ベスト・デス・ショット 前編
5月4日。PM14:00。
この日は、薔薇の麗人のクランクアップ予定日である。
“よっぽど”の事がない限りは、今日で撮影は終了する。
撮影の順序に関しては、物語の順番通りに撮っているというわけではなく、俳優のスケジュールの影響によって、多少は順不同となっている。
予定のシーンは、大型撮影スタジオ内で行われる。
このスタジオは、東京ドームよりもさらに大きい広さを誇っている。
敷地内はそれなりの高さの塀で囲われており、出入り口の門には、警備員が常に立っている。
一般人は容易には入れないが、お弁当の配達や、自動販売機のジュースの補充のために出入りする人達は、毎日のようにいる。あと、ハケンの清掃員達の乗ったマイクロバスも通ったりもする。
だから、侵入しようと思えばいくらでも“手がある”という事だった。
「…………………」
そして……、清掃員として紛れ込んだ怪しげな男性が、下の段にカーテンがかかった清掃ワゴンを押しながら、誰もいない男性用トイレを狙って、その中へと入った。ワゴンの上の段には清掃用洗剤とバケツが置いてある。
さらにこの男性清掃員は、カーテンのかかった下の段から服を取り出し、撮影スタジオのスタッフへと変装した。
あとポケットから、偽名の書かれたネームプレートを出し、首に下げた。さらに、ワゴンのうえに置いてあった清掃道具と脱いだ服を、隅のロッカーの中へと無理矢理しまい、ワゴンをいくつかの棒に分解し、近くのトイレの個室の奥へと置いた。
だが…………。
男性用トイレの扉を勢いよく開け、外から入ってくる者が1人いた。
その人物は、スタッフへと変装した男性へとすばやく近寄り、圧倒的な力で体当たりした。
その圧倒的な力を前に、男性の体は壁へと、いとも簡単にバウンドしてしまう。
さらに、息をつくヒマすら与えてはもらえず、肘鉄を頬へと喰らってしまい、壁へと思いきり側頭部を打ち付けてしまう。
その際、男性の首の筋肉がブチっと切れた。
もう、それで充分だった。
男はそのまま気絶し、地面へとズルズルと崩れ落ちた。
そして、この男性をいとも簡単に伸してしまった謎の人物は、トイレからサッサと出て行ってしまったのだった。
一方、まといもまた撮影スタジオのスタッフに変装して、すでに忍び込んでいた。
実は、取材の名目のもと、福富神子が乗る車の後部座席に身を隠して入ったのだ。
助手席に座って同伴という形で中へと入ってしまうと、その際、警備員にも顔を見られてしまうし、あとで加賀城に問い詰められた時、蒼野まといを窮地に立たせてしまう事になる。
なので、極力リスクを避けるために福富神子は、彼女には後部座席に身を隠してもらったというわけだった。
もちろん駐車場から降りる時も、人がいないタイミングを見計らって降り、適当なウィッグをつけ、カメラ付き眼鏡をかけ、撮影スタジオのスタッフを装った。
福富神子とは別行動になった。
でも、インカムは耳に付けてあるので、いつでも話はできる状態になっている。
撮影スタジオの中は、ツルピカの廊下が延々と続いていて、迷路のように入り組んでいた。天井の電気はどこも薄暗かった。
人通りは激しく、スタッフ風の人やら、清掃員やら、様々な装いの人達がいた。
するとインカム越しに福富神子が『こりゃ、思った以上にザルだわね』と言った。
まといは小さい声で『どういうことですか』とささやいた。
『さっきの警備員も後部座席まではチェックしなかったし、中にいる警備員のうちの1人が、人のいない階段の方でタバコ吸ってるし……。監視カメラもそんなについてないしね。まあ、なんていうか、外見だけは“ちゃんと仕事してます”って装ってるだけ』
「じゃあ、一度忍び込めたら、あとは簡単って事ですか」
『まあ、そういう事ね……一応、殺害予告の件は警察にも通報したんだけど、取り合ってすらもらえなかったしね』
「じゃあ、結局私達でなんとかするしかないですね。碧さんを確実に殺せそうな方法をひとつずつ潰していくしか……」
