ミチルとワカコ6
1
ワカコがその悲報を聞いたのは、学校から帰宅した夕方頃だった。
ミチルがファミレスに来なかった時点では、やっぱり気が変わって来なかっただけとしか思わなかったのだが、次の日の学校にすら登校してこなかったので、言い知れぬ不安が、予感としてよぎったのである。
それでも、家に帰るまではまだ信じていた。
ミチルに会える日はまた必ず来ると………。
だが家に帰るなり、母がどっどっどと大きな足音をさせながらやって来て、ワカコに対し、こう言ったのである。
ミチルは殺されたと……。
「………………………えっ?」
頭が………真っ白になる。
脳みそだけが頭の中から出て行ってしまったような浮遊感に襲われ、とても気持ち悪くなった。
だってミチルが死んだなんて、あまりにも意味不明な事を言うものだから、急に自分の日本語に対する理解力が落ちてしまったのかと疑うほどにワカコは混乱したのだった。
でも、理解力は別に落ちていなかった。
ただただその事実を理解したくなかっただけ。
ミチルが……死んだ?
なぜ?
いや、理由なんて考えたくない。これ以上の真実を知ってしまったら、本当に、自分の心が粉々になりそうで、ワカコはとても怖くなった。
心臓がバクバクと鼓動している。頭の中がまだふわふわとしていて、今にも吐いてしまいそうだ。
だって…………。
だって、ファミレスに呼び出しさえしなければ、少なくとも昨日は殺されなかった事になり…………。
きっかけを作ってしまった事になる。
「……………」
いや。
いや、違う。私じゃない。
私が殺したんじゃない。
でも……どちらにせよ、この事実はもう取り消す事はできない。
だって、これはゲームでもなく、マンガや小説の世界でもなく、
現実なのだから……。
2
ミチルについてのニュースは、匿名で報道がなされた。
なぜ匿名での報道かというと、実名で報道してしまうと、遺体が辱められていたという事実が不特定多数の知るところとなり、ミチルの両親まで好奇の目にさらされる可能性があるからである。
犯人の動機については、簡潔にテロップのみで、人違いで殺されたと説明された。
このニュースは3分程度しか流れなかった。
でも、ワカコはそれで十分だった。
なぜミチルが殺されたのか、そのニュースを聞くまでは、ずっと不可解でしかたなかった。だって自宅付近をうろつくような犯人なら、いったいミチルにどんな恨みがあるのか。
でも、人違いなら話は別だ。
そうなるといったい、誰と間違われたのか。
ワカコは、自宅のPCからインターネットブラウザを開き、ある2つの検索ワードをこう打ち込んだ。
ミチ&ワカ。住所。
するとパソコン画面上の矢印マークのとなりで小さな水色の輪っかがしばらくクルクルと回ったのち、ずらっと検索結果が出てきた。
ワカコは目をゆっくりとスライドさせながら、目についた非公式のコメント掲示板を開いた。
そして………。
あった。
あったのだ。
あってほしくないと心の奥底で願っていたのに……その願いは残念ながらかなわなかった。
コメントにはこう書かれてあった。
匿名希望Aのコメント
『ワカ様は永遠に俺のものになりました。皆、ザマア』
匿名希望Bのコメント
『はあ、なんだよそれ。まさか、住所特定したとか?』
匿名希望Cのコメント
『お前知らねえの?誰かが住所を書きこんだんだよ』
匿名希望Dのコメント
『そうそう。別の掲示板のやつね。すぐに削除されてたけど』
匿名希望Aのコメント
『ワカ様ね、未公開の曲の入ったUSB型ウォークマンを持ってた。そして、俺がナイフを向けながら、君がワカ様かどうかを尋ねたら、コクリと頷いたんだよ。それに、あの掲示板には写真も載ってたしね。そのうえ、俺のタイプだった。だから、死体をもてあそんでるときは楽しかったなぁ』
匿名希望Cのコメント
『おいおい、誰かこいつを逮捕してくれっ』
以上である。
「………………」
もう……もういい。結局は予想通りだった。
ワカという存在さえなければ、ミチは死ななかった。ただそれだけの事である。
もう、言い逃れなんてできない。
でも、でもどうすればいい?
