実はわたし・・・・・・。
4月19日。AM6時。
昨日から続いたどしゃぶりの雨は、朝の4時になってようやく止み、太陽も、6時になってようやく顔を出し始めた。
一時は全壊するのではないかと騒がれていたヤマトテレビであったが、なんとか建物の形を変える事なく、建ち続けてはいる。しかし、壁にヒビまで入ったうえに床が抜け落ちたフロアもいくつかでてしまったので、耐久性に問題があるのはあいかわらずだった。
あれから数時間は経過しているが、1000人以上がいっせいに同じ時間帯に避難したのもあってか、いまだに怪我人の正確な数は把握しきれていない。
テレビ局の前にはパトカーの他に、レスキュー車も何台か駆けつけ、逃げ遅れた人がいないか、何度も何度もレスキュー隊員が命がけで確認しに行ったりもした。
つい数分前もレスキュー隊員が中から出てきたばかりで、テレビ局の中にはもう1人も残っていないとの事。
昨日の17時頃に中から避難してきたスタッフ数名の話によると、頭から血を流して死んでいた女性がいたらしいのだが、遺体なんてもちろん、どこにもなかった。
人間、慌てている時なんかは特に、落ち着いて脈を測っている余裕なんてないはずなので、もしかしたら、病院に搬送した怪我人の中に、その例の女性がいる可能性の方が高かった。
テレビ局の前には、他局の取材班が何グループかいた。彼らは平然とタバコのポイ捨てをしながら、カメラをヤマトテレビへと向けていた。
一方その頃。
福富神子は、キャバクラの店長がハッキングで得た証拠の数々をもとに、赤佐内建設にトドメを刺すための記事を作成途中だった。
「………………」
もちろん、ひとつの記事にすべての証拠を盛り込む気はない。これは蒼野まといにも言った事だが、あえて相手に言い訳をする余地を与えるように最初の記事をネット新聞で公開する。そして、赤佐内建設側が『事実無根』と会見で言い切った後に、第2弾、第3弾を打ち上げ、事実無根と言い切った事に対しての国民の怒りを煽るというわけである。
最初の記事には、赤佐内建設が下請けを通して、耐久性に問題のある資材を安く購入したリストを一面として載せる事にした。
そう、ヤマトテレビを建てる際に使った、手抜き工事をしたという証拠の一部である。
キャバクラの店長がハッキングで得た情報の中にはこんな名前もあった。
財務省審議官、猿手川義信。
これは追加で分かった情報だが、23時間テレビの募金の一部をネコババするという行為は15年前からずっと行われていて、その額は、あわせて10億にものぼる。そのお金をしまっておくための口座がどこの銀行のものかもすでに判明済みだ。
今のヤマトテレビのCEOと猿手川義信は15年前からズブズブの関係で、この口座に関してのみは、誰かに横取りされるのを恐れてか、お金の引き出しなどは下っ端を介してはおらず、猿手川が自宅の自分のパソコンを使って、別の口座へと貯金を移していたデータも見つかった。
これも、キャバクラの店長がハッキングによって得た情報である。
この情報をドドンと公開してしまえば、猿手川はもう終わったも同然だが、でも、猿手川の裏には、まだ何人か甘い汁をすすっている連中がいるはずだ。
そう、猿手川1人だけでは“戸土間の悲劇”は引き起こせない。だから、猿手川というルアーを使って、もっとおびき寄せないといけなかった。
とにかく、福神砲の第1弾は今日の20時頃に打ち上げ予定だ。
いまSNSでは諸見沢勇士の死の真相について盛り上がっているが、この話題の旬が過ぎるのをじっと待っていたら、こっちのネタの旬まで過ぎてしまう。タイミング的に、今日の夜がちょうどよかった。
「そうと決まれば……いまのうちに蒼野さんの車を返しに行かないとね」
そう、福神出版の裏手にある駐車場エリアに、まといの車を置きっぱなしにしたままだ。
正確には、風椿碧が所属する芸能事務所から貸し出された車なので、あんまりあそこに置きっぱなしのままだと、面倒な事になりかねなかった。
ダメもとでもう1回だけまといのスマホに電話をしてみる。
すると、なんと1コールで繋がり、電話口から『もしもし』と女の声が聞こえてきたのだった。
でもそれは、蒼野まといの声ではなかった。
「あちゃー」
まずったなと福富神子は思った。
この声、風椿碧に似ている。
蒼野まといとは“秘密の関係”を築いている身なので、よけいな人にこの関係を知られるのは少々都合が悪かった。
『もしもし、どちらさまですか?まといちゃんの知り合いなのはたしかですよね?いま画面には“A子”さんって出てるけど、アドレス帳の中の1人って事でしょ?』
「…………………」
なるほど。まといのスマホのアドレス帳には“A子”さんで登録されているのか。
つまり、名前をまだ知られていないわけだから、このままこの電話さえ切ってしまえば、蒼野まといさえ口を割らなければ、正体がバレるような事にはならないはずだが……。
