それでも譲らない気持ち
7月2日
加賀城は、今日は18時まで、赤橋署の精神科警課のフロアで過ごした。
昨日は昼過ぎからずっと外で過ごしてしまったので、溜まってしまった分の仕事を片付けていたというわけだった。
近衛孝三郎はいなかった。
どうやら彼は、昨日も結局、姿を現さなかったらしい。
「…………………」
でも、今日はむしろ好都合だった。
彼には聞きたい事がいくつかあったが、彼が素直に答えてくれるためには、決定的な証拠がなければ無理だ。彼はそんなに甘い男ではない。
だから加賀城は、近衛の事はいったん諦め、福富神子の仲間でもあるキャバクラの店長に会いに行った。
もちろん加賀城が向かった先は、キャバクラの店内だ。
「いらっしゃいませ。神子から話は聞いてるよ」
店長は加賀城を、1番奥の個室へと案内した。
壁も床も真っ黒な部屋だ。
以前、加賀城が福富神子と一緒に訪れたあの部屋に似ていたが……、
「ここに隠し通路があるんだよ」
店長は懐からスマホを取り出し、アプリを開いて、FACEID認証をおこなった。
すると、壁がガシャッと音を立て、横にスライドし、人ひとり分の幅がある通路が出現したのだった。
加賀城は店長に続いてその通路を通った。
その通路の先には、パソコンがいっぱい置いてある広い部屋があった。
「解析はすでに済んでいるよ。意外な人物が浮上した」
「ありがとうございます」
「あなたが、あのファッションサイトのメアドとパスワードを入手してくれたおかげで、容易にあのパソコンを乗っ取る事ができた。そこから辿って、どのIPアドレスのパソコンにリストが送信されたのか判明した。まさか、この人がリストを買っていたなんてね。これが公になれば、大問題になる」
「………それは、しかたのない事です。この人は、志既島さんを巻き込み、結果的に死へと誘ってしまった。見過ごす事はできません」
「ごもっともだよ。でもどうする?不当な手段で得た証拠は、証拠としては認められない。それはつまり、捜査令状も取れないって事だ。公にしても、その事を理由に、うやむやにされる可能性もでてくる。そしたら、立場的に危うくなるのは、あなたの方かもしれない」
「ええ、そうですね。なので、説得を試みてみようかと思います」
「正気か?甘い、甘すぎる」
説得だけで勝ち取れるハッピーエンドなんて、それこそ、ドラマや、アニメの中だけの話だ。
現実は違う。
たとえ正論であっても、説教されたらムカッと来るのが人間だ。
もっと優しい言い方はないのかと逆に相手を責めたり、開き直ったりして、自分のしでかした事に極力目を背けようとする人間は思いのほか多い。
だからこそ、反省しない。
相手の気持ちになって物事を考えられない。
罪悪感を持とうとしない。
同じ間違いを何度も何度も繰り返す。
「たしかに……たしかに私は甘いですよ。自分の中の甘さを、もっと早く捨てられていたら、アラキさんを………死なせずに済んだ」
「だったらっ、なんで説得なんてバカなマネしようとする?」
「信じたいんです。人を、人の心を。どんなに裏切られようが、私は、簡単に人を、善か悪かで片付けたくはないんです」
善か悪かで簡単に片づけてしまう人間になってしまったら、相手の気持ちを、真に思いやる事なんてできなくなってしまいそうだから……。
「………………はあ、わかったよ。どうせ俺にはこの情報をうまく使う方法は思いつかないし、あなたの好きにすればいい」
キャバクラの店長は、コピー機を使って、証拠の数々を印刷し、クリアファイルの中にその紙の束を入れ、加賀城に渡した。
「神子は……そういうあんたの“甘さ”を、評価はしていた。あんたみたいなのが、この先の未来に、もっと必要だとも言っていた。だから、死なないでほしい」
「ええ、わかってます。大丈夫ですよ。あそこは安全な場所です。説得を試みるのに、ちょうどいい場所ですので」
そして加賀城は、もと来た道を戻って、外へと出て行ったのだった。




