腐食の運命1
翌日4月21日 AM8:00。
上辺美鈴宅。
今日もまたアパートの扉をドンドンドンと大きな音で叩かれた。
部屋の中で上辺美鈴は1人、深いため息をついた。
原因はわかってる。
美鈴の兄である上辺亮が抱えた借金のツケが、今になってこうして美鈴へと圧し掛かってきたというわけだった。
すべてはそう、美鈴の病気を治すためだった。
お金がかかったのは入院費ではなく、新薬の方だった。
その新薬の値段は、小っちゃな小瓶ひとつだけでも100万はかかり、それを何瓶も体内に投与し続けた結果、何千万も借金がふくれあがってしまったというわけである。
その事実を知ったのは、上辺亮が死んでから2週間後の事だった。
それからだった。玄関の扉の外から借金取りがドンドンと叩き始めたのは……。
上辺美鈴が住んでいるのは小さなアパートなので、こうした嫌がらせはあきらかな近所迷惑である。しかもこういう時、マンガやアニメの世界とは違って、まわりの美鈴に対する同情的な声は少なかったりする。
ヤクザみたいな借金取りと下手に関わってまで美鈴を助ける気はないといった感じである。だから美鈴にはとっとと出て行ってもらってほしいというわけだ。
それに、借金を作ったのは自業自得なんだから周りにこれ以上迷惑をかけるなとすら、思っている人もいた。
だからみんな、美鈴を助けないのだ。
でも引っ越すお金すらなかった。
テレワークの仕事にはついているが、日々の生活を続けていくのがやっとだった。そのうえ、病院にも通院しなければならないわけである。
通院するのだってそれなりにお金がかさむ。借金返済にそのお金をまわしてしまったら、仕事すら続けられない体になってしまう。
こんなの生き地獄だった。
たまに、人間生きていればきっと良い事があると言う人がいるが、だったら、あと何日待てばその幸せがやって来るのか、その正確な時間を言い当ててほしかった。
だから嫌いだった。根拠のない励ましを言う人や、たいした気休めしか言えない心療内科・精神科の類が。それに、彼らに診てもらうのだってお金がかかるわけである。
あんな役立たず達のためにだ………。
「……………………」
上辺美鈴はもう1度、深いため息をつきながらも、アパートを出て、東京高匡総合病院へと行った。
病院内にある小さなコンビニの前を通りかかったところで、頭に包帯を巻いた状態の蒼野まといと偶然会った。
「あっ、上辺さん。お久しぶり」
まといはスウェットのポケットにスマホをしまった。
「えっ、蒼野さんはケガで入院?」
「うん………まあ、そんなところ。で、脳に異常がないか2・3日検査入院してたんだけど、午後に退院予定なの」
「そうなんだ………」
「上辺さんは通院?」
「うん、そうだよ。本当はやなんだけどね。体調によっては治療内容が変わってくるから、結局1日潰れちゃうこともあるし」
「あっ、それわかる。私も病院はあまり好きじゃない。病院で過ごす1日よりも、ハケンで稼ぐ数時間の方が本当に貴重だって思う」
「そうだよね。待ち時間もやたら長いしね、ほんと、この無駄な時間をどうにかしてほしいって感じかな」
「そうそう。仕方がない事だってのはわかってるんだけど、もっとスムーズに患者側の時間を無駄にしないよう改善してほしいなって思う」
「…………まあとにかく、ひさしぶりに会えてよかったかな。高校卒業と同時に病気になっちゃったから、体が治ったのはいいんだけど、コミュニケーションの仕方を忘れちゃってる部分があって、友達もできなくてね………」
「…………心細かったら、電話かけてくれてもいいんだよ。最近私スマホを買ったし、あと、そんなに何時間も私、時間に縛られるような仕事はしてないから、昼間でもいいし……そだ、電話番号教えるね。あっ、ラインの方がいいかな?」
「…………こんな私でも友達でいてくれるの?」
「当たり前だよっ。そりゃあ最近ひさしぶりに会ったばかりだからぎこちない部分はあるかもしれないけど、そのうち気にならなくなると思うし……」
「………………」
