じたお爺様は誠の慧眼でございましたな。」

青山の左目の血涙はいつの間にか透明で清らかな涙へと変わっている。ウンディーネの慈雨が青山の左目を治癒したのである。

「感傷に浸るのは無事に帰るまでのお預けだ。いくぞ!」

伊藤は更にカードを抜こうとした。

狐のドンクスが魔法を発動した。

「ジルバ、こいつを使え。暴虐の逆斧!」

蜥蜴のジルバの両手に一本の異形の戦斧が現れた。ドンクスの詠唱は続く。

「粉飾加速。」

戦斧の背に付いている三本の装飾の突起が直線状に伸びた。伊藤は異形の戦斧の姿態が気に掛かった。

「見たことも聞いた事もない魔法だ。青山!間合いを広く取るんだ!」

ジルバは狂った様な勢いで青山に飛び掛かると戦斧を振り回下ろすと、すぐさま戦斧を振り上げた。青山は伊藤の指示の通り、広く間合いを取って、ジルバの攻撃を素早くかわそうとしたその瞬間であった。

青山の身体が戦斧に吸い寄せられると青山はわずかに身体のバランスを崩した。ジルバの戦斧は一の太刀の数倍のスピードで振り下ろされた。

青山は両脚で踏ん張ると身体を退け反らせたが、間に合わない。戦斧の斬撃により、右胸から左脇腹にかけて浅く斬られてしまった。ジルバは更に戦斧を引き上げると、青山の身体は更に戦斧へと引き寄せられる。青山は右手でジルバの両手首を軽く抑えた。ジルバは先程と同様に超加速の斬撃を繰り返した。ジルバの両手の動きに反作用を起こした青山の身体が弧を描くと青山の蹴りがジルバのうなじに直撃した。青山は直ぐに体制を整え、後方へ下がった。

青山の左足の靴の爪先から飛び出した仕込みナイフが根元から折れている。

「やはり、戦斧を引き上げたときにエネルギーが蓄積されているようだ。警戒すべきは二の太刀。戦斧固有の魔法効果によってブラフの一の太刀で相手を引き上げ、バランスを崩し、二の太刀の倍化した威力で斬撃を繰り出す。その仕掛けが見抜けても、敵の硬質化がこちらのカウンターを阻む。未知のドーベルマンの能力を加味すると厄介だ。」

青山は思案に暮れている。

「キョロ、相手に気取られない様に。よく聞いて。青山さんが苦戦してる。私には青山さんがくれた左眼の力の効果が残っている。あの蜥蜴の急所が視えてるのよ。私の魔法ならその急所を撃ち抜ける。そのためにこの場にいる全員の動きを上手いこと止めて欲しい。やってくれるよね?」

伊藤は伏せている可奈をチラと見た。

「見事なタヌキ寝入りですね。」

「うっさいな!失敗したら許さないかんね!」

伊藤は周囲の者に分からぬ様にゆっくりとカードホルダーに手を掛けた。伊藤を最大限に警戒していたドーベルマンのキートンはそれを見過ごさなかった。

青山は伊藤の方を向くと瞬きを二回した。

「ノーのサイン?青山は音聞君と僕の考えに気付いているのか?」

伊藤はチラリと腕時計を見た。

「召喚出来る時間がほんの僅かしかないのか。」

伊藤はジャケットの左の袖口を左手の薬指と小指で引っ張った。同時にカードホルダーの蓋に手を伸ばしたその瞬間である。キントは右手の人差し指と親指で小さな黒色の何かを弾くとカードホルダーの蓋の上に置かれた伊藤の右手に当たった。

伊藤の右手に激痛が走る。伊藤はあまりの激痛に声を上げた。

「何があったんだ!?」

「油断も好きもない。カードマジックは使わせない。」

伊藤の右手が急速に青黒く腫れあがり始めた。

「毒か!?」

「その通り。今、お前の身体を蝕んでいるのは俺の身体で飼い慣らしてる蚤の毒さ。」

キントは右手の親指と人差し指で丸まった蚤を摘んで見せた。

「コイツは人間には効果テキメンの即効性の毒を持ってる。放っておけば、執事の爺さんが消えるより先にお前さんの方が御陀仏だ。」

ジルバは青山に向かって戦斧を振り上げた。青山はまた、ジルバに引き寄せられる。

「何やってるのよ!?何とかして!」

可奈はフリートークで伊藤に悲痛の声を上げる。

「まだダメだ!僕を信じろ!!」

ジルバの戦斧の強烈な斬撃により、青山は真っ二つになった。

「今だ!!」

伊藤は可奈に合図を出した。可奈は訳もわからないまま、起き上がるとジルバの腹部を狙って矢を放った。矢は真っ二つになった青山の身体の裂け目の隙間を通り抜け、ジルバの腹部のど真ん中に直撃すると、猛烈な勢いで脊髄を貫くと背から突き抜けた。ジルバは急所を射抜かれ、絶命し、地に倒れた。

