諸見沢勇士の価値3
4月18日 PM14:00
テレビ局の建物から地下駐車場へと出た諸見沢は、入り口近くで待っていたまといの姿を見つける。
彼の左瞼の下には青紫色の痣があった。
諸見沢はまといへと近づき、彼女の目の前で足を止めた。
「ハハハ、俺、こんなアザできちゃったから、子供達に見せる予定だったマジックもお蔵入りになっちゃった。痣はメイクで隠せるけど、首もなにげにちょっとダメそうだから、これから病院に行く。幸い、今の時期忙しくないから、しばらくゆっくり休むとするよ」
「あの……なんかすみません」
「いいんだよ。やっぱりさ、あんな事、あっちゃいけないんだよ」
「諸見沢さん………」
「君があの女の子を守ろうとするのを見て、俺も勇気が出せたんだ。少しだけだけど、強くなれたような気がするよ」
「そんな……私なんて、ただのおせっかいなだけで」
「ううん、君は俺と真正面から向き合ってくれた。駆け引きとか一切なしにね。そして、俺の事を価値のある人間として認めてくれていた。君はすごい人だ」
「そうですか……」
「お金が溜まったらいつか、海外ボランティアもやってみようかなと思う。英語も勉強して、みんなに“優しさ”を届けるんだよ」
「あっ、それ、いいですね♪私もいつかやってみたいですっ」
「そう??ほんとっ????じゃあさあ……このあと………」
「蒼野さん?」
遠くから福富神子がやって来て、まといに話しかけた。
諸見沢はまといに何か言いかけていたが、福富神子が来た事によって話しかけづらくなってしまったのか、『それじゃ』と言って自分の車のもとへと歩き始める。
まといは彼の後を追おうとしたが、福富神子に『実はあなたに頼みが』と言われ、つま先の向きを福富神子へと戻したのだった。
「実はね、このテレビ局に侵入して、23時間テレビの募金のデータについてを………」
ドオオオオオオオオオオオオオオン!!!
突如、地面が大きく横に、そして縦に揺れた。
いったい何事かと思うまもなく、遠くから一気にここまで熱風が一直線に飛んできて、まといの髪を大きくパタパタとはためかせたのだった。
いったい何事かと思い、顔をその方向へと向けると、キノコみたいな形のオレンジ色の煙が、天井を焦がしているのが見えた。
「えっ、なっ、なにっ?」
まといが目を見開いて驚いている。
福富神子は小さく『まさか』とつぶやいた。
諸見沢勇士は死ぬ。
あの謎の電話の人物の言葉が思い出される。
こんなバカげた事、本当ならあってはならなかった。
マンガやアニメとは違うのだから、あんな予言みたいな事、的中するわけがないのである。
さっきも、元気そうな諸見沢を見て、『ああ、やっぱりいたずらだったのか』と心の中で笑ったくらいだった。
まといは走った。
福富神子はすぐに我に返って、まといを止めようとした。火の中に飛び込むような行為は、あきらかに危ないからである。
雨の音が聞こえる。
それでもここは地下駐車場なので、この火がすぐに消える事はなかった。
彼の遺体は見るも無残だった。
爆発の衝撃によって胸部が深く抉れてしまっていて、全身真っ黒焦げで、誰だかもうわからなくなってしまっていた。
福富神子は、警察が駆けつける前にまといをいったん、テレビ局内の休憩室へと連れて行き、また駐車場へと戻った。
現場検証中の刑事の会話に耳を傾け、メモに詳細を記していったのだった。
刑事の話によると、車のドアを開けたとたんに爆弾が起動したそうだ。かなり大きな爆発だったため、周りに停めてあった車も何台か“オジャン”になってしまった。
天井を支える柱に取り付けてあった防犯カメラにも、諸見沢が爆発に呑まれる様子がきちんと映っていたので、この遺体が別人の可能性はゼロだそうだ。
車に仕掛けられた爆弾は、諸見沢が脱出マジックの時に使う予定だったモノらしい。
本当は、爆弾に見せかけたただの花火で、せいぜい、脆い箱を吹き飛ばす程度で、威力もそんなになかったそうだ。大道具の倉庫に厳重に保管されていたらしい。
だけどこの事件の犯人は、この花火を爆弾へと改造し、威力をあげ、諸見沢殺害のために使用した。
つまり、このテレビ局の関係者の中に犯人がいる。
福富神子はその事をまといへと伝えた。
まといは、憔悴しきっていた。
雨の音がザアザアと、ここまで響いてくる。
もうすぐ、雷も落ちるそうだ。
まあ……こんな事になってしまった以上、どうでもいい話だが。
「福富さん……どうすれば、こんな結末にならなかったんでしょうか?」
「………………」
「動機があるとすれば、あの女の子の件以外考えられません。でも、あのまま知らぬ存ぜぬでインタビューを続けていたら、あの女の子が不幸になっていたかもしれない」
「………そうね、確実にね」
と言いつつ、福富神子はこんな事を思っていた。
もし記事を書いていたら、怒りの矛先は諸見沢ではなく、福神出版へと向けられていたはずだ。その場合、通りすがりに福富神子が刺されていたかもしれない。
もしもあの謎の電話の人物に、未来を予知する能力があったとして、もしかしたら、いや、もしかしなくても、諸見沢が死のうが福富神子が死のうが、そこはどうでもよかったように思えてしまうわけである。
それなら、あの謎の電話の人物の目的は、本当はいったいなんだったのか………。
まといは、肩を何度も上下に動かしながら、浅い呼吸を繰り返している。
そして彼女は、震えた声でこんな事を言った。
「諸見沢さんは……いつか海外ボランティアもしてみたいって言ってたんですよ。本当に、本当に優しい人だった」
「ええ、彼もまた、死ぬべき人間ではなかった。でも、あなたの、あの女の子を助けたいって気持ちに間違いなんてなかったのは、私でもわかる」
「…………そうでしょうか。私にはわかりません。結局不幸な人がこうして出てしまったわけですから」
「少なくとも彼は、あなたに感謝しているように見えたけど?私が悔やむべきなのは、あなたに言うはずだった彼の最後の言葉を遮ってしまった事かしらね」
「………………………」
「だからね、自分自身を恨んでも仕方がない事なの。彼を殺したのはあなたじゃないんだから。悪いのは犯人よ。まあ、私達が何もしなくても、そのうち逮捕はされるとは思う。なんか、素人っぽいしね」
「でもっ、でもそれで、犯人の人は、罪悪感を感じてくれるんですか?」
「しないんじゃない?こんな事するくらいだからね」
「そうですか………」
「でさ、募金の一部が赤佐内建設に流れているっていう情報が入ってる。どうする?」
「…………調べましょう。私はそれでも、この23時間テレビのすべてを否定する気はないです。募金のすべてが被災者や障害者のために使われるようになれば、こんなに良い事はないはずだし、これ以上、諸見沢さんの想いを汚したくない」
「そう………あなたは強い子ね」
「いいえ、私は弱いです。でも、乗り越えなければいけない。今の私は、何の力も持たない普通の人でしかないから」
雷の轟く音が聞こえる。
空はすっかり排気ガス色に汚れ切ってしまっていて、水たまりが至る所に拡がっている。
なぜか、テレビ局の正面出入り口のドアに、ビキッと亀裂が入ったのだった。