通帳
6月28日 朝。
仕事に行くために、美鈴がいつもの道を歩いていると、後ろから誰かに呼び止められた。
「あっ」
六文太弥勒だった。
「オッスオッス♪」
「うっ……」
美鈴は眉間にしわを寄せた。
「あれ?俺嫌われてる♪」
「そんな事はないけど………」
「じゃあコレ返すね♪」
「えっ」
弥勒は美鈴へと茶封筒を渡した。
「なっ、なにこれ……」
中を覗くと、お札と小銭が入っていた。
「2980円。君に返す」
「はっ?」
「しょせんこの世はギブアンドテイク。見返りのない人間を助ける価値はないと俺は思ってる。相手が他人ならなおさらね」
「は………はあ……」
「でも、君の事を助けたお礼としては、多くのモノをもらいすぎちゃったから、とりあえずこの前の分のお金を返すって事で……」
「はあ……………」
で、結局なんなんだ。
「じゃあね♪」
弥勒は、自分だけスッキリとした表情を浮かべ、その場を去っていったのだった。
一方、BECKの件を加賀城に相談するつもりでいた東条だったが、いまだにそのチャンスを掴めず、現在に至っている。
最近やたらと近衛と加賀城が一緒にいたために、近寄りたくても近寄れなかったのだ。
でも、独自で“ある事”は調べてはいた。
やはり2年前の事は、円城寺サラではなく、風椿葵だった可能性。
BECKの防犯カメラにはサラの姿がバッチリと映っていたため、それが決め手となったのだが、それが本当にサラだったかどうかも、いまとなってはかなりあやしかった。
だから、信用できる人物にもう1度カメラの映像を分析してもらえば、2年前とはまったく違う答えが返ってくるはずだ。
だけど、いまさらカメラを調べる権限は東条にはなかった。
「いや、待てよ………」
手掛かりがないわけではなかった。
権力をもってしても、揉み消す事ができないモノがあるではないか。
だから東条は、上辺美鈴を訪ねたのだった。
彼女はなぜか、東条の顔を見てギョッとしたが、こう答えてはくれた。
昨日のケイの件で来たのかと最初思ったからである。
でも違うとすぐにわかったので、彼女は安心したというわけだ。
「私はたしかに円城寺さんと同じ学校には通ってましたけど、蒼野まといさんの方が仲がよかったですよ」
「蒼野まとい?そんな人、卒業アルバムに写ってたっけなぁ」
東条は昨日、サラが通っていた高校を訪ね、卒業アルバムももちろん見せてもらったのだが、蒼野まといの名前については記憶になかった。
「えっ、刑事さん、まといさんもたしかに写ってるはずですよ」
「そっ、そっか。じゃあ私の確認不足かな」
「七王子のマンションに彼女は住んでるはずです。電話してみますね」
「ありがとうございます」
美鈴はまといと連絡を取った。
まといは電話越しに、東条と会ってもいいとOKしてくれたのだった。
なので今日の19時に、児童養護施設前で待ち合わせをする事になった。
東条はまといに、“例のもの”を持ってくるように伝えるのも忘れなかった。
そして東条は19時にまといから、その“例のもの”を受け取り、ぺらぺらとページをめくって確認した。
まといは東条に、「なんで“通帳”が必要だったのか」と聞いた。
「よっぽど信頼できる相手でない限りは、銀行の相性番号なんて特に、教えようとは思わないだろう?だから、権力をもってしても、この通帳に記入された内容までは揉み消せない」
「というと?」
「もちろん、振込口座番号を知っていれば、振り込む事は可能だよ。そして警察は、不審な振り込みが円城寺サラの口座にあったとして、捜査はするかもしれない。でも、リスクもある。サラの口座に振り込むためにはやっぱり、防犯カメラがついている銀行か、ATMに行かなければならないわけだし」
「たしかに、不審なお金の振り込みはその通帳には記入されてはいません」
「そう、リスクがあったから、連中はその選択肢を取らなかった」
「じゃあ、その通帳からは何もわからないんじゃ………」
「ううん。円城寺サラが本当にヤクの常習犯だったら、誰かから買ってるはずだよね?」
「あっ、そうか」
「そう、お金がないとヤクは買えない。それに、100円かそこいらで買える値段でもないし、依存度が深ければ深いほど、その分、ヤクに使うためのお金の消費も、買う頻度も多くなる」
「でもサラは…………」
「そう、必要最小限しか引き出していない。ガス代や家賃。その他諸々の光熱費。あとは、食べていく分だけの食費かな。月々25000円。乾燥大麻は1グラムにつき3000円以上はするし、MDMAは1錠4000円もする。だから、ヤクを楽しみながら食べていくには、2万5000円は少なすぎるよね」
東条は優しい笑みを浮かべた。そしてこう言った。
「サラさんは無実だよ。ヤクを恵んでくれそうなVIPとの強いつながりもないしね」
「…………ええ、知ってます。私、最初から信じてましたから」
でも、いまさらこの事をテレビや新聞で取り上げてほしいとは思わない。
そう仕向けた犯人の1人でもある、あの葵は、もうこの世にはいないし、マカベもすでに死んでしまったからだ。
東条は、近くのコンビニで通帳のコピーを取り、それをポケットの中へとしまって、まといと別れたのだった。