伊藤は左手の袖口から隠し持っていたカードを引き抜くとマジックを発動させた。

「マジックモンスター武装執事AOYAMAを召喚!」

ガトリングガンで武装した青山が現れると、キントを胸部を執拗に銃撃、硬質化したキントの皮膚の装甲を破り、遂に風穴を開けた。

キントは反撃する事もできず、目を見開いて絶命した。

「魔法が封じられた時の非常用にと思って、隠し持っていた虎の子の一枚がこんなところで役立つとは。備えあれば憂いなし、青山の助言の通りになった。召喚術の残り時間はいずれにせよ、あと数十秒しかなかった。僕が自身の魔法で召喚した青山がその場から消えれば、今度は通常の召喚術とは異なる手法のカードマジックなら万全の武装状態の青山をすぐにでも呼び出せる。だから、元々保険としてカード化しておいた召喚術で青山を再度召喚したんだ。」

伊藤の言葉を聞き、可奈は安堵の表情をしている。ゲーム世界ではマジックカードは使い捨てとしか使えないため、召喚物はほんの僅かな時間しか召喚出来ない。青山は役目を終え、早くも消えかかっている。

「さすが、坊っちゃま、信じていましたぞ。毒の種類を解析し、解毒剤を精製する時間はありません。今すぐに患部の右手を切り落とせば取り敢えず、死からは逃れられます。お早い御決断を。」

青山はポケットから取り出したナイフを伊藤に手渡した。

「分かった。青山、ありがとう。」

青山は光となって姿を消した。伊藤は迷いもせず、手にしたナイフで右手を切断した。伊藤の右手から血が噴き出す。

「ちょっと!あんた何やってるの!?」

伊藤は可奈には目もくれず、ジルバの死体の傍まで歩いて行くとジルバの腰のバンドに取り付けられたポーチから湿布を取り出した。ジルバの銃創を塞いだ医療品である。伊藤は湿布で右手の切断面を塞ぐとみるみると傷口が癒着し、傷口は塞がり、出血は止まった。

「そんなの使って大丈夫なの!?」

「ピクセルローディングでこの場にある物は全て解析したんだよ。あのドーベルマンの隠し持っている武器が生物ってところまでは分かっていたんだけど、余裕がなくてその生物が何かまでは分からなかった。相手の毒が未知の毒性だと解毒には時間も掛かる。僕の右手の中に今も食い込んでいる蚤を調べれば血清も作れるし、解毒剤も調合出来るんだけどね。ただ、ここは仮想世界の中だ。時間が経って元の世界に帰れば怪我なんて全てなくなる。音聞君には後で説明するがピクセルローディングで色々と分かったこともあるんだ。ただ、今は目の前の敵に集中したい。」

伊藤の顔付きは転生直後のものとは全く別物になっている。私の知ってる伊藤はこんな奴じゃないと感じた可奈は冷静で精悍な顔付きの伊藤に僅かにおそれを感じた。

「貴方と交渉したい。僕はこの辺でもう、手打ちにしても良いと思ってるんです。先程のカードマジックで僕達は貴方達と違ってこの世界との親和性がずっと強いことが分かりました。僕達と比べると貴方達の転生先での生命は極めて有限的なものだ。僕達の抱えている転生のリスクと貴方達の抱えている転生のリスクは天秤にかけられないほどその重さに差異がある。」

伊藤は狐のドンクスに諭す様に語りかける。

「あのピクセルローディングとか言う解析用スキルでどうしてそこまで言い切れるんだ?こっちは応援だって呼ぼうと思えば、まだまだ幾らでも呼べるんだぞ。」

「あなた達は応援なんて来ませんよ。この世界の構成物は自立しているプレイヤーの行動によって自動で生成されるものだ。先程の魔法による解析作業でそれが分かったんです。我々の様なプレイヤーに付随する静物以外の全ての静物に関しては極めて情報の密度が薄かった。この世界はまるで張りぼてで出来た世界だ。推測に過ぎないのですが、おそらくこの世界の創生者、言い換えれば極めて強い管理権限を持ったもの以外の者は簡単な仕組みや仕掛けで作られた箱庭の様な模型の中で歩き回ってるに過ぎない。しかも、ここは人間の本来の行動範囲ならあっという間に踏破してしまう程の小さなフィールドの世界だ。」

