印象操作
4月3日。昼過ぎ。
警視庁ではいま、刑事部長を取り囲んで、殴り合い一歩手前の怒号が飛び交っていた。
警察庁爆破の件も大きな原因ではある。
この事件のせいで所轄の刑事総動員してまで、他の事件の捜査を遅らせてしまったのだから。
でも原因はそれだけじゃない。
このテロの4日後に起きた夕桐高等学校の硫化水素大量殺人事件に理不尽なまでの報道規制がかけられてしまったせいで、警察に対する国民からの不信を強める形となってしまい、とある刑事は近隣住民から石を投げられたり、窓ガラスを割られたりと散々らしい。
この事件で死んだのは27人だ。
そして、27人もの死者を出した犯人の1人のはずの品川かなめは、まだ未成年なうえに心神喪失であった事を理由に実名歩道以前に、記者クラブにすら情報のいっさいにストップがかけられている。
硫化水素から発生した爆弾からは指紋はでてきていないが、2限目が始まる前の休み時間にて、他のクラスの生徒が、視聴覚室から出てくる品川かなめの姿を目撃している。
それなのに、情報の一切をストップさせているのがあの“加賀城密季”だというのだから、なおのこと納得いかないのは当然だった。
すると、加賀城密季が廊下の方からやって来て、刑事部長を取り囲んでいる刑事達を諫めようとする。
「真犯人は別にいます。とあるホームレスが大崎望のスマホを所持していました。爆弾を仕掛けたのは彼女ではありません」
加賀城は懐から、真空パックに入ったスマホを刑事達に見せた。
それでも、刑事達の怒りは治まらない。
「はあっ????だからなんなんだよ???品川かなめが鍵さえかけなければ死者はこんなにも出なかったはずだっ。もしかしたら10人以下に収まっていたかもしれない。それなのに何が心神喪失だっ。バッチリ殺意満々じゃねえかっ???」
その怒りの声に対し、加賀城はあくまで冷静に、こう言葉を返した。
「大崎望の死を悲しんでいたのは彼女だけです。そんな彼女に、死んだはずの彼からのメールがかかってきた。正常な判断ができている人間ならここで、別の人間が彼のスマホを使っている事に気づくはずです。でも彼女は気づかなかった。彼の死を認めたくなかったから」
「だっ、だからって、27人も殺していい理由にはならねえだろうがっ!!!」
「しかし、彼女に硫化水素の件を教えさえしなければ、より死者を増やす結果にならずに済み、彼女もまた罪を被る事もなかった。それなのにあなた達は、とりあえず全部品川かなめのせいにして、ニュースに流せと言うんですか?」
「じゃあなにか??俺達はこれからも無能扱いされても我慢すべきってかっ???はっ???やってられねえなっ???俺の子供まで、この事件のせいでいじめられてんだぞっ!!!」
「もちろん、いやがらせがまかり通っている今の現状をよしとも思いません。しかし、爆弾を用意したのが彼女でないのなら、彼女の名前を実名で晒した時点で冤罪と一緒です。そんな事をしてまで、刑事を続ける意味、あるんでしょうかっ??」
「んだとっ!!!」
さっきまで刑事部長に向けられていた矛先が、いま、すべて加賀城に向けられている。どっちの言い分が正しいかは別にして、このままだと加賀城が袋叩きにされかねない勢いだった。
すると、ガッシリとした体つきの40代くらいの短髪の男性がやって来て、『アッハッハ!!』と舞台役者のような大層な笑い声をあげた。
そして彼はこんな事を言った。
「おっと、これは失礼。わたくし、近衛孝三郎と申します。これでも監察官なんですよ。ドワッハッハッハっ!!」
空気を読めない人間はどんな場においても嫌われる傾向にあるが、彼の場合はあえて空気を読んでいない節があった。
そのせいかは知らないが、きょとんとした顔をしている者が結構出てきている。
近衛はそんな彼らには構わずに加賀城にこんな事を言った。
「冤罪は確かにいけない事です。だけどねぇ、平和を築くためには、ただ犯人を逮捕するだけではいかんのですよ。国民が警察に愛想尽きたらおしまい。現に今、自粛ウォーカーなんてもんも出てしまっている始末」
「言っている意味はわかりますよ。しかし………」
「品川かなめの名前を公表しろとはいいません。ですが、このまま進展のない状況を放っておいたら、いずれ、ここにいる誰かが彼女の名前をマスコミに漏らすでしょ?あなただってそれくらい予想がつくはず」
ゴクリ。
近衛の近くに立っていた刑事が眉間にしわを寄せた。
どうやらそういった選択肢も、この刑事の頭の中には存在していたらしい。
それでも今日までその選択を選ばなかったのはモラルのもと誠実に生きていたいといった意志があったからだ。
全員ではないにしろ、他の刑事達も同様の事を思っていた。
このまま無能扱いされるくらいなら情報をマスコミにリークした方がどれだけいい事か………。
「加賀城さん、ここはひとつ、あなたがテレビの前に立つという事でどうでしょうか?」
「えっ?」
「あなたは教師を含め、5人もの命を救っている。視聴覚室近くで倒れていた教員達を数に入れたら、もっとだ。これは称賛に値する行為だ。しかも、他のクラスの生徒達を避難させるといった指示も適切だった。だからこそ余計な被害はでていない」
「しかし、27人も死んでいるんですよ?」
「いいえ、27人“だけ”で済んだと、そう思わせるべきなんです」
「…………もしかして、私に印象操作をしろと?」
「時には、そういう事も必要かと私は思いますけどねぇ。みなさんもそう思いませんかっ。今のこの状況、あまりにも理不尽すぎます。こちらだって身を粉にして働いているのに、うえはうえで、警察庁の件を強制的に優先させて……で、挙句の果てには国民に無能呼ばわり」
「………………」
「人ってもんは自分の事は棚に上げて相手に対しては完璧を求める。たとえこの事件がどんなに難解であろうが、そんなの国民の皆様には関係ない。ただでさえ上級国民の不正はうやむやにされ続けている。だから、”下級国民”のみなさまがご立腹になるのは当然かと………」
「…………………」
「加賀城さん、潔癖なのはいい事ではありますが、今現在、結果をまだ出せていないのも事実。すぐにでも真犯人の首を取ってこない限りは結局同じですよ」
「………………だからこそ、テレビの前に出ろと?」
「そうです。今の我々に必要なのは、このよどんだ空気を一新させるほどのカリスマです。で、あなたはとてもちょうどいい。捜査1課の刑事でないからこそよけいにね」
近衛孝三郎は不敵な笑みを浮かべた。
ようはアレである。
人間は何事も一緒くたに『これだから警察は』と見がちなので、捜査1課の中からヒーローを作り出すよりかは、異質な存在でもある精神科警課の刑事の方がちょうどいいという事。
それで国民達の不安が紛れれば御の字だし、問題が起きた場合は、彼女を再びテレビの前に立たせ、公開処刑という名の形で責任を取らせる事もできる。
「なるほど」
加賀城は鼻で笑った。