ミチルとワカコ7
1
ワカコはその日以降、学校には登校しなくなった。
なのでいま、教室には2つの空席ができてしまっている。
ミチルは誰からも好かれる人物だったので、そのクラスのみならず、3年生の階にある教室すべてに、暗い雰囲気が漂っている。
ただ1人を除いて………。
もちろん彼女は、みんなと同じように悲しい雰囲気を狡猾に取り繕ってはいた。
しかし、表情筋のブレから生じる歪みから、彼女の本音がわずかに漏れていた。
そう、この彼女とは、ルイの事である。
ルイは、別にミチルには恨みなんてなかった。
実際、動画用のアニメーション制作は楽しかったし、広告費の一部はしっかりともらっていたので、ミチルとの関係は得しか生んでないわけである。
でもルイは、ワカコだけは大嫌いだった。
ミチ&ワカとして恵まれているはずなのに、いつも憂鬱そうな顔ばかりで、鼻についてしかたなかったのだ。
1番許せなかったのは、こと恋愛に関しては『傲慢』なところだ。
あんなに多くのイケメン達に告白されているのに、それを喜ぼうとすらしないで、被害者面。さらには『断る方もつらいんですよね』と言わんばかりの態度だ。
勇気を出して告白した男子もいるのに、なんて女だとルイは感じた。
泣いてた男子だっていたのに……。
調子に乗っているとしか言いようがない。
あれはそう、人間の屑である。
だからどうしてもルイは、罰を与えたかったのだ。
それなら、ワカコの住所だけ晒せばいいだろうにという意見もあるだろうが、ルイにはそれは不可能だった。
ミチルとは親しくしていたが、ワカコとは特別仲もよくなかったので知らなかったのである。
でも、それでも問題ないとルイは思った。
ワカ様を信仰する連中を使えば、面白いことになるのではと考えたのである。
ワカコにはミチルしかいない。
だったら、ワカコのせいでミチルがいやがらせの目にでも遭えば、関係がこじれるかもしれないと踏んだのだ。
でもまさか殺されるとは…………。
ルイも、そこまでは予想はしてなかった。
でも、ルイは悪いとは思ってはいなかった。
ルイの考えはこうである。
殺すか殺さないかは、相手側の判断であり、相手側が負うべき責任だ。殺せとは言っていないし、殺される事も予想はしてなかった。だから自分は悪くない。
それにルイは、住所を晒す際は遠くの町のマンガ喫茶のパソコンを使ったし、防犯カメラから身元が割れないよう、体系がわかりにくい服装で、マスクも忘れずに着用した。
そもそも、ミチルに恨みを持つような人間もいないので、そこから怨恨の線で辿ろうとしても、きっと見当違いの捜査になるだろう。
ルイは確信した。
これで完璧だと。
しかし……………。
ふと、斜め後ろから、はっきりとした声でこう言われた。
「ねえ、フォーカスモンスターって知ってる?」
それは、よく鼓膜に響く声だった。
というより、息を吹きかけられたようなぞわぞわ感があった。
だから、斜め後ろを振り返ってみたのだが……。
誰もいなかった。
2
昼休み、階段の踊り場で変なものをルイは踏んだ。
最初、トマトでも踏んでしまったのかと思ったが違った。
薄ピンク色をしていたので、ティッシュに赤いインクを染み込ませたものだろうとルイは判断した。
どちらにせよ、こんなところにこんなものを放置だなんて、いたずらだとしたら、質が悪いにもほどがある。
ルイは、誰もいない校舎裏の流しで上履きを洗う事にした。
蛇口をひねり、水を強めに出して、上履きの裏をゴシゴシとこすった。
でも………。
赤いインクにしては妙にネバネバとしていて、だったらこの液体の正体はなんなのかといった不快感に襲われた。
「ねえ、フォーカスモンスターって知ってる?」
まただ。今度は真後ろから声が聞こえた。
気配もしっかり感じ取れる。
息遣いや鼻息。口を動かした際のわずかな唾液の音すら聞こえ、うしろの人のおでこが、かすかに自分の後頭部に当たっているような感じもした。
え………誰?
知らない声だ。
というより、足跡もさせずに、この人はいったいいつの間に立ったというのか。
ルイの指に、ネバネバとした赤い液体がまだ絡みついてる。
もしかして、頭のイカレた不法侵入者?
だとしたらこのような近距離は、命の危険すらあった。
でも、ふとその気配は消えてしまった。
ルイは恐る恐る後ろを振り向くが、やはり誰もいなかった。
3
「ねえ、フォーカスモンスターって知ってる?」
その声はいよいよ、どこまでもルイにつきまとった。
そしてそのたびに気配を感じ、振り返るも誰もいないのである。
こんな事………絶対にあってはならないことだ。
フォーカスモンスター?
まさかもうじき、フォーカスモンスターに殺されるとでもいうのか?
