蔵本ワカコの場合3
5月20日。
津島葉菜加の死は、思わぬ人物を苦しめる事になった。
でもそれは、彼女のファンでも、家族でもなく……。
マネージャーだった。
あろうことか、津島葉菜加のマネージャーだった彼に対し、誹謗中傷の嵐が巻き起こったのである。
最初は、危機管理の甘さを責めるコメントだけだった。
だけどいつの間にか、『現場にかけつけたこのマネージャーがトドメを刺した説』が広まるようになり、その根も葉もないデマを信じた人が、このマネージャーの事を、殺人鬼として扱いはじめたのだった。
葉菜加の遺体を最初に発見したのが、彼女の両親なので、マネージャーがトドメを刺せる瞬間なんて、もちろん、1秒たりともありはしなかった。だから、そういった誹謗中傷について葉菜加の両親がテレビで知った時、首をひねったくらいだった。
心臓麻痺と言っているのに、心臓麻痺だと信じない人達が、こういう形で出てしまっている。意味がわからなかった。
ワカコは、心配になってこのマネージャーに会いに行ったら、精神的に参った顔をしていた。
「ワカコちゃん………俺、もう疲れたかな」
事務所の隅の長いすに彼は腰かけ、深くため息をついた。
元気出せと言ったところで、出るわけがないのだが、こんな彼を放っておく事もまた、できそうになかった。
「こんなの間違ってます。直接現場を見てもいない人間が、憶測だけでこんな事……。それなのに、なんで信じる人が多いのか」
「もう……どうでもいいよ」
「そんなっ……そんな事……そんな事言わないでください」
「昨日の朝もね、親子連れの母親が、俺の顔を見た途端、子供の手を引いて、遠ざかったんだよ。どうやら俺の顔、ネットで晒されてるみたい」
「だったら警察にっ、いや、弁護士に………」
「もういいよ」
「弱気になったらだめです」
「いや、もう……いいんだよ。弁護士に相談したところで、もうどうにもならないんだよ。もう俺は、マネージャーとしてはやってはいけない。冤罪を証明したところで、“実はアイツの仕業”と誰かが言い続ける限り、面白がって尾ひれをつける人は、また必ず出てくる」
「そんなの、そんなの間違ってますっ!!どうして、何の罪もないあなたが、こんなくだらない事で仕事を奪われなければいけないのかっ」
「…………俺のために怒ってくれてありがとう。でも、もういい。もう疲れた。誰もいないところに行きたい」
「どうして………どうしてこんな事に……」
ただの心筋梗塞のはずだったのに。
こんなの……こんなのってない。
なにか、他に手はないものだろうか。
「そうだっ」
ワカコは、ある事を思いついた。
だから再び、直江寺へと行って、宗政のもとへと訪ねたのだった。
でも、宗政の答えはこうだった。
「私がテレビで、津島葉菜加の真実を語ったところで、鼻で笑われるだけですよ」
そう、死者側に寄り添う立場でもある宗政がテレビに出て、津島葉菜加は誰にも殺されていないと語ってくれれば、殺人説を払拭できるのではないかと思ったのである。
でも宗政は、その可能性をすぐに否定した。
「この世の中には、インチキ霊能者があふれていますからね。オカルトや心霊現象の類は、平凡な日常に刺激を加えるためのいいスパイスにはなってくれますが、あんまりテレビの前で、私のような者が我を出しすぎると、すぐに視聴者は手のひらを返しますよ。承認欲求の強い霊能者ほど、胡散臭いモノはないですからね」
「でっ、でも………」
「この前も言ったかもしれませんが、あなたにできる事は限られてます。諦めてください」
「だっ、だめです。このままだとっ、このままだとあのマネージャーさんが死んじゃうかもしれないんです」
「残念ですが無理です。ただ祈るだけしかできません。そのマネージャーさんが自死を選ばないように」
「…………………」
「私はあなたの方が心配です。このままだと、よからぬモノを呼びかねない」
「…………………」
「大切な友達が2人も死んだと言っていましたよね。1人目はなんで死んだのですか?」
「……………ネットに、住所を書き込まれて、それを見たファンが、ミチルの事を……」
「………なるほど。だからあなたはそんなにも、ムキになるのですね」
「…………………」
「ふたたび、心ない人達のせいで、身近な人が殺されてしまうかもしれないから」
「…………………」
「だけど、これだけは言えます。亡くなってしまった友達のためにも、負の感情に身をゆだねてはいけません。でないと、あなたはあなたではなくなります」
「…………………」
「どうか、乗り越えてください」
「…………………無理です。私には………無理ですっ!!!」
ワカコは、直江寺を後にした。
この世の中には、思い通りにならない事で溢れている。
たしかに、たしかにその通りだった。
だって宗政は、こちらの願いを聞いてはくれなかったから。
もちろん、納得なんてできるわけがない。
あのマネージャーの疲れ切った顔。
もう、時間の問題のように思えてならなかった。
だけどもう、他に手なんてない。
「…………………」
ワカコは、行く当てもなく彷徨った。
右に行くか、左に行くかは適当に決めた。だって、どちらを選んだとしても、結末は同じだとわかりきっていたからである。
雨がポタリポタリとフリはじめ、ワカコの服を、ゆっくりと雨の雫が濡らしていった。
冷たい雨だった。
体温のすべてを奪いつくしてしまいそうなくらいの、奥まで浸透していく冷たさがあった。
ふと、ワカコの頭に、こんな考えがよぎったのだった。
フォーカスモンスターに頼めばいいのではないかと。
そう、こんな時のフォーカスモンスターだった。
フォーカスモンスターは、報道の自由を笠に着るマスゴミや、誹謗中傷をするような人達を特に嫌うはず。
マスメディアに住まう怪物。
フォーカスモンスターに頼めば、きっと、諸悪の根源を断ち切ってくれるはずだ。
それに、フォーカスモンスターには1度会った事がある。
だから、強く望めばきっと、また会えるはずだ。
だけど…………。
宗政の言葉が思い出される。
『亡くなってしまった友達のためにも、負の感情に身をゆだねてはいけません』
わかっている。
わかってはいるのだ。
フォーカスモンスターに頼るという事は、人殺しを頼む事と同じ。
こんな自分を、おそらくミチルは快く思ったりはしないだろう。
でも、時間がないのだ。
時間がない。
まだ、助けられるチャンスが残っているうちに……………。
殺してほしい。1人残らず。
「…………………」
気がつくと、ワカコは七王子駅周辺にいた。
七王子駅周辺は、23区内と比べるとそんなに人の数は多くはないが、それでも、最近は近くに電機量販店が建ったり、大型のマンションが建ったりと、それなりには賑わっているスポットではある。
近くを行き交う人達は、ワカコの事など気にすることなく、各々の目的地へと歩いていた。
そんな中、ワカコは、視界の隅に映ったある人物へと顔を向け、ハッと息を呑んだ。
その人物は、食材の詰まったエコバックを片手に、傘を差しながら、マンションの方角へと歩いていた。
そう、まといだった。
ワカコはすぐにまといのもとへと走り、彼女の手首を掴んだ。
「わたし、あなたに頼みたい事があります」
はじめて会った時とは違い、まといの表情には戸惑いしかなかったのだった。