幕間9
4月11日 AM10時。
碧が家を出てから、まといはいつものように洗濯物をベランダに干し、スーパーで買ってきた食料を冷蔵庫へ入れ、リビングでいったん一息ついた。
あの自粛ウォーカーの人にボコボコにされてから何気に数日経過しているので、ほっぺたの青あざも、ちょっとした黒ずみ程度まで色は退いた。
頭の傷も、ちょっとした程度のかさぶたはまだ残っているが、普通におふろに入れるようにはなった。
これなら、またハケンの仕事に出ても追い返されるような事にはならないだろうが、新しいカメラも手に入ったので、写真の仕事を続ける事にした。
それに、まといにいつも写真の依頼をしてくるもう1人の方の漫画家さんの描いているマンガが、人気が出た事により、まといにもっと仕事を頼みたいとスマホに連絡してきてくれたので……。
「………………」
わかってる。
このまま素知らぬ顔で“普通の人間”としての生活を続ける事はできない。
だって、鹿津絵里に“あのカメラ”が渡ったままだからだ。
警察庁を爆破した犯人の正体もまだわかっていないので、風椿碧のもとからも、これからも離れるわけにはいかないが、鹿津絵里の事も放ってはおけなかった。
一昨日の西赤橋駅でのガス爆発事故も、フォーカスモンスターの仕業だとSNSでは騒ぎになっている。だとすると、鹿津絵里の仕業という事になるが………。
たとえその件に関しては、フォーカスモンスターはいっさい無関係だったとしても、鹿津絵里はいつか動き出すはずである。
だからまといは福神出版へと行った。
よりにもよってマスコミを頼ろうとするなんてリスキーを通り越して愚かな行為でしかないかもしれないが、もう他に選択肢はなかった。
そしてまといは、福神出版の扉を叩いた。
すると、30秒もしないうちに扉が開き、福富神子が顔を出した。
彼女は、とても呆れた表情をしていた。
「あのさ、そこにブザーがあるでしょ?チャイムって言うべきかな。あなたは友達の家に遊びに行く時はいつも、チャイムを押さずに扉を直にノックしてるの???」
「……ごめんなさい。非常用のボタンかと思った」
「あっ、そう。じゃああなたみたいな人でもわかりやすいように、今度から張り紙でも貼っておくわ。用がある時はこのボタンを押してくださいってね」
福富神子は鼻で笑った。
「あの、突然すみません。お仕事中でしたか??」
「そうね……。だけどヒマはヒマかな。ちょっと停滞気味だから」
「そうですか………」
「それにしても、今日のあなたは“透明人間”じゃないみたいね」
「えっ???」
「いいえ。やっぱりなんでもないわ。それよりも入って」
福富神子はまといを中へと招き、ソファへと座らせた。
そして、マグカップを2つ用意してインスタントコーヒーを手早く注ぎ、まといの分をサッと彼女へと渡した。
まといは遠慮なくそれを口にした。
福富神子は向かい側のソファへと腰を下ろした。
「福富さんはなんで、1人でこの出版社で働いているんですか?大変じゃないんですか??」
「大きな出版社とは違ってジャンルは絞っているし、紙媒体は不定期にしか出さない。だから印刷会社との横のつながりを常に保たなくて済むから、その分人を雇わなくてもいい」
「なるほど、そうなんですね………」
「まあ、たまに手伝いを雇ったりもするけどねぇ」
「じゃあ」
「じゃあ?ん??じゃあってなに???」
「じゃあ私の事、雇ってもらえませんか?不定期見習いのお手伝いでも構いませんので」
「……………ふうん」
福富神子はマグカップの中のコーヒーを一気に飲み干し、目の前の、背の低いテーブルのうえへと置いた。
蒼野まといが再びここへやって来たあの瞬間から、その理由についてを何通りか考えてはみたが、まさか雇ってほしいと言われるなんて思わなかった。
最初に彼女がここへ来たあの時は、あんなにも残酷な目つきをしていたというのに………。
でも………。
でも………。
福富神子は口元に笑みを浮かべる。
面白くなってきた。