風椿碧の想い2
それは、去年の2月の雨の日だった。
朝から夜までザアザアといった音が耳の奥まで入ってくるそんな日だった。
時間帯は昼下がりの15時頃だったはず。
雨はどしゃぶりだし、空は薄暗く、どこも人通りはゼロに近かった。
でも、碧にとっては歩きやすく、とても快適だった。
人の目を気にしないでいいからである。もちろん傘を差さないと風邪をひいてしまうので両手を振っては歩けないが、傘は顔を隠せるアイテムにはなってくれるので、ちょうどよかった。
碧は今日はオフの日だった。オフの日はいつも、なじみの喫茶店でお気に入りのミルクティーを飲んでいる。
その喫茶店に行くためのルートは決まっていた。時計塔広場に入って、一直線に進んだ方が近い。
だから碧は、いつもと同じように、時計塔広場へと入ったのだった。
その時計塔広場には、小さなモニュメントの数々が点在している。
あと、そのモニュメントは、人が腰を下ろせそうな低い石壇の上にひとつずつ置かれているので、たまに休憩がてらに座っているご老人を同時に何人か見かけたりもする。
でも、どしゃぶりの中座っている人など、本当ならいないはずだった………。
「ん?」
碧は思わず足を止めてしまう。
なんと、傘も差さずに石壇の四隅に座ってる髪の長い女性がいた。
碧が、その女性に対して感じた第一印象はこうである。
貞子……………。
この女性、ボーボーに伸びた長い髪が、顔全体に張り付いてしまっているせいで、もう幽霊にしか見えないのである。
心臓の悪い人が今の彼女を見たら、心停止してしまいそうなほどの怖さがあった。
よし、見なかった事にしよう。
関わらないに越した事はないのである。
だから碧は、その女性の事は放っておいて、喫茶店へと向かったのだった。
「ミルクティーください」
でも、お気に入りのミルクティーを楽しんで味わう事はできなかった。
それはなぜかというと、ふと、こんな事を思ってしまったからだ。
もしかして彼女………死にたがってる?
考えすぎと言う人はいるかもしれないが、傘も差さずにあんなどしゃぶりの中、雨に打たれている理由が他には見当たらなかった。
雨に打たれ続け、高熱で肺炎にでもなれば、死ぬリスクが高くなるわけだから。
まあ、気のせいならそれでもいいのである。
でも、確かめないと夜は眠れそうになかったので、碧はもう1度あの場所に向かったのだった。
彼女はまだそこにいた。
なんと、石壇の上に倒れた状態で、気を失っていたのである。
「ちょっ、大丈夫ですかっ」
碧は慌てながらも彼女へと駆け寄った。
そして、彼女の意識を確かめるためにその体を揺さぶろうとする。
でも、石壇に後頭部をぶつけた可能性があったため、寸前でやめた。
へたに頭を揺さぶると、脳震盪の後遺症が残りやすいからだ。
だから、肩をつんつんするだけにしておいた。
「………………………」
それにしても、先ほどとは違いこの彼女、口元だけがあらわになっている。
ほどよい肉厚をした、形のいい唇だと思った。
それに、服が雨に濡れてしまっているせいで、胸の形がくっきりとした状態になってしまっている。肌の色も透けて見えた。
だから、どうしても目がソコへと向いてしまう。ノーブラでないのがせめてもの救いだった。
碧は、頭をブンブンとさせながら、なんとかよけいな煩悩を振り払おうとする。
そうなのだ。今は胸に気を取られている時ではない。
でも………やっぱり胸が気になる……………。
「…………ん?」
彼女の唇が、ピクリと動いた。
次に上半身がピクリと動き、ゆっくりながらも、彼女は立ち上がったのだった。
そして彼女は、その長い髪を少しだけ片手で掻き分け、右目のみで碧の姿を瞳に映した。
とてもきれいな目をしていた。
碧は思わず、ごくりと息を呑んでしまう。
ずっと見つめていたい瞳だなと思った。
とりあえず、無言のままだとあれなので、体調について聞いてみる事にした。
「あの、大丈夫ですか?こんな雨の中、傘も差さないで……」
「……………………」
「倒れてたみたいだけど……………」
「………………雨に濡れるの、好きだから」
彼女は、とても清涼感のある声をしていた。
「でもさ、体調の事を考えないとだめだと思うよ?」
よけいなお世話かもしれないが、死ぬ気でもない限りは、きちんと体調管理はすべきである。
そんな碧の言葉に対し、彼女はこう呟いた。
「別に……………」
「えっ?」
「……………いいえ、やっぱりなんでもない」
彼女は、碧に背を向けた。
そして、その場から離れようと歩き出したのだが………。
体をすぐにフラッとさせてしまい、片膝までついてしまった。
「ちょっ、大丈夫!!?」
碧はすぐに駆け寄り、彼女に肩を貸して、ゆっくりと起き上がらせた。
「救急車すぐに呼ぶからね」
そして、スマホを脇から取り出して119へとかけようとするが……。
「やめてっ!!!」
手のひらを強くはじかれ、そして、スマホが宙へと飛んだ。
さらにそのスマホは、地面へと勢いよく落ち、派手にバウンドした。
画面が粉々に砕けた。
もちろん、他の部分も派手に破損した。
でも、飛散防止のフィルムを貼っていたので、画面部分のガラスが飛び散るような事にはならなかった。
女性はすぐに碧に対しあやまった。
「あっ……ごめんなさい。そんなつもりじゃ………本当にごめんなさいっ!!!」
さらに深く土下座をし、何度も「ごめんなさい」をくり返し続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
本当に悪いと思っているのだろう。声が震えていて、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになった。
「気にしないで。あと2台持ってるから」
プライベート用と、お仕事用。
あと、諸見沢のようなうっとうしい奴には、3台目の電話番号を教えるようにしている。着信音をオフにしておけば、ずっと無視する事が可能だからだ。
どうやら、壊れてしまったのは3台目の方らしい。
なら、まあいいやといった感じである。
これで電話をしない口実ができた。
「弁償は必ずしますから………」
「いいのいいの、気にしないで。こっちがよけいなお世話しちゃったせいでもあるから、おあいこだよっ」
「でも………………」
「じゃあさ、弁償する代わりに、少しつき合ってよ。私今ひまなの」
とりあえず、これ以上土下座は見たくなかったので、碧は彼女の手首を掴み、立ちあがらせた。
病院に連れて行かないにしても、このまま放っておくわけにもいかない。
なので、さっきの喫茶店にこの彼女を連れていく事にした。