いい傾向
5月5日 AM7:21。東京高匡総合病院。閉鎖病棟。
品川かなめは、スマホでゲームをしていた。パズルゲームである。
3週間くらい前に、彼女のために加賀城がスマートフォンを持ってきてくれたのだが、そのスマホの中に、すでにアプリとして入っていたキャラクターモノのパズルゲームを、またやりはじめたのである。
本当は、ゲームなんて楽しめる気分ではなかった。
夕桐高等学校の事件から、まだ半年も経っていないし、27人も死んでしまったので、それらをすべて忘れてゲームだなんて、できるわけがなかった。
でも、品川かなめはスマホを手に取った。
品川かなめは今日まで、あの出来事を忘れるために、必死になって、喜怒哀楽の一切の感情を、自分自身の手で押し殺し続けてきた。
だって、感情の一切が死んでしまえば、恐怖も、悲しみも、寂しさも感じずに済むと思ったからだ。
だけど、完全には無理だった。
どんなに必死になって押し殺そうとしても、せき止めていた感情が、突然、一気に溢れ出してしまうのである。
そして、気が狂いそうになって、死にたくなるを繰り返した。
自分の腕に爪を立ててズタボロにしようとしたあの行為も、そういった行き場のない感情の表れでもあった。
でも本当は、死にたくなんてない。
求めているのは“死”ではなく“救い”だったから。
だからこそ品川かなめは、スマホを手に取り、ゲームをまたはじめてみたのだ。
心の底からゲームを楽しむ事はさすがに無理だが、少しだけでもいいから、楽しいという感情の一部を取り戻せたら、ほかの感情の一部も、取り戻せるような気がしたから。
そして、自分自身と向き合うのである。
この先どんな風に生きていくべきか、自身の罪と向き合いながら、考えるのだ。
すこし心細いが大丈夫。電話をすれば必ず来てくれると、加賀城密季が言ってくれたから。
胸が………苦しい。
吐き気もする。
胸の不調を主治医に訴えたら、症状について、こう説明された。
躁鬱状態を繰り返した事が影響して、自律神経失調症へと陥ってしまっていて、血液の巡りも悪くなっており、心臓にも負担がかかりやすくなってしまったらしい。
でも、症状の軽いうちに、精神面や生活習慣を正していけば、まだまだなんとかなるそうだ。
その後、品川かなめの主治医は、加賀城に電話をし、胸の不調について報告した。
加賀城は駅のホームにいた。
「そうですか、胸の不調……ですか……」
『依然として気を抜けない状態ではありますが、いい傾向ではあります』
「彼女はずっと、無気力状態が続いていましたからね。だから、自分の不調を話すようになってきたのは、たしかに良い傾向といえるでしょうね」
彼女のような経験をした者は、立ち直るまでに何年もかかったりもする。だから、自分の体調不良を主治医に訴える心の余裕が出てきたのは、ある意味ではいい傾向でもあった。このまま病気で死んでも別にいいやと思っている人は、いちいち、主治医に相談したりしないからだ。
なのでこれからは、少しずつでいいからいろんな人達とのコミュニケーションを増やし、心にゆとりをもっと持てるよう、環境を整えてあげればいい。
主治医の許可が下りれば、たまには外出させたりして、息抜きもさせる。
あとは、鹿津絵里の件をなんとかすれば、品川かなめをようやく救う事ができる。
きっと大丈夫。