石黒奈留の場合1
石黒奈留は大学2年生である。
奈留は、自分ではそれなりにいい大学に進めたと思っている。
ゼミは、ジャーナリスト研究を取っている。
将来はもちろんジャーナリストになりたいと思っているので、特別講師で来てもらっている政治評論家の岩松先生や教授の薄野にはゴマをすったりもしている。
でも、ゴマをすっても必ずうまくいくとは限らない。
前に岩松先生にこんな質問をされたのだが、奈留は即答できなかった。
『君はどんなジャーナリストになりたい?経済か、政治か、スポーツか』
そう、一口にジャーナリストといっても、分野というものが存在するのだ。分野によっては頭に入れておかなければならない知識がたくさんあるので、早々にどんな分野を目指すかは固めておいた方がいい。
だけど奈留は即答する事ができず、そんな奈留を見て、岩松先生はバカにするように鼻で軽く笑ったのだった。
それ以降、どんなに岩松先生に話しかけても、二言三言で会話を打ち切られるばかりで、まともに相手にしてもらえなくなってしまった。
奈留は深いため息をついた。
単位は足りている。でもこのままだと、せっかくいい大学に入っても滑り止めレベルの出版社にしか入れない。
まだ大学2年生でしょと言う人もいるかもしれないが、そんな根性では、大学3年になっても4年になっても重たい腰をあげる事はできないだろう。
大学2年の時期がチャンスなのである。
PM12時過ぎ。
ファミレスでゼミの課題に集中して取り組んでいた奈留だったが、突然テーブルを揺らされ、眉間に深くしわを刻んだのだった。
犯人は小さな子供だった。
いつの間にか子供連れのママ友らしき団体の客が入って来ており、子供達が無邪気に走り回っていたのである。
当然母親は子供の事を叱………ったりはせず、噂話に華を咲かせている。
奈留のテーブルにぶつかってきた子供は、5秒ぐらい奈留の事を上から下へと眺めたのち、謝りもせずにまた走り出した。
そのあとすぐにその子供は男性客の足へとぶつかり、地面へと転がった。
子供の泣き声が店内に響き渡る。
鼓膜を揺さぶるレベルの、実に不快な超音波だった。
すると母親らしき女性がようやく立ち上がって、あろうことが男性客に対し、『なにするんですかっ』と怒鳴った。
男性客は必死に、子供の方が先にぶつかってきた事を主張したが、『言い訳しないでください。それでも人間ですか』とさらに怒鳴られてしまう。
もちろん悪いのは子供の方で、母親にも監督責任はある。でも男性客の方が不利だった。
なぜならその母親の背後には、ママトモダチという援軍がいたからだ。
こういったトラブルで怖いところは、理不尽な多数決がまかり通ってしまうところだ。
大勢の人間が『この男が悪いんです』と言ってしまえば、たいして一部始終を見ていなかった人もその言葉を信じてしまう心理が働いてしまう。
従業員通路から出てきた店長は、ママトモダチの覇気に完全に怯え切ってしまい、あろうことか男性客の方を追い出してしまった。
理不尽の勝利である。
男性客を不憫に思った奈留は、この事をブログにつづり、SNSにもアップしたのだった。