兄弟2人。
引き続き7月7日。
とある焼肉店の地下で潜伏していた王李の元に1本の電話がかかってくる。
今は営業の時間帯なので、焼き肉店の店長は1階のお店で今、バリバリ働いている。
電話口から、王李に対し、こんな声が聞こえてくる。
『もしもし。体調は?』
王李は、サイドテーブルのうえに置かれたカメラを手にした。
ピカピカに磨かれた新品のレンズが、天井から差す明かりを反射して、艶のある光を発した。
王李は電話の相手に対し、こう答えた。
「長くて1か月ってところかな」
『…………………………』
「脳に爆弾を抱えてしまったせいで、日に日に持久力が衰えていっているのをリアルに実感しているよ。点滴や薬でなんとかごまかしてはいるが、もう長期戦は無理だ」
『………………』
「だから、俺にできる事がまだ残っているのなら、早めに頼むよ」
『安心して。もうあなたなしでもやってはいける』
「そうか…………」
『でも、あと1つだけお願いしたい』
「いいだろう。で、何日後だ?」
『今日か明日か明後日か………』
「随分とあいまいだな」
『そうだね。でも、1週間後って事はさすがにないと思うから安心して』
「わかった。で、具体的に俺は何をすればいいんだ?」
そして王李は、作戦の詳細を一言一句聞き逃さずに頭の中へと叩き込んだのだった。
引き続き、7月7日。PM21時。
赤紫色の絨毯が映える、やたらと広い一室に花房聖はいた。
ここはそう、戸土間のホテルの中にある特別ルームのうちのひとつである。
そして、この部屋の窓側には、黒くてピカピカとした重厚感のある書斎デスクがあり、ゲーミングチェアのような回転イスに花房聖は腰かけていた。
「……………………」
花房聖は神妙な面持ちで、古ぼけたビジネス手帳をペラペラとめくっている。
コンコンコン。
ノックの音である。
「聖さま。はいりますね」
声の主はイシユミだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
イシユミは扉を開け、入ってくる。
彼は手に笹の枝を持っていた。100センチほどの大きさの枝である。葉っぱももちろん枝についている。
「聖さま、今日は七夕ですよ」
彼は、その笹の枝の先っぽを四角い発泡スチロールのキューブに刺してまっすぐに固定し、テーブルの上に置いた。
「七夕…………ね」
彼は、赤色の短冊に願いごとを書き、笹の枝に吊るした。
その短冊にはこう書いてあった。
聖さまが幸せになれますように。
それを見た聖は胸が苦しくなった。
だから聖は、イシユミにこんな事を言った。
「私の幸せを願うより、お兄さんとの幸せを願ったら」
「いいえ。これでいいんです。兄との幸せは、わざわざ短冊に書かずとも叶いますので」
「…………でも、今回も同じルートを辿るとは限らない」
「……………えっ?」
「前回とおんなじように見えて、大きなズレが所々に生じているのはたしか。だから、取り返しがつかなくなる前に、お兄さんと一緒にどこか遠くへ行ったほうがいい」
「…………………」
「それはあなたもわかっているはずだよね?」
「たしかに、そのビジネス手帳に書かれていない事も今回は起こっていますよね」
「だからね、あなたはお兄さんを………」
「無理だと思います」
「どうして?」
「人生は自分の意志で積み重ねていくものだからです。それに、私と生き別れている間、兄はたくさんの事を経験してきたはずなんです。そして兄は見つけたはずなんです。守り通したい正義を」
「………………」
「そしてそれは私も一緒なんです。そして私は心に決めた。あなたのために人生を捧げると」
「………………」
「だから、あなたに何を言われようが、私は最後まであなたにつきあいます」
「でも………」
「それに、必ずしも、聖さまが心配しているような事にはならないはずですよね?」
「そうだけど………」
「この後、兄に会うんです。いままで会えなかった分、今日はたくさん楽しむつもりです」
「……………………」
「だから聖さまも、あきらめないでください」
そしてイシユミは部屋から出て行った。
「…………………」
テーブルのうえには、真っ新な色とりどりの短冊用の紙が置きっぱなしだった。
なので聖は、青色の短冊を手に取り、『イシユミが幸せになれますように』と書いた。
だけど、胸の中に渦巻く嫌な予感は、なかなか晴れそうになかった。
イシユミは、0時まで営業しているファミレスの中へと入り、トモイと会った。
その頃にはもう23時をまわっていたので、客はほとんど店内にいなかった。
2人は窓際のテーブル席へと腰かけた。
イシユミはフルーツジャンボパフェを頼んだ。
トモイは、ミートドリアとペペロンチーノ、チキンバスケットと白ワインを頼んだ。
1分もしないうちに、白ワインの瓶とグラスがトモイの目の前に置かれた。
店員は厨房の方へと引っ込んでいった。
静まり返る店内。
イシユミは水を一口呑んでからこう言った。
「聖さまは命の恩人なんだよ。あの人がいなければ俺はいまだに、汚い野郎どものペットをやらされていたと思う」
「そうか……」
「あっ、聖さまは別に悪い人じゃないから、彼女の周りを嗅ぎまわったりしないでね」
「なんでそう言い切れる?お前を助けたという事は、彼女にもそれなりの諜報スキルがあったからじゃないのか?」
「たしかにそれなりの諜報スキルはあるけれど、それだって、努力して身に着けたものでしかないんだよ。兄さんみたいに本物のプロってわけでもないから、運よく情報を得られる事もあれば、うまくいかない時だってある。まあ、気配を消すのはプロ級にうまいけど」
「花房聖は何者だ?」
「言うつもりはない。でも、悪い人じゃない。それは兄さんもわかってるよね」
「たしかに、彼女のおかげで、徳川や明智を追い詰める事ができた。だから、よからぬ事を考えている側の人間でないのだけはたしかだ」
「なら、それでもう充分でしょ。彼女はシロだよ」
「わかった………彼女については、これ以上は何も聞かない」
「そういえば、兄さんはまだ、男の人の方が好みなの?」
「えっ?ああ、そうだけど?」
「そっか。じゃあ、兄さんが男の人と結婚なんて事になったら、俺は兄さんの相手と会わなきゃいけないってわけか。家族になるわけだし」
「結婚はまだ考えてないけど、たとえ結婚するような事になっても、無理して会わなくてもいいとは思う」
「いや、そん時は頑張って会うよう努力するよ。兄さん以外の男の人はやっぱりまだ苦手だけど、すべての男の人が悪人ってわけでもないわけだし。兄さんの家族はもう俺しかいないわけだし」
「家族……ね。あっ、そうだ。また別の日でいいから、母さんの墓参りに行かないか?墓が建ってる場所、お前知らないはずだろ?」
「そうだね。ぜひ一緒に行きたいね。午前に予定が開けられそうな日があったら、後で連絡する」
「わかった」
そして2人は、ラストオーダーの時間まで語り合ったのだった。