可奈が、割って入った。

「ちょっと、私ついていけてないんだけど、簡単に言うとこの世界は大きく見せてるけど、よくあるRPGみたいな簡単な構造の小さな世界だってこと?」

「そのとおり。現実世界からイレギュラー的な方法でやって来た青山と正規の転送方法でこちらの世界にやって来た僕との間に増援のヘリの接近速度や距離の感覚に大きな差異があったのもそれが理由なんだよ。僕達はこの世界の仕様に合わせた感覚に情報を書き換えられているんだろう。魔法が最初に使えなかったのも原因は同じさ。アバター世界の虚数魔法は世界の外側から観測する術を持っている。だから、僕らは比較的騙され難いはずだよ。あなたは魔法が使えるようだし、僕らが倒したそこの二人より、その辺のところをよく弁えていたんじゃないですか?」

伊藤は顎でジルバとキントの死体を指し示した。

「俺達は魔法の素養が少なくてな、お前が使ったような観測を主にしたような上等な魔法までは使えないのさ。つい最近のことなんだが、強烈なカリスマ性を持ったリーダーが群れから消えちまってな。スメラギと言う若い娘っ子に酷い目に遭わされちまったのが、理由なんだが、そのスメラギって言うのが、俺達の本来いるべき世界の救世主と言うか防衛システムみたいなものだとはここへ来る直前まで全く分かっていなかったのさ。俺は喧嘩した相手が悪かったとすぐに悟ったが、若い連中は違ったんだよ。元々がヤクザな集団だからな。頭目が、見下していた人間にやられちまったんだ。カッカしちまうのも訳のない話さ。」

「僕には話の全貌までは見えませんが、遺跡群に直行したもう一つのグループの情報とすり合わせをすればきっと丸々理解出来るのかな。アニャンさんも全く酷い人だ。僕の盗み聞きの能力から目的への横槍を警戒してメインイベントから遠ざけたんだから。」

「メインイベント?これからうさぎ達に何が起きるって言うの?」

「メインイベント、主要なシナリオ、超えるべき試練、本筋の大クエストだよ。今回の転送の目的とも言えることだろう。おそらくはスメラギとか言う防衛システムを再起動させることだ。ここで起こした出来事は僕らのアバター世界にも波及する。非現実世界から現実世界への干渉さ。非現実世界、この表現には語弊があるな。一見非現実に見える世界でも現実に存在する世界、これが正しい表現になるのかな。」

ドンクスにはきっと理解できる話なのだろう。可奈にはイマイチ話が理解出来ない。可奈の表情を読み取った伊藤が更に話を続けた。

「実現する可能性のないバカバカしいことを「絵に描いた餅」と言うだろう?けど、もし、その絵に描いた餅を本当に絵の中から取り出せたとしたらどうだろう?荒唐無稽な話だけど、人が想像出来ることは必ず実現出来ると言うだろう。僕の私見なんだけど、人間はある一定の文明レベルに到達すると環境と抗うことを止める。内面の世界に固執し、それを実現しようとする。この世界に来て、大きな違和感を感じたことがあるんだ。君の恐怖心を猛烈に想起させた獣性の亜人達だよ。ドーヴォルクに辿り着いて、少し考えたら思い出したんだよ。過去に目にした文献の中に獣性の亜人に進化した消えた文明があることを。

貴方の名前はまだ存じていないが、順番が逆になってしまったかな。」

「ドンクスだ。興味深い話だ、是非続けてくれ。」

「僕の名は伊藤政通と言います。宜しくお願いします。それでは話を続けますね。人類の進化モデルの一つに生物の退化を進化の方法に採り入れると言うものがあってね。それは遺伝子操作であったり、極端な話になるとドンクスさんのように獣そのもののように変化することも方法の一つなんだ。けど、僕の知っている限りだけど、人間は人の姿を捨てられない生き物なんだよ。寛容さに乏しい堅苦しい生き物なのさ、思想や文化、人種の壁も越えられない種が生物の壁を越えられると思うかい?答えはノーだよ。人とは生存のために屈辱的な選択を選ぶくらいなら誇り高き自死を選ぶ生き物なんだよ。僕は現在までの話に仮定すると人類が行き着く先、種としての進化は魔術の頒布で結実すると思っている。魔法文明の繁栄が進化の最前線と言うところなのかな。今はその過渡期と言えるだろう。」

