彼女が作った朝ご飯
7月14日。
AM5時にまといは目を覚ました。
でも、昨日の疲れがまだふくらはぎあたりに残っていて、あと、睡眠の質もあまりいいものとは言えなかった。
決して睡眠時間が足りてないわけではないのに、意識がまだまどろみの中に浸かっているような感じがして、本調子とは言えなかった。
だから今日は、砂糖少なめの苦めのコーヒーで気分を紛らわす事にした。
車の件については、まといの方から碧に話す前に『外に車がないんだけど?』という形で、すぐに碧にバレてしまった。
碧は耳もいいからである。
車が駐車スペースに入ってくる際の、タイヤが地面を滑る音や、リモコンキーでカギを閉める際のあのピピッという音。
車で出かけたはずの人間が、帰って来た時には、それらの音をいっさいさせずに、いつの間にか家にいて、微妙に申し訳なさそうな顔をしていたら、怪しむのは当然の事だった。
だからまといは、下手なうそはつかずに、正直に理由を話した。
直江美加登に宗政殺しを疑われ、また拉致みたいな展開になってしまったので、車を捨てて逃げてきたと言った。
もちろんまといから事情を聞いた碧は、『警察に通報するべき』と言った。
でもまといは、それだけはしたくないと言った。
子を殺されて、怒り狂うのは親としては当然の感情。
右田邸であんな事件さえ起こらなければ、彼女は人を殺そうとは思わなかったわけである。
悪いのは真犯人であって、直江美加登ではない。
それなのに彼女が復讐という形で罪に手を染めてしまうのは、とても悲しい事だとまといは思った。
復讐なんてしても絶対に気分なんて晴れないし、自分を信じてくれた人達の想いを裏切る事にもなる。
だからこそ直江美加登を犯罪者にしたくはないと思ったのだ。誤解さえ解ければ、狙われる事もなくなるわけだし。
碧は、やっぱりそれでも通報はするべきだと思ったが、まといの気持ちもわからなくはなかったので、いったん引き下がったのである。
その碧はというと、まといが起きた30分後くらいに部屋から出てきて、リビングへとやって来た。
そしてまといにこう尋ねた。
「体は大丈夫なの?骨にヒビが入ってたり、頭を強く打ってたりすると、だいたいこのぐらいの時間に痛み出したり、気分が悪くなったりするはずだけど………」
「大丈夫だよ」
「ふうん、そっか。不死身なんだね、まといちゃんって」
「そんな事ないと思う。たぶん、運が良かっただけだよ」
「そっか。あっ、今日はどうするの?マンガのアシスタントの仕事に行くの?」
「うん」
「あの……もういっそ、私のアシスタントの仕事してみない?簡単な事務作業にはなるけど、時給は弾むし」
「いや、マンガのアシスタントの仕事もやりがいがあるから、そっちをしばらく続ける事にする」
嘘だ。やりがい云々はいっさい関係ない。
いつでも辞められる仕事の方が、雇い主にかかる迷惑が少なくて済むからである。
「そっか。わかった。でも、気が変わったら、いつでも言って」
「うん。あっ、朝ご飯作るね」
「たまには私が作るよ。だから今のうちに洗濯とか掃除とかお願い」
「うん、わかった。じゃあお願いね」
という事で、朝ご飯は碧に任せ、ドラム式洗濯機のスイッチをオンにし、洗剤の投入口に洗剤をセットしてからスタートボタンを押した。
すると、ドラム式洗濯機がゴゴゴゴゴっという静かな振動音を立て、動き始める。
まな板のうえで何かを刻む音が聞こえ始める。
とりあえず玄関周りを掃除することにした。人が料理している近くで掃除機を動かすと、その分、ホコリが立つし、料理の上にホコリが降りかかってしまう。だから、ある程度リビングから離れている玄関の方がいいと思ったのだ。
玄関も、油断しているとホコリの臭いが立ちやすいので、まといは、ホウキとチリトリで、砂が溜まっている箇所を掃除した。
すると、香ばしい匂いがここまで漂ってくる。ニンニクをオリーブオイルで炒めているような匂いだった。
玄関はもう終わったので、次はお風呂でも掃除しようと脱衣室へと移動したが、朝ご飯が出来たと言われてしまったので、いったんやめにする事にした。
そしてまといはリビングに移動した。
「えっ?」
まといは、テーブルのうえに置かれた料理を見て驚いた。
「ん?どうしたの、まといちゃん」
「………いや、別に………」
「あっ、安心して。ニンニクはそんなに使ってないから。その分パセリは多めにしたけどね。臭みを取るために」
碧が作ったもの。
それは、ガーリックシュリンプとサラダだった。
サラダには、トマトとアボカド、生ハムをスライスしたものが入ってた。それらの具材の下にはレタスが敷いてあり、あとドレッシングもかかっていた。
あと、フランスパンをスライスしたものがすでにバターを塗った状態で皿のうえに置いてあった。
「…………………」
ニンニクはあえて少なめにしたとは言っていたが、見た目がもう、あの時聖が作ってくれたものと“瓜二つ”だった。
「…………………」
これはいったいどういう事なのだろうか。
芸術もそうだが、料理も、腕を磨けば磨くほど、性格や個性が出やすいものである。
やっぱり似すぎている……。
というより、瓜二つ。
でも彼女には、葵の他に姉妹なんていないのは確実で……。
「まといちゃん。もしかしてガーリックシュリンプ嫌い?」
「いや、ううん。おいしそうだなって思って。思わずボケッとしちゃっただけ」
「ふうん、そっか。じゃあ、一緒に食べよ♪」
「うん」
まといは席につき、碧と一緒に朝ご飯を食べた。
そして2時間後の7時。
洗濯物を干し終わったまといは、コーヒー片手に自分の部屋に戻って来て、オフィス用チェアの上に腰を下ろし、デスクの上にマグカップをコトリと置いた。
マグカップからは、湯気が立ちのぼっている。
すると、碧に借りっぱなしだったスマホが急に振動し始める。
「えっ?」
電話だった。
スマホを手に取り、画面に表示されている名前を確認してみる。
「……………あっ…………」
樫本からだった。




