ありふれた怪物
5月31日。
PM14時12分にその事件は発生した。
北海道のとある中学校にて、男子中学生が階段から足を滑らせて死んだのだ。
足を滑らせた原因のひとつが、ワックスである。
事故が起こる前、廊下と階段の踊り場はやたらとツルツルとしていた。授業中に清掃員がワックスをかけたからだ。
だから、本当ならこの件も、事故としてさっさと処理されるはずだった。
だけど、この事件を担当した所轄の刑事は、こんな言葉を偶然聞いてしまったのである。
「まじアイツ死んだね。俺ら、カメラで撮っただけなのに」
ちょうど階段の踊り場からその刑事が廊下へと出ようとしたその時、廊下側にいた男子生徒達がそんな事を言っているのを聞いてしまったのだ。
生徒達はさらにこんな事も言っていた。
「あれってさ……暗示で死んじゃったってやつだよね。本物に撮られたって思い込んで、体が言う事利かなくなってすべっちゃった的な……」
「でもさあ、俺達に罪はなくね?カメラで撮っただけだし」
「もともとアイツ、ちょっと傲慢だったし……」
そんな話をしていたその男子生徒達は、階段の踊り場まではやって来ず、いずこへと行ってしまったが、刑事は彼らの後をすぐに追って、事情を詳しく聞いたのだった。
すると、こんな事がわかった。
カメラで写真を撮った直後に足を滑らせたわけではなく、午前中の授業はしっかりと受けていたという事。
だけど、午後になろうが、彼の心の中の恐怖心は、消えるどころか膨れ上がってしまい…。
死んだ。
人は、気が動転すると、頭がフラフラするだけではなく、重心がおぼつかなくなる事もある。
それはなぜかというと、恐怖によって自律神経が不調を起こし、脳の血液循環がうまくいかなくなってしまうからだ。
だからこそ、気が動転すればするほど、フラリ、フラリとふらついてしまう人もいる。
それに加え、この日に限って廊下と階段の踊り場にはワックスがかけられていた。
起こるべくして起きた事故と言っても、間違いはないのかもしれない。
でも、フォーカスモンスターなんてものが存在しなければ、こんな事故は起こらなかった。
「ねっ、ねえ刑事さん。ぼっ、僕たち罪にはならないよね」
「だっ、だって、このカメラで写真を撮っただけだし」
いや……フォーカスモンスターなんてものが存在しなくても、この少年達の心には、もともと“怪物”は住んでいたのかもしれない。
罪にはならない“かも”しれないから写真を撮った。
カメラで撮った“だけ”だから犯罪にはならない。
ホントに死ぬかわからなかったけど、死んで“ほしかった”から、フォーカスを向けた。
刑事は、そんな男子生徒達の事を恐ろしく思った。
だって、彼らには罪悪感なんてなかったから。
クラスメイトが死んだ事よりも、自分達が無実かどうかの主張ばかりで気持ちが悪いのである。
未必の故意なんていう言葉があるが、彼らの行為がそれに当てはまるかといったら、ただ単にカメラで写真を撮っただけなので、犯罪として問う事は難しかった。
殺意はなかったと主張されたら、それこそ、もうどうする事もできない。
警察署に戻ってその事を上司に報告すると、似たような事件が東京でも起こってしまった事を教えてもらった。
歩道橋のうえから足を滑らせて死んでしまった人がいるらしい。そう、カメラを持った人にパシャパシャと撮られながら追いかけ回されて……。
上司はさらにこんな事を言った。
「本当に愚かなのは、“ヒト”の方かもしれんな」
「……わかるような気がします」
「実際、フォーカスモンスターとは関係なしに、SNSがきっかけで自殺している人もいるくらいだからね。そう、誰の心の中にも怪物は存在する。だから、フォーカスモンスターがいようがいまいが、事件は起こっていたかもしれないね」
そう、怪物はどこにだって潜んでいる。
でもみんな、あえてその事実には目を背けている。
罪悪感と向き合うのが怖いからだ。
そういった悪循環が、どんどんタチの悪い怪物を生み出しているとも気づかずに……。