ルイの心に、ゆっくりとヒビが生じていく。
違う、そんなものはいない。
そんなはずはない。
「ねえ、フォーカスモンスターって知ってる?」
今度は、すれ違いざまにサラリーマン風の男性に言われた。
だが、その男性の首には切れ込みが入ってた。
もちろんそこからは血がゆっくりと流れていて、痛がろうともせずに、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
そうだ、この顔には見覚えがあった。
数日前、軽トラックに積んであったガラスの板が、ある男性の首をはねてしまったのである。
そして、ニュースでは顔写真が載っていた。
まさにその人だった。
「ぎゃあああああああああああああああああっ!!」
ルイは発狂した。
そして逃げた。
安心できる場所に逃げたかった。
友達の家にでも駆けこめば、きっとこの恐怖からは逃げられるはずだ。
でも…………。
友達の家にはなぜかたどり着けなかった。
道を忘れてしまったわけではない。
それなのにたどり着けなかったのである。
「ねえ、フォーカスモンスターって知ってる?」
「ぎゃあああああああああああああっ!!」
ルイはもう、行くあてもないまま走り続けるしかなかった。
このままだと確実に恐怖に呑まれ、最終的には死ぬ。
人気のある場所は避けた。
またさっきのような死人に会う可能性があったから。
足を止めたら終わりである。
今度はきっと追いつかれる。
でも、足を止めない限りは生き続けられる。
「ハハハ………ざまぁみろ」
そうだ。除霊は効果ないだろうか。
この近くに寺があった。
評判がよく、有名なお寺である。
呪われたのなら、清めてもらえばいいのである。
そうだそうだ。
そう、まだ私の人生は終わってない。
だがルイは、何かに躓き、前のめりになった。
その際、体は弧を描くようにして宙を浮いた状態になった。
別に、ただ単に平坦なコンクリートの地面のうえで躓いただけなので、このまま全身が地面に落ちても死にはしない。
でも、カメラのフォーカスが確実にルイの姿を捉えており………。
そして、人ひとり簡単に包み込んでしまうほどの大きなフラッシュが焚かれたのだった。
ルイの視界が真っ白に染まる。
ルイは地面へと転がった。
でもルイはすぐに起き上がった。
目線をすぐに撮影者のいる方へと向けると、その瞳には蒼野まといが映し出された。
蒼野まといはルイを撮るつもりはなかった。
用意した三脚とタイマー機能を利用して、目の前の一軒家を撮ろうとしていたのだ。
でも、その前をルイが横切ろうとし、転倒の際に映りこんでしまったわけである。
「そのデータ、消して」
ルイはそう彼女に言った。
「そのデータ、消してよっ!!このままだと私、死んじゃうでしょっ!!」
フォーカスモンスターに写真を撮られてしまったら死ぬ。
こんな怪奇現象が続いた中で写真を撮られたのである。
もう間違いようがない。
こいつだ。
こいつが死神だ。
でも、特別こわそうな見た目ではなかったせいか、ルイは急に強気である。
「だいたい私が何したっていうんだよっ!!!おかしいだろっ!!!この世にはもっと、醜い悪人がいるだろっ!!私ごときになに無駄な時間使ってんだよっ!!!!暇なのかっ!!!!!!」
「…………………………」
「そもそも私は直接的にはミチルを殺してないからねっ!!住所をネットにうっかり書き込んじゃっただけだからっ!!!どうだ、たいした罪じゃないだろっ!!!それなのに頭おかしいんじゃねえの!!!」
「…………………ああ、そういうこと」
蒼野まといはゆっくりと目を細める。
そして、蒼野まといはこんなことを言った。
「あなたがそのきっかけを作ったから、来栖ミチルは殺されたんでしょ?」
「だーかーらぁぁぁ!!!あああああっくそ!!!理解力低すぎっ!!!これだから底辺のクズはっ!!!私はね、別に殺せとは言ってないのっ!!!勝手に殺しちゃったのは犯人っ!!!犯人がそう勝手に判断しちゃっただけっ!!!ほら、どこも責任なんてないじゃないっ!!!!」
「……………罪悪感はないの?」
「うわっ!!!!ここまで理解力低すぎだと、人として終わってるっ!!私は無実だって言ってんじゃんバーカ!!!!!脳みそ湧いてんじゃねーのっ!!!」
「……………………………」
「ほらっ、さっさっとその写真のデータ消せよっ!!!!」
顔のしわというしわを刻みながらルイは蒼野まといへと迫ったが、まといは特別動揺した様子も見せず、最後にこう言った。
「あなたみたいな人間は………………死ねばいいわ」
蒼野まといはもう1度大きなフラッシュを焚いた。
すると大きな閃光が蒼野まといの体ごと真っ白に染め………。
いずこへと消えていってしまった。
そして40分後。
ルイは踏切上で電車に轢かれて死んだ。
目撃者の話によると、ルイは奇声を発しながら、閉まっている踏切の遮断棒をくぐり、向こう側へ行こうとした。しかし、弧を描くようにして大きく躓き、やってきた電車と激突。
さらに、転がったルイの体を電車は大きく轢いて、その体を、肩から上、胴体、下半身の三つに分割させたという。
住宅街の中を歩いていた蒼野まといは、ふと、さきほどの写真のデータを開いた。
その画像データには、ルイが映っていたが、さきほどのものとは違い、三つの青い切れ込みのような線が浮かび上がっていた。
「………………………」
蒼野まといは表情1つ変えなかった。
そして彼女は、再びいずこへと消えて行ってしまった。