『一番簡単なのは、トイレにでも爆弾をしかけて、彼女が入ったタイミングを見計らって押せばいいだけだけど………』
「あっ!!ちょっと待ってくださいっ」
『ん、どうしたの?』
「男性用トイレの前に人だかりができています」
『えっ、なんで?』
「…………………」
まといは、状況を知るために耳を澄ましてみる。
すると、野次馬達の声が耳に入って来て、このトイレの中で男の人がなぜか失神している事がわかったのだった。
さらにまといは、小さな声で、こう言葉を続ける。
「野次馬達の話によると、脱ぎ捨てられた清掃作業員の服も出てきたそうですよ」
『えっ?それって……おかしくない』
「………なにがですか??この倒れてた男の人が、碧さんを殺そうとしていた犯人だったって事じゃないんですか???」
『それもあるけれど、犯人がそのトイレの中で倒れていた時点で、私以外の誰かが、彼女の殺害を阻もうとしていたって事になる』
「たしかにそうですけど………」
『あの報告掲示板は他の人も閲覧できる状態だったから、あのカキコミを見て、風椿碧を守らなければと思った人は大勢いるのかもしれない。だけど、最低でも、大の男を簡単に叩き伏せる事ができないと、ただの一般人には無理よ。返り討ちに遭う可能性だってあるしね。あと、その謎の人物も、私達と同様、この中にわざわざ忍び込んできたって事にもなる』
「格闘技やってる人に碧さんのファンがいたとか??とにかく、私達の他に、碧さんを助けようとしている人がいるんだったら、ありがたい事なんじゃないでしょうか」
『どうだかね…………。格闘技をやっていようがいまいが、いつどこで撮影が行われているのか、スケジュールを把握できていなければ無理よ。はたして彼らに、それが可能なのかしら』
「ある程度情報を収集できる人材がいないと無理って事ですか?」
『そうね。あの殺害予告だって、海外のサーバーを経由して書き込まれたものだしね。いくら風椿碧が嫌いだからといって、そこまで面倒くさい事するかしら?それもたかが一般人が、自分の人生を台無しにするかもしれないというリスクを冒してまでよ。それに、彼女が諸見沢勇士を殺しただなんて、よっぽど脳みそが腐っていない限りは、デマだって誰にだってわかるはず」
「……………もしかして、狙いは別って事ですか?」
『そうね。私達を明らかに煽っているし、あなたと風椿碧は強いつながりがある。だから、彼女を殺す事は、あくまで、目的を達成するための手段なのかも』
「……………………」
『彼女を殺せば、あなたが傷つく』
「……………………」
『ひょっとしたら、鹿津絵里かもしれない。彼女、ELSAともつながってたみたいだから』
「……………………」
『問題は、この件に何人動いているかって事。そのトイレの中の男は、ダミーの可能性が高い。私達が止めにくると予想して、用意されたんだわ』
「なら、どうすれば………」
『あの殺害予告の文面………“ただ殺すだけじゃ面白くない”って書いてあったわね。あなたを苦しめる目的であの掲示板に書き込んだという事は、見せるつもりなのよ。あなたにね』
「でもそれだと、私達に殺害を阻まれるリスクがありますよね。殺害計画としては不完全なんじゃ……」
『そうとは限らないわ。たとえばそう……カメラがまわっている目の前で彼女を殺せば、あの殺害予告の文面と一致する事にもなる。それに、風椿碧を守るためとはいえ、カメラがまわっている中私達が飛び出せば、かなりの確率でほかのスタッフ達に阻まれるわね。そしてあなたは、警察に追われている身。彼女を助けようとすれば、逮捕は免れないかもしれない』
「………………………」
『どうする??警察に捕まるリスクを負ってでも、あなたは彼女を助けるの???』
「もちろんです。私にとって、彼女は大切な人だから」
『そう……じゃああなた、足は速い方?警察に捕まるリスクをなるべくおさえるためにも、なるべく顔は見られないようにね』
「わかりました」
そしてまといは、風椿碧のいる屋外フロアへと急いだのだった。