「たしかに、私ができる事は限られてる。でも、何か悩んでいるんだったら一緒に考える事くらいはできるよ。まあ、よけいなお世話かもしれないけど………」
「…………ううん、それだけでじゅうぶんだよ。今はもう、ただただ心細くて仕方なくて……」
上辺美鈴は深いため息をついた。
まといは何か察したのか、美鈴を待合室の空いている席へと座らせ、詳しい事情を聞いた。
「なるほど、そうなんだ……借金があるんだね」
「うん………。でも、兄貴ね、生きてる時はそんな事一言も言ってなかったの。それに兄貴は頭が良かった。だから、変なところからお金を借りたなんて信じられなくてね………」
「でも、それっておかしな話だと思うんだけど?」
「えっ?」
「連帯保証人にはなったの?」
「えっ?連帯保証人って?」
「お金を貸す側としては、貸した側がとんずらしちゃったら損しちゃうわけでしょ?だから、お金を貸す時はたいてい連帯保証人を立てる。かわりにお金を返してもらう人を念のために貸す側の人に用意してもらうってわけ」
「そうなんだ」
「で、その時に連帯保証人の書類を書かされると思うんだけど………」
「知らない」
「じゃあ、どこの闇金か名前を教えて。私の知り合いにね、マスコミ関係の人がいて、この人がとても信用できるんだ」
「…………マスコミ……ね。あんまり好きじゃないな」
「うん、私もサラや子供達の件があるし、今でもマスコミの人達は大嫌い。でもね、彼女の事は信じる事ができる。だからさ、信じてみる事からはじめてみない?」
「………………わかった。ベイクELSAって名前の、消費者金融なんだけど」
まといはいったん病院の外に移動し、福富神子に電話をした。
美鈴は診察の時間になってしまったので、この場にはいない。
『あのさぁ、蒼野さん……前にも言ったかもしれないけど、私ね、便利屋じゃないから』
「もちろん便利屋だなんて思ったりしてません。でも、あなたが信念を持ったヒトだと信じてます」
『……………はあ。あなたって、別の意味でタチが悪いわね。まあいいけど。こっちには、あなたにケガを負わせてしまった借りもあるし』
「で、ベイクELSAっていう闇金を調べてほしいんですけど………」
『えっ、ベイク?ベイクってまっとうな消費者金融だけど?もともとあそこは銀行だったのよね。ELSAって名前の』
「でも、上辺さんは連帯保証人にすらなっていないのに、タチの悪い借金取りによる嫌がらせの被害に遭っているそうです」
『…………上辺美鈴さんが連帯保証人になっていないにしても、普通は、誰かが連帯保証人になっているはずよ。だって、貸したお金が返ってこないと大損だもの』
「一応、借用書のコピーはもらったようなので家で保管しているみたいですが、その他の書類はいっさい、ないみたいです」
『………………じゃあ、本当は、保証人なしのカードローン返済の契約だったか、それか、本当は連帯保証人がいるのに、なぜか上辺美鈴さんに返済を迫っているかのどちらかね………。まあどちらにせよ、真っ黒だけど……』
「なんとかできますか?」
『証拠さえ手に入ればだけどね、こういう類は、叩けば埃が出てくると思うから、そう時間はかからないと思うけど』
「よかった………」
『でもね、もしものために備えておいた方がいいわね』
「えっ?」
『彼らが上辺美鈴さんに求めているのは借金の返済じゃないのかもしれない。もっと別の……どす黒いナニカ……』
「どす黒いナニカって、何ですか???」
『さあ?それはこれから調べてみない事には……。じゃあ、切るわね』
福富神子はそこで通話を終了させ、デスクの上にスマホをそっと置いた。
そして深いため息をついたのだった。
「本当は……加賀城密季に相談した方が早いんだけどね」
そう、これは加賀城密季の得意分野だ。
でも、それをまといに提案するという選択肢は選ばなかった。
加賀城密季は勘がいい。まといと彼女を会わせるような真似をしたら、まといを窮地に立たせる事になってしまう。
そんなのもったいない。
そう、蒼野まといは、幸運を呼び寄せる招き猫と一緒だ。
上辺美鈴とかいう女性には悪いが、今度もまた、一面を大きく飾れそうである。