風椿碧の想い1
風椿碧は女優である。
トップクラスとまではいかないが、女版カメレオン俳優として評価されている。
有名な出演作品は、『瀬戸際太郎の事件簿』と『薔薇の麗人』だ。
かの有名な虻川幸路監督によると、風椿碧は『両極端を兼ね備えた女優』らしい。
『作品を選んでいるようで、選んでもいない』とも言われている。
『薔薇の麗人』では、危うい美しさを感じさせる狂気の麗人役。
『瀬戸際太郎の事件簿』では、やたらとオドオドとした変なしゃべり方の三つ編みビン底眼鏡の女性を演じている。
風椿碧の演技には魂が宿っている。役の人格を丁寧に作り上げてから現場に臨んでいるので、作品ごとに『えっ、おなじ人が演じてたんだ』といった驚きが湧くのである。
ほかにも彼女が評価を得ている出演作はあるが、もっとも際立っているのが先ほどもあげた、その2作である。
しかも風椿碧はなかなか好感の持てる女性だ。
明るくハキハキとした喋り方で、わがままを滅多に言ったりはしない。
それに、現場の雰囲気を大切にする事ができ、他の演者や、スタッフに対しても分け隔てなく接するタイプだ。
とは言っても………、彼女にだって、時にはぶちまけたい事だってある。
「み・ど・り・ちゅわ~ん♪」
2月。ドラマの打ち上げの席で、碧が隅の方のソファに座っていると、なにやらイケメンの男がニヤニヤとしながらやって来た。
彼の名は諸見沢勇士。
彼の手には今、ビュッシュ・ド・ノエルの載ったお皿がある。
ビュッシュ・ド・ノエルとは、大木の形をしたケーキだ。
作り方については、簡単にまとめるとこうだ。
ロールケーキの表面にチョコクリームなどを塗って形を整えると、ビュッシュ・ド・ノエルの一般的な見た目になる。
このビュッシュ・ド・ノエルは諸見沢勇士の手作りである。
そしてこの諸見沢勇士は、料理もできるイケメン俳優としてごり押しされている。
風椿碧は、あまり彼の事が好きではない。
若者向けのドラマにありがちな視聴率を取るためのイケメン枠。それがまさに彼だからだ。
それでも、演技が素晴らしければ評価はするのだが、キザッぽい言い方ばかりが目立っているので、評価のしようがないのだ。
唯一の救いは、今回のドラマは、彼が主役ではなかった事。
もし彼が主役を張るようになってしまったら悲惨だ。なぜなら、脚本を台無しにするのは彼のようなタイプの人間だからだ。彼のファンでも限り、視聴者はきっとげんなりするだろう。
でも悲しいかな、イケメン目的でドラマを観る人もいるので、本当に実力のある人が山のように埋もれてしまっているのが、この世界の非情なところでもあった。
なので碧は、この諸見沢のように顔面しか誇れるようなところがない人は興味が持てないのである。それなのに何を勘違いしているのか、この男、ごり押しすればオトせると思っているようで、つきまとわれてうっとうしいのである。
「碧ちゅわ~ん、俺が作ったの。た・べ・て♪」
ぶっ飛ばしたい。
ぶっ飛ばせる自信はある。これでも体は常日頃から鍛えている。
弓道も得意だ。
100メートル先から額をぶち抜ける自信だってある。
まあ………もちろんそんな事はしないが。
「アハハ、ありがとう」
とりあえず、ビュッシュ・ド・ノエルはいただく事にした。
「ねえねえ、おいしーでしょ♪」
「…………ええ、まあ……」
「実はね、隠し味が入ってるんだぁ」
どうしよう。よだれとか髪の毛とか入っていたら。
「隠し味は、俺の、あ・い・じ・ょ・う♪」
「ははは………そうなんですか………ははははははっ……」
ぶっ飛ばしたい感情を必死に抑えつつも、碧は心の中で強くこう願ったのだった。
神様。できれば、もう2度とこの人と共演なんて事になりませんように…。
あともうひとつ、風椿碧について語る事があるとすれば、スキャンダルゼロをいまだに保っている点だろう。
インビジブルアクター。
どんなにマスコミがテレビ局の出入り口で張っていようと、彼女は誰にも気づかれずに彼らの前を通り過ぎる事ができる。だから誰も、彼女を追う事はできないのだ。
「はあ…………」
諸見沢を適当に振り払った碧は、夜の街へと繰り出した。
しばらくはドラマの撮影とかはないので、1週間だけではあるが、のんびりできそうだ。
ふと、妹に電話しそうになったがやめた。干渉のしすぎはよくないと思ったからだ。
すると、見覚えのある30過ぎくらいの占い師をゲームセンターの脇で見つけた。
その占い師は、水晶玉を台の上に載せて、パイプ椅子に座って客を待っていた。
実は以前、この占い師に占ってもらった事がある。
占ってもらった内容については、次の通りである。
運命の人にはいつ出会えますか?
もちろん、占い師にそんな事わかるわけないとはわかっている。
運命の人にいつ出会えるかどうかだなんて、もうそれは占いではなく、未来予知の領域になってしまうからだ。
ただ単に、面白半分で聞いてみただけの事。
「こんばんわ、占い師さん。また占ってもらってもいいですか?」
碧は、この間と同じ金額を水晶玉の隣に置き、今度は、その運命の人はどんな顔をしているのかを聞いてみようとした。
でも、その占い師はお金を受け取ろうとはせず、碧に対しこんな事を言った。
「…………もう取返しがつかない」
その言葉は、ポジティブにとらえる事がいっさい不可能なほどに、不吉な言葉だった。
「ははは、やだ、占い師さんったら。何言ってるんですか。その言い方だと、運命の人にはもうすでに出会えてるって事ですよね。おめでたくないですか?」
「…………前にも言ったはず。必ず幸せになれるとは限らないって」
「いっ、いや、でもさあ、人間なんて、短所があって当たり前じゃないですか。お互いがお互いの短所を許しあえるような寛容さを持てばさ、きっと…………」
「…………私は、そんな話をしてるんじゃない」
「じゃあ、いったいなんの話を?」
「あなたを不幸へと導く運命の人について…………」
「えっ?え~、いや、その………うーん、まいったなぁ」
碧は、ほっぺたをポリポリと掻いた。
すると、なぜだか占い師の体がどんどん透明になっていき……。
最初碧は、目がかすんでそう見えただけかと思ったが、瞬きをしても占い師の体は透明になる一方で………。
そして完全に消えてしまったのだった。
ゲームセンターの中からふくよかな女性が出てきて、占い師がさきほど座っていたパイプ椅子へと腰をかけた。
「おや、お客さんかい?すまないね。トイレに行きたくて席を空けてたんだよ。で、何を占ってほしいんだい?」
「いや、私は別に…………あっ、そうだ。じゃあ、仕事運について占ってもらおうかな」
動揺を無理やりはぐらかすように碧は笑い声をあげたが、目の前で人が消失してしまった怪現象に対し、なかなかその動揺が治まる事はなかったのだった。