The next life without the focus
散々迷ったが、碧には居場所を教える事にした。
ネットで検索してみると、『風椿碧死亡』の記事がドッと出てきたので思わず驚いてしまったが、花房グループが視覚障害者用のワイヤレスイヤホンを試験販売したというネット記事を見てすべて納得した。
その記事には、花房聖がこのワイヤレスイヤホンについて説明している会見の動画がついていたからだ。
しかもこの動画、1週間前に撮られたものと記事には書いてあった。
そう、彼女は“結局”花房聖になる事を自らの意志で選んだというわけである。
なのでまといは花房聖宛てに企画書を送った。
本名のまま送ると、あとあと面倒な事になりそうだったので、偽名を使う事にした。
返答が返ってこなくても別に構わないと思った。彼女だって人間だ。マンガやドラマとは違って、作者の思い通りに動くわけがないのだ。
突然目の前から何も言わずに消えた人間の事を許せなかったとしても、人として当然だった。
すると3週間後に返事が来た。
細いペラペラの封筒の中には、メモ帳サイズの小さな四角い紙が入っていた。
その紙にはこんな文字が書いてあった。
まといちゃんへ♡
絶対許さないから首洗って待ってろ。
しかも、かなり小さい文字でやたらと紙の中央にそんな言葉が書いてあるものだから、まといはよけいにギョッとしてしまったのだった。
だって、許す気がないのにわざわざやって来るというのだ。
どんなA級ホラードラマよりも、こっちの方が恐かった。しかも、いつこっちに来るつもりなのか正確な日付が書いてないので、“もしかしたら今日来るかもしれない”と1日1日をおびえながら暮らし続けなければいけないというわけである。
炭弥に相談したら、『知らん』と返されてしまった。
まあ………殺されるような事にはならないはずだ。
せいぜいビンタか。カ〇ジというマンガでは焼き土下座というものが存在するらしいが、いよいよこの身でそれを味わう時が来たという事なのだろうか。
いや、覚悟を決めよう。
ビンタしそうなフォームを彼女が構えてきたならば、喜んで両頬を差し出そう。
そしたら彼女には言いたい事があるのだ。
この町は砂漠に囲まれていて蒸し暑いが、空がとても奇麗なのだ。排気ガスに塗れていない、どこまでも澄み渡った蒼だった。
なので、なんとかして砂漠のうえでも三脚を固定できる方法が見つかれば、きっといい写真が撮れると思った。
ふとまといはある方法を思いつき、折りたたみ式の四角いテーブルを持ち出して、砂漠の方へと出ていき、適当な場所で足を止めると、砂の中へとテーブルの足だけが埋もれるようにぶっ刺した。
そう、砂の上に三脚を直置きだと、安定しないし、背景が微妙に斜めった写真が撮れてしまうので、水平の位置を保つには、折りたたみ式のテーブルのような真っ平なモノのうえに三脚を置くしかないと思ったのだ。
「………………………」
なんとかいけそうだった。
あとはそう、碧が来るのを待つだけ………。
「まといちゃん」
「えっ」
まといは後ろを振り返った。
そこには、白の半そでのブラウスとロングスカートに身を包んだ碧がいた。
ふとまといの頭の中に、『首を洗って待ってろ』の文字が思い浮かんだ。
だからまといは碧に背を向け、全速力で走り始めたのだった。
「ちょっ、まっ、まといちゃんっ!!」
碧もまといの後を追った。
「まと……まといちゃっ」
まといは足の速度を決して緩めようとはしなかった。
「コラァァァァァァ、待たんかーい!!」
それでも、まといは特別足が速いタイプの人間ではなかったため、結局追いつかれてしまった。
そして碧はまといのくびれにガシッと両手で抱きつき、グイっとまといの体を引き寄せ、その体勢で後ろ向きのまま、まといと一緒に倒れたのだった。
小さな砂の粒子が宙へと散り、キラキラと光を発した。
「まといちゃんの………バーカ」
「うん……わかってる」
「わかってないよ。広大な砂漠での軽装備での追いかけっこはね、軽装備のまま山登りするよりも危険なんだよ。それなのに、そこまでして逃げなくたっていいじゃん」
「ごめん………どんな事言われるのかなって。首洗って待ってろって書いてあったから」
「そりゃあね、そう言いたくもなりますよ。何も言わずに勝手にいなくなられたわけだし……」
「うん………そうだね」
「でも、私、その程度で縁を切るほどの生半可な想いで付き合ってたわけじゃないから、やっぱり、うれしさの方が強かったかな」
「……そうなんだ」
「そうだよ。それとも、ビンタされると思ってた?」
「うん」
「わかった。今度からその手の冗談は書かない事にするよ。相変わらずまといちゃんの逃げ癖は変わってなかったみたいだからね」
「ごめんね、逃げてばかりで」
「でも、こうして居場所を知らせてくれたじゃん。だから、もういいよ」
「そっか」
「本当はね、会いに来ようかどうしようか結構悩んだんだよ。やっぱさ、毎日のように一緒にいたら、また前みたいに私が勝手に不安がって、先走っちゃう可能性もあるしさ。だからね、私はこれからも花房聖として生き続ける事にするよ。もちろん、まといちゃんの手伝いはするつもり。養殖事業の拡大のための援助もしていくつもりだし………」
「待って。その前に言いたい事がある」
「えっ?」
「これもらってくれない?」
まといはいったん上半身だけ起き上がらせ、ポケットからあるものを取り出し、碧の掌の中へとそれを握らせた。
「へっ?」
碧は掌をゆっくりと開き、まといが握らせたものをマジマジと見た。
それは、細かくカットの施されたアレキサンドライトの宝石が輝く指輪だった。
「わたしと結婚してください」
どこまでも拡がる青空のもと、まといは碧へとプロポーズしたのだった。
「へ?」
「私も、碧さんとはこれ以上一緒にいるべきではないと思った。私は罪を償うべき人間だから、幸せを実感しちゃいけないって思ったの。でもそれって、結局自分の事しか見えてなかったって事なんだよ」
「……………」
「青空の下でこうして生きている以上はどうしても人と人との絆はつきまとう。だからこそ、私だけが抱えるべき事情のせいで、他の人にまで心配かけさせちゃいけないってようやく気付いたんだよ。だから、償いはこれからも続けていくけど、私を大事に想ってくれた人の心もちゃんと守っていきたい」
「………………」
「だから私は、たとえ毎日のように一緒にはいられなくても、結婚という形で心の結びつきがほしいっていうか……。だめかな?」
「ううん、だめじゃないよ」
碧はゆっくりと立ち上がった。
まといもまた、ゆっくりと立ち上がり、碧と向き合った。
そして碧の左薬指へとアレキサンドライトの指輪をはめた。
「あと碧さん、あそこに三脚が立ったままになってるよね。せっかくだから一緒に写真を撮ろうよ」
「えっ!!ついに一緒に撮ってくれるんだね」
そしてまといと碧は三脚が立っているところまで歩いていき、タイマーを設定してから2人で写真を撮った。
まばゆいフラッシュが砂漠と青空一帯を真っ白く塗りつぶしたのだった。
END