予定調和のバッドエンド3
そしてまといは目を覚ましたのだった。
固いフローリングのうえで寝ていたため、寝心地は最悪で、首がとても痛かった。
でも、1番痛かったのは首ではなく右肩だった。
ジワリジワリとした痛みではあったものの、この痛み、しばらく長引きそうだった。
そう、たしか銃で撃たれたのだ。
しっかりと傷口には包帯が巻かれ処置が施されていたために、出血多量までには至ってはいなかった。
両手足も、縄や手錠などではいっさい拘束されてはおらず、自由だった。
ほこりのつもったそのフローリングはワックスがはがれていたためにザラザラの肌触りだった。
薄暗かったが電気はついている。
まといは上半身をゆっくりと起こし、あたりを見渡した。
この部屋、ダンス教室を開けるくらいの広さだった。窓はいっさいなく、扉は右側の壁と左側の壁に、向かい合う形で1つずつついているだけだった。
一応確かめてみたが、扉の鍵は両方かかっていて、蹴破ろうとしても、ケガをして弱っている女のチカラだけではビクともしなかった。
「あっ」
体に身に着けていたはずのウエストポーチがなかった。
「…………………」
まあ当然かもしれない。
あれにはカメラも入っているからだ。
壁際にはガソリンを入れておくための真っ赤なタンクがいくつも置いてあった。
すると左側の壁の扉のドアノブがガチャガチャと震えだし、カチッと音がしたかと思うと、ゆっくりと外から扉が開いたのだった。
「…………………」
扉の外側からやって来たその人物の姿を見て、まといは眉間に深いしわを刻み、ため息をついた。そして、その人物に向かってこう言った。
「………………やっぱりあなたも“協力者”だったんですね………」
「まだ気づかれていないと思ったよ。だからこそ私は万が一のための準備も怠らなかった。お前が加賀城密季ではなく、私のいる方向に向かってカメラを向けてきた時の万全策をね………」
「そういえば……なんであなたはまだ生きているんですか?私、さっきは殺すつもりで建物全体をカメラで撮ったはずなのに……」
「“反射物”を利用したまでの事だよ。お前の最大の欠点は、カメラという道具を利用してでないとチカラが使えない事だ。カメラから放たれるフラッシュなんかは特に、鏡やアルミホイルの類を利用すれば簡単に遮る事ができるというわけだ。まあ、私が用意した遮光版は、もう跡形も無く、なくなっていると思うがな」
「右田邸では、だからこそあえて私だけ生かしたんですか?」
「そうだ。私も右田邸の中にいたとお前が証言すれば、私がマスコミの前で堂々と姿を現さない限りは、死んだものとして扱われると計算したうえでやった事だ」
「そのために………なんの罪もない人をあんなに殺したんですね……。惨すぎる。どうして、どうしてこんな………」
「ばかばかしくなった。ただそれだけの事だよ、まとい」
「伯父さん………」
「それでも、サラさえ死ななければあいつに手を貸そうとは思わなかったかもしれないけどね」
「えっ…………」
「サラは私の娘なんだよ、まとい」
「そっ、そんな………」
「お前が知らないのも当然だ。サラの身の安全のために、私はあえてあの子を手放したんだからね」
「…………………」
「それでも、徳川のような連中が跋扈する限りはサラに本当の安全なんてないと思い、私は徳川を潰すための証拠を何としても集めようとした。しかしそんなさなかだった。弟の勝義とその嫁の紫依菜があんな形で死んでしまったんだ。皮肉だなと思ったよ。勝義もまた、徳川の悪事を白日の下に晒そうと必死に動いていたのだから」
「……………………」
「勝義の死をきっかけに、私に対する徳川達の監視の目も強くなってしまったので、厚生労働省に移らざるを得なくなってしまったが、それでもあきらめずに情報収集を続けた。自由に動けない分、“人”を使ったりもしてね。しかし、BECKの存在を掴んだ直後に“それ”は起こってしまった」
「……………………」
