面白い
相変わらずマンションの前にはマスコミの人達がたくさんいたが、まといは構わず地下の駐車場へと車で入って、いつものスペースに停めた。
「…………………」
管理人には、碧に言われた通り、近日中に出て行く旨を伝えた。
少しくらいは同情の声が出てくる事を期待したが、『そうですか』しか言われなかった。
「…………………」
部屋へと入り、碧のクローゼットの奥から大型のキャリーケースと、リュックサックを引っ張り出し、言われたモノを詰め込み、いったんリビングへと移動した。
「…………………」
食洗器のうえに置かれた2人分の食器が目についた。
さすがにこれらは、ワレモノだから持ってはいけない。
「…………………」
碧とここで一緒に食事を食べるあのひととき、たのしかった。
でも、ここにはもう暮らせない。
こうも簡単に、日常が粉々に砕けてしまうだなんて……。
もう充分だ。
彼女は、もう充分苦しんだ。
だからもう………本当にやめてほしい。
「帰らないと………」
冷蔵庫にあったお惣菜の入ったパックとゼリーをいくつかリュックサックの中へと入れ、キャリーケースを片手に、地下駐車場へと降り、マンションの外へと車で出ようとした。
その際、何人かのマスコミが外への出口をふさいでいたので、まといは乱暴にクラクションを叩き、彼らを威圧し、四方へと散り散りに散らせたのだった。
そしてまといは碧のもとへと帰って来る。
碧はベッドの上で、うつぶせの状態のまま眠っていた。
だけど毛布は床に落ちていた。
「碧………さん?」
まといはリュックとキャリーケースを適当な場所へと置き、彼女へと駆け寄って、上半身を抱き起こした。
「碧さんっ!!」
彼女は苦しそうだった。
大量の汗をかいていて、額もかなり熱を帯びていた。
「どっ、どうしよう………熱さまシートは持ってこなかったし………。水を飲ませようにも意識を失ってるし………」
彼女がこうなった原因はもうあきらかだった。
極度のストレスから来る高熱。
つい最近も高熱で意識を失っていた事があった。赤坂円として初めてあのマンションを訪れた5月5日の事である。
あれもストレスが原因の高熱だった。
そう期間が開かずに極度のストレス状態に陥ると、熱がでやすい体質になりやすい。
とにかく、こうなってしまった以上は病院にお世話になるしかない。
VIP席でかくまってもらえれば、また彼女が高熱にうなされる事になっても、看護師、そして医者からのバックアップも受けられるはず。
「はやくっ、はやくしないと」
小さなバッグに必要なものをすばやくまとめ、碧をなんとか車イスへと座らせ、外へと出ようとした。
コンコン。
ノックの音が聞こえた。
そういえば、この建物はインターホンがなかった。だから、わざわざ扉の前に来て、ノックをしたという事か……。
今は、誰かの相手をしている暇がないというのに……。
敷地内への門を開けっ放しにしてしまったせいで、入って来たのだろう。
それにしても誰だ。
この場所を知っているのは福富神子くらいしかいないとは思うが……。
「………………」
まといは扉を開けた。どのみち、碧を病院に連れて行かないといけないからだ。
「いやはや、おはようございます」
福富神子ではなかった。
セミロングの髪を後ろに束ねた、無精ひげの男だった。
彼はカメラを構えていた。
まといの表情からスッと、人間らしい感情のすべてが消え失せる。
「俺、比留間って言います。睦城邸の件について、色々お話を聞きたくて」
「……………………」
「あれ、風椿さん、車イスに座ったまま寝ちゃってますね。両親や妹まで死んだのに、ずいぶんと余裕ですね」
「………………………」
「ならあなたでもいいです。生き残ったのは葵の方だった可能性。この可能性についてどうか教えてください」
「…………………………」
「なにか、不思議に思った事ないですか。たとえば、普段の風椿碧ならしないはずの挙動とか?」
「………何を話しても、あなたには無駄だと思いますけど」
「いやいや、そうおっしゃらずに」
「こんな状況を目にしても、碧さんが呑気に寝ているようにしか見えない時点で、無駄なんですよ」
「というと?」
「真実を真実として見ようとしていないじゃないですか?そんなあなたに、何を話しても無駄かと」
「真実を受け止めようとしていないのは彼女の方だよ。睦城邸の事件のせいで、いろんな人が迷惑被ってるんだよ。責任は果たすべきでしょ?」
「それを阻んでいるのはあなた達の方だというのが、なんでわからないんですか?こんなところまで碧さんを付け回して……。こんなんじゃ、落ち着いて葬式をする事だってできないし、火事の煙のせいで被害に遭った人がどれだけいるのか、確認だってまともにできない」
「それはつまり、私達マスコミのせいにして、逃げようとしているという事ですね?」
比留間がニヤリと口元に笑みを浮かべた。
そして心の中でこうつぶやいた。『面白くなってきた』と………。
だが………………。
「何がそんなに面白いんですか?」
口に出して言ってはいないはずなのに、まといはギョロリと目を見開き、比留間に対して言った。
「いや、俺、いま、何も言ってな………」
「結局…………それが本音ですか………」
「いや、俺、何も…………」
「罪悪感なんて、きっと感じていないんでしょうね」
カタカタカタカタ。
比留間が手に持っていたカメラが小刻みに震え始める。
「なっ、なっ、なんだよこれ………」
「真実を真実として見る気がないんだったら、その両目、イラナイですよね」
「ヒっ!!!」
比留間は両目に強い痛みを覚えた。
まといから目を逸らしたかったが、なぜだか顔が動かなかった。
両目が、泡となって溶けていっているような気がする………。
「ヤメろぉぉぉぉっ!!ヤメてくれぇええええええ!!」
比留間は発狂し、後ろへと勢いよく尻餅をついた。
金縛りで動けなかったはずの顔が動き、目も普通に見えた状態のままだったので、比留間はもう逃げる事にした。
今逃げずにこのまま取材を続けようものなら、今度こそ本当に、両目を持っていかれそうな気がしたからである。
まといはすぐに碧を車へと乗せ、病院へと連れて行ったのだった。




