終焉
一方碧は、病院の待合室の壁際に置かれた長イスに座っていた。
そんな碧のもとに西野巡査がやって来て、オレンジジュースの缶を差し出した。
「ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「…………………………」
「やっぱり気になりますか?」
「伯父さんと一緒にタクシーに乗ってここまでやってきたのに、私、あの人に何を言っていいのかわからなかった。本当は言うべき事たくさんあったのに」
「……悲しいですが、話をしたところでどうにもならない事はこの世にはたくさんあると思います。1度相手に徹底的に嫌われてしまうと、こちらがどんな言葉を言おうが、相手には、“みっともない弁明”にしか聞こえなかったりもします。あやまったところで、相手を苛立たせるだけです」
「………………………」
「それにあなたは葵さんの名誉を守るために、葵さん亡きあとも、彼女の罪についてマスメディアには公表せず、口を噤むという選択肢も選んでしまった。その時点でもう、あなたには資格はないと思います。そう、彼に言葉をかける資格がね」
「そう……ですよね」
「でも、彼も心の中では理解はしていると思います。心の強い人間なんていないからこそ、あなたのように迷い、間違う人もいるのだと。そしてその心の迷いは時に、取り返しのつかない悲劇を生むのだと」
「…………………」
「とにかく、ようやく終止符を打つことができました。私も、尊敬すべき先輩を1人、殺されていますので」
そう。そうなのだ。
誰の心もスッキリしない形で収束してしまったが、もうこれ以上の悲劇が起こる事はないのだ。
蒼野まといは生きているので、過去に戻る必要もない。
その後、みんながどうなったかというと、まどかは直江宗政として逮捕された。
BECKの建物から彼が出てきた時にはすでにたくさんのパトカーが停まっていた。
でも、パトカーの近くに思わぬ人物も立っていたという。
福富神子だった。
事態の収束を見計らってか、彼女は、パトカーが駆けつけるよりも早くその場所へとやって来ていたらしい。そして、建物の中から出てきた宗政へと近づいていき………。
彼の頬を思いきり引っ叩いたそうだ。
さらに彼女は彼にこう言った。
「本当は、思いきりツバをあなたに吐きかけてやりたかったけど、やめておくわ。私まであなたみたいになりたくはないから」
「…………………」
「言っておくけど、あなたはただの自分勝手なゲスよ。たとえご立派な動機をどんなに次々と並べようとしても、その事実は絶対に揺らいだりはしないわ。誹謗中傷なき未来を目指したかったのかもしれないけど、相沢をああいう形で死へと誘ってしまった時点で、あなたは気づくべきだったのよ。そう、偉そうに講釈を垂れる資格なんてないってね」
「…………………」
「あんたが必死に残そうとしていた傷跡なんて、しょせんはその程度の薄っぺらなものにすぎないの。まあ、せいぜい反省する事ね。そう、塀の中でね」
そして福富神子は宗政のもとから去っていった。
まといは宗政にどんな言葉をかけていいか分からず、彼がパトカーに乗るのを見ているだけしかできなかった。
後日、この一連の事件の首謀者として宗政と右田常信の名前が各テレビ局のニュースで報道された。
直江宗政がフォーカスモンスターだった事についても、結局は数日後に、BECKのあの部屋で撮られた例の映像付きで、ニュースで報じられる事になった。
だけどその映像に関しては、フォーカスモンスターの呪いとしてではなく、テロ行為として人為的に起こされたものと報じられた。
あらかじめあの天井に細工がしてあって、意図的に天井の一部を落下させたとアナウンサーは言っていた。
でも、みんなにはわかっていた。
表向きはそういう事にしておかないと、日本は良い笑いモノになってしまうので、そうせざるを得ないのだと。
宗政が望んだ形とは微妙に違ってしまったが、フォーカスモンスターの信奉者達は、一部モザイクで編集されたその映像をTOUTUBEで観て、一気に興ざめしてしまったらしい。
だって、フォーカスモンスターは何人も殺しているわけだから、どうあがいても塀の外へはもう出てはこれない。これ以上は、どんなにSNS上で殺人依頼を出しても、誰も殺される事はないのだ。
助けてほしいと願っても、もう助けてはくれないのである。
あと、フォーカスモンスター逮捕と同時期に、警察官僚や政財界を含む20人近い人達がいっせいに逮捕されたというニュースも話題になった。
直江家のマネーロンダリングの証拠が、特捜部、公安各所に送られ、一部のマスコミにも流出してしまったため、うやむやにする事ができなくなってしまったのが原因だった。
あと、マネーロンダリングとは関係はないが、徳川と仲が良かった明智もなぜか急に逮捕されたそうだ。
まあ、明智に関しては、碧はそこまで興味はなかったが………。
直江宗政と右田常信は、いままで犯した罪について、素直に供述を続けているらしい。
彼らに殺されかけた御影テンマは、1ヶ月後に戻って来て、また花屋ペイズリーを再開した。
3ヶ月後くらいからだろうか、喫茶店CAMELも普通に営業を再開し、六文太弥勒が普通に店長として働いていた。いつの間にか彼女ができたらしく、楽しそうだった。たしか名前は上辺美鈴だったはず。
連日のように大騒ぎだったこれらのニュースも、3ヶ月過ぎるとまったく勢いもなくなってしまい、たまに1分程度の尺で新たな情報が追加されるだけになってしまった。
そしてSNS上では、ふたたび誹謗中傷があふれるようになってしまった。
芸能人の不倫が発覚するたびにこぞって集まり出し、その芸能人が出演しているバラエティがすべて降板になるまで騒ぎ続ける。そして『自業自得』とコメントを打ってほくそ笑み、また次の獲物を見つける。その繰り返し。
福富神子が予言した通り、宗政と右田常信が残した傷跡はしょせんこの程度の薄っぺらいものでしかなかったという皮肉でもあった。
だからこそわかる。
あのまま直江宗政が、ミーティングに参加していた人達やBECKに捕らえられていた人達を殺したところで、結局はいまと同じ展開にしかならなかったのだと。
そう、これは、何の意味も収穫もない、ただのノーマルエンドだ。ハッピーエンドのように収束したかに見えても、結局はこのザマだった。
あと、報告すべきことがもうひとつ。
あの日の翌日以降、蒼野まといは依然として行方知れずである。
惰性のように感じるエンディングがお望みではないのなら、適当にこの辺で見切りをつけて、読むのをやめるのもひとつの楽しみ方なのかもしれない。
たとえ、小説の中の登場人物としてこれ以上フォーカスされなくても、碧を含む彼らの人生はこれからも続いていくわけではあるが………。