インビジブルレイン2
7月14日 PM21時。
午前中から降り始めた雨は、現在も、弱まる様子をいっさい見せようとはしない。
それどころか雨脚は激しくなっていくばかりだった。
これ以上雨脚が激しくなると、傘の布地の部分なんて簡単に突き破られてしまうかもしれない。
それほどまでに、いまの雨脚は激しく、そして“殺意”に塗れていた。
一方その頃、福富神子はというと、黒幕の正体を掴むために、ホテルを一軒一軒訪ね歩いていた。
天気予報をちゃんと確認してから家を出たので折りたたみ傘は持ってはいたのだが、こんなに激しい雨になるとは聞いてなかったので、大きめのビニール傘をコンビニで買って、いま、手に持っている。
それでも完全に雨を防ぐ事はできず、靴の中はめいっぱい雨の雫を吸い込んでしまっており、ビショビショだった。
そう、今、福富神子は、防犯カメラの少ないホテルをひとつひとつ訪ね、川藤秀治の愛人が客として訪れた事がないか、しらみつぶしに調べていたというわけである。でもみんな、口をそろえたかのように、『覚えてません』を言うだけだった。
でも、それも当然なのかもしれない。
たいして仲良くもない人の顔を1年以上も覚えていられるかと聞かれたら、否と答える人の数は当然多いはずだ。
だって、たいして印象に残らないからである。
「…………………」
それでも、途中で投げ出すわけにはいかなかった。
せめて、すべてのホテルを訪ねてからだ。ほかの方法を考えるのは。
「…………………」
相沢さえ生きていれば、川藤の愛人が所持していたあのアイパッドから、黒幕へと繋がる証拠が出てきたかもしれないというのに………。
自分ひとりのチカラでは、あのアイパッドを解析するのは不可能だった。
「…………………」
いや、やめよう。相沢亡きいま、タラレバを口にしたところで、仕方のない事。
福富神子は、どしゃ降りの雨の中、また別のホテルの中へと入り、受付の中年男性に川藤秀治の愛人の写真を見せて、こう尋ねた。
そのホテルは、他のホテルに比べると、立地が悪く、閑静な場所に建っており、ホコリの臭いが強く、そして小さかった。13階しかなく、受付の近くの壁には『ルームサービスはおこなっていません』とデカデカと書かれたハリガミがしてあった。
「この女性に見覚えはないでしょうか」
「あるよ」
「えっ」
たいして期待もしてなかったので、福富神子は驚きの声をあげてしまった。
すると、受付の中年男性は、イヤらしい笑みを浮かべ、こう言った。
「あれぇ、知っててここを訪ねてきたんじゃないの?」
「どういう意味?」
「さあ、どういう意味だろうね。このホテルはね、信用で成り立ってるところがあるから、払うものはちゃんと払ってくれないと」
「………じゃあ、これでどう?」
福富神子はスマホを取り出し、受付の男性にスマホの画面が見えるように正面に構えた。
そのスマホの画面には、録音中の文字が表示してあった。
それを見た受付の男性は、眉間に深くしわを刻み、『くっ』と思わず声を漏らしてしまった。
福富神子は受付の男性に対し、不敵な笑みを浮かべながらこう言った。
「いまさっきのあなたの発言から察するに、ここはそう、お金持ち専用の“不倫の巣”ってところかしらね。だからこそ、防犯カメラもたいしてついてないんじゃないの?そして、お金を多く積めば、たとえ私みたいな人間が来ても、決して口を割らないという契約を結んでいるってわけ」
「……………………」
図星、という顔を受付の男性は浮かべた。
福富神子はさらにこう言葉を続ける。
「もしもあなた自身がその契約を破ってしまったら、このホテルをひいきにしているお客様は容赦なく、あなたの人生を権力で叩きつぶしにやってくる。あなたもそれをよくわかっているからこそ、このホテルは“信頼”で成り立っている」
「……………………」
「まあ10万なら払ってあげてもいいわよ。でも、これ以上ごねたら、この事をWEBの方の新聞に書き連ねるから」
「わっ、わかったよ。ちっ、チクショー」
受付の男性は深くため息をついた。
福富神子は、構わずこう彼に質問をした。
「じゃあ、この写真の女性はこのホテルを利用してたってわけね」
「ああ、でも、そんなに頻繁ってわけじゃなかったよ」
「彼女がこのホテルを利用した証拠のデータとかは残ってたりするの?」
「もしものために、チェックイン表は全部スキャナーで取り込んでパソコンに保存はしてあるよ。今からプリントしてアンタにやるよ」
受付の男性は、近くにあったパソコンを使って1年前のデータを引っ張り出し、それを印刷して福富神子に紙を渡した。
でも、そのチェックイン表は、彼女の名前しか載ってなかった。
福富神子はため息をついた。
予想通りだったので、たいしてショックではなかったけれど。
「これじゃ、誰と一緒に泊まっていたのかわからないわ」
「だろうね。この人、特にそういうところには用心していたみたいだし。チェックインする際も、1人で来ていたよ」
「じゃあ時間差で、この女性のいる部屋に、相手も入っていったって事?」
「そういう事。よく使われている手だよ。浮気なんかだと特に、2人して横並びしながらホテルの中へと入っていくところを浮気調査の探偵に撮られたら、ジ・エンドなわけだし」
たしかにその通りだった。
利用していたホテルをつきとめても、彼女の相手が何者か分からなければ意味がないというのに。
うすうす、こうなるんじゃないかとは予想はしていた。
すると、受付の男性は福富神子にこんな事を言った。
「でも、この女性の相手は女だよ」
「…………は?」
「ちょうどね、別の空き部屋を掃除しに、この女性が泊まっている部屋の扉の前を通りかかったら、笑い声が聞こえたんだよ。女の声だったね」
「………えっと………それって……つまり………」
「うちのホテルは同性愛の人もよく利用する。だからこそ、このホテルは、信頼で成り立っているんだよ」
つまり………もう1人のパトロンの正体は女だった?
いや………、100%ありえなくはない。
川藤秀治の愛人は金に困っていた。だから、たとえ同性愛に興味はなくても、相手が金をちらつかせて言い寄って来たならば、金のために関係を持つ事だってあるのかもしれない。
これは………かなり衝撃的な事実だ。
「ねえ、その日の防犯カメラの映像はある?1年前だから、やっぱり残ってないわよね?」
「信頼のために、出入り口にしか防犯カメラはないけれど、残ってるよ。いざという時のための切り札用としてね」
「それでもいい。見せてちょうだい。もちろん、このホテルの信頼を打ち砕くような事は新聞には書かないから。なんなら、もう10万出してもいい」
「でも、見せたところで何もわからないかもしれないよ?」
「このホテルは他のホテルと比べて部屋数が少ないわ。彼女がチェックインしてから建物を出るまでの時間帯に区切って調べれば、何人かに絞る事だって可能のはず」
それに、この彼女のパトロンになるためには、ある程度の金も持っていなければならない。
たとえこの時点で1人に絞り切れなくても、年にどれくらい稼いでいるのかをあとで細かく調べていけば、必ずたどり着くはず。
近い。
黒幕にたどり着くまで、あと1歩だ。
そして…………。
意外な人物にたどり着いた。
現時点では、パトロンに該当しそうなお金持ちの女性を断定こそできなかったが、でも、そこまで調べなくても、犯人は“コイツ”だなと福富神子は確信を持つ事ができた。
なぜならその女性というのは…………実は………。
「まさか…………こんなにも身近にいただなんて……」