「私はA子さんじゃない。福富神子っていうれっきとした名前がある。その声は……風椿碧さんよね」
『ええ、そうですけど………』
「蒼野さんは昨日、突然体調が悪くなって、車だけ私の仕事場の近くの駐車場に置いてったんだけど……、いつまでもこのままってわけにはいかないから、返したいなって……」
『…………そうなんですか……。これはどうも………』
「で、いつ返しに行けばいいかしら?」
『今からでも大丈夫ですよ。撮影は午後からになってしまったので』
「わかったわ。じゃあ、いまから行くわね」
という事でさっそく福富神子は、まといの車を返しに行ったのだった。
風椿碧の指示のもと、マンションの下にある地下駐車場のスペースに車を停め、彼女の自宅でお茶を飲む事になった。
リビングテーブルのうえには、ダージリンティーの入ったマグカップが置かれた。
「で、蒼野まといさんはどこに?」
「入院しました」
「えっ???」
「でも、ただの検査入院です」
「そう。たいした事がなくてよかった……」
「で、どんな関係なんですか。まといちゃん、あなたについては一言も私に話した事ないんですけど」
「………………」
このテーブルのうえに置かれているダージリンティーには“毒”は入っていないようだが、敵意にも似た“圧”がヒシヒシと伝わってくる。
風椿碧の眉間には深いしわまで刻まれている。
今の彼女は、苛立ちと疑念が入り混じった複雑な表情をしていた。
「蒼野さんの方からね、カメラについて学びたいって私のところに弟子入りしてきたのよ。で、なんでアドレス帳の名前がA子さんなのかについては、私が弟子を取ったなんてよけいな人に知られたら、その事がより多くの人に広まっちゃう可能性だってある。さすがにそれは面倒くさいから、ばれないように注意してって、きつく蒼野さんに言っておいたの。だからA子さんなんじゃないのかしら?」
「でも彼女はカメラを続けたいなんて一言も言ってなかったし……」
「それでも彼女はカメラを捨ててない。これは真実よ?」
「そりゃあ、新しくカメラを買ったくらいだから、なんとなくそんな気もしてたけど。でも、ボランティアの仕事に気持ちが傾いている感じだったし……保育士になるのかなって……」
「たしかにあの子は、面倒見がいいわよね。でも、保育園勤めは彼女の性に合わないんじゃないかなとは思う。そうね、1か所に腰を落ち着かせるようなタイプじゃないのはたしか。たとえば、戦場を転々としながら子供達のために学校とか作りそうな……そんな感じもする」
「…………………………戦場……」
「ま、でもわからないわよ。通信制の大学に通いながら、私の下で働くかもしれないし」
「なんにせよ、海外暮らしなんて今のまといちゃんには無理です。ちょっとしたストレスでも高熱が3日くらい続く時だってある。月1の通院は絶対だって言われているし………」
「………ふうん、月1で通院ね。それは知らなかった」
お茶を買いに京都へ行く事をためらわないくらいだから、野性的な体力の持ち主だと思っていたのに、違ったらしい。これは意外だった。
「まといちゃんは、2.3年前にも頭に、後頭部にケガを負ってたみたいだし、だから私はこれ以上、まといちゃんには危ない目には遭ってほしくないんです。海外だなんて、やっぱりとんでもないです。なにか隠し事をしてるみたいだし」
「2、3年前……2.3年前ですって………」
「福富さん、どうかしましたか?」
「えっ、いいえ、なんでもないわ。まあでも、あの子は私から見ても危なっかしくは見えるけれど、いい子よ。信じてあげてほしいの」
「でも、諸見沢勇士の死に彼女が関わっているような気がしてならないんです」
「彼を殺したのは彼女じゃないわ。諸見沢勇士はマジックショーを23時間テレビ内でやる予定だったんだけど、そこで使うはずだった爆弾を誰かが盗みだして、彼を殺すために改造して、それを使ったの。彼女には爆弾を作る知識がないから無理だわ。それにその爆弾は、大道具の倉庫で、大切に保管されていたしね」
「でもまといちゃん、1週間の予定だったはずの諸見沢勇士のアシスタントを3日で辞めてるし………」
「それはね、撮影の途中で、ディレクター側のやらせが発覚したからよ。だから、そういう意味で、アシスタントをする必要がなくなってしまっただけの事」
「……………………」
「もう1度言うわ。彼女はいい子なの。まあ、あなたをこんなに心配させてしまっている時点で、反省すべきなのはたしかだけど……」
これは、福富神子なりの蒼野まといに対しての罪滅ぼしだった。
蒼野まといをあんな形で危ない目に遭わせてしまったので、風椿碧にはフォローくらいすべきだと思ってここまでやって来たのである。
でも、ダメそうだった。
彼女の表情が晴れそうにない。
「………………………」
これ以上は手の尽くしようがなかったので、福富神子はフォローを断念し、マンションから出て行ったのだった。