2日目後編
PM・16時40分。
加賀城は黒の革製ビジネスかばんを手に、龍之内学園前に来ていた。龍之内学園は私立の中高一貫校である。
この学校はクーラーなどの設備が整っていて食堂も室内プールもある。
あと、18歳以下のアイドルやファッションモデル、俳優の卵を無条件で多く受け入れているため、警備員による厳重な見回りも徹底されている。
防犯カメラも結構あった。
芸能事務所からの寄付金があるからこそ、ここまでの徹底的な警備体制が成り立っている。
つまり、マスコミ1匹の侵入すら許さない聖域というわけである。
ここには蔵本ワカコが通っている。
蔵本ワカコはつい最近まで別の高校に通っていたのだが、来栖ミチルが死んでしまった事と、顔出しで歌手としてデビューした事が重なった影響で、こんな時期だが転校せざるを得なくなってしまったのだ。
ミチ&ワカのファンは相変わらず彼女を支持しているが、身近で彼女の事を見てきたクラスメイト達の目は冷たかったというわけである。
加賀城は蔵本ワカコに用がある。
本当は、彼女が所属している芸能事務所に直接聞いた方がアポが取りやすいのだが、それだと目立ってしまう。
今日はあくまで精神科警課の人間として、この学校にオンライン無料相談室を勧めるという名目のもとやって来ている。
チャット方式の心の相談室のようなものである。チラシもカバンの中に用意してある。
加賀城は警察手帳を手に堂々と正門を通って学園内へと入った。
この学校に対してのアポは事前に取っていたので、担当の眼鏡をかけた女性職員と話す事になった。
名前は鹿津絵里。めずらしい苗字である。長い髪をゆるくひとつに編んだ髪型をしている。
彼女は教員ではなく、メンタルケア専門の心理士である。だから生徒は受け持ってはおらず、いつも相談室の中にいるそうだ。
鹿津絵里は加賀城を相談室の中へと案内した。
中には誰もいなかった。ピカピカでスカスカの棚が壁側にひとつと、あと、デスクトップのパソコンがあるだけだ。パソコンのコンセントは差さってはいなかった。
それについては鹿津絵里はこう説明した。
「私はこの学園ではお飾りみたいなものなんです。学校側としては心のケアも徹底してるってパンフレットに書けば保護者の評価はそれだけでもあがる。いまや、ハラスメント専門の相談室もあるくらいですからね。でも、保護者の意志なんてこの学園においては関係ありません。学校に通うのは子供達本人ですから」
鹿津は深くため息をついた。
「その気持ちはわかります。子供目線と親目線ではやはり考え方に違いが出てきてしまいますし、子供には子供の立場がありますから、他の生徒達からの好奇の目を気にしてなかなか相談しづらかったり………」
「それに子供達はバカじゃないんです。たかが相談ごときじゃなにも解決しないってすぐに悟りますから」
鹿津は自嘲気味に笑った。
「………鹿津さん、ひょっとして疲れてます?」
「……いいえ、私は普通ですよ。サラリーマンだって、毎日疲れ切った顔で通勤してるでしょ?私もその中のひとりだったって事です」
「………悩みがあるのなら相談に乗りますが?」
「加賀城さん、あなたは……疲れ切った顔、してませんね」
「……………………」
「あなたのような人間がおそらく、なにか大きな事を成し遂げるんでしょうね」
「あなたが何を抱えているかによっては、弁護士と相談する事だってできますよ」
「………なるほどね。そこが私とあなたの違いね」
「遠慮せずにどうか話してください」
「あなたみたいな人間は時に、相手をみじめにさせる事もある。私はあなたが憎いわ」
「えっ…」
「私はあなたに救われる事を望んだりはしない。オンライン相談室の件は私がうえに掛け合ってみます。だから今日はお引き取りを……」
鹿津は加賀城からチラシを受け取り、帰るように指示した。
鹿津が望んでいない以上はいつまでも居座ってもしかたがなかった。だから加賀城はすぐに相談室を出た。
そして加賀城はすぐにセンシビリティ・アタッカーの力をオン状態にし、自らの意識を探知レーダーのように360度広範囲に行き渡らせ、蔵本ワカコの居場所を探ったのだった。
「いた」
鼻から血が滴ってくる。
加賀城はすぐにハンカチで鼻を押さえ、図書室を目指したのだった。
蔵本ワカコは、図書室の1番奥のテーブルに座っていた。
彼女はタブレットを手に持っていて、作曲作業をしていた。
加賀城が警察手帳を見せるなり、彼女はすぐにタブレットをテーブルの脇へと置いた。
そして訝しげな眼を加賀城へと向ける。
「あの、私なにか悪い事しましたっけ?」
まあ、当然の反応だった。心当たりがないのならよけいにワカコのこの反応は予想通りと言えるだろう。
「いいえ、話を伺いに来ただけです。コンドウ・ルイさんの件について」
「えっ?あっ………ああ………なんだかんだでもう半年くらいになるのに、まだ調べてた人がいたんだ」
「あれは結局、自殺のような形で片づけられてしまいましたからね」
