幕間22 TAXI
7月9日 18時30分前。
キャバクラの店長の協力のおかげで六文太弥勒の次の行き先が右田邸だと掴んだトモイは、さっそくその場所に向かうため、タクシーへと乗り込んだ。
その車内には、運転席と後部座席の間に透明のアクリル製の仕切り版が取り付けられていた。
昔から、タクシーの運転手に暴行を働く酔っ払いの事件が絶えないので、防犯目的のためだろう。
助手席のヘッドレストの裏の部分には、運転手の顔写真が載った乗務員証が貼られている。
その顔写真には40代くらいの、やたらとタレ目な女性が写っていた。
でも、バックミラー越しに映る女性運転手の顔は、帽子を目深に被っていたせいではっきりとは見えなかった。
トモイは、タクシーの運転手に行き先の住所を告げた。
するとタクシーの運転手は『了解』と小さくつぶやき、車を発進させた。
タクシーの運転手はこんな事を言った。
「だいたい目的地に着くまで30分ほどかかると思います」
「ふうん、そうか。まあ、しかたないかな」
と言いつつ、30分はさすがに長いなとトモイは心の中で思っていた。
5分、10分程度ならまだしも、30分もあれば、相手だって余裕でとんずらこいてしまっているだろう。
でも、こちとらただの人間。瞬間移動なんてできるわけがないのだから、着くまでに30分かかろうが、もうこれはしかたのない事でもあった。
すると運転手はこんな事を言った。
「ひまつぶしにこんな話はいかがですか?」
「えっ?」
「もしもこのあと、死なせたくない人が死ぬ予定だった場合、あなたならどうしますか?」
「えっ?変な事聞くね?」
「タイムリープ、タイムループ。タイムスリップ。昔から好まれているジャンルについてです」
「そういうオカルト的なものは、俺はあんまり興味ないなぁ。人を呪い殺すカメラならまだしも、時間移動モノはさすがにねぇ、ばかげているっていうか、壮大すぎてありえないっていうか」
「でしょうね。マンガやアニメ、ドラマの中で成り立つ設定だからこそ、みんな娯楽として楽しむ事はできる。でも現実は違う。実際に突然、あなたはこれから死ぬ予定ですと言われても信じない。それどころか、頭のおかしい人だと思う」
「だろうね」
「だからこそ救えないんです。直接的な事を言っても信じないから、さりげなく誘導するしかないんです。死なないようにね」
「…………」
「もしもあなたに、時間をさかのぼれるチャンスが訪れたとしても、タイムスリップはおススメしません。どんなに頑張っても、全員は“絶対”に救えないから」
「…………」
「地獄ですよ。1度浸かってしまったら抜け出せない底なし沼。蟻地獄と一緒です。シュレーディンガーの猫って知ってますか?猫が入ったフタを開けない限りは、生きていると信じる事ができるんです」
「あんた……あんた何者だ?」
「1つ目の箱に入っていた猫が死んでいても、2つ目の箱がすぐそばに落ちていれば、そのフタを開けるまでは、生きていると信じる事ができる。たとえ2つ目の箱に入っていた猫が死んでいても、3つ目の箱がそこに落ちていれば、次の可能性を信じる事ができる」
「………………………………」
「だけど、90箱目になってようやく悟るんです。やっぱりもうだめなんじゃないかと。でも、それでも、最悪の結末だけは受け入れたくないから、フタを結局開け続けるしかないんです」
「………………………………」
「だから、最近なんかは特に、誰が死のうがなんとも思わなくなってしまっていた。ただの作業のように、やる気のない忠告だけにとどめて、それで結局相手が死んでしまっても、まあ、しょうがないかなってすぐに割り切って………。あの子さえ生き残ればって……」
トモイはタクシーのドアハンドルに手をかけ、開けようとした。だけどやはりビクともしなかった。
「あんた……声色は変えてるが聞き覚えのある声だな。本当にいったい誰だ?」
フシュウウ。
突然、後部座席のカーエアコンの部分から、赤紫の煙が噴き出した。
「くっ」
「でも、救える可能性がまだあるのなら、やっぱり救うべきなんですよ。私にずっと協力してくれていた人のお兄さんならなおさら………どんな手を使ってでも」
タクシーは、右田邸のルートを左に逸れ、別の方角へと向かい始める。
「くっ………くそ………うっ」
「だから、すべてが終わるまで退場しててくれませんか?トモイ・ナカミチさん」
いつの間にか運転手は防毒マスクを顔に装着していた。
そしてそのタクシーは、いずこへと姿を消してしまったのだった。