「言いたいことは分かるけど、それが絵に描いた餅が絵から取り出せるっていう話と直結するということなのかな?」

可奈には疑問に思えてならない。伊藤の考えは思想の一つのように思えてならない。哲学をただ、延々と聞かされているような錯覚に陥っている。

「音聞君の指摘はもっともだよ。けど、僕らには分かっていないだけで、超高度に作られた作り物の世界があったとして、その中でシミュレーションの想定を超える知識が発見されたらどうだろう?僕らは既にAIやスーパーコンピュータに実験や観測を委ねて当たり前のように色々なものを発見したりしてるじゃないか?それどころがシンギュラリティにとっくに到達したコンピュータが幅をきかせてるだろう?」

「私達の存在しているアバター世界は人間が作った人工の世界が勝手に人間の予想を超えていろんなものを既に作り出しているってこと?」

「そうとも言える、けど、より現実的な話になると話は戻るけど、抽象的な話になって申し訳ないけれど、人間の想像していることを擬えるようにその世界はいろんなものを産み出すと言う表現が一番適切なんだ。僕はアバター世界のお偉方達はきっと防衛システムとしてのスメラギを欲していたのだと思う。」

伊藤よりもうさぎのことをより知っている可奈からすれば、合点のいく話だった。ただ、スケールが大き過ぎて実感がないのだ。

「ドンクスさん、貴方は我々アバターが探し求めていた、存在そのものの確証すら持てなかった外の世界の住人だ。我々の世界では外側の世界にいるであろう知的生命体との接触をずっと模索していた。選令門も高度なレベルの科学実験を何度も行いながら、今回の転送試験でこんな敵味方の関係になってしまったけれど、本来ならばこの人たちはこちら側から頭を下げてでも接触しなければならない存在なんだ。僕にはもう、敵意はない。貴方から外の世界のことをたくさんの話を聞かせて欲しいと願っています。

音聞君、フリートークを非回線にするんだ。」

伊藤は可奈に思念で語りかける。

「どうして、そんなことを?」

「アニャンさんは、僕達に隠し事をしている。僕らの生命に関わる重大な事だ。僕達が倒した敵は非特定外域個体と言う生命体、簡単に言えばエイリアン、外側の世界から来た生物のことだ。君は元々ポラリス出身の生粋のアクターだったね。魔術適性を強く持つ者程、魔法文化に毒されやすい。我々が主と呼んで崇め奉っているものについて、ポラリス外の主要な国家では大分前からその正体について研究が進められていて、いろいろなことが既に解明されている。選令門は特に情報統制が厳しいから君は知らないかもしれないけれど。非特定外域個体こそ主の正体とする学説は証明出来ないだけで、現在の物理科学のレベルではほぼ特定されていると言ってよい段階まで研究が進んでいるんだ。表立って公表出来ない理由は宗教上や倫理上に大きな障害が起きることが予測できるからなのさ。非特定外域個体に接触しただけで極めて不敬と見做す向きもあれば、生物学的な観点からも外の世界の住人と接することはとても危険なんだ。相手は高次の存在、何をされるか分かったもんじゃないからね。今後の僕達への処遇だが、選令門の中だけで止まるような、記憶を消される処分程度で済むとは思えない。僕達なりの防衛手段を講じるべきだ。」

「アニャンさんの指示とは別のことをするってことでしょ?そんなことして平気なの?」

「今回の転送試験はアニャンさんから出された課題じゃない。あくまで僕達に課されたものだ。独自の行動をしたからって信義に反することでもないと僕は思ってる。」

「あんたさっきから、ちょっと怖いよ。青山さんが消えちゃったのは残念だけどさ。何か悪いこと考えてるって言うか、犯罪者みたい。」

「勘違いしているようだね。彼らに対し、正当防衛を盾に非人道的なことをしたのは僕達の方なんだよ。僕達はここで死んでも現在の建前上では元の世界で全てを忘れて甦る。けれども、彼らの会話から類推するに僕の予想だと彼らはここで死んだらそれでおしまいだ。彼らの尊い命を奪ったのは僕達なんだ。それを忘れてはいけない。」

