断定
6月1日 PM21時。
加賀城は君永珠洲美を訪ねに、またあのアパートに行ったのだが、チャイムを押しても出なかった。
「…………………」
嫌な空気を…………感じる。
なんて表現すべきだろうか。
そう、センシビリティ・アタッカーのチカラを使わなくても肌で感じる事ができる、ヌルッとした生暖かい空気。
たとえば、エレベーターの中に自分を含め、5人閉じ込められているとする。
自分以外の残りの4人が、大嫌いな住人、あるいは同僚、クラスメイトだったりすると、居心地の悪い空気を感じたりもする。
それはなぜかというと、狭い空間の中に、残り4名から発せられている悪意が充満するからである。
その悪意が空気と溶け合い、なんともまあ、気持ち悪いヌルッとした空気になるというわけである。
でも、いま加賀城がいる場所は、かろうじて外だ。狭苦しいエレベーターの中ではないので、悪意が混じった気持ち悪い空気も、本当ならこもる事はない。
それなのにこんなにも気持ち悪い嫌な空気が、ここまで届いてくるとは………。
すると、ベンジャミンの飼い主の女性が、コンビニの袋を手に、帰って来て、加賀城にこんな事を言った。
「赤橋駅で事故があったみたいです。ほらっ、あそこ、歩道橋のところで前、男子高校生が死にませんでしたっけ。まったく同じ場所みたいですよ」
「えっ」
「私も通りすがりに聞いただけだから詳細はわからないけど、妊婦らしいです」
「……………………」
「君永さんの奥さんも妊婦だから一瞬ドキっとしちゃったけど、そんな偶然、めったにあるわけないですよね。こういっちゃ、かなり言い方が悪いかもしれないけど、赤橋近辺に住んでいる妊婦は彼女だけじゃないはずだから」
「……………………」
「あれ……もしかして君永さん、留守ですか?この時間帯なら、旦那さんもすでに帰ってると思うんですけど」
加賀城は眉間に深いしわを刻んだ。
そんな加賀城の顔を見てか、ベンジャミンの飼い主の女性の顔も、だんだん不安げな表情になってくる。
加賀城はすぐに、東京高匡総合病院へと向かった。
救急車で運ばれるとしたらそこだと思ったからだ。
そして正面から入り、受付の人に警察手帳を見せて、妊婦が緊急搬送されなかったかどうかを聞いた。
警察手帳を見せたおかげなのか、すんなりと集中治療室へと案内された。
集中治療室の廊下には、君永珠洲美の夫、隆文が立っていた。
治療室から出てきた担当医は、いったん加賀城の腕をつかみ、隆文に声が届かない場所へと一緒に移動してから、こう説明した。
「一命は取り留めましたが、お子さんの方は……だめでした。だから、奥さんはもちろんの事ですが、旦那さんにも、事情を聞くのは遠慮してくれると助かります」
「もちろんそのつもりです。ほかの刑事にもそう言い聞かせます」
「助かります。精神的に、こんなにつらい事はないですからね」
「ええ、そうですね………」
「ほかの目撃者の証言によると、突き落とされたわけではないそうです。でも、カメラを持った何者かに追いかけられていたのはたしかなようで」
「……………………」
ニセモノのフォーカスモンスターのしわざのような気がした。
ベンジャミンの飼い主の女性も、君永珠洲美の事を話している時、心配しているようだった。できれば珠洲美が例の妊婦であってほしくないと、そんな感じだった。
君永珠洲美がいやな女だったら、ベンジャミンの飼い主も、そんなには心配しないはず。つまりは、本物のフォーカスモンスターに殺されるような動機はないという事。
逆恨み………。
加賀城は担当医にこう尋ねる。
「その他にわかった事は?」
「ないですね。暗がりだったので、顔をはっきりと見た目撃者はいないらしいです」
「そうですか」
「ただ、救急車を呼んでくれた人がいたんですが、誰も顔を覚えていないんです。私も含めてね。さっきまでここにいたんですが」
「えっ」
「ただ、ものすごい形相をしていたのだけは、印象として残ってます。あの顔は怖かった。そう、あの顔を見ているだけで命を奪われてしまいそうな……そんな恐ろしさでした」
それはつまり………1人目のフォーカスモンスターの正体はやはり……。
加賀城は担当医にお礼を言って、急いで病院の外へと出た。
そしてセンシビリティ・アタッカーのチカラをONにし、全速力で夜の街を駆けて行ったのだった。