償いたい。
だけど、ミチルはもういないのだ。
私が死ねばよかったのだ。
ポツリ、ポツリと雨が降る。
なんとワカコは、傘も持たず、上着すら着ないで、外へと出かけたのだった。
雨に打たれたい気分だった。
びしょ濡れになって、風邪を引いて、肺炎にでもなって死んでしまいたかった。
空は、排気ガス色に染まりきってしまっている。
行くあてなんて考えてない。
ミチルを殺してしまったという罪悪感で、何もかも見失ってしまった。
それでも、天候はお構いなしにいよいよ本降りとなり、激しい雨粒のもとにワカコはさらされたのだった。
人通りは不思議なほどなかった。
だからこそワカコを止めるものは誰もいなかった。
そしていよいよ、ワカコの自我さえも雨粒に叩きつけられてなくなろうとした、その時だった。
ワカコは、ぬかるんだ水たまりに足をとられ、弧を描くようにして顔から勢いよく転倒してしまった。
泥のしぶきが空へと散った。
あいかわらず、空は排気ガス色に染まったままだ。
雨脚が弱まる兆しは、まだまだなさそうだった。
生きている限り、自問自答という永遠の地獄からは逃れられない。
償いたい。
償えない。
どうすればいい。
罰を与えてほしい。
死んだっていい。
だから、だからどうか、誰か私を殺してほしい。
無駄な祈りだとわかってる。でも、願わずにはいられなかった。
そして、そんな時だった。
人通りなんて皆無だったはずなのに、赤い傘を差した人物が1人、ゆっくりとワカコの方へと歩いてくるではないか。
通行の邪魔になると思ったワカコはゆっくりと立ち上がろうとしたが、ひざを思いきり地面にぶつけたせいで、力が入らなかった。
そして正座したまま、その人物が横を通り過ぎるのを待ったのだが……。
その人物は、ワカコの目の前で足を止めた。
傘から覗く目が、ワカコの姿を捉えている。
女の人だった。カメラを持った女の人である。
しかも、こんな激しい雨の中で、彼女は肩すらも濡れてはいなかった。
普通は、傘を差していても、どうしても肩は濡れてしまうものである。
そして、大きなカメラのフォーカスが、確実にワカコの姿を捉えていた。
そういえば、なぜこうも人通りが皆無なのだろう。
いくらなんでもおかしかった。
でも、ワカコはすぐに気がついた。
ここから少し離れた場所に、カーブミラーを見つけたからだ。
そのカーブミラーには、映っていなかった。
もちろん、ワカコの姿ではない。
赤い傘を差すこの女性の姿が、映ってイナカッタのだ……。
女性の瞳は、まだなおワカコの姿を捉えている。
すぐに察した。
この人物は人間ではない。
だったらいったい、この女性の正体はなんなのか。
この、カメラを構えている得体のしれない存在はいったい………。
いや、心当たりならある。
そう、最初からわかっていたはずだ。
最近都市伝説として流行っているアレ以外に思いつけるはずがない。
フォーカスモンスターである。
なんとワカコは、フォーカスモンスターに会ってしまったのだ。
そして、カメラのフォーカスは、まだワカコに向けられたままだ……。
殺される………。
殺される………。
殺される………。
殺される、殺される、殺される、殺される、殺される………。
でも……………。
でも…………それもいいのかもしれないとワカコは思った。
だってまだ、ミチルの死に対する罪を償っていない。
ミチルは死ぬべきではない人間だ。
小学校の頃、ワカコに唯一話しかけてくれたのが彼女だったから。
そして、彼女はあの時こう言った。
『どうしてほかの人が嫌っているからって、私まであなたを嫌いにならなければいけないのか』と………。
それはつまり、ミチルは、周りの意見に流されないタイプであり、自分の正直な意見を通せる人間だという事。
そう、ミチルはいつだって正直だった。
でも、その想いにワカコはいつまでも応えなかった。
弱かった。強くはなれなかった。
そして、最後は彼女の夢までぶち壊した………。
「………いいよ、殺して。私は死をもって来栖ミチルに償うわ」
「…………………」
「私が殺したっ!!私がきっかけを作ってしまったっ!!ミチルの純粋な想いを、侮辱という形で返してしまったっ!!!だから、誰よりも残酷な形で私を殺してっ!!!!!!!」
カメラのシャッターに、ゆっくりと指が添えられる。
ワカコを見下ろす目には、人間が到底放てない残酷さがあったが……。
「あなたが死んだら、償えることになるの?」
死神のはずの人物が、なぜかそんな問いを投げかけてくる。
その言葉に対し、ワカコはこう答えた。
「だって、生きてても償えないから……」
そう、いくら心の中で反省したって、死者は蘇らない。蘇らなければ、ミチルの両親の心も、永遠にズタボロのままである。だからこそ、人殺しは重罪なのだ。
このまま生きてても罪は消えない。
でも、死神はワカコに対し、こう返してきた。
「それってただの言い訳じゃないの?」
言い訳?言っている意味が分からなかった。この死神がフォーカスモンスターなら、人を殺したくて仕方がないはずだ。それなのに、なんでさっさとシャッターを押さないのか。
それについて、さらに死神はこう続けた。
「本当に悪いと思ってるなら、なんでとっとと死のうとするの?死んだらそこで終わり。ちゃんと償えたかどうかも、実感できないと思うけど?」
「……………………なっ、何が言いたいの?」
「来栖ミチルはそれで喜ぶの?それで本当に償えるの?その子は純粋な子だったんじゃないの?あなたまで死んで喜ぶような子なの??」
「………………そっ、それは…………」
「生きていれば、少なくともあなたはずっと罪悪感に苦しむ事ができるわ。誰にどんな誹謗中傷をされようともね。別にそれでいいんじゃないの?」
つまり、結局はなにも見いだせないまま生き続けるという選択肢を選べと?
惨すぎる。
そんなの、死ぬよりも残酷な罰ではないか。
でも………もしかしたらそれでいいのかもしれない。
苦しまなければいけないのだ。
本当に悪いと思っているならよけいに、苦しみという報いは絶対に受けなければいけないのである。
「……じゃあ、殺してはくれないんだね」
「死にたがってる人間を殺すようなボランティアはしてない」
「…………わかった。それでいいよ」
ワカコはゆっくりと立ち上がった。
膝の痛みはすっかりと消えていた。
赤い傘の死神はワカコの横を通り過ぎ、スッとどこかへ消えて行ってしまった。