可奈には返す言葉がなかった。

「これから、貴方はどうなさるのですか?」

伊藤はドンクスに話を向けた。

「どうするも何もない。ここで戦ってお前達に勝てば部隊に合流するが、負ければ見知らぬ土地で死んで消えて無くなるだけだ。」

「転生先で死ぬことは貴方の実在する世界で肉体諸共死ぬのものと同義と考えて良いのですね?」

伊藤は念を押して確認する。

「嘘をついても仕方ない、そのとおりだ。どうせ俺がお前達に勝てないと分かっていて、そんなことを聞くんだろう?」

「現状に関して言えばその通りです。貴方達が後に応援を要請し、現代兵器を持ち出した時点で長期戦となれば、我々は必ず敗北するでしょう。しかし、現時点ではこちらは敗北のローリスクに加え、時間制限で逃げ切る算段もある。僕が心配しているのは貴方の処遇です。仮に貴方がここから逃げ果せても、我々に敗走した場合、何らかの大きな掟のようなペナルティが課されるのではないのですか?そこで僕は貴方に保護を提案したい。この時点で貴方が我々にもたらすことの出来る情報は極めて価値の高いものだ。真実の生き証人として我々に投降して欲しいのです。身の安全は保証します。」

「そこのお嬢さんと話し込んでたようだが、お前さんが俺に提案してるのは紳士協定だろうな?」

「会話が聞かれてる?」

可奈は警戒した。

「こちらに盗聴の魔法が使えるなら、向こうだって同じ手段を持っていたっておかしいことじゃない。魔法に詳しそうな貴方ならきっと察しているでしょう?何故、僕がアイテム使用による攻撃しかしてこないのか?ご想像の通りです。ゲーム世界の縛りで魔法の使用権限が制限されているからです。僕達だって追い込まれているんだ。」

「何でそんな敵に手の内をさらすようなこと言うのよ!」

「お嬢さん、分かってないなぁ、こいつは手の内を明かしてもまだ、勝つ自信があるから、余計なことまでペラペラと喋るのさ。けれども、そのカードは使い捨てなんだろう?カードを使い切ればお前はおしまいだ。」

「そうなる前にさっきの執事を何度も呼び直しますよ。カードマジックではなく下僕呼びの魔法なら、何度でも使える。あの執事は僕が生きている限り、何度殺されても、蘇り、僕を守りに現れる。」

「カッカするなよ、紳士協定なんだろう?で、どうやって俺を保護するんだ?追手をその都度、やり過ごすとか寝ぼけたこと言うわけじゃないだろうな?この世界から出られないんじゃ逃げ場なんてないと一緒だぜ。」

伊藤は不自由そうに左手でカードケースの中からカードを一枚取り出した。

「ブランクのカードです。貴方にこの中へ退避してもらう。今の僕では力づくで貴方をこのカードの中に閉じ込めることはできない。カード内の魔法の放出には魔力のみで足りるがカードへの収納へは技術が必要なんです。ただ、貴方が自分の意思でこの中に入ってくれれば、話は別です。カードの中はとても快適ですよ。カードを物理的に破棄しても貴方に支障は全くない。僕が外の世界へ出るまでなら、自分の意思でいくらでも外へ出られる。けれど、僕が許可を出さなければ、第三者は誰も貴方をカードの中から引き摺り出すことはできない。どうでしょう、僕の提案に乗ってみませんか?」

ドンクスは黙っている。決断を決めかねているのだろう。

「狐のおじさんさんさ、何が気に入らないの?こいつは私があんた達の命を奪っただのなんだの言ってるけど、私、そんなに深く考えてないから。」

「えっ、そうなの?」

伊藤はたじろいでいる。

「当たり前でしょ!?私はあんたみたいに頭良くないから、目先のことしか考えられないもの。遠くに飛んでたヘリみたいなの撃ち落としただけだし、顔が見える相手を殺したのは青山さんだし。けど、そこの蜥蜴の股に矢を放ったのは私か。うん、それでもやっぱりなんとも思わないや。私、なんも悪くないもん。」

ドンクスは笑い転げている。

「お嬢さんの言うことが最もだ。戦争で相手を殺してしまったらなんて、女々しいことやってたら、あんな真似出来ないわな。けれども、兄ちゃん、あんたの話悪くないな。ある条件を呑んでくれたら、この話を引き受けるぜ。」

「本当ですか!?」

「ああ、俺に人間の身体に化けさせる魔法を教えてくれ。外の世界に行ったら、好き勝手やらせてもらうぜ。あと、教えて欲しいことは何でも教えてやる。逆も然りだぜ、情報はギブアンドテイクだ。」


一人でも多くの方が物語の最後まで読んでいただけることを望みます!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