ゲームオーバー
笹島はそのあと、ポン太を置きっぱなしにしていた山林へと走って戻り、ポン太をバッグから出して、つむぎくんの家に向かい、チャイムを押した。
笹島がポン太を抱っこしていたため、つむぎくんは、本当は玄関の外へと出たくはなかったが、出て行かざるを得なかった。
つむぎくんは相変わらずおびえた表情をしていた。
笹島はつむぎくんに対してこう言った。
「俺の事……許さなくていいから」
「えっ………」
「でも俺は、もうお前にはイヤな事は言わないし、意地悪もしないから」
「…………そっ、それってどういう………」
「頭がオカしかったんだよ俺は………。でも、ようやく気がついた。お前は俺に対して何も悪い事してないのに、勝手にお前の事、悪者みたいな感じに思い込んで……。罪悪感すら抱こうともしなかった。俺はクズだった」
「……………………」
「でも、これだけは信じてくれ。俺はお前については、SNSでフォーカスモンスターにお願いしたりは1度もしてないから安心していいよ。あの時は、お前を脅かすために、うそをついてしまっただけなんだよ」
「……………………そっ、そうなんだ」
「あと、ネコの放し飼いはやめろ。最近は、ネコを平気で殺そうとするやつもいるから、危ないと思う」
「ごっ……ごめん………」
「俺の事は許さなくていいけど、他の連中がお前になにか言って来たら遠慮せずに俺に言え。本当は、何かされる前に俺が止めるべきなんだけど、目が行き届かない時もあるかもしれないから」
「…………………………」
「だって、俺が最初に始めた事だからな。お前がイジメられなくなるまで、それまでは俺がちゃんとお前を守るから」
「…………ねえ…………」
「えっ、なに?」
「僕ね、相手の事をちゃんと許せる人間になりたい。憎んでばかりの人間にはなりたくないんだよ。だから、君の事は憎まないよ」
「…………そっか……」
「だから、君がもしよければ、僕の友達になってほしい。僕を最初に傷つけたのは君かもしれないけど、謝りにきてくれたのも、君が1番はじめだから」
「……ああ。お前がそれでいいんなら、俺は構わないよ」
「よかった」
「じゃあ、もう遅いから、俺はもう帰るよ」
「うん、気をつけてね」
そして笹島は今度こそ自分の家へと帰っていったのだった。
その日から笹島は、つむぎくんに約束したとおり、クラスメイトの誰かがすれ違いざまにぶつかろうとしても、盾になって彼を守り続けたのである。
笹島が般若のような顔をしながら鉄壁の守りを敷き続けるものだから、もう誰もつむぎくんをイジメようとはしなくなった。
だからこそ、つむぎくんは心配になった。フォーカスモンスターにはSNSで、もう笹島を殺さなくてもいいとは書いたが、フォーカスモンスターからの返信がいまだに来てなかったからである。
でも、5日経っても笹島が“不審な事故”で死んだりはしなかったので、もう、SNSに書き込んだあのフォーカスモンスターへのお願い事は、なかった事になってくれたんだなと思ったのである。
でも本当はそうではなかった。
そして数日後の7月24日。PM15時過ぎ。
15時といっても、まだ夕方前なので、空は普通に明るかった。
並木道の歩道に挟まれた4車線道路の、左側の歩道をつむぎくんと笹島は並んで歩いていた。本屋に行くためである。
でも、目的はマンガではなく、英語の参考書だった。
いまからでも英語くらいはできた方がいいとつむぎくんに言われたので、参考書選びのためにつむぎくんも同行しているというわけだった。つむぎくんはそういう方面にはくわしいからだ。
笹島は相変わらず勉強は苦手だが、とことんダメな大人にはなりたくなかったので、笹島の方からつむぎくんに、参考書選びを手伝ってほしいとお願いしたのだ。
そんな2人を、向かい側の歩道の方で、見ている人物がいた。
その人物はスポーツキャップを目深に被り、黒くて大きなマスクで口元を覆い隠していた。
その両手には、デジタルカメラを手にしている。
「フッ」