「私は悩んだよ。どうやってサラを救えばいいのかをね。派手に動いたところで、私とサラの関係性が白日の下に晒されるだけだし、だからといって、彼女が囚われている留置施設へとブルドーザーで突入し、助けに行ったところで、警察官に取り囲まれ、私も一緒に逮捕されて終わりだ。警察上層部には徳川の息のかかった連中だらけだったので、八方塞がりだった」
「……………………」
「そうこうしているうちにサラが自殺をしてしまい、あの児童養護施設では無理心中事件まで起こり、お前はあんな大ケガまで負ってしまった」
「……………………」
「ネット上でさんざん誹謗中傷していたはずの連中は一気に鳴りを潜め、テレビのニュースでも取り上げられなくなり、なかった事にされた。そして、サラをさんざん叩いていた連中は、ほとぼりが冷めた頃に再び動き出して、別の人間を叩く。その繰り返しだった」
「……………………」
「あんなバカみたいな価値のない連中のせいで、私は大切な人間を3人も奪われてしまった。それからだよ。アリを踏みつぶしても、すれ違いざまに子供とぶつかっても、何とも思わなくなってしまったのは」
「……………………」
「人としての情を無駄に持ち続けても、大切な人間は守れないと私は知った。だからこそ私は心を捨てようと思った」
「…………あなたと“宗政さん”の関係は?」
「血は繋がってはいないよ。でも彼女はサラの“姉”だ。母親が同じなだけのね」
「………そう……なんだ……」
「彼女の本当の名前は円だよ。1人でも多くの人達を優しさで360度囲える人間になってほしくて、彼女の母親がそう名づけたそうだ。奇しくも君は以前、赤坂円と名乗ったそうだな。それを知った宗政は、さぞ奇妙な気持ちになったのかもしれん」
「……………………」
「彼女の母親の美津里は直江家の人間だった。でも、嫁いできた直江美加登に邪魔者扱いされ、追い出されたんだ。美加登はその頃、ようやくにして男子を授かり、そして出産した。でも、美津里まで男子を出産してしまうと跡目争いになってしまうと思った美加登は、あの手この手を尽くしてなんとか美津里を追い出す事に成功した。美津里は特に跡目争いには興味がなかったため、美加登の指示に従い、ある1人の従者を連れて、直江家を出た。その従者こそがマドカの父親だ」
「……………………」
「しかし、美加登の子供であるホンモノの方の“宗政”が幼くして死に、状況が一変した。美加登はもう子供が埋めない体になってしまっていたため、このままだと直江家の血が途絶える可能性すらあった。美加登は美津里とは違って、霊的才能もなかった。美加登の夫はまだその時には生きてはいたが、美加登とは15も年が離れていたため、いずれ必ず美加登よりも早く亡くなる。それがわかっていたからこそ、美加登は美津里の子供を求めた」
「じゃあ今の宗政さんが直江家の住職になったのは………」
「サラにまで直江家の手が伸びるのを防ぐために、あの子はあえていけにえになったんだよ。美加登が欲しいのは“霊力”を持った直江家の血を引く子供、ひとりだけだったから」
「そんな………」
「まどかの父親は、美津里を守るために、あえて彼女を私に託し、私が用意した偽の戸籍を手に、いずこへと姿を消した。でも彼は、直江家から受けたストレスのせいで若くして亡くなってしまった。美津里もサラを産んですぐに亡くなってしまった。だからこそ私とマドカにはサラしかいなかったんだ」
でもサラまでもが亡くなってしまった。しかもあんな惨い方法で。
右田常信はさらにこう言葉を続けた。
「…徳川や直江家の事さえなければ、私はサラに“まとい”という名をつけるつもりだった。美津里が死ぬ間際に遺してくれた名前だ。いつなん時も優しさをまとえる人間でいられるようにとね」
「……………だったら、なおさらあなたは間違ってる」
「ドラマでよく聞くセリフだな。でもね……間違っているかどうかはどうだっていいんだよ。人としてのモラルやマナーを守り続けた結果がこのザマなわけだからね」
