自己嫌悪1
いったん七王子市のマンションに戻ったまといは、ある事に気がついた。
碧と一緒に暮らしていた時に使っていたあの家の鍵と、あと、1階の自動ドアを開けるためのカードキーまで、碧との同居を解消させたあの日に、荷物にまとめて、持ってきてしまっていたのだ。
そう、あの家にはもう2度と住まないので、持ってくる必要はなかったというのに……。
「はあ……自己嫌悪」
もちろん、この鍵を使って中に入る事はできない。今日は別人として彼女の家に行くわけだから、彼女に中から、1階の自動ドアを開けてもらってから、そのうえで、玄関の鍵も外した状態でいてもらわないと。
とりあえずまといは、赤毛のロングヘアのウィッグをかぶり、サロペットパンツと赤のドルマンタイプのシャツを着た。ウィッグに関しては、ヘアゴムでゆるく両サイドに2つに分けて結んだ。
そして黒縁の大きなメガネをかけて、マスクを身に着けた。
サングラスにするのはやめておいた。見た目からして、怪しさ率マックスだからである。
普通のメガネとマスクにしておけば、花粉症気味のメガネの人としか思われないだろう。
という事で、さっそくまといはあのマンションへと向かい、自動ドアの近くの、地面から生えている四角い台のような機械へと近づいた。
こちらの顔を映すための丸型のカメラと音声スピーカーが、その機械にはついている。あと、部屋番号を押すためのテンキーと、赤い呼び出しボタンもあった。
まといは部屋番号をテンキーで押してからその呼び出しボタンを押すと、30秒くらいしてから、音声スピーカーから碧の声が聞こえてきた。
『……もしかして、テンマが言ってたお手伝いさん???』
「はい、そうです………」
『ふうん……じゃあ、入ってきて』
ブチ。
そこで通話は切れてしまったが、自動ドアは開いたので、さっそくまといは中へと入り、エレベーターを使って目的の階へとあがった。
次に、エレベーターから降りて廊下を歩き、碧の部屋の前で止まって、きちんとノックするのを忘れなかった。
すると、まもなくして扉が中から開いた。
碧は、とてもだるそうな顔をしていた。
そして、すぐに自室へと引っ込んでしまった。
まといは靴を整えてから玄関を上がり、碧に対し、もうお昼は食べたのかを聞いた。
声でバレてしまわないように、いつもとは違うトーンで話すようにつとめた。
碧は、ベッドを背もたれにして床に腰を下ろし、ひざの上にノートパソコンを置いて、やたらと棒グラフの多い画面を開いていた。
「……お昼は食べたよ。テンマが持ってきてくれたチラシ寿司があったから」
「そうですか……」
「あなたには、作り置きの副菜をいくつか作ってほしい。そして、冷蔵庫に入れてもらえるとありがたいかな。あと、レンジでチンするタイプのご飯を何十個か買ってきてほしい。段ボールにまとめて入ってるやつ」
「そんなもの買わなくても、私がお米の袋を買ってきて炊きますよ。レンジでチンするより、そっちの方がおいしいと思うし」
「ううん、いいや。だってバカみたいじゃん。たかが1人用のごはんのために、わざわざ40分かけてまでご飯が炊けるのを待たないといけないんだから」
「……………」
碧は、まといと目を合わせようともせずに立ちあがり、クローゼットの奥から財布を取り出して、1万円札10枚をまといに渡した。
「………あと、車の鍵も渡しておく。まあ、事務所が用意した車ではあるけど、実質、私の車みたいなものだし。あっ、免許は持ってるの?」
「はい、持ってます」
「ふうん………そだ、私の家の鍵とカードキーも渡しておく。買ってきたら勝手に入ってきていいよ。あとは適当に好き勝手してね。私、株の動きを見ていたいから、自室にこもらせてもらう」
「………わかりました」
まといは碧の自室から出て、冷蔵庫の中身を確認した。
スッカスカだった。
なんだか、あの日、碧の家を飛び出した事が、最大の過ちのように思えてきた。
碧には、気持ちを新たに切り替えて新しい人生を歩んでほしくて、この家を出たというのに……。
「調味料もないな……」
とりあえずまといは、いったん地下駐車場へと降りて、あの車を使って、業務用スーパーへと向かったのだった。
そのスーパーでは、野菜はもちろんの事、冷凍保存が可能な大容量サイズのひき肉と、干物。調味料も全種類買った。
レンジでチンするタイプのご飯も忘れずに段ボール買いしたが、研ぐタイプのお米1キロも、追加で購入した。
そして車を走らせマンションへと戻り、台車のうえにスーパーで買ってきたものを載せてから、エレベーターで上の階まであがって、部屋へと戻ってきた。
「ふう」
玄関のうえに、買ってきた食材等をいったん置いてから、台車をたたんで、壁へとたてかけた。
碧は相変わらず部屋にこもったまま、こっちが帰ってきたというのに、顔を出そうともしなかった。
それでもまといは、礼儀として、一応、『帰ってきました』と言うべきだと思って、食材を冷蔵庫にしまってから、碧の部屋へと顔を出した。
碧は倒れていた。
ノートパソコンはひざから床へと落ちていて、三角に開いたまま、横に立った状態になっていた。
まといはすぐに駆け寄り、碧の額へと手をあてると、熱かった。熱を帯びていると言った方が正解かもしれない。
まといはとりあえず、碧をベッドのうえに寝かせ、水で濡らしたタオルを額にのせた。
「薬……」
解熱剤を呑ませようと部屋中を探したが、碧はめったに体を壊すタイプではなかったためか、薬の類は見つからなかった。
しかたがないので近くの薬屋で、冷えピタと一緒に薬を買ってきて、碧をいったん起こしてから、それを呑ませたのだった。
「………………」
碧は、目がぼんやりとしていた。
なので、起こされた事に対しては、怒ったりはしなかった。
そしてすぐに、また眠ってしまった。
「…………碧さん……」
もうこれは、自己嫌悪どころの話ではない。
彼女ならきっと、すぐに自分の事など忘れてくれると思っていたけれど、それは間違いだった。
なぜならあの選択肢は、碧の気持ちなんてまるっきりガン無視したものだったからだ。