そしてそのカメラをゆっくりと構え、フォーカスの中につむぎくんの事もしっかりと収めてから、シャッターを切ったのだった。
まばゆいフラッシュが焚かれた。
「……………」
そう、この彼女は、別に正義のためにこんな活動をしているわけではなかった。
彼女にとっては、つむぎくんも笹島も同じようなものだったからだ。
人殺しを他人にお願いするような卑怯者のうちの1人。
彼女にとってはクズと一緒。生きる価値のない人間というわけである。
そんな彼女は満足そうにその場から、立ち去ったのだった。
つむぎくんと笹島は、撮られた事なんて気づきもせずに、高架線下の交差点の、横断歩道の前までやって来る。
あとはこの交差点をまっすぐ渡れば、本屋のあるビルはすぐだった。
目の前の信号は赤だった。
すると突然、真上を通っていた高架線の一部が粉々になり、そこから大型タンクローリーが落ちてきた。
そして、交差点のちょうど真ん中のところでそのタンクローリーは運転席ごとグシャリと勢いよく潰れ、一直線に立ったまま止まったかと思うと、今度はゆっくりと横へと倒れたのだった。
タンクローリーの、砕けたボディの一部があちこちへと飛んでいった。
「うわっ」
でも、それだけでは終わらなかった。
そのタンクローリーにはガソリンが積んであったために、突然、広範囲に爆発したのである。そして、周囲の車を巻き込んで、その爆発は一気に炎へと変わった。
さらに、その炎は大きな灼熱へと変わり、まるで獰猛なモンスターのように蠢いてから、つむぎくんと笹島に勢いよく襲い掛かってきたのだった。
その灼熱は、小学生の体なんて、簡単に呑み込んでしまうくらいに大きかった。
「うわああああああああっ!!」
その時だった。
つむぎくんと笹島の全身が、まばゆいフラッシュに包まれたのである。
でも、それだけではなかった。近くを走っていた車も、他の歩行者も一緒に、白いフラッシュに包まれたのだった。
「……………………」
つむぎくんと笹島は死を覚悟した。
炎が自分達の体を包むまで、そんなに遠くもない距離だったからだ。
でも…………。
つむぎくんと笹島はゆっくりと目を開けた。
「あっ」
それは、不思議な光景だった。
交差点一帯を呑みこもうとしていたはずの炎が、ゆっくりとつむぎくん達から遠ざかっていったからである。
「……………」
近くにいた歩行者も、軽いやけどだけで済んでいる。
そしてその炎は、次第に弱まっていき…………。
フッと消えたのだった。
でも、大惨事には変わりはなかった。
タンクローリーの落下に巻き込まれた車も、1台や2台だけではなかったからだ。
大火傷を負っている運転手も、つむぎくんの位置から確認する事ができた。
つむぎくんはすぐに119番と110番に電話した。
悲鳴があちらこちらから聞こえた。
その様子を、横断歩道の向こう側から見ていたまといは、ゆっくりとカメラを下ろしたのだった。
「………………………」
今日は、申請したパスポートを受け取りにいった帰りだった。
本屋の隣にあった寿司屋で今日の夕飯を買っていこうかと思い、この近くの駐車場に車を停めたというわけである。
そしたらタンクローリーが高架線の上から落ちてきて、こんな大惨事になった。
すべての人は救えなかったが、つむぎくんや笹島くんを含め、多くの人達を死なせずに済んだとは思う。
マンガやドラマとは違って、1人残らず救うのはやはり無理だけど、人の命を奪ってきた分、たくさんの命をこれから救っていけたらなと思った。
だけどまといは心の中でこうつぶやいた。
ゲームオーバー。
まといはゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには加賀城がいた。
加賀城はスマホのフォーカスをまといへと向けたままだった。
まといは加賀城にこう言った。
「私の事………撮ったんですよね?」
「………………………………………」
するとようやく、加賀城はスマホを下ろした。
そして指で停止ボタンを押したのだった。