「………………気持ちは痛いほどよくわかるよ。お金や地位、権力がないと、モラルの範囲内で声高々に訴えたところで何も変わらない事ぐらい、充分過ぎるくらいに経験してきたしね」
「ならなぜ………」
「まといという名前が、その美津里さんが残してくれた名前だからこそ私にはわかる。彼女はきっと、あなたの心の中にも残してあげたかったはず。相手を思いやれる気持ちと“優しさ”を……」
「………そんな言葉如きで、私を説得できるとでも?」
「それでも私は何度だって言うよ。あなたは復讐なんてすべきではなかったとね」
「………………」
「あなたは彼女の復讐に手を貸してはいけなかったんだよ。そして彼女の復讐を止めてあげるべきだった。彼女まで不幸になってしまわない前にね」
「…………………………」
「どんなにつらくても、気がおかしくなりそうでも、美津里さんが願ったのは、あなたの幸せ。そして、子供達が優しさで包まれる未来だったはず」
「……………………………」
「それに、正当化できる復讐なんてこの世には存在しないんだよ。あなた達はたくさんの命を奪っただけじゃない。大切な人を失った怒り、やるせなさ、絶望による深い傷を、その遺族の人にまで与えてしまった事に、もう気づくべきだと私は思う」
「……………………………」
「あなたは本当にそれでいいんですか?」
「………言っただろう?もう全てがばかばかしくてしかたがないんだよ。アリをためらいもなく潰せるし、小さな子供が目の前で派手に転んでも、今の私はなんとも思わない」
「………」
「唯一残っている情があるとすれば、それはまとい……お前だ。お前だけはどうしても殺す気にはなれなかった。そう、それはマドカも同じ気持ちだ」
「……………………………」
「でも、風椿碧には復讐がしたい。葵のせいでサラが死んだとわかった時、つくづくハラワタが煮えくり返ったよ。やっぱり親が親なら子が子だなってね。だからね、もしも碧が目の前に現れるような事になっても私はためらわずにあの子を撃てるよ」
「……………………………」
「それがいやなら、このままこっそりと日本を発ってはくれないだろうか。そして2度と彼女には会うな。それが、彼女を生かし続ける条件だ」
「つまりは、私を死んだことにして、ずっと彼女を精神的にいたぶり続けると?」
「そういう事だ………」
「………………………」
「不服か?私が逮捕されても風椿碧にはたいした未来なんてないんだよ。だって私も一応は、勝義経由ではあるが、睦城家との繋がりがあるわけだからね。そうなったら彼女は永遠にマスコミに追い掛け回されるかもしれない。立て続けに起きたテロに加え、右田邸ではあんなにも人が死んでしまったわけだから、マスメディアは永遠に彼女を罪人扱いするはずだ」
「………………………」
「なら、このままお前がこっそり日本を発ってくれた方がまだマシなんじゃないのか?」
「…………“昔”の私だったらその条件を受け入れていたかもしれません。そしてきっと後悔した。でも、“今”の私は違う」
「ならどうする?風椿碧にはもうバッドエンドしか用意されていないんだぞ」
「それでも………それでも彼女ならきっと受け入れるはずです」
「というと?」
「サラもあんな形で死んでしまったから、碧さんにはせめて平穏なまま暮らしてほしかった。でもその考えは間違っていた。彼女に罪を償う意志があるのなら、たとえバッドエンドでも構わないんです」
「…………………」
まといは手首につけていたガーネットのブレスレットに手を触れた。そのブレスレットの紐にはシルバーの丸い石も通してあった。
まといはそのシルバーの石に思いきりチカラを入れた。
「罪悪感を取り戻してください、伯父さん」
すると、なんの変哲もない見た目だったそのシルバーの丸石にカメラのレンズが出現する。
まといは右田常信にそのカメラのレンズを向け、シャッターを切ったのだった。




