夢と現実
夢の中ではまだ葵は生きていた。
睦城家や両親から受けた仕打ちなんて本当は最初からなくて、妹と2人で楽しく暮らしている夢だ。
あまりにも楽しくて、こっちの方が現実であればいいなと思ったが、その時点でもう、これが現実ではないと自覚しているという事に他ならず、だから、どんなにこの夢にしがみついても無駄なんだなと、同時に悲しくもなった。
そう、眠気が失せればこの夢もいずれ終わってしまう。
結局……結局妹を守れなかった。
すれ違ってばかりだった。
本当の意味では、嫌い合っていたわけではなかったのに……。
「……………………」
そして碧は、夢から覚めたのだった。
薄暗かった。
まだ夜なのかと思った。
枕の横に置いていたスマホで時間を確認すると、午前4時だというのがわかった。
5月26日 AM4時12分だ。
右足首が冷たかった。
火傷で皮膚が焼けてしまったせいか、そこだけ、かさぶたが周囲の皮膚にひっぱられているような、そんな違和感も覚えた。
そして徐々に、右足首へと痛みが集中していき、ズキンズキンと、まるで心臓みたいな鼓動を始めた。
すごい痛い。
そう、右足首だけ掛布団から出して寝たのだ。布団が足首に触れると痛くてたまらないから。
「……………痛すぎ」
痛み止めは何錠かもらっているので呑みたいのだが、痛すぎて満足に起き上がれそうにない。
こんな滑稽な事はなかった。薬はあるのに呑めないだなんて……。
とりあえず電気をつけなければ。リモコンはサイドテーブルのうえに置きっぱなしだったはず。
「………………………」
碧はゆっくりと上半身から、這いずるようにして床へと体をすべらせ、左側面になるべく体重が寄るように体を傾けながら降りたのだった。そして、左手をつきながら上半身をゆっくりとあげ、体育座りの体勢をとる。
この体勢になるまでに相当の体力が持っていかれてしまったので、ドッとため息が口から溢れ出てしまった。
「…………はあ………」
情けない。
痛いのは右足首だけなのに、ベッドから下りるのにここまでの苦労を要さなければいけないだなんて……。
常に車イス生活を強いられている人は、もっと苦労しているはずだ。
エレベーターに乗る時だって、車イス用のボタンの前に人が立っていたら、満足に自分の階だって押せないし、ボタンを押したいから退いてくださいと人に言うたびに、いやな顔されたら、それだけでもかなりのストレスだ。
「……………………」
碧は、サイドテーブルのある方へと手を伸ばした。すると、電気をつける用のリモコンを掴む事ができたが、その際、手の甲が何かにぶつかってしまって、床へとモノが落ちた。
割れモノでないのだけはたしかだった。手の甲にぶつかる際、やたらと冷たかったので…。
リモコンで電気をつけると、床には、まどかことまといが買ってきてくれたミネラルウォーターのペットボトルが落ちていた。
そう、わざわざリビングに行かなくても薬が呑めるように、まといが置いておいてくれたのだ。あと、痛み止めも2錠、サイドテーブルのうえに置いてあった。
碧はさっそくミネラルウォーターのペットボトルを開けて、さっと痛み止めを呑んだ。
「………………………………」
そんなにすぐには痛みは退かなかったが、微動だにしないで無心状態でいるうちに、いつの間にか大分マシにはなった。
とはいえ、まだまだ、かさぶたが周囲の皮膚に引っ張られているような違和感と、ズキンとした痛みはあるが。
「…………はあ……」
まだ4時。
まどかことまといは、同居していた時に使っていたあの部屋のベッドで、まだ寝ているはずだ。昨日あんな事があった後だし、碧が満足に歩く事ができない状態になってしまったので、もしものために泊まったというわけである。
それでも、まだ起きていないのなら、起こさないように、これ以上の音は立てないようにしなければ。
なるべく水分も取らないようにして、彼女が起きるまで待つのである。
「……………………」
いや、待てよ。
トイレくらいは自分1人の手でなんとかしたい。
便器のある狭い個室で、彼女に抱えられながら立ち上げるのは、なんともまあ情けないものがある。
介護生活を強いられている人を馬鹿にするわけではないが、ヘルパーを雇うおカネがない人だっているのだから、1人でなんとかできるガッツと余地があるのなら、なんとか頑張りたいのだ。
「………………………」
ふと調べたいものができたので、碧はノートパソコンを開き、ウェブ上で検索した情報をスクリーンショットでいくつか撮って、フォルダの中へとまとめていく。
すると扉がコンコンと鳴り、ガチャッと開いて、まといことまどかが隙間から顔を覗かせたのだった。
今はまどかヴァージョンなので、いつものカツラは装着済みだ。
「おはよう碧さん」
「おはよう」
「けっこう早い時間に起きたね」
「まどかちゃんもね。あっ、もしかして起こしちゃった?」
さっき床の上にペットボトルを落としてしまったし、何気に、この部屋、足音は普通に響く。さすがにお隣さんや下の階との間は、床も壁もそれなりの防音仕様にはなっているので、ご近所トラブルはめったに起こったりはしない。
「別にうるさくなかったよ。私もただ早めに起きちゃっただけ」
「そう、それならよかった」
「朝ご飯はどうする?」
「うーん。やっぱり、あまりカロリーが高いものは、胃が受け付けそうにないかな。でも、おかゆは昨日食べたし、別のモノが食べたい気分」
「なら、茶碗蒸し作るね。あと、鯛の切り身も買ってある。食べやすいし、それなりにお腹に溜まるでしょ?」
「あっ、いいね。ありがと♪」
「………………ほかにできることない?」
「えっ?トイレは自分で行くから、別に大丈夫だけど?」
そう、トイレは意地でもひとりで行く。
まだ2人の仲がゴールインすらしていないというのに、トイレで用を足すために彼女の目の前で下着を下ろす気にはなれない。というより、絶対に嫌だ。
「なに?トイレに行きたいの?」
「うっ、ううんっ、いまはべつにっ、ぜっんぜんっ!!」
「そっか……。じゃあ、茶碗蒸し作って来るね」
まといは扉の隙間から顔を引っ込め、リビングの方へと歩いて行った。