「………ルイさんは自殺するようなタイプじゃなかった。でも自ら電車に轢かれていったのは事実。それ以外の事なんてないと思いますけど………」
「あなた、本気でそう思ってます?」
「えっ?」
「私が知りたいのは、第3者の存在についてです。そしてあなたは渦中にいたはずです。誰か不審な人を見たりはしませんでしたか?」
「……………………」
「その無言は、肯定、という意味ですよね。見ていないのなら見ていないと、サラッと答えられるはずですから」
「…………………でも」
「でも?」
「ルイさんは自殺、ですよね?」
「そうとは限りませんよ」
「えっ?」
「電車に轢かれるかもしれないといった当たり前の予測すらできなくなってしまうほどに、彼女は混乱していたと考えた方が自然ですね。あるいは、電車が通り過ぎるのをいちいち待っていられないほどに焦っていた。なぜなら、いつ災厄が降りかかるか予測不可能だったから」
「………………………」
「フォーカスモンスター」
「…………」
「カメラを持った怪しい人物、お見掛けしてませんかね?」
「…………………………」
「その無言は肯定の意味と捉えてよろしいんですよね?だって、見てないんなら見てないって、即答できますから」
「……………私の勘違いかもしれないし………」
「それはどういう意味ですか?」
「………見たは見た。でも、顔が思い出せないの」
「まあ、半年近く経ってますしね」
「そうじゃない…………男か女かすらも覚えてない。ルイさんが死んだって聞いてから、もしかしてあの人が殺したんじゃないかなとは思ったんだけど、その時にはもう、思い出せなくなってた」
「…………………………………」
「思い出せない不審者について警察に話したところで相手になんてされないでしょ?ましてや、カーブミラーに映らなかった人間の事なんて………」
「…………なるほど」
「だからあれは、マボロシだったんじゃないかなって。だってあの日は雨だったし、ミチルが私のせいで死んだってわかったから、もう頭が真っ白で………でも、赤い傘を差していたのは覚えてる」
「背丈は?」
「わからない。でも、そんなに高身長だとは思わなかった。あなたよりかはちょっと上か下かくらい」
「その人の体系はふくよかでしたか?」
「あの時はそんな事は思わなかったかな」
「あなたから見て容姿は整っている方でしたか?」
「わからない」
「服装は覚えてます?おしゃれでしたか?あるいは、高そうなブランド物を身にまとっていたりはしてましたか?」
「あっ………それはないと思う。わたし、そういう人苦手だし。なんていうか、ギャルとかホストとかとあまり関わり合いたくない。髪型をやたらと決めているイケメンとかも苦手だし。でも、あの時は、そんな感じは覚えなかった」
「つまりは、質素な服だった?」
「うん。そうだね、あまりおしゃれに気を配らないタイプ」
「なるほど………」
「でもやっぱり、詳しい事は覚えてません」
「いいえ、もう充分です。しかたありませんよ。相手がフォーカスモンスターなら特にね」
センシビリティ・アタッカーの能力を使っても顔が見えなかったくらいの相手なので、ワカコが顔を思い出せなくても、この際不思議ではなかった。
でも、ワカコがフォーカスモンスターと会ったその時に抱いた感情についてまでは、影響は及んでいない事がわかった。
つまりどういう事かというと、フォーカスモンスターが仮に、やたらと高身長だった場合は、『この人でっかいなー』と感じたその感動は残っているという意味である。
だから、顔は思い出せなくても、ある程度までは人物像は絞れるというわけだ。
とはいえ、まだまだ手がかりは不十分すぎるが。
とにかく、これ以上ワカコの作曲の邪魔はすべきではないだろう。
「では、私はこの辺で帰ります。あと、今日の事はあまり人には話さないでくれるとありがたいです」
「……なんで?」
「私も色々と目を付けられているからです。でもこの学園は防犯カメラも多いし、あなたと会うのにうってつけの場所だったので、あえてここであなたと会う事を選びましたが」
「ああ、マスコミとか入ってきづらいもんね。私も、顔出しデビューしてからは色々と落ち着かなくなっちゃったから、割と遅くまでここに残ってたりする。大学はもう推薦合格しちゃったから、この学園に来る意味はあまりないんだけどね」
「あなたは……精神的にはもう大丈夫ですか?もう半年とはいえ、親友が亡くなった痛みは癒えないでしょうし」
「大丈夫だよ。もうくじけたりなんてしない」
「……それはよかったです」
「あの、加賀城さん。加賀城さんってもしかして、ミチルのスマホを届けてくれた人?」
「ええ、よくわかりましたね」
「そっか……。ふうん。あっ、じゃあさ、フォーカスモンスターっぽい人を見つけたら協力してあげる。もしかしたら顔を思い出せるかもしれないし」
そう言ってワカコは、加賀城に携帯番号を教えたのだった。