窓ガラス割りますか?
5月23日 PM10時
炒麺飯華という名の中華飯店の、隅のテーブル席に、近衛孝三郎はいた。
今はギリギリお昼の時間帯ではないので、お客の入りは少ない。
近衛孝三郎は、テーブルに運ばれてきたネギ豚チャーハンの大盛りを口へと運び、少し早めのお昼を取っていた。
店内には、令和の時代にはめずらしい、ごつくて四角いテレビが置いてあって、ニュースが流れていた。
フォーカスモンスターに関してのニュースだ。
津島葉菜加の死を、マネージャーによる殺人だと唱えていた主婦達が、不慮の事故で死んだらしいのだが、その事故が起きる前、あのフォーカスモンスターが直接ネットに、ターゲットの実名を書き込んでいたらしく、殺害予告まで出していたのが今、大騒ぎになっているというわけである。
以前、フォーカスモンスターの代弁者を名乗るイカレた連中達はいたが、彼らは直接ターゲットに手を下していて、事故に見せかけて殺したりはしていなかった。
状況とタイミングさえ合えば事故に見せかけた殺人を犯す事は可能ではあるが、殺人予告をしたうえで殺すとなると、ターゲットと顔見知りでもない限り、電話で、罠が張ってある場所に呼び出す事なんてできない。不審がられるだけだ。
でも、ホンモノのフォーカスモンスターなら、顔見知りでなくても、いつ、ターゲットが家から出るのか、その時間を事前に知っていれば、タイミングを見計らって、写真に収める事はできる。
「イヤハヤ、コワいね~。アタイ、殺されたくないよ~♪」
恰幅のいい店長が厨房の方からやって来て、近衛孝三郎の席に、アツアツのジャスミンティーの入った湯飲みを置き、ケラケラと笑った。
それに対し、近衛孝三郎は、静かに口元だけ笑みを浮かべている。
「孝ちゃん、アタイの事、守ってよ~」と店長が言った。
それに対し近衛孝三郎は、「あなたは大丈夫ですよ」と返した。
「なんでよ~?なんで大丈夫だと思うの~♪」
「そうですね。あなたは、モラルの意味をはき違えていないからです。だから、フォーカスモンスターには狙われない」
「モラルぅ~♪モラルってなによ。日本語難しいネっ」
「うーん。そうですね。たとえば、刑務所から出所したての男性が1人、いたとします。彼が住んでいるその一軒家がネットで晒されたとして、あなたがその家の近くをたまたま通りかかりました。窓ガラスに石を投げて割りますか?」
「アタイ、そんな事しないよ~♪」
「その男性が、過去に人殺しをしていて、犯した罪を悔いている様子がなかったとしても?」
「だって、関係ないもん~。それでまた警察のお世話になるようなら、ソイツの自業自得ね~♪」
「そうです。そこがモラルの境目なんです」
「ん?どゆこと?」
「きちんとモラルをわきまえている人間なら、窓ガラスは割りません。普通に器物損壊罪ですからね。でも、モラルをわきまえていない人間の考え方は違う」
「割っちゃうって事?」
「そうです。悪人を懲らしめるためなら、割っても構わない、自分の行いは罪ではないと、ムリヤリ思い込んでしまうんです。そして、そういった人達はたいてい、自制が利かないタイプ。気に入らない人間を見つけるたびに、相手を勝手に悪人だと頭の中で決めつける」
「……なんか、それ聞いちゃうと、フォーカスモンスターよりも、ニンゲンの方が恐ろしいような気が…………」
「まあ、どっこいどっこいといったところでしょうね」
「ん?どっちもどっちって事?」
「そうです。どっちもどっちです。普通なら、殺す以外の選択肢が残されていなくても、選んだりはしません。でもこのフォーカスモンスターは選んだ。そしてターゲットの主婦達を何人も殺してしまった」
「じゃあ、孝ちゃんはどうなの?こいつに殺されない自信、ある?」
「………さあ。どうでしょうね♪」
「なによ、ソレーっ!!孝ちゃんはアタイの事、安心させたいの?不安にさせたいの?」
「私の場合はほら、欲望まみれの人間が周辺になにかと多いので、心を鬼にしないと、いろいろとやっていけないんですよ。だからその分、恨みは買っているかもしれませんね」
「ケーサツって、メンドクセー職場だナ。やめちゃえ、やめちゃえ♪」
「そうですね。ケーサツはブラック企業と同じですからね。でも、やめる気はないです」
「なんでよー」
「野望……かな」
近衛孝三郎は、財布からチャーハン代を取り出し、店長に渡してから店を出て行った。