幕間13
お風呂から出たまといは、碧が用意してくれた服に着替え、メガネもしっかりとかけ、湿ったままのマスクの紐を、耳にかけようとした。
だけどその前に碧が脱衣室へと入って来て、下半分のまといの顔も込みで、見てしまったのだった。
「あっ………」
「あっ………」
さきほどは、扉の隙間から覗いてまで、まといが中にいないかどうか確認していたというのに、確認を怠った途端にこのザマである。
碧は思わず、5枚入りマスクが入った袋を、クシャっと握りつぶしてしまった。
でも、あえてここは冷静に努め、まといに対してこう言った。
「まどかちゃん。そのマスクは捨てたら?湿ったままのマスクは、衛生的にちょっとどうかなって思うし」
「えっ………」
「ほらっ、これ。買ってきたから」
碧は、ぐしゃっと潰れてしまったマスクの袋を開け、1枚取り出した。
でも、マスクには深いシワが刻まれてしまっていて、このマスクを身に着けて外を出歩こうものなら、後ろ指をさされてしまう可能性すらあった。
「まどかちゃんは、花粉症気味とかで、いつもマスクつけてるの?」
「いえ、別に……そんなんじゃないけど」
「だったら別にマスクつけなくてよくない?まあ、マスクずっとつけていれば、化粧をさぼれるって点では、お肌へのダメージもその分防げるし、得っちゃ得だけど……」
「…………なら、つけるのやめようかな」
「そうそう。その方がかわいいしね」
イラッ。
「ん?どうしたの、まどかちゃん……」
「ううん、別に」
ふと、うれしさと同時にこみ上げた謎の苛立ち。
なんで今、イラっとしてしまったのか、わけがわからなかった。
かわいいと言われるのは喜ばしい事のはずなのに………。
「あっ、朝ご飯作らなくちゃ」
いろいろあって、もうAM9時になってしまったが、今日は碧を11時に目的地まで送っていかなければならない。
いま放送しているドラマの、ゲスト出演のための撮影だ。
まといは、出汁巻き玉子を四角いフライパンで焼き、作り置きしてあったキンピラを冷蔵庫から出してサッと炒め、黒豆の甘露煮と一緒に、リビングテーブルのうえに並べた。
今日は2人分用意した。
もうマスクをする必要もなくなったし、小腹が空いてしまったからだ。
茶碗片手に箸を持つまといを見て、碧は優しく微笑んだのだった。
まといの頬が、少しだけ紅潮した。
「そういえば、薔薇の麗人のドラマはいつ放送されるんですか?」
「放送?放送ってなにが?」
「だって撮影終わったんですよね?」
「終わったよ。あっ、もしかして、テレビドラマとして放送されると思ってた?違うよ。映画館で公開されるんだよ」
「そっ………そうなんだ」
「さてはまどかちゃん。めったにテレビとか観ないでしょ?」
「……うん。テレビを見る習慣がそもそもない。でも、たまにだけど、テレビは点けたりするよ」
「でも、そんなに興味は惹かないと」
「うん……部屋でボウッとしてる方が好き」
「そっか。でも、適当なバラエティを観ながら、一緒にボウッとするのも楽しいよ。音楽を聴きながらでもいいけど」
「………そうだね。あなたと一緒にいれば、なんでも楽しいかもね」
まといは、クスリと笑みを浮かべたのだった。
そうこうしているうちに時間が来てしまったので、まといと碧は、マンション下の地下駐車場へと降り、車へと乗り込んだのだった。
そんな中、物陰から彼女達の様子をうかがう人物がひとり。
その人物は、碧の幸せそうな表情を瞳に映してから、視線を横にスライドさせ、まといの事を睨みつけた。
物陰から見ていたのは、葵だった。
そう、風椿碧の妹である。
葵は小さな声でこうつぶやいた。
「私を……私の事をもうじき捨てるくせに、なんで幸せそうな顔をしているの?」
その問いには誰も答えない。
彼女の近くには誰もいないから。
「許さない。こんな事、あってはならない。そもそも、あの女は誰なの?一緒に上の階から降りてきたあの女は………」
いや、別に、あの女が誰だろうが結局は一緒だ。
というより、誰であろうが関係ない。
タイムリミットの6月5日になってしまう前に、姉に分からせる必要がある。
妹を捨てる事がいかにおろかな行為なのかを、思い知らせてやるのだ。
こうなったら、多少傷つけてもかまわない。
いや………なんならもっと…………。